30.強者は綺麗な平和を謳わない
◇
すらりとした背に、舞台から抜け出したような顔立ち。
金髪は陽に透けるように輝き、右耳には朱い猫柳の飾りがふたつ、揺れている。
瞳は朱と金を溶かしたような色。
その中に、“十字架”がはっきりと浮かんでいた。
綺麗すぎて、息を呑む。
まるで神のふりをした、冷たい人形だ。
その青年が、そっと雨柳の肩に手を置いた。
たったそれだけで、周りの空気が一気に重くなった。
「……状況を」
男の声は静かだった。でも、聞くだけで背中がぞくっとした。
雨柳は目を伏せたまま、ぎこちなく笑いながらごまかそうとした。
「いやぁ……オレ、なーんも知らねぇよ?
ホラ、びっくりしたんだよな、急に現れたしさ……」
下手な言い訳。だけど、俺をかばってくれてるのは伝わった。
その男が、俺をじっと見つめる。
目はすごく綺麗だった。湖みたいに、透き通ってる。
でも――“何もない”感じが、怖かった。
思わず視線をそらす。呼吸も、息を止めるようにしてやっと落ち着かせる。
そんな俺の前に、雨柳が一歩、そっと出た。
壁のように、俺の前に立ってくれる。
「この子は、あれ……ほら。転校生?」
「“あの”……とは、どれのことをおっしゃっているのですか?」
「んー、宇宙から?」
「ふ……。宇宙、ですか。素敵ですね。
ですが今、教祖であるこの私が“上”と交信してみたところ――残念ながら、それは“虚偽”とのお答えを頂きました」
ふざけてるようで、笑ってない声。
その“ふ……”に、まったく温度がない。
雨柳は照明を見上げて、黙った。
反応しないことで、守ってくれてるんだ――たぶん。
「……卯月坊ちゃま。お友達です?
こりゃもう、お赤飯を炊かねばなりませんなあ」
軽やかで朗らかな声が、後ろから響いてきた。
振り向くと、そこにいたのは――
学生服の上に、ゆるく羽織った和風の上着。
黒髪を赤い桜の飾りで結んだその男は、にこにこと笑っていた。
色の薄い肌に、赤い瞳――
遊び人みたいな軽さと、武士のような鋭さが同居している。
どこか影を引きずったその笑顔は、まるで“日陰の吸血鬼”。
「ところで、坊ちゃま」
彼は楽しげに目を細めた。
「桜シマへのご移籍――そろそろ、いかがでございます?
ほら、あのドラ息子様が“来ないなら藤シマ潰す”って、ずいぶんご立腹でしてねえ。
……私も従わないと、いけない立場なんですよ。副牌としては」
名前を呼ばれたわけでもないのに、空気が変わる。
その男が立つだけで、場の中心が“そこ”になる。
まるで、この空間ごと自分の私室か何かだとでも言いたげな――そんな立ち振る舞いだった。
「子規さん……やめてください。……ここ、他の人もいます」
山田が、低く、けれど震えた声で言った。
さっきまでの明るさが嘘のように消えていて、声の奥に、明らかな恐れがあった。
「“坊ちゃま”なんて……もう、やめてください。
今のあなたは桜シマの人です。ボクの従者じゃない。
……それに、あなたの“仇”を思えば、学校の外でも……もう違うはずです」
「そんでもですねえ」
子規は、やわらかく笑ったまま応える。
「私にとっては、坊ちゃまは今でも――可愛らしい“坊ちゃま”でいらっしゃいますよ」
優しい声音。けれど、その温度だけが異常だった。
その一言に、山田の肩がぴくりと揺れた。
「……その呼び方、やめてって言いましたよね」
「昔はあんなに嬉しそうにしておられたのに。これが反抗期ですか?」
「……昔は、子規さんが“優しくて静かな人”だったからです」
山田は、俺たちの方へと一歩だけ近づく。
その背中が、わずかに、震えていた。
「ボクは、藤シマでやりたいことがあるんです。
まだ弱くて、うまくもないけど、それでも、ようやくここで見つけられたんです」
「それって――“坊ちゃま”のままでは、できないことなんですか?」
問いかけは優しかった。けれど、それは逃げ場のない優しさだった。
「……そういう言い方、ずるいです」
山田の声は、掠れていた。
この人たちの間に、きっと何かが壊れてしまったんだ。
でもまだ、それが完全には消えていない。
「ずるいも何も。言い返せない時点で我儘ですよ。
私も、風待も、坊ちゃまが負けたせいで、違うシマにいるんですからねー?」
「なら、次は――負けないので、あ、仇討ちを……」
必死に言葉を繋ぐ山田の声が、少しだけ上ずっていた。
「ご自分でも、もう分かっておられるでしょう?
――坊ちゃまは、“負けるのが好き”なんですよ」
子規の声は、あくまで優しく、柔らかく。
なのに、そのまま首筋に刃を当ててくるような、冷たい音色。
「人間って、レールに乗ってる方が安心する生き物ですしね。
“出来損ない”のままでいたい――それが、あなたの選んだ“安心”なんでしょう」
「……違う。今のは、不当な言葉じゃないですか!」
「ま、丁度いいですねー?
ここには雨柳 鬼雷がいる。私が殴ったとしても、彼に押しつければ済む話ですから」
冗談みたいな軽さで、子規が山田に歩み寄る。
山田は一歩、後ずさった。
「……な、にを……。来ないで、下さい……!」
「桜國 幕府って男は――
面倒な主なんですよね」
そう言って、子規は少しだけ肩をすくめる。
「“紫藤 卯月を連行しろ”って命じられたら……逆らえないんです。
――ごめんな、卯月くん」
そのときの子規は、笑っていた。
穏やかで、優しげな顔だった。
まるでこれから起こることが“善意”であるかのように。
でも、その笑みは――どこか、冷たかった。
子規の声もまた、優しくて、柔らかい。
けれどそれは、首筋に刃をそっと当ててくるみたいな、ぞっとする音色だった。
「暴行ですか?柳シマに被害が出る行為は後で行って下さい。
ここは公共の場です」
メシアの声が、静かに割り込む。
その手には、妙に光沢のある――やたら大きな開運の壺が握られていた。
言葉よりもそっちの圧が怖い。
「そうですねぇ。すみませんすみません。
んじゃあ、外で話し合いましょうね、坊ちゃ――」
「――さようなら!」
山田の声が、遠くから跳ねた。
「お会計はぜんぶ、子規さん宛てですからねー!
話し合いなんて、行きません! 桜シマなんて、行きません!」
叫ぶ山田の声は、どこかで泣きそうだった。
怒っていて、でも怒りきれなくて、
その裏に――誰かに理解してほしい気持ちが混じっていた。
「どうせ話し合いも罠で、仇討ちさせる魂胆しかありませんよね!?
ボク、あと2戦負けたら達磨なのに!」
ぐっと拳を握って、叫ぶように言う。
「――“藤シマ”は、ここで落ちるシマじゃありません!
今は雑魚扱いされてても、見ててくださいよ!
ここから、ちゃんと、勝ちますから!」
言葉に力があった。
けれど、その力の向かう先がまだ曖昧で――少し危うかった。
山田は、俺と雨柳を一度だけ見た。
目に、覚悟がにじんでいた。
「……名取くん。鬼くん。
君たちを助ける力は、ボクにはありません」
一拍置いてから、続ける。
「でも、君たちは――倒れても、立ち上がれるでしょう?」
その言葉に、思わず口をつぐんだ。
……馬鹿だ、と思った。
なにが「倒れても」だ。
そんな負け前提、聞きたくない。
“勝てる”って、言ってくれよ。
そう言うところが、山田の弱さなのかもしれない。
……ま、山田だけでも逃げられたなら安心だ。
「じゃあ、俺はこれで――」
夜白がそう言って、俺の手を、恋人みたいにふわっと握ってきた。
なんの前ぶれもなく、自然すぎて。
まるで最初から、そういう約束でもあったみたいな動きだった。
でも、その手は――やわらかいのに、ひやっとしてた。
肌がびくっと反応した。脳が拒否した。
「……彼は、置いていってもらえませんか?」
その声は静かだった。
だけど、その響きが空気をぐっと冷たくした。
「そもそも、彼は――“最初から存在しない”ものですから」
……は?
何言ってんのか、一瞬わからなかった。
というか、意味が追いつかなかった。
「 意見が割れちゃったなあ」
蝶谷が俺の手を握ったまま、肩をすくめる。
「んー、そう来た?予想より面白くなってきたんだけど」
そのとき――
ふわっと肩に重みがのった。
「……あお」
あの白い猫が、静かに肩に飛び乗って丸くなった。
その小さな体温だけが、俺を“ここ”につなぎ止めてくれる。
だけどもう、元の空気には戻らない。
この3人が現れた時点で、空気も景色も、全部変わってしまった。
俺たちは今――“日常の外側”に立ってる。
その中で、唯一あたたかいのが、この猫のぬくもりだった。
蝶谷が、細長い何かを白い布から取り出した。
注射器だった。
「じゃ、動かれると困るから――少しだけ、おとなしくなってもらおっか」
その声はやさしかった。
でも、そこには――一滴の救いもなかった。
「……な、に……」
声を出そうとしたけど、喉がかすれて言葉にならなかった。
「大丈夫。痛みって、慣れると気持ちよくなるんだよ。
これもひとつの適応だしね?」
夜白が、にこっと笑った。
でもその目だけは、まったく笑ってなかった。
氷みたいに、澄んでいて、冷たかった。
針が、ためらいもなく、俺の首元に近づいて――
ちくっ。
その小さな痛みが、瞬間で全身に広がった。
手から力が抜けて、足も動かなくなっていく。
「……あ、れ……?」
立とうとしたのに、膝ががくんと折れた。
倒れる前に、夜白が、まるで最初からそうなるって知ってたみたいに抱きとめる。
「無理するなー?
あんまり壊れると、観察できなくなっちゃうからさ」
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