40.風見草たちは、教祖に垂れる
◇
メシアを探して歩き回ったものの――
俺は、そもそもどこを探せばいいのかも分かっていなかった。
屋上、講堂、食堂、倉庫の裏。
思いつく限りの“それっぽい場所”は、全部回った。
……でも、どこにもいない。
いや、正確には。
“あいつがいそうな場所”なんて、最初から思いつかなかったんだ。
顔と名前と、やたら目立つ赤いイヤリング。
その程度しか、俺はあいつのことを知らない。
そんなことを思っていた――そのときだった。
――その声は、いきなりだった。
「もう、限界なんだよ……!」
金属音と、何かが崩れる音。
振り返ると、廊下の奥。
怒鳴るような声を上げながら、一人の男子生徒が走ってくる。
制服は乱れて、髪はぼさぼさ。
その目は真っ赤で、何日も眠れていないような顔だ。
「……君……?」
メシアが、穏やかな声でその生徒の名を呼ぼうとする。
まさにその瞬間、
「もう無理だって言ってるだろ!!」
怒鳴り声と共に、生徒の拳が振り上げられる。
「居場所なんて、どこにもなかった!
君を信じたのに! でもクラスじゃ、ずっと浮いてて!
話しかけてもらえるどころか、誰も目を合わせない!
スマホも使えない、電話もできない!
この学苑から、もう出ることすらできない!」
顔は泣き顔とも怒り顔ともつかない。
ぐしゃぐしゃに混ざった感情の中で、彼はただ、メシアに向かって突っ込んでいく。
……まずい。
俺は思わず体を動かしていた。
――けど、その一歩が届く前に。
「メシアさまに触れるな」
鋭い声と同時に、制服姿の生徒たちが跳びかかる。
バンッ――ドシャッ!
一人が肩を押さえ、もう一人が足を刈り、
そのまま――生徒の体は、床に叩きつけられた。
ズン、と鈍い音。
空気ごと、沈み込むように。
「やめろっ!」
俺が叫ぶより早く――ドゴッ、ゴスッ!
拳が、容赦なく振り下ろされる。何発も、連続で。
「落ち着け!やめろ、そいつは――!」
「……部外者は、引いててください」
静かに、けれど背筋を凍らせるような声が、すぐそばから落ちた。
殴られている生徒は、なおも声を上げていた。
「なんでだよ……!
なんで、メシアさまは助けてくれないんだよ……!
ずっと、信じてたのに……!」
そして。
「君の言う“居場所”って、これなのかよ……!」
――その言葉に、空気が変わった。
生徒たちの動きがぴたりと止まる。
そして――メシアが、歩み寄る。
顔には微笑を浮かべたまま、ゆっくりと。
「苦しいのは、あなたがそれを越えられる人だから」
その声は、まるで子守唄のように柔らかい。
「その痛みも、苦しみも、孤独も――
それを“あなたなら耐えられる”と、神が信じて選んだのです」
殴られた生徒が、地面に崩れ落ちたまま、苦しげに息をしている。
「大丈夫。ちゃんと、意味になる日が来ますよ」
メシアの手が、その生徒の肩にそっと触れた。
「だから――その痛みを、他の人に向けないでください。
その瞬間、神から与えられた“意味”が、無意味になりますよ」
……綺麗な言葉だった。
けれど――俺は、気づいてしまった。
その“手の添え方”。
その“まぶたの動き”。
その言葉の隙間に、ほんの少し滲んだ――違和感。
……あの“微笑”の奥で、メシアの指がわずかに震えていたからだ。
ボロボロになったその生徒は、メシアの手に触れられたまま、小さく肩を震わせていた。
「……っ……あの……ほんとに、俺、大丈夫、なんだよな……?」
潰れかけた声。
その目には、まだ涙のあとが残っている。
「俺……家でも、居場所なくてさ……。
要らないやつって言われたこともある……。
だから頑張らなきゃって……思ってたのに……」
それでも、吐き出すように言葉をつなぐ。
「ちゃんと……ちゃんとやれてる……かな……?
ここで……この学苑で……」
その横で、さっきの“信者”たちは何も言わず、黙って殴り続けている。
慈愛の声と、殴る音が混在する異常な空間。
拳じゃない。暴力ではない。
背中を押し、髪を掴み、ただ静かに――
“お前は間違っている”と、体に教え込むように。
「……大丈夫ですよ」
メシアは言った。
優しく、なでるように。
「あなたは、よく耐えました。
ここで過ごす資格は、ちゃんとあります」
その声は――たしかに、優しかった。
声も、表情も、手のひらの温度も。
すべてが“本当にその子のことを心配している”ように見えた。
けど。
……目だけが、違う。
さっきまで言っていたあの綺麗な言葉。
「苦しみには意味がある」「選ばれたから耐えられる」――そんな教義に対して。
その目に、一瞬だけ浮かんだ“憎しみ”――
まるで、自分が口にした教義こそが、いちばん憎らしいとでも言いたげな。
やがて、生徒はすう……と息を落として、そのまま意識を手放した。
メシアがそっと上着をかけ、ゆっくりと立ち上がる。
――その瞬間だった。
「にしても、こいつより前に来たあの貴族っぽい奴、マジで面白かったよな」
別の信者が、くつろいだ調子で口を開く。
「……あー、いたいた。なんだっけ。藤の……」
「紫藤。シドウとか言ってた」
「あーそれそれ。“仇討ちをお願いします”とか言って、頭下げて突っ込んできたんだよ。
で、開口一番で――ドン。終わり」




