表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/68

33.座れば牡丹、全て姿で"君の味方"。



閉じられた部屋の中で、時間だけがぬるりと流れていく。


起きても、寝ても、同じ天井。

鎖の長さじゃドアにも届かない。窓なんて最初からない。

花札も、もう、ない。


蝶谷は、それ以来、来てない。


そこへ、ギィ、と扉が軋む音。


「こんにちは」


編み笠をかぶった、小柄な影が入ってくる。

手にはトレー。見慣れた動きで、俺の前にしゃがんだ。


「今日は、さばの味噌煮。あと、みかんゼリーつけといた」


「……地味にうれしいやつ」


ベッドから体を起こすと、少年はトレーを差し出してくれた。

鎖のギリギリまで腕を伸ばして受け取る。


「今日も、変わらず?」


「うん。何も起きてない。……平和だよ」


「そっか」


少年はぺたんと座る。その距離感に、少しだけ気が抜ける。


「名取くん、話したいことがあれば、なんでも聞くよ」


「……いきなり何?」


「なんか、顔が“言いたい”って言ってた」


「顔に出るタイプじゃないんだけどな、俺」


「ううん、出てる。めっちゃ出てる。『俺、後悔してます』って」


「はは、名推理」


ほんの少し、言葉が浮かぶ。でも、すぐ喉の奥に引っかかる。


「……なんか、うまく言えないけど」


「まとまってなくていいよ。思ったことから話してみて」


その言葉に、背中を押される。


「雨柳と山田って、変な奴だよな」


「うん?」


「なんかさ。見た目は違うのに、どっちも……弱そうに見えるのに、ちゃんと強いっていうか」


「分かる。卯月くんとか、倒した方が楽そうなタイプだし」


「それ俺の前で言うのやめてくれないか?」


「ごめんごめん。

でも、名取くんが一緒にいるってことは、放っとけなかったんでしょ?」


「……顔、見られて言われたんだ。“放っとけない”って」


「それ、名取くんが言う側だと思ってたけど、逆だったんだ」


「俺、そんな顔してたのかなって。ちょっと救われた」


少年は何も言わない。ただ、ちゃんと頷いてくれた。


「蝶谷は……教えてくれたよ、ルールとか。

勝てば願いが叶って、負ければ精神が壊れるって。

だけどさ、あの人、俺のこと――」


言いかけて、口をつぐむ。


「……あの人、最初から全部わかってて動いてる感じする。

俺はただ、動かされてただけ」


「蝶谷だからね」


「そう。で、俺、雨柳の手も取れなかった。

……怖かったんだと思う」


「うん」


「そんで、こうなった。誰も助けられなかった」


鎖が揺れる音だけが、小さく響く。


「……自分に、すごく厳しいよね」


少年が、ぽつりと漏らした。


「え?」


「“助けられなかった”って、それって自分にしか向いてない言葉だよ」


「でも、事実だし」


「でもね、そばにいたこと、それって助けになってるんだよ。ちゃんと」


「そんな、簡単に――」


「簡単じゃないから、価値があるんだよ。名取くんのやってきたこと、誰かの心に残ってる。それは、間違いないよ」


しばらく、視線がぶつかる。


「だから……ちょっとずつ、“自分を許す練習”、してみたら?」


「……許す、ね」


「うん。君が思ってるより、君はもう、十分戦ってるよ」


その言葉が、静かに、胸に落ちた。



「今日のお昼だよ。お味噌汁と、焼き魚と、ごはん。あと、プリン」


「……いつもありがとう」


俺は体を起こして、鎖の限界まで身体を引っ張る。

少年は手の届くギリギリのところまでトレーを差し出してくれる。


「お箸もちゃんと入ってるよ」


「ありがとな」


この部屋で唯一、普通に接してくれる相手だった。


「なあ、お前さ。名前、なんて言うんだ?」


「ふふ……それは、まだ内緒」


「まだ?」


「うん。名乗っちゃいけない立場なんだって。蝶谷が言ってた」


……あいつ、どこまで俺を囲い込む気なんだよ。


「君は偉いね。ちゃんと怒らずに食べてる」


「怒ってるよ。ていうか、毎日怒ってる」


「……でも、叫ばないんだね?」


「叫んでも意味ないだろ。蝶谷が許さなきゃ、誰も来ないんだから」


「うん……それは、そう」


少年の声が、少し沈んだ。

俺は、そっと尋ねた。


「……なあ、ここから出る方法、知らないか?」


「……」


少年は少し口ごもったあと、ぽつりとつぶやいた。


「……本当はぼくも、このままじゃいけないって思ってる」


「……え?」


「蝶谷が、ごめんね。

たぶん――君になら、なんでも許してくれるって、甘えてるんだと思う。

優しさじゃなくて、そういう種類の“甘え”」


編み笠の奥からのぞいた少年の目は、驚くほど静かで真剣だった。

信じきれるわけじゃない。

でも、そう言われるだけで、ほんの少し――呼吸ができる気がした。


「……ありがとな。お前、いいやつだな」


「そうかな?」


「そうだよ。名前、いつか聞かせてくれよな」


「え――死んでも嫌だよ。

名前も、顔も。ぼくは墓場まで、誰にも伝えさせないつもりだから」


「そ、そうなのか……」


「でも、安心して。ぼくは、ぼくの味方だよ」


少年はふっと笑った。声のトーンは変わらないのに、どこか――怖いほど真剣だった。


「ぼくは八方美人でいたいんだ。みんなに良い顔がしたいし、

君にも、ちゃんと“優しい誰か”でいたいと思ってる」


「……」


「――君が望むことは、理解したよ」


その言葉が、妙に引っかかった。

けれど問い返す前に、少年はすっと立ち上がる。


「じゃあね。今日のプリン、カラメル多めにしておいたよ」


「望みって、そういうのじゃ――」


「分かっているよ、名取先生」


「っ……」


“先生”――

その響きに、妙に胸がざわついた。


少年は小さく笑って、部屋を後にした。

扉が静かに閉まり、再び鎖の音が静寂に溶けていく。


俺は、プリンのフタを開けた。


……甘い。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ