25.花札は"遊び"だと、戦場で笑い合った(ライラック戦、藤花編:終)
◇
俺の番。
さっき場に出した「梅に鶯」に、手札の「梅の赤短冊」を重ねて取る。
「まあ、やっぱり持ってましたよねー」
山田が、少し得意げに言ってくる。
「読まれてたか」
「はい。前の手番で、柳じゃなくて梅を優先してたので……
“あっ、これ、赤短残してるな”って」
「するどいな」
俺は軽く笑って、めくる。
出たのは、藤の短冊。
◇
山田の番。
「……あー、そっか。
こうなるんですね……」
静かに、でもどこか緊張をにじませた声。
山田は、震える手で札を一枚出した。
「……ボク達、本気で戦ってますね」
そう言って、
場に置かれたのは――菊に盃。
……それを見た瞬間、俺は気づいた。
あれは山田が前に俺に提案してきた“勝ち筋”。
その時は冗談かと思ってた。
でも、違った。
あれが――山田の、本気の本気だった。
だからこそ、嬉しい。けど、それ以上に苦しい。
……その奇跡は、絶対に起きない。
だって、残りの菊は、全部――俺の手札にある。
絶対に引けないって、俺だけが知ってる。
なのに。
なんで、俺は――
「起きないはずの奇跡」を、心のどこかで期待してるんだろう。
山田が、そっと札をめくる。
――牡丹のかす。
分かってた。最初から、分かってたのに。
「……ああ、駄目でしたか」
山田が静かに呟いた後、ぐっと目を閉じた。
「……ッ、すっごく悔しい。
なのに、引ける気がして……願ってしまってたんです、ずるいですよね」
悔しさと、どこか晴れやかな笑顔が混ざってる。
それでも、目は涙をこらえるみたいに、ぎゅっと細められていた。
「でも……それ以上に、ボクは嬉しいんです。
名取くんが、ちゃんと本気でやってくれてたことが――本当に嬉しい」
「……まだ、勝ったわけじゃないぞ」
「ううん、もう分かってます。
だって……ボクが菊に盃を出した時。
本当は、もっと優しい顔をしてくれると思ってたんですよ?
でも――名取くんは、世界で一番自分が悪い子だって顔、してました」
喉の奥がひゅっと鳴る。
完全に、見透かされてる。
「ボクの負けです。さあ……ひと思いに、どうぞ!」
悔しさ全開の声。
だけど、不思議と――それが、すごく心地良かった。
……ああ、これが“全力”ってやつか。
◇
俺の番。
場には――【菊】に盃。
手札には、【菊】の青短冊と、【菊】のかす。
……どっちを取るか。
菊の青短冊を取れば、青短が揃う。
牡丹の青短、紅葉の青短、そして菊の青短で――5文。
さらに、桜に幕と菊に盃で「花見で一杯」も完成する。これも5文。
合計10文。7文を超えてるから――倍付。
つまり、20文の勝ち。
……でも、なんか。すっごく嫌だった。
勝負ってのは、分かってる。
山田も「ひと思いにどうぞ」って言ってくれた。
でも、俺は――そんな大差で勝ちたくない。
本気を出したいって言ったのに、こんなにも“勝つこと”に怖さを感じてる。
同点で終わるなら、それでもいいって……甘えてる。
はっきりした理由は思い出せない。
でも――あの教室で、誰よりも勝って、誰かを壊して、そして俺も壊れた――そんな気がする。
だから、また誰かを押しのけて一番になるのが、怖いんだ。
場を見つめたまま、俺は無意識に表情を歪めてたらしい。
そんな俺を見て、山田が優しい声をかけてくれた。
「大丈夫、ですか?」
その声が、なんだかすごく温かかった。
思わず、口が勝手に動いた。
「……同点で引き分けるか、それとも……オーバーキルするか、迷ってるんだ。
でもさ、これって――遊び、だよな?」
山田は、俺の迷いに気づいたのか――ふっと笑った。
「あはは。
ほんと、名取くんって“戦う”のが得意だ。
なのに、戦う事が怖い人ですね」
その声は、からかってるようで、どこか優しかった。
「大丈夫。これは遊びですから。
……オーバーキルされたら、ボクもちょっと凹んじゃいますし」
それから、いたずらっぽく笑って、肩をすくめる。
「――全力って言ったの、ちょっと撤回してもいいですか?」
「……ありがとう」
「なんでですか。
むしろ、ボクのほうこそ“ありがとう”ですよ?」
包み込むみたいな声に、心の奥がふっと軽くなった。
俺は、静かに札を出す。
「出来役。花見で一杯。5文だ」
「こいこいは、しますか?」
「今ここで聞くのか?」
「ええ。気が変わって、オーバーキルしたくなったらどうしようかと思って」
「……ちょっと意地悪だな」
「ふふっ。ちなみに、あと7文ありますよ?」
「7……?」
「はい。さっきの菊のかすで、"かす”が10枚になってます」
「もう1文は……?」
「菊に盃は、たね札なんですけど、かすとしてもカウントされるんですよ。
つまり、今の名取くん、"かす11枚”です」
「じゃあ俺は――同点じゃなくて」
「はい、7文。
しかも、7文以上は“倍付”なので――14文です。大勝利ですね」
そう言うと、山田はぱちぱちと拍手したあと、ひょいっと手を伸ばして俺の額をデコピンした。
「……本当に、同点で終わる札だったら、ボク、ちょっと拗ねてましたよ」
そう言って、さらっと俺の頭を撫でてくる。
「とにもかくにも、貴方の勝利です。
名取くんは、よく頑張りました」
あたたかい手のひらに、なんだか胸がぎゅっとなる。
――こんな風に負けてくれる相手に、救われることがあるなんて、思いもしなかった。
◇
「全力で戦ってくれたってことで……合格です! なので、ボクが奢ります!
食堂の……いっちばん高いランチ、いきましょう!」
そのときだった。
ふと、背中に電気が走るような気配を感じた。
目線の先――中庭の端の方。
木陰のすき間から、誰かがじっとこっちを見ていた。
俺は、無意識にそっちを振り返った。
――目が合う。
その視線はまっすぐで、妙に鋭かった。
暑くもないのに、首筋に汗がにじむ。
気づけば、あの影がゆっくりとこちらへ歩き出していた。
「……なぁ」
中庭の小道をズカズカと歩いてきたのは、制服のポケットに手を突っ込んだままの大柄な少年だった。
眉をひそめて、じとっと俺のことを睨んでくる。
「なんでナトリ、普通に出歩いてんだよ。
幽閉されてるって聞いたんだけど?」
軽くあごを突き出してくるその姿は、まるで不機嫌な番犬みたいだった。
でも、その目の奥には――たしかに、"気にしてた”気配があった。
そう言って歩いてきたのは――雨柳 鬼雷だった。




