27.“黒毛和牛と鶴の巣籠もりステーキ~赤短ソース添え~”と仇の話
◇
「すっげぇな……何この“炙り桜肉のポルチーニ香る青秋仕立て”って……」
雨柳がメニューを睨みつけるように見ながら、眉をしかめた。
俺も、つられるように身を乗り出す。
「名前の時点で腹いっぱいになるな……。
ていうか、値段も普通にラーメン五杯分だし」
「え? お腹いっぱいになるんですか? 名前で?」
「そういう意味じゃねえよ」
「”桜肉”ってことは……馬? てことは、炙り馬ポルチーニ……?
ポルチーニってなんだ? チーズっぽいな!」
「それもう、うまいかどうかもよくわかんねえな……」
「ポルチーニは、キノコですよ?
迷っているうちに注文しちゃいますね!」
メニュー名だけで迷子になってる俺たちの横で、山田――いや、卯月はさも当然のように指を立てる。
「ボクは“黒毛和牛と鶴の巣籠もりステーキ〜赤短ソース添え〜”でお願いします」
ぴしっと姿勢よく、ナプキンを膝に敷いてる。
もう、なんか慣れすぎてて違和感がない。
「……なあ、山田。払うの、お前だよな?」
「もちろんですとも!」
胸を張る卯月。誇らしげ。
「"ですとも”って……貴族かよ」
「まあ、卯月は貴族だよな!」
「まあ、家が家なので。実は執事的な人が先に入学してまして。
いま学苑内にふたりいますよ」
「お抱え執事が先に入学してんの!? 何その順番おかしくね!?」
「えー、でも彼らのほうが早く青秋に馴染んだんですよー。
僕の生活環境を整えるのが仕事ですからね」
「え、えっと……掃除とか洗濯とか?」
「いえいえ、そもそも青秋の“空気感”って独特ですから。
仇討ち制度に慣れないと、生活も大変なんですよ。
主のために先に仇を把握しておくのは当然ですし」
「うわー、もう言ってることが上流階級なんだよ……」
「むしろボク、仇討ちがないと成績で競えませんからねー。
勉学よりも政治戦略パワーゲームの世界だなんて、入ってから知りましたよ……」
「あー。パワーゲーム?」
「ていうか、"鶴の巣籠もりステーキ”って、どの部位だよ……?」
「演出です。たぶん巣に見立てたポテト系の何かの上に、鶴型にカットされた黒毛和牛が乗ってると思われます」
「鶴型の黒毛和牛?」
「黒毛和牛に失礼だよな?」
「俺も思った」
「でも、赤短ソースですよ?」
「花札の……?」
「そうです! 梅とザクロのソースですけどね!
この学苑、メニューにも札の意匠が込められてるんです。おしゃれ!」
「そういう小技はいらねぇんだよ!」
「逆にナトリは何頼むの?」
「……炙り桜肉とキノコのやつ、半分こでもいい?」
「オレもそれでいいや。てか、せめて庶民は割り勘でよ……」
「駄目です!」
ぴしゃりと、山田が即答。
「今日はボクが“お友だち獲得記念日”ってことで、ごちそうするんです!
というわけで、食べたいものを注文してください!」
「いや、そんな記念日、聞いたことねえし……」
「ボクは祝います! 人生は祝えば祝うほど、幸せになるって言ってました!」
「どこかの偉人かよ」
「どうせこの学苑、ギスギスすることばっかだし。
飯くらい、誰かと笑って食ってもいいよな」
「はいっ! 名取くん、良いこと言いました!
あとで赤短ソースちょっと分けてあげます!」
「……ありがとう。
さて、メニューを見るか」
メニューを見た。最近の小説よりも長いな。
俺は、そっとメニューを閉じた。
「なぁ、ナトリ。肉って頼んだら、肉来ねぇかな?」
「雨柳、恥ずかしいことを言うんじゃありません!空気を読めない庶民になるでしょうが」
「お二人は嫌いな食べ物ありますか?」
「ないな! 何でも食べる!」
「俺ピーマン」
「へぇ、ナトリって人間じゃなくてピーマンなんだな!」
「高級レストランに似合わない程、男子高校生してますよねー?
……ま、ボクが二人をカバーして余りある貴族ですけど!
すみませーん!」
貴族らしからぬ注文の声が厨房に通っていく。
どこか高級感のあるベルの音が、控えめに響いた。
「彼には、香る初夏の牡丹と鶏むねコンフィの“蝶舞う庭園風”薄紅仕立て 〜静寂に咲くカスたちのフィロソフィと共に〜を。
彼には、雷神の御膳“鬼雷轟鳴”柳に揺れる黒毛和牛の雷光炙り 〜太鼓の律動と雨のしじまに潜む八品の調和〜を」
「なんて?」
「俺も分からん」
◇
料理が来るまでの間、ふと、前から気になっていたことを口にする。
「なあ、山田。"仇”ってさ……結局なんなんだ?」
「俺も思ってた。仇花とか真実とか……言葉だけ一人歩きしてる感じで、よく分かんねぇ」
雨柳も同調するようにうなずく。
すると山田は「えっ?」という顔をして、二人を交互に見た。
「……おふたりとも、シマ所属ですよね?」
「一応な」
雨柳が肩をすくめる。
「俺も、なんか流れで入って……詳しい説明は、特になかった」
「うわ……それ、わりとヤバいやつですよ……」
山田は一回頭を抱えてから、椅子に座り直して語り始めた。
「じゃあ、ちゃんと説明しますねっ!」
その声はまるで先生みたいだったけど、聞きやすかった。
「"仇”っていうのは、この学苑の中だけで叶えられる――“願い”のことなんです」
「学苑限定、ってこと?」
「うん。"有名になりたい"とか、"記憶を取り戻したい"とか、"誰かを救いたい"とか……普通じゃムリなことでも、この学苑なら“叶うかも”っていうのが“仇”」
「……で、それを叶える手段が“仇討ち”ってやつか?」
「そう。仇討ち……花札で勝負して、勝てば“願いに近づく”」
「近づくってのは、どういう意味だ?」
「ボクも“真実”を持ったことはないので想像ですけど……たとえば、"あの人に許されたい”って仇だったら、偶然その人と再会できるような流れが来る。
要するに、"奇跡が起きやすくなる”ってこと、だと思っています」
「運命の風向きが変わる、みたいなもんか」
「うん、そんな感じですね!
でも、負けてさらに“偶数月の札”を引くと――その仇は“仇花”になる」
「仇花?」
雨柳の表情が少し曇る。
「あー……それ、あいつらのことか。
オレ、メシアに言われて、よく理事長室に運んでたんだよな」
「運ぶ?」
「持っている仇が仇花になった奴は、大体ぶっ壊れる。精神的に。
だから、まともに歩けない奴もいるし、パニックになって暴れる奴もいる。
そいつらを理事長室まで運ぶ役目、なんか知らんけど、オレがよくやってた」
「……精神が、壊れる」
俺も見ているが、あれが日常茶飯事なように雨柳が言っている。
「ってことはよ。
仇花になった奴の願いって、消えちゃってんのか?」
「完全には消えません。でも、"学苑からの支援”がゼロになります。
奇跡も起こらないし、仇討ちに挑むチャンスも、ほぼ来なくなる」
「つまり、自分の力だけでなんとかしろって話か……」
「その通りです。で、仇花が5つになると――“達磨”になります」
空気が、少しだけ張り詰めた。
「達磨?」
「手も足も出ない、という花札用語ですが――この学苑でもそれがあります。
仇花を5つ抱えたら、生活のすべてを人に決められるようになる。
授業も、自由時間も、自分で選べない。……"手も足も出ない”状態」
雨柳が、小さく息をのんだ。
「……人間扱いされねぇってことか」
「そう。
でも――逆もあるんです」
「はい。でも、逆もありますよ」
山田の口調がほんの少しだけ明るくなる。
「"仇”を3つ以上“喰って”、進級できれば――“真実”になります」
「真実……?」
「学苑の外でも、影響する願いです。
“死んだ人に会いたい”って仇だったら、本当に会えるかもしれない。
“過去をやり直したい”って仇なら、運命そのものが書き換わることもある」
「それ、もはや現実じゃないな……」
「うん。でも、それが“青秋学苑”って場所です。
だから、みんな仇に必死になる。……それしか、残されてない人もいますから」
その最後の言葉だけ、少しだけ小さくなった。
「……でも、ボクは、仇花になったって別にいいですけどね」
「……え?」
思わず聞き返した。
あまりにもさらっと言うから、逆に耳に引っかかった。
山田は笑っていた。
いつもの、あの人懐っこい笑顔で。




