モノローグ
「あ、充電切れた」
「モノローグ」という言葉がある。
辞書によると「独白。特に演劇で、登場人物が相手なしで、心中の思いなどを喋るセリフ。」
という意味らしい。
であれば、これは「モノローグ」と言えるのだろう。
私は昔から、モノローグが聞こえてくる。
自分の思考や、身の回りで起きた事に対する感情などが、独白として聞こえてくるのだ。
今まさに、このセリフを喋っているこれの事だ。
聞こえてくるといっても、耳から音として聞こえてくる様ではなくて、自分が思考しているのと全く同じ様だ。
しかしながら、不思議なことがいくつかある。
モノローグが聞こえてくるという不思議以外の、別の不思議な事だ。
その不思議とは、そのモノローグは私の物ではないという事だ。
私の思考を、私の感情を、私以外の誰かが、独白として喋っている。それが聞こえるのだ。
まずそもそも、私の一人称は「私」ではない。
私は、自分のことを「私」と称したことなど一度もない。
それ以外にも、これが自分のものではないと分かる物がいくつもある。喋り方だとか、説明の仕方だとか、文体から伝わってくる雰囲気だとか、言葉選びだとか、語彙力だとか
兎に角、このモノローグのセリフを喋っている人物が、私ではないという事は確かだ。
そう、今まさにそれが現れた。私は「文体」という言葉など使ったことも、使おうと思ったこともない。
それに、喋り方が堅苦しすぎる。まるで小説か何かのようだ。聞いてて頭が痛くなってくる。
このモノローグは、際限なしに永遠と聞こえてくるわけではない。
一人で居て、特に何もすることが無い時、これは突然始まる。
例えば、風呂に入っている間や、用を足している間、病で寝込んでいる間。
そして、今まさにこれが聞こえているように、電車に乗っている間にもこれは聞こえてくる。
携帯電話を使用している間は聞こえてこなかったのだが、電池切れになってしまって特にすることもなくなり、眠ろうとしても眠気は無く、することがなくなって困った途端にこれは始まった。
私が暇である限り、これは永遠と聞こえてくる。
普段なら、頭が痛くなる前にこれを止めようと努力するのだが、いかんせん本当になにもすることが無い。
そうだ、今思いついた。これは永遠と何かを喋り続けるけれど、話題が尽きたらどうなるのだろう?
私は気になり、すぐさま行動に移した。
私は何処にも、何も注目せず、何が聞こえても右から左へ聞き流し、唯々只管に「何もしない」をしてみた。
このモノローグは私が考えた事や見た事、聞いたこと等から話題をいつまでも作り続ける。
であれば、何も見ず、何も聞かず、何も考えなければ、何も喋れないという作戦だ。
今こうして私の作戦を呑気にも説明しているが、これの説明を追えてしまえばさあどうだ。
私は何も見ていないぞ。何も聞いていない。何も考えていないのだ。
何を喋るのだ?何を説明する?これをどう乗り切る?
いや、待て。私は今、何も考えていないのか?
何も考えないのは、話題が尽きた時、このモノローグが何を喋るのか気になるからだ。
であれば、私は何も考えないようにじっとしている間、このモノローグが何を喋るのかと、いつに困り果てるだろうかと、今かまだかと考えてしまうのではなかろうか?
私は考え込んだ。どうすれば「考えない」を出来るだろうか?
一体全体「考えない」とはどのような状態を指すのか?
はたして「考えない」とは可能な事なのか?
やめだやめだ。難しい事が私に分かるわけがない。ただ気になるからするだけなのだ。適当にいこう。適当が適当だ。
そう思い、私はまた何も見ず、何も聞かず、何も考えない、つまり「何もしない」を実行してみた。
「何もしない」というのは難しい。
人間の反射とは恐ろしく優秀な物で、目の端で動くものがあるとついつい目線をやってしまうのだ。
やれ電柱だ、やれ車だ、やれ畑だ、電車の窓から見る景色はすべての物が素早く動くからいけない。
だが、目を閉じることは出来ない。
目を閉じたらどうなるのか、私は既に知っている。
瞼の裏の色模様の変化を永遠と喋り続けるのだ。
「何も聞かない」というのも難しい。
隣の車両で女の子の声がした。男の子のもだ。家族連れだろうか。
電車のガタンゴトンという音は、永遠性を感じさせるほど規則的に鳴り続けている。
目の前のおじさんが咳をした。
聞かないようにしていても、聞き流そうとしていても、脳はそれを勝手に聞き取ってしまう。
私の中で、静寂という存在の希少さと価値がぐんと上がった。
やはり、一番難しいのは「何も考えない」だろう。
何かを見たり、何かを聞いたり、何かを感じたりするたびに、それ自体に対する感想と、それに関連した何かを、やはり、つい考えてしまう。
どれほどこうして「何もしない」をしているだろうか。
時間を確認したくなってきた。だが、時間を確認するための携帯電話は電池切れだ。
しまった。
そう思った。
これは携帯電話を電池切れにしてしまった事に対してではない。
携帯電話。そのワードはこのモノローグが聞こえている間の禁句だった。
厄介なことに、このモノローグは、携帯電話というワードだけでいくらでも話題を作ってくる。
そう、例えば、つい先日のことだ。友達と遊ぶ予定の当日、友達から急に別の用事ができたとのメールが来て暇になった日、戯れにこのモノローグを聞いていたら、携帯電話と
「あ、着いた」
「やっぱり、ずっと聞いてちゃだめだな。頭が痛くなってくる」