第二話『叛逆龍事変』
「変な結界の使い方じゃな」
本来は内部から外部、或いは外部から内部へ行き来させないのが道理というもの。これではまるで
結界という存在に対する悪意そのもの。
とりあえず狸男を頑天の山に返さねばならぬ、結界を壊すか。
妖術を発動して私の周辺に白い炎が舞い踊る。ひとまずは近くにある結界に放ってみる。
しかし結界に吸収され一寸のひび割れも入らない。かつて結界破壊師と恐れられた私が、なんたる失態。誰がこんな強固な結界を作り出したのか。
「おい狐! なんだあれ、蛇? いや、龍か?」
「なんじゃ」
大きなうねる細長い影が空に飛んでいる。あんな巨大な影は今まで空で当然見た事も無い。
距離も相当にある筈なのに雄叫びまで聞こえてくる。
「こっちに向かっている、な。差し詰犯人はあやつじゃろう。構えろ狸男!」
「おう!」
反応しきれない速度で紅い結界の破片が私の頬を掠めた。指でなぞるとやや命中しているのが分かる。あやつ、結界を刃物のように扱っておる。そんなの結界を扱う者達の中でも、どの生物問わず禁忌の域。
飛んでいる影が影では無くなり、はっきりと赤い龍というのが分かる。視力の良い私には、龍の眼に「禁」「忌」と書かれているのまで見える。
私の目にも「結」「界」と書かれているが、即ち妖力が一定以上に達した証である。
じゃがその達した手段によって個性が出るらしい。つまりあやつは使ってはならない何かで力を得た者。
故に、結界の使い方も可笑しい。
「あの龍……」
何やら狸男が立ち尽くして呟く。思い当たる節があるかもしれないが、あれほどの者を前に尋ねる余裕もほぼ少ないと言える。
そういえば龍が来てからというもの、どんよりした天気になり小雨が降っている。本日も晴天の予定だが、もしや急変し易い天候だったのは既にこの龍が現れていた事になるのかもしれない。
考えてる内に赤い龍は我々の斜め上頭上で止まる。角にあたる部分は青い炎になっており、罪の証は眼に書いている文字の他に、両腕に鎖付きの枷もはめている。
全身に響く大きな声で、龍は狸男に視線を向く。
「まさかこんな形でお前と会うとは。否、運命だったのかもしれぬ」
「やっぱり、狸の流侍じゃねえか! なんで、どうしたんだよ!」
狸が龍に? それも前例にない。事実目の前に起きているのだろうが、狸男の言い分が事実ならまさに禁忌そのもの。
「お前らのような下級の生物である事に限界を感じた。それだけだ」
深くは言わず口から炎の妖術を出そうとしている!
「逃げるぞお主!」
「逃げたら頑天の山が! 狐だけでも退いてくれ」
「何を……知らんぞ!」
ええい、ダメ元でこやつを守る。本気で白龍炎を使うしかない。白龍様から継いだ技だが、本気で使えば反動は大きい。場面を選んでる場合でも無い。
「行くぞ!」
両手の平を敵に向け、白い火柱を放つ! 流石に眼に文字を持つ存在、単純に妖力が強い。
今は私が押しているが二回目は使えないだろう。
「すごいぞ狐! いける!」
一回は押し切った。龍に『傷』は与えた。それだけだった。
力を使いすぎて崩れ落ちる自分の脚、前のめりに倒れどうにか見上げているが、龍が余裕そうなのは霞んだ視界でも理解出来る。
「狐! ありがとうな。あと、えっと、俺がなんとかする!」
「弱き生物だ。我は二回目以降も使えるんだぞ。そんな一瞬の為に命を惜しまないとは、飛んだ滑稽」
視界の霞みが酷くなり、やがて意識も……。
ここは、夢の中か。夢の中で動くのは得意だ。と、小さな自慢を心の中でする。
銀髪の私よりややお年を召した女性、白龍様のような霞んだ幻影? が目の前に現れる。
「白龍様、私は、もう駄目かもしれません」
「……なさい」
「聴こえません」
「起きなさい! まだ貴方のこの世界での天命は終わってません。明晰夢を見てる暇があるなら起きなさい」
「でも」
体力がないのです。と言う前に起床している状態に引き戻される。まだ倒れたまま、意識だけ戻る。強引な神様だ。
顔を横に向けると、狸男? が倒れている。しかし、かなり黒い。焦げているのか? あの龍、友人を焼き払ったと言うのか。
左胸の中から悔しいような悲しいような、言葉で言い表せれない気持ちが、私の目頭からも流れる。
少ない力を振り絞って立ち上がる。本当に狸男は炎の攻撃を受けていたようだ。全く動かない。もう、狸の命は無い。あんなに弄り倒しても怒らなかった狸は。
「貴様許さない! なんという奴じゃ、わしの手で葬る!」
「やってみろ」
隠し持っていた爆風の札を数枚取り出し、奴の方へ投げる。わざと避ける事はせず爆発を受けた。
「子供騙しだな……いない? 狐にそんな余力はないはず、どこから高速移動する力が。我の頭に!!」
「倒す!」
妖術でもない、魔法でもない。こんな者なぞ拳で十分。
奴の額を思いっきり壊す!
「割れる!! 龍になった我が、狐如きに!」
飛び上がり一度距離を取る、紛れも無く奴の額はひび割れている。
そして、神々しい光と共に龍となった狸は、やがて塵へと崩れ去った。
私は地上へ着地し、黒焦げた狸の元へすぐに駆け寄る。大丈夫だろうか。
膝と両手を地べたに着き、様子を確認する。
「もう、呼吸もしていなければ心音も無い。私がもうちょっと目覚めるのが早ければ……」
狸の形見として焦げた上着を取り、畳んで持つ。
ありがとう。
「きーつねさん!」
「うわ! あの時の妹の魔女か。なんじゃろうか」
「ねえねえ。魔法って便利なんだよ! まだこの狸さん生きてるし、回復させてあげようか?」
「……嘘をつくな! 冗談を言っている場合ではない!」
なんとも奇妙な木製の棒を狸に向け、柔らかい雰囲気が辺りを包む。私まで穏やかな気持ちになった。
上半身何も着ていない、黒焦げた狸が飛び上がって、何度も周辺を忙しなく確認しておる。
「生きてる! 俺生きてるぅ! でも上着がない! てか狐が持ってる!」
「そのっ、これはっ、売り払って事務所の費用に」
魔女が私の肩をツンツンつついて、耳元でとんでもない事を囁く。
好きなんでしょ、と。うるさい!
「ん? 二人で何を話している」
顔が熱い。きっと正面から見たら真っ赤じゃろう。
「おい! 顔が赤いぞ! 龍に顔焼かれたのか?」
「ちが、いやでもそうじゃ!」
鈍感すぎる……。
でも、生きてて良かったのじゃ。
治療と称して、頑天の山にでもお邪魔してみようかの。と、脳裏で考えた。