23."視線"を追うのは、元教師の癖
◇
三月戦。
山田が札を配った。
俺が自分の札を見ようとした、その時だった。
「あー……」
山田が、小さくうめくように声を漏らす。
「これ、ちょっと……配り直した方がいいかもしれません」
「ん? どういうことだ?」
「ボクの札が良すぎて……このままだと、貴方が勝てない気がして」
そう言って、山田は本気で困った顔をしていた。
どうやら、俺に勝ってほしいらしい。頭を抱えて、真剣に悩んでる。
「いや、大丈夫。そのままでいい」
「でも……たぶん、ボク勝ちますよ?」
五光でも揃ってるのか? いや、マジで強札なんだろうな。
怖い。正直めちゃくちゃ怖い。
俺はまだ、自分の札を見てすらいない。けど、それでも――
「それで配り直すってのは、違うだろ」
俺がそう言うと、山田の顔がぱっと明るくなった。
「貴方って、ほんと格好いいこと言いますね!」
「貴方じゃなくて、名取な」
「名取くん!」
嬉しそうに名前を呼ばれたのが、ちょっと意外で、ちょっと照れくさくて。
なんか、心の奥の方が、じんわり熱くなった。
俺は、全力でやるつもりだ。そう、全力で。
どんなに悪い札でも――
場を見る。
【桐】に鳳凰、【桜】のかす、牡丹に青短冊、【桐】のかす、【桜】のかす、芒に雁、【桐】のかす、藤のかす。
俺の札を見る。
【桜】に幕、柳のかす、【桐】のかす、梅の赤短冊、梅に鶯、菊に青短冊、菊のかす、柳に燕。
……えっ。これ、かなりいける。
「山田、俺の札もなかなかいい感じだぞ」
「えっ、そ、そうなんですか……? それなら……よかった……」
目が泳いでる。
自分の札と場札、交互に見て、なんか焦ってる。
視線の先を追うと――右手側を気にしている。
……見ているのは、芒の雁、か……?なら、芒に月を持ってるな。
なるほどな。
それであんなに「配り直したい」って言ってたのか。
ってことは――あっち、菊に盃もある。
……また、山田があれを持ってるのか。
ちょっとだけ、胸の奥が黒くにじむ。
でも、ふと自分の札に目を落とす。
――菊の青短冊と、かす。俺の手元にも“菊”がある。
しかも、俺は後攻。
ってことは……?
この“菊の盃”が微笑むのは、こっちだ。
……勝てる。
いや、勝つ。
場が、俺に味方してくれてる。――そう感じた。
「山田」
「は、はい? 配り直し、まだ間に合いますよ?」
「格好つけてもいいか?」
「え……?」
「――俺、勝たせてもらう」
「……ッ、はい!」
山田は目を丸くして、それから、嬉しそうに笑った。
その顔があんまりにも素直すぎて、俺もつられて笑ってしまった。
「あはっ、なんだよそれ」
「だって……応援したくなっちゃったんですよ、貴方のこと……!
でも、ボクだって本気でしか打てない。
だから……そうやって強がってくれるのが、ちょっと嬉しかったんです」
「いや、マジで強い手札だからな?」
「えっ」
山田は一瞬で顔が青くなって、札をぎゅっと握った。
「……勝たせて、いただきますからね……!」
小さな肩を震わせながらも、その目だけは真剣だった。
小動物みたいなのに、獣みたいな眼をしてた。
――打ち手の目だ。
◇
山田の番。
「では、取ります!」
勢いよく札を出したかと思えば、
芒に月と芒のかすを、ぱっと持っていく。
そして――思いっきりのドヤ顔。
……うん、予想通りすぎて、思わず笑っちゃった。
「なっ、なっ……なんですか! せっかく格好つけて取ったのに!」
「いや、ごめん……山田」
「な、なんですかっ?」
「視線で、全部読めてた」
「……視線で!?」
「うん。何が欲しいかを目線から読むって、師匠に教わっててさ。
それが俺、なんか……師匠より上手いらしい」
「それ、強くないですか!?」
山田が素で驚いてる。
けどまあ、当然といえば当然かもしれない。
あの教室で、誰が何に困ってるか、何を欲しがってるか――
一瞬で気付けるようにって、ずっと意識してた。
「こればっかりは、努力したんでな」
「でも、それも実力なので構いませんっ!」
山田はきっぱり笑った。
なんか、お坊ちゃまっぽいのに、芯が武士っぽいというか……本当に不思議な奴だ。
「……あっ、危ない。めくり忘れそうでした!」
そう言って、山田が札を引く。
――出たのは、紅葉のかす。
「そういや、今回、俺の手札に紅葉一枚も来ないんだよな〜」
ぽつりとこぼすと、すかさず山田が言い返してきた。
「紅葉、ないんですねー?」
……しまった。
まさかの“仕返し”。
ちょっとだけ悔しいけど、悔しさよりも、やっぱり楽しい。
◇
俺の番。
場に出てる札は――
(桐に鳳凰、桐のかす、桐のかす)、桜のかす、牡丹の青短冊、桜のかす、藤のかす、紅葉のかす。
手札は、
桜に幕、柳のかす、桐のかす、梅の赤短冊、梅に鶯、菊に青短冊、菊のかす、柳に燕。
桐の札が場に3枚出てるな。
こういうときは、手札かめくりで4枚目を出せば――その場の3枚をまるごと持っていける。
だから、桐は“今じゃない”。
後で使えば、一気に4枚ゲットできるってことだ。
桜に幕も同じ。場に桜が2枚あるし、今急いで出す必要はない。
つまり、今は“安全に置いておける札”が2枚もある。
……けど、他の手札が全然場札と合わない。
うーん、こうなったら、どっちかを先に出すしかないな。
山田は「勝てる」って言ってたし、たぶん他にも強札を持ってるはずだ。
それなら、こっちは早めに“かす”を集めて、いつでも上がれる状態を作っておきたい。
――よし。
俺は手札から、桐のかすを出す。
そして、場の桐3枚――桐に鳳凰、桐のかす、桐のかす――そこに自分の桐を合わせて、4枚まとめて持っていく。
「わっ、彦札じゃないですかっ!!」
山田が目をキラッキラにして叫んだ。
「ヒコフダ……?」
聞きなれない単語に、思わず首をかしげる。
「はいっ!
場に同じ花の札が3枚あるときに、4枚目でまとめて取るやつです!“彦札”って言います!」
「おぉ……それって、すごいのか?」
「すごいです! テンション上がりますよね!?
意味とか由来とかは全然知りませんけど!」
熱がすごい。情報量が爆発してる。
「ちなみに、花合わせっていう三人用の花札だと、これで“桐シマ”っていう役になります!」
「じゃあ、今は?」
「今は……ただの光札1枚と、かすが3枚です!!」
「そっか。……じゃあ今から花合わせに――」
「なりません! こいこいは二人用ですからっ!
花合わせは三人用です!そんなに友達いません!」
食い気味で返ってきた。
山田は本当に、花札のことになると熱がすごいな……。
「そういえば、めくってなかったな」
そう言って山札を一枚引く。
出たのは――萩のかす。
……改めて手札を見るけど、萩に猪は今回いない。
俺の合わせ札
桐に鳳凰、桐のかす、桐のかす、桐のかす
山田の合わせ札
芒に月、芒に雁
◇
山田の番。
迷いなく、菖蒲のかすを場に出す。
それから、一枚めくった。
――出たのは、芒のかすだった。
◇




