15. 三十歳まで童貞だったら魔法を使えるって? 実家のマンションの下の部屋のニートのおにいちゃんは使えないよ?
「魔法を使ってみたい」
発喜とナノハ、二人は菜乃羽の部屋からFMOにログインし、フリズムの街に降り立った。そして崖の高層にあるカフェ『ドーキボーロ』のテラス席でお茶をしながらフリズムの街を見下ろして堪能していた。このテラス席は木材で出来ており、人が歩くたびに大きくギシギシ揺れて壊れて落ちるのではないかと滅茶苦茶怖くて人気の店である。二人とも怖いのは平気なのであった。
その二人がこれからのFMOのプレイ方針について話し合っていて、発喜が漏らしたのが先の言葉である。
「ま、魔法ですか?」
「ナノハちゃんが前に使ってたの格好良かったからさ」
『分かる。使ってみたくなるよね』
今日は配信もしており、ナノハも声が聞こえるような設定にしてある。三人で雑談しているような感覚だ。
ナノハがラスレイであること、そしてドッキリについても視聴者に説明済。視聴者はそれがドッキリで無いことを即座に理解し、事情があったとはいえ発喜を騙そうとしたラスレイのことを良くは思わなかった。だが、発喜がナノハのことを何故か滅茶苦茶可愛がっていることと、ナノハが発喜に内緒で視聴者とハナシアイしたことで受け入れられるようになった。
「で、でも発喜様は物理方面にステータスを伸ばしてますよね?」
『例のネームドが力と器用さと運の合計値で強くなるからしゃーない』
「そうなんだよね。今から魔力を上げるかどうか悩んでるの」
魔法を覚えるには魔力のステータス値を上昇させなければならない。ステータスポイントはレベルが上昇した時に貰える限られた物なので、あれこれと適当に割り振ってしまうと中途半端な能力になってしまう。
発喜はメルシアスの弓というチート性能の武器を持っているため、その武器に合わせた成長をさせるのが王道だ。だがそうすると魔力を上昇させる余裕が無く、魔法が使えない。
『ガチプレイする訳じゃないなら好きにして良いんじゃない?』
ゲームの楽しみ方なんて人それぞれだ。楽しそうなことに何でも手を出してみるというのも悪いことではない。ガチ勢からのアドバイスがうざいくらいで、しかしそういう人達のコメントは発喜のリアルラックにより選ばれないだろうから気にしなくて良い。
「そ、それに物理タイプでも魔法を使えるようにすることもありますよ?」
「そうなの?」
「は、はい。ぶ、物理無効の魔物対策とか、回復用とか」
「あ~なるほど。そういうのもあるんだ」
極振りはロマンであり、実際このゲームでも強い。だが柔軟性のある万能系も弱い訳では無い。職業によって差はあるけれど、成長方針の違いによるバランスはかなり取れていると言われている。
「じゃあ魔力を上げてみようかな。実は少しステータスポイント残ってるんだ」
確定クリティカルで魔物を軽く倒せるようになったため、一旦取っておくことにしていたのだ。
「この街で覚えられる汎用魔法って何があるのかな?」
汎用魔法とは魔法が覚えられる職業であれば誰でも覚えられる魔法だ。フォーチュンファイターは汎用魔法を覚えられ、専用魔法も存在する。
その汎用魔法を覚えるには街でクエストを受注してクリアしなければならない。
「フ、フリズムの街だと『ウォーターボール』と『ウォーターレイン』ですね」
「渇いた渓谷なのに水系覚えられるんだ……大河と滝のおかげかな?」
『そもそもあれだけの水があるのに大地が乾いてるの不思議だよな』
発喜はそれぞれの魔法を覚えるために必要な分だけ魔力にステータスポイントを割り振り、クエストを受注しにいった。クエストそのものは簡単なお使いクエストだったのでカットだ。
「ただいま~」
「お、おかえりなさい。ど、どうでしたか?」
「バッチリ、試してみたいから外に出よう!」
「つ、ついでに次の町まで移動しませんか?」
「イイね!」
様々な街にどんどん移動してファストトラベルで移動出来るようにするのがFMOの世界を楽しむコツの一つだ。
ここから向かうならば、フォーチュンファイター向けのクエストが多いユバックになる。
「ユバックってどんな街なの?」
「カ、カジノの街です」
『あっ……』
『あっ……』
『あっ……』
『あっ……』
『あっ……』
『あっ……』
「あれ、AIさんバグったかな?」
普段は一つしかコメントをピックアップしないのに、何故か大量の同じコメントばかり聞こえてきたらバグったと思っても仕方ない。AIさんは空気を読んだのか、あるいはゲームを壊さないでくれと抗議をしているのか。
「でもカジノかー、こんな最初の方の街にあって良いのかな?」
「ど、どういう意味ですか?」
「だってカジノの賞品で運が良かったら最強レベルの装備が入手出来たりしちゃうでしょ。ゲームバランス壊れちゃうよ」
「だ、大丈夫です。しょ、小規模な街なので賞品はそこまでなので。す、凄い商品が欲しい場合はもっと先の大きなカジノの街に行かなきゃダメなんです」
「ああ~そういう制限をちゃんとかけてるんだ。そりゃそっか」
とはいえその時点ではかなり有用な装備が入手できるため、フォーチュンファイターでなくともそれを狙って訪れる初心者が結構多い人気の街である。
『ユバック逃げてー!』
「どういう意味よ!私みたいなクズ運の持ち主がカジノで勝てるわけないでしょ!」
『…………』
「…………」
「あれ?壊れちゃったかな?今日は配信カメラの調子がおかしいなぁ。それにナノハちゃんもどうしちゃったの?」
発喜がユバックを翻弄する未来しか見えない視聴者とナノハは、彼女の自信満々な言葉に何も言うことは出来なかった。
『そうだ、出る前にマジックポーション買っておいた方が良いよ』
「あ、忘れてた!ありがとう!」
FMOでは魔法はマジックポイントを消費して発動し、マジックポイントが足りなければ発動することができない。魔法を使いながら旅をするなら、マジックポイントを回復させるマジックポーションを所持しておくのが基本だ。
発喜はカメラをナノハに任せ、すぐ近くのアイテムショップに飛び込んだ。
『マジックポーションは普通のポーションより少し値段高いけどお金足りるかな?』
「だ、大丈夫だと思いますよ。レ、レアドロップたくさん入手しましたし」
『そういや金持ちだった』
普通より高く売れるレアドロップを放出すれば、回復アイテムなど余るくらい購入出来る。お金の心配はしなくて良さそうだ。
『それなら防具を揃えたら? 安いのでも多少は安定するでしょ』
むしろお金に物を言わせて装備を整えるべきではないか。
その意見は確かに正しい。
だがナノハは分かっていて敢えて発喜にそれを勧めなかった。
「ぼ、防具が無くてもこの辺りの敵ならあの弓で簡単に倒せるし、それに……」
『それに?』
「ユ、ユバックの賞品に強力な防具があるから」
『あ~アレか』
『確かにアレが百パーセント入手可能ならここで買うのは無駄になっちゃうか』
発喜のリアルラックを考えるとユバックのカジノの賞品を総ナメするのは間違いない。それならそのことを考慮して発喜の行動を誘導しよう。それがナノハの狙いだった。
「おまたせ、沢山買って来たよ!」
アイテムの購入を終えた発喜が戻って来た。
その手には紫色の液体であるマジックポーションが一本握られている。沢山買って来たというからには、他のアイテムはアイテムボックスに入れてあるのだろう。
「凄い色だよね。飲むのは嫌だなぁ」
「あ、案外美味しいらしいですよ」
「そうなの?じゃあ後で飲んでみようっと」
嫌だと言いながらも美味しいらしいと知ったら躊躇なく飲めてしまう。それが発喜という女だった。
「そういえばこれ、リアルに持ち帰って飲んだら魔法が使えるようにならないかな?」
「え?」
『リアルじゃ魔法を覚えて無いから無理じゃね?』
「だよねー」
マジックポーションはマジックポイントを回復させるだけであり、魔法を使えるようになる訳ではない。そもそもリアルでマジックポイントがあるのかどうかも不明だが。
「あれ、でも私どこかでリアルでも魔法を使えるようになるって聞いたことあるよ?」
「え?」
『え?』
その話が本当だったら世の中はとっくに大騒ぎだ。だが実際は全く騒ぎになっていないため、それはあり得ないことであり、一体発喜は何を勘違いしているのだろうと誰もが思った。
「確か何かを維持したままある年齢になると……って話だったような気が……」
『それ、三十歳まで童貞だったら魔法が使えるってネタだろ』
「はい、BANで」
「ひ、発喜様!?」
『自分から振っておいて!?』
発喜がコメントに対して『BAN』と発言すると、そのコメントを書き込んだ視聴者は二度と発喜の配信を視聴することが出来なくなる。FMOの配信で良く使われる機能なのだが、悪質な視聴者に向けてこっそり使われるのがほとんどであり、発喜のように堂々と口にして消すのは非常に珍しい。
「下ネタは嫌いだから」
「こ、怖い。も、もしかして私のこの格好も本当は……」
露出たっぷりの踊り子装備も性を意識させるため発喜が苦手だったのではないかと焦るナノハ。
「ううん!ナノハちゃんは可愛いよ!大好き!」
「え、えへへ」
しかし発喜は満面の笑みでナノハを抱き締め、全くネガティブな気持ちを感じさせなかった。
『てぇてぇ』
『その裏に悲しい犠牲があったことを最早誰も覚えていなかった』
可愛らしい女の子が仲睦まじくする光景に、先ほどの衝撃が一気に和らいだ。
「でもちょっと残念かな」
「な、何がですか?」
「三十歳過ぎまで童貞だったら魔法を使えるのが本当だったら面白かったのにって思ってさ」
「あ、自分で言う分には良いんだ……」
なんとも理不尽な話だが、発喜が少しでも下ネタだと思ったら即BANすることは有名であり視聴者は訓練されているため炎上しない。
「で、でもそれって男の人の話だから発喜様には関係ないのでは?」
「実家の下の部屋に、魔法を使えそうなお兄ちゃんが住んでるから見せて貰いたいなって思ったの。私よりも十一歳上だから今年丁度魔法を使えるはずなのに」
「な、なんか危険な話題な気がする」
『お兄ちゃん逃げてー!』
見ず知らずの人の年齢と性事情が突然暴露されてしまった。発喜の個人情報公開のスイッチが入ってしまったのではとナノハも視聴者も戦々恐々だ。
「何?また個人情報がどうこうって思ってるの?平気だよ。だってお兄ちゃんのこと、うちのマンションの人なら誰でも知ってるし」
「そ、そうなんですか?」
「うん、お父さんもお母さんも、私が小さい頃から、下の部屋にたけしお兄ちゃんって変わった人が住んでるから気を付けるようにって言ってたし」
「そ、それって……」
『完全に危険人物扱いで草……じゃなくて怖いやつだ』
どう考えても発喜に注意を促しているようにしか聞こえない。
「なんかたけしお兄ちゃんのお母さんが噂を広めてるみたいなんだ。私一度だけその場にいたことがある。『あの子はずっと引きこもってアニメばかり見ていて、部屋には半裸のアニメの女の子のポスターが大量に張られていて気持ち悪いの。昔、外出するように言った時に女の子を見て気持ち悪い顔してたから今はもう外に出さないようにしてるけど、もしも何かの拍子に家を出ちゃって会ったら近づかないでくださいね』って言ってたかな」
『ぐはっ!』
『こうかはばつぐんだ』
『動悸がヤバイ』
『リスナーに同じ境遇の人が大量にいて大草原』
それよりも問題は実の母親がそんなことをマンションの住人に広めて注意を促しているということだ。親ですら危険だと思っているというのは相当ヤバい。
「それで私、あまりにも気になって下の階に降りて見に行ったことがあるの」
『おいいい!』
「そ、それ危険なやつ!」
「あはは、大げさだね。偶然たけしお兄ちゃんが出て来たけど、平気だったよ」
『しかも会ったの!?』
「ひ、発喜様逃げて!」
過去の話なのに思わず逃げてと言ってしまうとは、たけしはナノハの中でどれだけのモンスターとなっているのか。
「小太りな普通のお兄ちゃんだったな。ただ、私と目が会った時の笑顔がとっても気持ち悪かった」
『それトラウマモノだろ。どうして普通に話せてるの』
「このくらいまだマシだよ。私、挨拶はちゃんとしなきゃダメって思ってるから元気良く『こんにちは!たけしお兄ちゃんですか?』って言ったら鼻息荒くなってモジモジして本当に気持ち悪かったんだから」
『ぎゃああああ!』
「こ、怖すぎる。うえええん」
想像するだけでナノハにも視聴者にも大ダメージだった。
『なんか軽く話してるけど、美少女JD様はそいつのことキモくないの?』
「めっちゃキモいよ。でも嫌いじゃないかな」
「な、何でですか!?」
「可哀想な人なんだよ。同情しちゃって」
それもまた、たけし母がマンション中に吹聴してしまった話だった。
そしてそれこそが、彼が引きこもる要因の一つとなったと言っても過言ではない。
「たけしお兄ちゃん。大学受験に失敗したことがきっかけで引きこもっちゃったんだって」
『失敗は可哀想だけど、よくある話だよね?』
「それがその失敗の理由があまりにも悲惨で」
その話を思い出すだけで、発喜は今もゾッとする。
自分は同じ失敗を絶対にしないようにと大学受験の時には滅茶苦茶気を使ったものだ。
「受験当日に、たけしお兄ちゃん緊張でお腹が痛くなっちゃったんだって」
『あっ……』
「そ、それ以上は!」
何かを察したナノハが発喜を止めようとするがもう遅い。
「それで受験会場で盛大に漏らしちゃって受験出来なくなっちゃったんだ。それがトラウマで引きこもっちゃったんだよ。可哀想だと思わない?」
可哀想なのはこの話をマンション中どころか世界中に拡散されてしまったことだろう。
外の世界により出にくくなってしまったでは無いか。
『なんて惨い……』
「だよねー」
惨いのは発喜の行いの事でもあるのだがもちろん気付かない。
「ひ、発喜様流石にそれは……」
「なぁに?」
「な、何でも無いです。ユ、ユニークな方なんですね」
「うん!」
マンション中に知られていることとはいえ、赤の他人の恥辱の話を世界に拡散してしまった今回の発喜の行為は決して褒められることではない。リアルラックのおかげでネガティブな意見は決して耳に入って来ないが、小さく炎上していた。
だが彼女のリアルラックは炎上させたままの訳がない。
実はたけしお兄ちゃんは三十になるということで、そろそろ勇気を出して引きこもりを辞めようと考えていた。だが悲しいことに、可愛らしい女の子が出て来るアニメばかり見ていたからか彼はロリコンに成長しており、外に出て近所のJCを襲ってしまうという事件を起こしてしまうことになるはずだった。
その未来が変わったのは発喜が彼の事を暴露したから。
今や発喜は世界中に注目されていて、彼女が気にする『たけしお兄ちゃんを助けよう』という集団が生まれ、しかも国が支援することにもなったのだ。その結果、たけしお兄ちゃんは優しい人々の手でゆっくりと成長し、歪んだ価値観が矯正され、まともな大人として社会復帰することが出来るようになったのである。
『たけしお兄ちゃん』は後に発喜に感謝し、恩を返すことになるのだがそれはまた別のお話である。
他人の恥ずかしい話を勝手に暴露するのはダメ、ゼッタイ!
三十歳魔法使い論は自慰行為もダメらしいですね。