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13.最悪を想定すると言うのは、臨死体験だ



何か――花札の説明だったか。

手八場八、手札と場札に八枚ずつ、他の花札とは違う形式で――とか。

そういう言葉が横を流れていた気がする。


背筋の奥が、冷える。


この空気、知ってる。

蝶谷に教わったとき、札を並べるその手元に漂っていた。

「恐れろ」と言われたわけじゃない。ただ、そういう構え方だった。

怖い札を見つけろ。打たれる未来を潰せ。

その感覚が、知らないうちに、俺の中に根を張っていた。


練習のはずなのに、息が詰まる。

音の輪郭が、霞んでいる。

でも、視界は妙に鮮明で――だから余計に、札のひとつひとつが、脅威に見えた。


……札を見る。

手札。梅に鶯、芒に月、牡丹、菖蒲、芒、菊、紅葉、桐――かす札ばかり。

場には、桜が二枚。俺の手札に桜はない。

つまり、あと二枚。山札のどこかに。

それが何よりも、怖かった。

目に見えない札の気配が、こちらを睨んでいる気がして。



並んだ札が、じっと俺を見ている気がした。


視線を落とす。


手札:

梅に鶯、【芒】に月、【牡丹】のかす、菖蒲のかす

【芒】のかす、菊のかす、【紅葉】のかす、桐のかす


場札:

【紅葉】に鹿、【芒】のかす、【牡丹】のかす、桐のかす

桜のかす、桜のかす、藤に不如帰、柳に小野道風


……強いのか、弱いのかも分からない。

でも、分からなくても動かなきゃいけない。


ただ、ひとつ。


――“桜に幕”に繋がる桜の花。

ない。俺の札には、1枚も。


そして、場にすでに2枚出ている。

もし、桜の幕を相手が持っていたら、詰んでいる気がする。

息が詰まる。――首が締まっていく感覚。


「……取られたら、まずいな」


喉が、焼けるみたいに乾いてた。


その瞬間――山田の指が、ゆっくり札へと伸びた。

《桐に鳳凰》と、《桐のかす》。


音もしないくらい静かに、でも確実に、その札が“奪われていく”のが見えた。


……光札だ。


気づいたときにはもう、遅い。

俺の前から、それは奪われていた。

目の前の山田の手が、まるで巨人の腕のように、俺の陣地を飲み込んでいった気がした。


その瞬間――

背骨の奥に、ひやりと氷が差し込まれたような感覚が走る。


まるで、心のどこかが「死んだ」と言っているみたいだった。


(……これが、"失う”ってことか)


たった一手。それだけなのに。

今の札が、自分にとってどれだけ重要だったのか、遅れて理解する。


そんな俺をよそに、山田は山札へと手を伸ばす。

けれど、その指先は札の山の上でぴたりと止まり――


空気が、ピンと張り詰める。

まるで、戦場で誰かが引き金を引こうとする前の、あの呼吸すら許されない時間みたいで。


――怖い。


そう思った瞬間、俺は自分の膝が少し震えてることに気づいた。


「……っ、大丈夫、ですか……?」


ふいに、向かいの山田が声をかけてくる。


反射的に顔を上げた。視線が合う。


「どうした?」


できるだけ平静を装ったけど、声が少し掠れていた。


「なんか……すごく怯えて見えたから」


怯えてる……か。

確かに。たぶん、そうだ。


でも、それを認めたくなかった。


「……あー。えーっと、癖だ」


苦し紛れの言い訳。でも、口にしたら少し楽になった。


苦し紛れの言い訳。でも、口にしたら少し楽になった。

蝶谷が言ってた言葉が、少しずつ背中を押してくれる。

背中を。崖から。

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