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36.生きているお前と、死んだお前を比べてみた



雨柳の部屋に

足を踏み入れた瞬間――空気が変わった。


重い。

ただの“空気の重さ”じゃない。

もっと本能に刺さる、獣じみた違和感。


鼻を突いたのは、死んだ肉のにおいに似た何かだった。

乾いた鉄、湿った土、そして……何か、得体の知れないものが、微かに混ざっている。


喉がきゅっと詰まる感覚。

身体が、ここは“人の住む場所じゃない”と警鐘を鳴らしている。


「……気にすんな。消臭スプレーはかけた」


呑気な声が、空気を裂いた。


「いや、そういう問題か……?」


「この学苑にいる時点でさ、将来有望か、将来絶望かの二択だろ? ――オレは後者ってことで!」


笑いながら言うには、あまりに乾いた言葉だった。


部屋の中は、意外なほど整っていた。

机の上には開きかけのクロスワード、テレビの横に並ぶゲームのコントローラー。

……一見、普通の男子高校生の部屋。


だが――壁際にずらりと並んだバット、ゴルフクラブ、鉄パイプが、すべてを台無しにする。


しかも、そのほとんどが――へこんでいた。

誰を、何を殴ったら、こうなる?


背筋がうっすらと冷える。

この部屋は雨柳の“本音”が、そのまま並んでいる場所だった。


「……スポーツ用じゃねぇな、これ」


俺は思わず口に出していた。

壁際に立てかけられた鉄パイプの一本――明らかに実戦慣れした傷がついていた。


「護身用。……まあ、練習もするけど」


「練習って……何の……?」


返ってくる言葉が雑に笑ってて、逆に怖い。

いや、なんでそんなに“日常”みたいなテンションなんだ。

俺が困って黙ったところで、雨柳は特に気にしてる様子もなく、部屋の奥へと戻っていく。


……と思ったら、机の上に一冊の本が視界に入った。


――クロスワードパズル。

使い込まれていて、ペンが何度も止まった跡が残ってる。


「これ……」


指さすと、雨柳が一瞬、気まずそうに笑って肩をすくめた。


「名取が言ってたやつ、気になってさ。買ってみた」


「……マジで買ったのかよ」


素で、ちょっと笑ってしまった。

けど――どこかで、胸の奥がじんとした。


まさか覚えてたなんて。

誰にでもある日常の一言、そんなの雨柳にとっては――特別だったんだろう。


この部屋に唯一置かれた“穏やかな時間の証拠”みたいなその本が、

あいつなりの「友達になりたい」の形だった気がして――


……なんか、変なやつだよな。本当に。

「よし、飯つくるか」


俺が気合いを入れて冷蔵庫を開けた、その瞬間。


「……ない。マジで、なんもない」


冷蔵庫の中は、荒野だった。

牛乳は完全に分離してて、卵は――去年。

唯一元気なのは、なぜか一個だけやたらツヤのあるレモン。

「なあ、雨柳……お前、普段何食って生きてんの?」


「……うまい棒?」


「おい、それ主食扱いすんな」


「味、いろいろあるから栄養バランスいいだろ?

やさいサラダ味ってのもあるんだぜ?」


「カラフル=健康じゃねぇからな?」


そう言いながら、俺の腹は遠慮なく鳴った。

ため息をつくと、雨柳が面倒な顔もせずに立ち上がる。


「じゃ、コンビニ行ってくるわ。

オレだけ学苑外出れる仇なの、こういうとき便利なんだよなー」


「いやいや、外出るのはやめとけ。出前でいい。ピザにしよう、ピザ!」


「えー。直接行くと2枚もらえるときあるんだけどな〜」


「出前でいいって!俺が払うから!」


「名取、財布ないだろ。記憶喪失とか言ってたし」


「……それ、今言う?」


そんなやり取りの末、ピザに決定。


――しばらくして届いた箱をテーブルに広げた瞬間、

部屋にこもってたあの妙な重たさは、チーズの香りであっさり上書きされた。


「うまっ……!」


「な? チーズ2倍のやつにしといた」


「……お前、神かよ……」


食ってる間は、何も考えずに済んだ。

部屋のにおいも、壁の鈍器も、どうでもよくなるくらい、あたたかくて、ちゃんと楽しくて――


気づけば、笑ってた。


食べ終えて、空き箱を片づけたあと、

雨柳がふと俺の方を見て、小さくつぶやいた。


「なあ、名取。……友達って、こんな感じ、だよな?」


その声は、不器用で、まっすぐだった。

ふざけてたさっきまでと違って、どこか――ちょっとだけ、怖がってるみたいな響き。


「……ああ。そうだな」


そう答えながら、胸の奥に変なひっかかりが残った。


俺は“学生”の姿をしてるけど、本当は――教師だった。

一線を引くべきなんじゃないか、とどこかで思ってる。

でも、目の前のこいつのことを、大事だと思う気持ちは、嘘じゃない。


「でさ!名取、ソファとベッドどっちがいい?」


「ソファでいいよ」


「遠慮したな?じゃ、ベッドの刑」


「なんで罰ゲームみたいになってんだよ。ソファで寝たいって言ってるのに」


「成長期なんだから、ちゃんと寝ろ。お前、オレより背高いくせに……よし、ベッド使え。で、オレも使う」


「……は?」


「オレの図体がデカいからさ。まあ、オレが名取の毛布みたいになればいっか!」


「夏真っ盛りにそれ言う!?

……まあ、二人ならいけるか。俺、細いし」


「だろ? よし並べー並べー」


雨柳は毛布にくるまりながら、ふう、と小さく息を吐いた。

熱気を逃がすようなその音が、やけに寂しく響く。


「……久しぶりだな、こうやって誰かと寝るの。

なんか、昔を思い出すわ」


天井をぼんやり見つめたまま、ぽつりとこぼす。


「いろいろ悩んだ時さ、サダクローに話しかけてたんだよ、オレ」


「……死んでた時の俺を、やたら美化するなよ」


「まあな。でもさ、今の名取の方が――好きだな」


少し笑って、言葉を継ぐ。


「動くし、喋るし、ピザも食うし。でもさ――」


「……でも?」


「なんつーか……名取って、目の前のことを受け入れすぎなんだよな。

良いことも、悪いこともさ。ぜんぶ、スッと呑み込んでる感じ」


「受け入れすぎ……ね」


俺がぼそりと返すと、雨柳は軽く首を傾けた。


「名取、我儘言わないで育っただろ?」


「どうだろうな。我儘って感覚が、よく分からない」


視界の奥がにじむ。

記憶がふいに顔を出しかけては、また沈んでいく。


「……真っ黒なんだ。

ところどころ穴みたいに、ポツポツと思い出すけど……全部は見えない」


「そっか」


短い相槌のあと、少しだけ沈黙が落ちた。

やがて、毛布の中から、こもった声が聞こえてくる。


「名取は、欲張っていいからな」


「……なんだよそれ」


「分かんねーけどさ」

少し言いよどんでから、でも真剣なまま言葉を続ける。


「名取ってさ、嬉しい時に苦しそうな顔するし、

苦しい時に、笑ってんだよな。……なんか、助けを求めてるみたいでさ」


喋りながら、雨柳の声はほんの少しだけ震えていた。

だけど、それを悟られまいとするみたいに、むりやり明るく笑う。


「オレ、どうにかしてやりてぇけど……

でも、そもそもそういう顔してる時点でさ、ずっとひとりで抱えてきたやつの動きだし」


毛布をきゅっと引き寄せて、背中を俺に向ける。


「名取。……苦しいときは、ちゃんと誰かの手、取れるようになってくれよ」


それだけ言って、

雨柳は静かに寝返りを打った。

俺は、その背中を見つめたまま、言葉を失っていた。


――カチャリ。

小さな金属音が、部屋の空気を切り裂いた。


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