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「坂道の丁半」

作者: 桃山ほんま

《舞台となるは、とある坂道》


 その坂道の詳細を紹介しよう。問題の道路は一軒家が集結するA町の住宅地エリア内にあり、B町に通じる下りに通じている。

 上りから下りに移るまでの距離が普通車両二台分、車線が片道一本で中央線が無く、道幅が行きと帰りの車両がすれ違うにはやや狭く感じる程度。

 両端を林に挟まれており、見通しが悪い為に、狭い道に信号機付きの電柱が建っている。電柱に対向の上り車両を見るためのミラーが設置してある。

 歩行者が通るには勾配が辛く、普段から東に迂回して緑化公園を突っ切る通行人が後を絶たない。車も他に走りやすい道がある始末だ。

 割と古い歴史があり、時間が進んで道の周りが開発されていった経緯がある。

 時代の経過につれ、もっと使いやすく、もっと疲れない道がほしい等の要望の影に埋もれて、忘れられた道である。

 さて、最近になって、この坂道の利用者が増えている。

 その目的はこの坂道で神様との賭けをする事――願いを叶えられるという噂を信じて。

 ここは鉄火場なのである。

 道路脇に苔生して頭の潰れた石像が傾いている。像の前に汚れた陶器茶碗が置かれている。

 椀の中には、雨水が溜まって乾いた跡が残っていた。


____________________


《人生逆転》


「今月は十七万の請求……。

 給料日が三日後だろ。そんで、家賃と保険と借金の返済で……残んのは一万三千円かよ。夜勤まで入れてこれだけか」


 坂道の頂点で止まっている宅配車の車内で、制服を着崩した男がスマホの画面に映る今月の電子明細を眺めながら、ぼやきを漏らした。

 冷房を付けず窓を開けている。外は曇っていて、今にも雨が降り出しそうで降らない天気である。

 仕事の合間に無断で、長めの休憩時間を取って業務エリア外で停車している。

 今月の生活が厳しいと考えるだけで億劫な気分になる。気を紛らわせる為に荒々しくタバコを咥えて、安いライターで火を付ける。

 

「ふー……あ~ダル」


 紫煙を吐き出しながらそう呟き、助手席の新聞を掴む。

 ささっと裏返し、今週末の競馬欄を流し見る。


「……チッ。大穴狙うしかねえか」


 返金額が高くなりそうな賭け先を探す。人気の馬など眼中にない。はした金が当たっても嬉しくも、勝利の歓びもない。ただの手癖で賭けている。

 すると、無意識に欲望丸だしの言葉が漏れる。


「人生には大逆転の勝利が必要だ、一発当てなきゃ始まらない」


 タバコを咥えて、車の天井を見上げる。


「受験戦争、就職活動、エトセトラ。

 この競争社会じゃ一回の劇的な勝利で人生は変わる。変えられる筈なんだ、変えられるんだよ」


 男はスマホをいじり、当たりをつけた馬になけなしの金を賭けている。競馬で当てようと思っていない。コレは暇潰し。

 人生を変える大一番は競馬じゃない。

 ある程度終わったら、また紫煙を吐いてスマホをスマホ置きに設置する。

 スマホが待機画面を表示する。数日前に届いた一件のショートメッセージがあった。恋人の女からの「わかれてほしい」という内容のメッセージ。未読のままだ。

 窓から腕を投げ出し、タバコを指で叩く。

 タバコの先っぽの灰が落ちる。


「勝利を得る。そんで今日、俺の人生は変わるんだ。

 女も金も、全部がガラリと変わるんだ」


 男が待ち遠しそうに窓の外を眺める。

 この男が今日、この場に居るのには理由があった。


 彼は賭け事をしにきた。《神さまとの賭け》――勝てば願いが叶うゲーム。

 賭場は坂道、賭けるは命。


「ホントに神様なら……宝くじの一億なんか目じゃねえ。生涯、金が溢れるんだろうなぁ。神様に勝った。誰が俺をバカにできる? 自分だってバカにできやしない。

 クソな俺の人生が変わるんだ」


 気持ち悪い暑さだが、眠くなってきた。

 様子見に待機して三十分経とうとしていた。男が暇そうに空の雲を眺めている。

 ピコン、とスマホにメッセージが届いた事を報せる通知音が鳴る。

 ちらりと視ると、ゲームアプリの自動メッセージで「戻ってきて」と復帰を促していた。


「……うざ。消し忘れてたか」


 男は帰還のメッセージを無視し、タバコをあと一本吸おう。そう思っていた。

 

――トントン


 助手席側から固いものを叩く音がした。

 ぼーっとしていた男がゆっくりと音のした方を向く。

 助手席に黒い老人が座っていた。黒いボロ布をまとっている。助手席と運転席の間にいつの間にか板が渡されており、その板を老人の枯れ木のような左手が叩いて、男を呼んでいた。

 男が目を剥いて驚いていると、老人が黒い布の懐から椀を取り出した。

 板に置かれた椀の中でカランコロンと、二個のサイコロが転がった。

 

「丁半 ヤロウ ゼェ」


 ラジオのノイズみたいなしゃがれ声。聞き取りにくい。

 よく見ればこの老人、酷い猫背だ。丘のように背骨が突き出して見える。いや、姿がよく見えない。

 白髪で目が隠れた顔とにやけた口元、痩せ細った左腕だけがハッキリ見える。

 突然現れた浮浪者のような老人に驚くも、別の理由で宅配スタッフの男の胸が高鳴る。冷や汗を流しながら、男の口角が緩む。


「現れやがった。お前を待ってたんだよ、神様ッ」

「丁半 ヤロウ」

「やろうやろう!」

 

 男が財布を取り出そうとすると、黒い老人が手で制する。


「勝ッタラ願イ叶エル」

「負けたら命を貰うってか?」


 老人の左手が足元を指差す。


くるぶし

「は?」

「踝 モラウ」

「……命よりゃ格落ちだな。けど、悪くないリスクだ。乗った」


 自分の知っている話と違うが、目の前の老人が神様だと疑わず勝負に乗った。

 老人が椀の中のサイコロを掴み上げる。

 手の中で転がして、器用に指の間に挟んで男に見せつける。


_______________


《賭け》


 宅配スタッフがルールを整理する。


「親も子もなしで交互に振ろう。あんた、俺の順。順に2回ずつを一勝負として三回繰り返す。三本勝負だ。

 出目の丁半を当てたら一点、勝ち点が多い方が勝ち、引き分けは仕切り直し。いいか?」


 黒い老人が頷く。

 老人の左手がさっと動き、手の中でサイコロを弄ぶ。

 早くも神性とのゲームが始まった。

 

「両手を使わないのか? ミスしてもやり直しはなしだぜ」

「ヒッヒ」


 笑う老人がサイコロを上に放り投げた。

 左手が素早く動く。椀を取り、落下途中のサイコロをすくい、逆さまにして遊戯盤に叩きつけた。

 一連の動作は素早く、手先の動きが捉えられないほど。老人の手捌きが熟練である事に疑いの余地はない。


「ハッタァ ハッタァ」

「……やるね」


 男は老人の左手が乗った椀をじっと見つめて、


「丁」


 と口にした。

 老人の左手の人差し指が椀の底を掻く。


「ヨゴザンスネ?」

「ああ」


 男の言葉を待って、老人が椀を開く。

 『二、一の三。半』

 男の予想が外れた。


「くそ」

「次」


 左手が椀から離れる。

 次は男の番だ。

 サイコロを掴み、イカサマの細工がないか確かめる。もちろん、バレないよう握った手の中で指先の感覚だけを頼りに探る。

 軽く古いサイコロだ。店で売っているような安物ではなく、触った事のない材質、見慣れない材料で作られている。傷がついているので使い込まれている。

 だが、重みが偏っているような細工はない。あくまで、お気に入りの、特注のサイコロというだけのようだ。

 小馬鹿にするように老人を流し見る男。


「……イカサマは嫌いか?」

「――」


 老人はにやけるだけで答えようとしない。相手の狙いを探ろうとしたが失敗のようだ。

 対戦相手の用意した勝負の場など欠片も信用ならない。サイコロを手の中で転がす。男は仕掛ける腹積もりだ。

 ――サイコロのイカサマ技なんていくつもある。

 ――あんたを確かめてやる。

 男がサイコロを椀に放る。小気味いい音がしてサイコロがはねる。

 椀を遊戯盤にひっくり返す直前、気付かれないように注意しながら少し横に振る。ぶつかった衝撃で中のサイコロを操作した。

 カンッ。椀を老人の方に突き出して、決断を迫る。

 

「丁か半か、張った」

「――」

「どうした? ニヤけるばかりで、サイコロが見えなかったか?」


 男が老人を煽る。

 老人は左手の人差し指で板を叩く。悩んでいるのか。

 ――あの技、俺の腕なら八割で丁になる。

 ――これは試しだ。見抜く目があるのか試す。効くならストレート勝ちだ。

 努めて顔に考えが出ないようにする男。

 黒い老人が左手の人差し指と中指で、歩くようなジェスチャーをしてみせる。

 椀を掴む男の注意が逸れる。


「? 張った張った」

「ヒッヒ 半」

「ファイナルアンサー?」

「半」


 わずかに眉を動かした男が沈黙を守ったまま、椀を持ち上げる。

 六、三の九。半。


「アタリ。運がいいのか、汚い白髪の下にある目がいいのか。どっちなんだ?」

「――ヒッヒ!」


 男の耳には老人の引き笑いが癪に障る。

 イカサマを見抜かれた、と思いもしたが、別の考えも過る。

 ――見抜かれたからなんだ。ペナルティがあるとでも?

 次に当てる番である男が、黒い老人のにやけ面を睨む。

 ――勝ちに来たんだ。イカサマでもなんでも、やってやる。そして、見抜いてやる。

 男が意気込んでいると、ふと遊戯盤の上の変化に気付いた。


「白い……骨……?」


 平べったいサイコロのような骨。遊戯盤の上に、無造作に一個だけ置かれている。骨の上面には、サイコロと同じような出目が描かれている。四。

 男が突如現れた骨を気味悪がっていると、老人の人差し指がそれをつつく。


「如何様 バレタラ 折檻」

「……ッ」


 釘を刺したつもりか。真意が読めずとも、自覚のある男には効いた。

 ――次は無い、ってか。

 ――けど、それなら逆に利用してやる。お前のイカサマを見抜いてやる。

 老人がサイコロを空中に投げた。もう次のゲームが始まっている。


「丁カ半カ、ハッタァハッタァ」


 またも早業でサイコロが椀に隠された。

 ――また見えなかった。

 ――向こうはイカサマが見抜けて、こっちは目も追いつかない? なんてひり付く勝負だ。こいつはイカサマをやる、俺にはわかる。

 車内にこもる熱気のせいで、緊張の面持ちの男の顎に汗が伝う。

 

「……丁」

「ヨゴザンスネ?」

 

 頷きを返すと、椀がゆっくりと持ち上がる。

 『二、六の八。丁』

 同点になった。だが、安心はできない。

 ――次当てられたら、神様が一点リードする。

 男が右手に椀、左手にサイコロを構える。

 さっきのようなイカサマをしようか一瞬迷うが、今はまだ劣勢でもない。自分から弱みを作る真似は避けるべきだと判断した。相手の戦略を見抜く事に注力する。

 

「いくぞっ」


 腕を前で交差させる。すれ違いざま、サイコロを椀に投げた。サイコロが椀に入ったのを確認して、すぐさま椀をひっくり返して遊戯盤に押し付けた。

 老人に問う。


「丁か半か」

「――丁」


 即答。

『六、二の八。丁』

 奇しくも両者同じ出目。老人がニヤリと笑い、男が歯噛みする。 

 そして、


「ヒッヒ!」

 

 老人が楽しげ引き笑いを上げた。男の耳には癪に障る。

 男が眉間に皺を寄せ、貧乏ゆすりを始めた。

 

「うるさいっ」


 男が語気を荒げた。リードされた事に焦りを感じる。

 一回戦もまだ終わっていない。そう思う事で冷静さを取り戻そうとする。

 不安が顔を覗かせ始めたのを感じ取り、気を紛らわせる為に老人へ質問する。


「あんた、神様なんだろ? 神通力でも使ってるんじゃないのか?

 言っとくが、それもイカサマだぜ」

「――」


 老人はにやけ面を浮かべたまま微動だにしない。

 自分は気付いている、というカマかけでもあったが、表情が読めない相手で効果が薄い。

 何故か、老人はサイコロを持ったまま次のゲームを始めない。ずっとサイコロを手の上で転がしている。カチャカチャとうるさい。

 集中を乱されないように男は現状を考える。

 ――そうだ。こいつは神様、神通力だとかイカサマがある。

 ――でも、どうやってそれを証明する? どう出し抜く?

 ――……どんな突拍子もない事でも、作戦かもしれないって疑う事ぐらいしか対策がないな。

 勝負に臨むスタンスを決めると、自然と遊戯盤の上に男の視線が移った。

 ――また、例の骨のサイコロが増えている。

 ――どっから……いや、いつの間に……。

 今度は三個。いや、老人が手の中で弄んでいるサイコロにも一個含まれているので、四個増えている。


「おい、さっきから何だ。それは?」

「賭ケ 二 勝ッテ 作ッタ」


 それだけ言うと、老人が一回戦最後の手番を始めた。

 男がそれ以上、骨サイコロに興味を持つのを遮るように。


_______________________________


《横槍》


 投げられたサイコロが落下する。

 男は運任せを嫌い、なんとか落下するサイコロを目で追おうとする。

 しかし、唐突に後ろから窓を叩く音がして、そちらに気を取られた。


「すいません。警察ですが、誰かいらっしゃいますか?」


 と声がして、思わず男が振り返る。

 汗を流した警官が車内を覗こうとしていた。ずっと坂道で停まっているから、近所の人間に通報されたのかもしれない。

 だが、それだけだと男は意識を切り替える。既にゲームが始まってしまっている。

 遊戯盤の方に意識を戻す。椀がひっくり返っている。

 すると、また窓が叩かれる。


「警察です。誰かいらっしゃいますか?」

「くそ、しつこい。

 ……いや、おかしいだろ。どうして、中が見えないんだ?」


 不思議に思い、また振り返る。

 窓の外の、警官の若い顔がよく見える。しかし、警官の顔は怪訝そうだ。

 覗こうとして中が見えないみたいな表情だ。この車は仕事用のトラック、規則があるからマジックミラーは勿論、遮光フィルムだってつけていない。窓から車内で丁半をやる自分たちの姿が見える筈だ。

 男が警官の探るような顔をじっと見ていると、


「丁カ半カ、ハッタァハッタァ」


 と、真後ろの老人がゲームを進行させようとしてきた。


「ま、待て。待ってくれ。警察が来てるんだ。追い払うから」

「待ッタ ナシ 言エナキャ 負ケ 踝 モラウ」

「追い払ったらすぐに言う。邪魔されてゲームが流れないようにだな――」

「違法駐車か? けど、エンジンが動いてるんだよな。どうせ、中で寝てるのか」


 また、警官が窓を叩く。今度は強めに、中の人間を起こすつもりで。

 老人の左手が椀から離れ、枯れ枝のように細い人差し指を男の顔に向けた。


「賭ケ 途中 デ 止メル事 出来ナイ」

「止める気はない! 警官に邪魔されないよう――」

「まったく、なんだってこんな所で停まってるんだ? 違法駐車もいい所だ」


 また、窓が叩かれた。まるで割ろうとしている勢いで。

 男が前と後ろ、両方に気を取られる。


「ハッタァハッタァ」

「すみません! 警察です! ……まさか熱中症か?」


 言葉の後、窓の外から重い装備が擦れる音がした。

 男が振り返ると、警官が肩の通信機を握る姿が視認できる。


「こちら、A町交番の原灰。不審車両発見、運転手に熱中症の疑いあり。応援と救急車の手配を――」


 警官が応援を呼ぼうとしている。人が集まれば、それこそゲームどころではない。

 そして、老人が、


「丁カ半カ ハッタァハッタァ」


 と、椀の底を左手で叩き催促する。


「くそ、神様には人間の社会ってのが理解できないのかよっ」


 悪態を吐くも、悩む時間は稼げない。

 男は老人の方を向き、


「半! 半だ!」


 叫んだ。そして、振り返って窓を降ろした。

 開いた窓から顔を突き出す。


「な、何かありましたか?」


 目を剥いた警官が汗を拭ってから、口を開いた。


「……ああ。運転手の方?」

「ええ。ちょっと寝てまして……」

「そう、ですか。随分、汗をかいてますね。冷房も付けずにこの暑い中で?」

「ええ。つい、うっかり……」

「……ここ、道路の真ん中ですよ。どうして駐車を?」

「普段、誰も使わないんで、まあいいかと思いまして……すんません」


 すると、男が警官とやり取りしている後ろで、老人が「ヨゴザンスネ」と言って返事を待たずに椀を上げた。

 男が身体で車内を警官の探る視線から隠しつつ、脇目で後ろを確認する。

『三、五の八。丁』

 男が外した。


「っ! くそ」

「どうかされました?」

「え、ああ。暑くて――」


 負けの損失を支払う時だ。


「一回戦 オ前 ノ 負ケ

 約束 踝 モラウ」


 老人の言葉が終わると同時に、左手が男の右足首を掴む――筈だった。

 左手はずぶり、と泥に沈むように男の肉を通り抜けて、男の骨を直接掴む。

 違和感に男が振り返ると、


「新シイ サイコロ 作ル」

「なっ!?」

「車内に何か?」


 男が骨を掴まれる感覚に怖気を感じていると、老人が足首の骨だけをキレイに引き抜いた。血すら付着していない。

 ぶらん、と男の足首から先が中身を失くして垂れさがる。痛みが無く、ただ唐突に軟体動物のようになってしまった感覚だけがある。それが更に気持ち悪い。その気持ち悪さに男が悲鳴を上げる。


「う、うわあああ!?」

「どうした!?」


 悲鳴を上げた男がドアの方に身を寄せた。

 外の警官が男を心配して身体の方を見、男の中身が無くなり、まるでタコの触手になったような右足首を発見する。


「あんた、足が――どうなってんだ!?」


 混乱しながらも警官は男を助けようと車のドアに手を掛ける。

 男がそれに気付き、咄嗟に声を上げる。


「ダメだ、開けるな!?」


 時既に遅く。警官がドアをわずかに開けた。賭場に踏み込んだのだ。

 闖入者の横槍に気分を害した老人が警官を睨み、


「小者 捕リ物二来タ 楽シイ賭ケノ邪魔シニ来タ」


 と老人が言うと、突然警官が苦しむ声が上がる。


「――あがっ!? ぐぎぎ……」

「な、なんだ? おい、あんた!?」


 突然倒れた警官を観ようと、窓枠に身体を預けたまま男が身体を捻じる。 

 その背後で、


「続キ シヨ?」


 と老人がにやける。左手が空中の何かを掴んでいるような形になっていた。

 男の目の前で警官が驚愕の表情を浮かべ、喉の前を掴もうとして何度も空振りする。彼の喉が見えない手に掴まれているように凹んでいる。

 やがて、倒れた警官が苦悶の顔で泡を吹いて、ピクリとも動かなくなった。

 男の肩は震えている。

 振り返った男が老人を問い詰める。


「おい、これが見つかったらどうする気だ!? それこそゲームにならない。いや、あの警官応援を呼んでた。応援要員が来たら終わりだぞ!」


 ゲームに勝って人生を変えるつもりなのに、このままでは悪い方向に進む。男はそれを心配していた。

 

「ヒッヒ オ前 ノ 番」

   

 老人がそう言うと、サイコロの入った椀を男の方に押し出した。

 しかし、心配事に気を取られる男が文句を言おうとすると、

 

「次 左ノ踝 モラウ」

 

 男の右足首の骨を遊戯盤の上で撫で回しながら、そんな事を言う。

 よく見れば、自分の骨と他の骨サイコロの形が近い。骨サイコロは老人の戦利品なのだろう。

 足に痛みがないから、異質な違和感ばかりを強く感じる。

 文句を言っても仕方ないと判断し、男は腕を使って運転席に座り直す。

 自分とて、この程度で勝負が流れる事を望まない。だから、自分の骨を見て聞く。


「……それを取り戻すには?」

「賭ケ デ 取リ戻セ

 賭ケ金 ヲ 払ッテ」

「踝の他も欲しいって? 業突く張りめ」

「首ノ骨 一番 サイコロ ガ 似合ウ」

「それは……」


 首の骨が無くなれば死ぬ。医学知識のない自分でもそんな事はわかる。

 つまり、奪われた物を取り戻すには命を懸けるしかない。

 軟体となった自分の足を見下ろす。

 骨が無いせいで奇妙に捻じれた足がそっぽを向いている。痛みがない。傘の骨だけを抜き取ったみたいだ。


「いいぜ、賭けよう。

 人生変える為に来たんだ。五体満足で最高の人生を送りたい」

「ヒッヒ」


 元より、勝利の為に命懸けの覚悟で来た。骨を抜き取るなんて芸当を前に恐怖したが、気を持ち直す。

 男が改めて勝負の席に着いた時、車の外の警官の姿が黒い靄と共に消えていた。

 早めに羽化したセミが鳴いている。


____________________


《引き際》


 二回戦。結果は男の勝ちだった。

 横槍の邪魔もなく、勝負は三回戦目に持ち込まれる。

 冷房を付けない車内の熱気は、勝負師たちの発する湿気と相まって最高潮に達していた。まるでサウナで博打をやっているような環境だ。

 目元の汗を拭う男。

 汗一つかかない黒い老人。

 現在、三回戦、二番目の老人の手番。


「零 ト 零 

 ヒッヒ 楽シイ楽シイ」

「お前のにやけ面が歪むのが楽しみだ」


 老人が素早い手捌きでサイコロを椀に隠す。出目を見るのは諦めている。

 左手の指が遊戯盤を連続でタップする。


「うるさいな、止めてくれ」

「ヒッヒ」


 タップ音が続く。止める気がないようだ。

 椀を見つめる。

 ――これを外したら……負ける。

 ――負けたら、死ぬ。

 ひり付く状況に男の歓喜が止まない。

 彼の顔にも、老人に似た笑みが浮かんでいる。

 

「サァ ハッタァハッタァ」

「……半」

「ヨゴザンスネ ヨゴザンスネ」

「ああ、半だ」


 椀が持ち上げられる。その下に――。

 

――コンコン。

 

 運転席側の窓ガラスがノックされた。

 男の注意は外の誘惑に惑わされず、じっと椀の下を見ていた。だが、正解がまだわからない。

 椀の動きが途中で止まっている。老人が動きを止めたのだ。


「――おい、さっさとしろよ。何してるんだ」

「後ロ 後ロ」

「今更気を逸らそうってか? 急に幼稚だな、そんな手に乗るかよ」

「ヒッヒ」


 老人は笑う。まだ手を動かさない。

 男のイライラが募る。だが、数回の対戦で相手の強情な性格を理解しているので、仕方なく後ろを振り向く。


「は?」


 窓の外に、見知った顔があった。

 

「ゆうか?」


 先日別れたばかりの恋人。自分のギャンブル癖を知り、別れると言った短気で強気な女。そいつが、恨みがましい目で自分を睨んでいる。

 その手には大きな石が握られ、男の元恋人はそれを振りかぶり、窓ガラス目掛けて振り下ろす。

 

「下らない。俺は人生を変える為に来たんだ、今更昔の女を振り返るかよ」


 男がそう言い切った瞬間、元恋人と石が黒い靄となって消えた。

 老人の方を振り返った男が黒い老人を追及するように指さす。


「お前の仕込みだってのは解ってるんだよ、マヌケ神。

 どうせ、さっきの警察もそうなんだろう? 俺をビビらせる算段だったんだろう」

「――」

「そんで、トドメにゆうかだ。どうやってなんざ、どうでもいい。俺の罪悪感に訴えて勝負勘を鈍らせる気だったか?」

「――」


 初めて、老人のにやけ面が悔しげなものに変わる。

 スカッとした心持ちの男が言葉を続ける。


「勝負のツキは自信のある者の所にやってくる。俺は自信を得る為にここに来た。勝てるぞ、俺は!」

 

 男が意気揚々と叫ぶ。


「半で負けた。なら、俺は半だ! 中身は半だ!」


 止まっていた老人の手がゆっくりと上がる。

 四、五の九。半。

 男の勝ち。

 

「よっしゃあああ!」


 歓声を上げた男が老人からサイコロと椀を奪い取り、


「ツキは逃さねえ、すぐに始めるぞ」


 と宣言し、言葉通りに手早くサイコロを椀で隠した。

 椀を老人に突き付ける。


「ここで外せば、お前の勝ちは無くなる。よくて、仕切り直し

 ――さあ、張った!」

「――」

「張った張った!」


 にやけ面を失くした老人が、自作の骨サイコロのいくつかを握り締める。

 ギチギチ、と骨サイコロが軋みを上げる。

 

「……ヒッヒ」


 引き笑い。黒い老人の顔に笑みが戻った。

 老人は椀を指差し、


「サイコロ イクツ?」


 と呟く。

 真向かいの男は老人の苦し紛れの言葉を吐き捨てる。

 

「言わないなら負けを認めたって事になるぜ? それでも――」

「盤ノ上 見ロ」


 老人の言う通り、男が遊戯盤上に視線を巡らせる。

 積み木で遊ぶみたいに骨サイコロが積み上げられている。

 不思議な事に、男の記憶と骨サイコロの数が合わない。

 

「数が……」

「サイコロ 何処?

 此処? 其処?」


 老人が言葉と共に椀を指差す。


「お前、サイコロを仕込んだのか……」

「数 指定 ナイ

 増エタ 増エタ 出目 解ル?」

「そんな脅しに意味があるとでも? サイコロの数が増えたからって丁半のルールが変わる訳じゃない。出目の奇数偶数を当てるだけ、シンプルな二択だ」

「デモ オ前 見エナイ」


 余裕のにやけ面で、老人は枯れ枝のような左手を振る。

 彼の言う通り、男は散々見せつけられた。老人の手による早業の数々を。

 男の思考にとある可能性が過る。

 ――こいつは何時増やした?

 ――俺が勝った時は確かに二つだった。手番が回ってサイコロを持った時も二つ。

 ――この椀に入れれるタイミングは……振り下ろしている間だけ。

 思い至った可能性を否定したくとも、今まで老人の早業を見抜けなかった体験が邪魔をする。

 この神様ならやってのけるのではないか、と。そう思うと、もう一つ懸念が生まれる。

 ――サイコロを増やしただけか? 早業で出目を操作されてたら? 

 ――いや、むしろ用意したサイコロが『ゆうか』みたいに自由自在だとしたら?

 ――サイコロ全部がコイツの自由自在なんだったら、出目を好きに出来る。

 

「……」


 先程までの意気軒昂とした様子は消え、男は打って変わって大量の汗をかき始める。勝ちのイメージが薄れてゆく。


「ヒッヒ」

「……」


 丁半を答えろ、と言いたくとも、開いた口から上手く言葉が発せられない。

 顔面蒼白ながら、ぐるぐると頭はフル回転で思考している。

 ――コイツの仕込みは横槍だ。俺の気を反らして、その間に……。

 ――……あの左手で色々出来たのに、しなかった。

 ――だから、横槍がコイツの戦略だと思って、勝算だと思って……。

 

「……ハメられた」


 男は老人の戦略に気付いた。

 早業を何度も見せつけのは印象付ける為、横槍を演出したのは早業の印象を薄れさせる為。全てはこの瞬間に男の心に大ダメージを与える為だけに、性悪な盤外戦略を仕掛けてきたのだ。

 老人の思惑に気付き、男が呆然と対戦相手を見つめた。


「……性悪め。最初から、賭けで勝つ気なんてなかったんだな

 お前、丁半で勝負なんかしてなかった」

「ヒッヒ」


 男の心から勝算の光が失われ、椀を持つ手の力が抜けて、だらんと下がる。

 彼の左足首に黒い靄が手の形となって這う。首にも這う感覚がある。

 だが、抵抗する気力さえ男から失われていた。

 完全なる戦意喪失のまま、男は負けを認めてしまった代償を支払う事になる。

 その筈だった。

 

______________________


《真の横槍 誠の闖入者》


 勝敗が決した賭場。車の外。

 振り上げられた小さく赤いハンマーが、運転席側の窓ガラスに振り下ろされる。

 今度は老人の幻ではなく、本物のハンマー。

 ガラスが破られ、黒い靄に絡まれる宅配スタッフの男を、ガラスを割った張本人――スーツ姿の男が引っ張り出す。

 スーツの男が失意の宅配スタッフを抱えてコンクリの地面に倒れ込む。

 サングラスをかけた顔を上げ、背後の人物を呼ぶ。


「マサミちゃん、出番だよ」

「――名前で呼ぶな、おっさん。気持ち悪い」


 身長は中学生ぐらい。声の若さもそれぐらい。どこかの学校の制服を着た、眼鏡をかけた真面目そうな女の子。貞淑な女学生の見本のようだ。

 しかし、風でなびいた髪の下――右耳にはいくつもピアスが付けてある。

 不機嫌な顔で制服の首元を緩めながら、マサミという名の女の子はわざと男たちをまたいで車に近付く。

 ドア越しに中の黒い老人に宣言する。


「私は盾作正美、()()()だ。黄金鳥の名代として、お前を捕まえに来た。私と勝負しろ、詐偽狸詐偽狸(さぎり)


 女の子の首元には、鳥の羽根のような痣が巻き付いていた。


____________________________________________________________

《下り坂、そして上り坂》


 ドンドコドン ドンドコドン

 シャンシャンシャーン シャンシャンシャーン

 おわれよか おわれよか なれ われ おわれよか

 とっくり ころころ ころりんこ

 竹 に 斧 振り カーン カーン 

 万歳 万歳 突撃だ



 空を重苦しい積乱雲が覆いかける中、B町に続く下り坂を霊柩車に偽装した車が走る。坂道を走る他の車両はない。

 偽装霊柩車の助手席に、狸を捕まえた女子中学生、盾作正美が座っていた。

 両端を通り過ぎる木立、金持ちの家、高級老人ホーム。

 ()()()()()()()()()()()()()。坂道から抜け出せなくなってから、かれこれ六時間が経っている。

 少し腰がズレてきた。姿勢を正すと、お尻の下に固い物がある感触がした。

 感触の正体を探ると、骨のサイコロだ。


「きしょ」


 あの狸が集めていた人間の骨のサイコロコレクションなんだろう。いつの間にこんな所にあったのか。十中八九、()()()()()だ。

 なんてしつこい奴らだ。私が勝ったのに文句があって、まだ諦めていないようだ。

 坂道無限ループも私たちを閉じ込めて、また勝負の場に引きずり込むつもりなんだろう。絶対に乗るもんか。


「狸共め。捨ててやる」

「いくら異空間だからって、タバコのポイ捨てはダメだよ。携帯灰皿なら助手席のボックスに入ってる」

 

 窓から骨サイコロを捨ててやったら、運転席の性悪な男が声を掛けてきた。

 高そうなビジネススーツにサングラスをかけた男。コイツは私に付けられた監視役で、菖蒲という。今回の案件が勝負事だからという理由で、菖蒲という仮名のコイツが割り当てられたらしい。

 私がタバコに火を付けていないのを知っていて、わざと灰皿の事を言ってきた。


「は? ポイ捨てなんてする訳ないでしょ」  

「相変わらず妙な所で優等生だねマサミちゃん。そうだ一本、頂戴よ。今度ジュース奢るからさ」


 足元の学生鞄からタバコを取り出す。銘柄は甘めの味がする奴で、箱から一本取り出す。

 菖蒲に差し出すが、奴が取る前に腕を引っ込めてやる。


「一度も約束守ってない」

「まま、今度は絶対奢るからさ。もう六回もこの坂道を走ってるせいで、ちょっとイライラするんだよね。君好みの甘ったるい物でも、今は目覚ましにはなるんだ」

「……炭酸きつめ、レモンの奴」

「あーはいはい、オッケ」


 取引成立だ。タバコを渡してやる。

 すると、後部座席の宅配スタッフが怪訝な声を上げる。


「……その制服、私立のH中学だろ。あそこは厳しいのに、お前みたいな不良がいるんだな」


 後ろを振り返る。

 後部座席に、骨の無くなった右足をビニール傘で固定した宅配スタッフが横になっている。回収した自分の右足首の骨を手の中で転がしていた。


「好きで吸ってるだけ。文句ある?」

「好きで、ね。なら、隣の怪しい男と危ない遊びやってんのも好きでか?」


 菖蒲が噴き出した。私が妙な誤解をされてるのが面白いのだ。


「勝手な誤解しないでよ。私が逃げ出さない為の、ただの監視役。コイツなんか嫌いだし」

「俺っち、傷付いちゃうな~」

「黙ってて」

「お前らはアレだろ、ああいう化け物の専門家なんだろ」


 男の質問に菖蒲が割って入って答える。


「我が組織は対抗しない、退治しない、排斥しない。されど、徹底的に調査し、可能なら収容し、積極的に利用する。という訳で、専門家じゃない。ただの調査員」

「なら、そっちの嬢ちゃんは?」


 男の視線と交差する。私は滅入ってしまい、視線を逸らした。

 沈黙する私に代わり、菖蒲がまた答える。


「言ったろ。積極的に利用してるのさ」

「……この嬢ちゃんも、あの靄まとった老人と同じような奴って事かよ」

「そうだよ。マサミちゃんは離縁の為に、ああいう化生と対峙しなくちゃいけないの。丁度いいから、サポートも兼ねて俺らの仕事に協力してもらってるよ。

 見ての通り、非協力的だけどね」

「ほーん」


 これ以上、自分を話題にされるのは御免だ。話題を変えてやる。


「そういうアンタは。どうして、あんな場所に居たの?」

「ギャンブルだよ。噂は知ってるだろ」


 賭けで坂道の神に勝てば願いが叶う。

 一部のネットで話題になっていると聞いている。信じられない、こんなバカがホントに居るなんて。


「勝てば願いが叶うなんてウマい話がある訳ないじゃん。大人の癖に、わかるでしょ」

「苦労の割には思春期丸出しだな、嬢ちゃん」

「は? ウザ。わかったみたいに言うな」

「お前はどうだよ、嬢ちゃん。大の大人がギャンブルを求める理由がわかるのか?」


 宅配スタッフの言葉が気に掛かり、横目で後ろを伺う。

 男は私の視線を気にせず、自分の骨をサイコロに見立てて、手の中で転がす。


「同じ時間、同じ道、同じ顔触れ。同じ発見、同じ感想、同じ疲労。

 毎日に刺激が無い。手に入れた物に感動を覚えられない。

 社会に出て半年もすればある日、ソレに気付いちまう。気付いたら、もう無視できない。無味無臭の生活が、まるで独房のように思えてくる」

「それとギャンブルがどう繋がるのよ」

「刺激と変化。失う不安と勝ち越す快感が、日常って奴に手ごろな感動を生んでくれるらしい」


 菖蒲が口を挟む。


「なら、パチンコや闇カジノで満足できるだろう。どうして、眉唾かもしれない神様なんてのに挑もうと思ったのさ」

「人生を変えたいんだ。仕事も恋人も、なんとも思えなくなる。勝つ人生ってのに憧れてる。けど、ギャンブル以外に知らないんだ俺は。

 だから、神様に勝ってみたかった。神様に勝てたなら、これから先の人生でどんな勝負にも勝てそうだろ」


 宅配スタッフはそう言い切った。

 救いようのないギャンブル狂いだ。人生をゲームだと思い、それに勝つ自信を付ける為だけに、命を危険に晒している。


「お前なんか助けなきゃよかった。犠牲者が出たら私の評価が下がるのに」

「保身かよ、良い性格してる嬢ちゃんだよ」


 すると、男が私に聞いて来る。


「嬢ちゃん、ホントにあの老人と勝負したのか?」

「は?」

「このループ。俺には不満を訴えてるみたいに思える。お前、勝負を蔑ろにしたんじゃないのか?」


 男の指摘は正しい。

 数時間前、私は詐偽狸と対峙した。しかし、奴の提示した賭けには乗らなかった。

 私を龍の妻と認識し怯えた詐偽狸の隙を突いて、捕まえてやった。楽な仕事だと思っていたのに、それがこんな無限ループに嵌るなんて。


「だったら何? 相手が用意した賭けなんて、イカサマがあるに決まってるでしょ。そんなの乗る訳ない」

「馬鹿なガキだな」

 

 宅配スタッフは呆れ声でそう言った。その一言で、カッと顔が熱くなる。


「は? もう一度言ってみろ!」

「奴は勝負師だった。勝負の上で負けたなら、悔しかろうが納得したろうさ。

 だが、お前は勝負から逃げて、奴を負かさなかった。このループの原因はお前の、勝負から逃げる臆病さが招いたんだよ」

「このっ!」


 私がタバコの箱を男に投げつけようとしたら、


「また、下りが終わるよ」


 菖蒲が迷宮の切り替わりを告げる。

 避けがたいループの端っこがやってくる。変化に備えなければならない。

 私は恨みがましく宅配スタッフを一睨みし、椅子に座り直した。


 ふと窓の外に、倒れた地蔵が見えた。

 

 直後、車内の全員が身構える。

 車で下り坂を下る時は、身体が少し前に突っ張る感覚があるだろう。下り坂を走る車に乗る私たちも、リアルタイムにそれを感じていた。

 途端、感覚がひっくり返る。身体が後ろに引っ張られる。


 ――気付けば、上り坂を走っている。 


 胸の奥の方の、下辺りがフワッとする感覚が気持ち悪い。内臓が浮いたせいだ。ソワゾワする。


「……っ」

「七回目の上り坂だ。急に変化するから、ジェットコースターみたいだよ」


 これが坂道の無限ループ。下りから上りへ、永遠に終わらないジェットコースター。美術の教科書に載っている、無限ループの水路の騙し絵の中に居るみたいだった。

 宅配スタッフが私を見て、


「勝負に乗るべきだったんだ。奴は怒ってるんだよ、仕切り直しを望んでる。勝負師だもの」

「止めてよ、そんな話聞きたくもない」


 それでも、男は言葉を止めない。


「こんな事やってるのには理由があるんだろ。だったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 神妙な声で男は話す。

 私よりも賢いフリをして、経験豊富なフリをして、勝った気でいやがる。見下して、バカにして、うざったい説教を垂れる。

 何も知らないくせに、押しつけがましい。

 私が助けてやったのに。私が居なきゃ、死んでたバカの癖に。


「……」


 けれど、無視を決め込むしかなくて。

 いつの間にか、手の中でタバコの箱が握り潰されていた。

 車内の重い空気を、ループする道の真ん中に出現した、変化に気付いた菖蒲の声が塗り替える。


「――頂点に、おかしな物があるんだけど」


____________________


《蚊帳吊り、竹伐り、負われ坂》

 

 ドンドコドン ドンドコドン

 シャンシャンシャーン シャンシャンシャーン

 おわれよか おわれよか なれ われ おわれよか

 とっくり ころころ ころりんこ

 竹 に 斧 振り カーン カーン 

 万歳 万歳 突撃だ


 偽装霊柩車は上り坂の頂点――運転席側のガラスが割れた宅配トラックがそのまま放置されている道路――に辿り着いた。

 六回通り過ぎた筈の道の真ん中に、七回目にして、黒い靄の壁が出来ていた。

 調査の為、私と菖蒲が車から降りた。

 菖蒲が壁に近付き、


「黒いし何重にも重なってて、中まで見通せないな。横を迂回すれば、そのまま下り坂には抜けられそうだけど……」


 と言った。

 菖蒲に見えている物と自分の景色に違いがあるので、それを尋ねる。


「ね、何に見えてる? コレ、何?」

「あーそうだったね、君には本質が見えてるんだったね。

 田舎とかじゃよく使うんだけど、蚊帳って奴だよ。マサミちゃんの世代じゃ知らないかもね。田舎とかじゃ夏場に使う、蚊よけの道具だよ」

「ふーん。観た事あるよ、アニメ映画で。あれって、何もない空中に浮かぶ物じゃないよね」

「そりゃね。それで、マサミちゃんには何に見えてるの?」

「黒い靄の絨毯、壁みたいになってる」

「そりゃあ、気持ち悪いね……」


 ちょっと嫌そうに指でつまみ、菖蒲は黒い靄の壁をめくりあげてみる。


「中は先が見えない迷路って感じだね。蚊帳を何重にも重ねてる」

「無限ループの中に迷路? 変な感じ、どういうつもりなんだろ」


 迷宮を調査するのは菖蒲に任せて、なんとなく壁の周辺を歩く。

 壁に沿うように歩くと、コレが四角いドーム状になっているとわかった。自分の眼には、出入口があるように視えない。菖蒲の言葉通り、コレが蚊帳の見た目をしてるなら、使い方も蚊帳と同じだろう。

 四辺のどこを見てもやっぱり黒い靄だ。コレは本物の蚊帳ではなく、蚊帳を装う幻覚なんだ。それが何かの目的で道の真ん中に現れ、鎮座している。

 すると、足が小振りな石を踏んだ。

 足を上げて踏んだ物を確認すると、ソレは骨サイコロだった。車で見付けた物と似ている。

 骨サイコロを拾い、全ての面を視て確認する。車の中で発見した物と同じく、狸の毛が伸びている。毛を追うと、自分の来た方角に伸びている。

 蚊帳や骨サイコロ。コレらが何を意味するのか、今はわからない。

 不意に、宅配スタッフの勝負すべきだったという言葉を思い出す。

 手の中の骨サイコロに視線を落とし、


「……勝ったのは私。もう一度なんて、絶対認めない」


 骨サイコロを隣の林に放り投げる。

 すると、林の中から、獣の鳴き声が聞こえ、次いで逃げ出す事に必死で枝を折っていくような音が遠のいていく。

 

「やりたい奴らだけでやってろ」


 視線を林から感じる。声の主が私を監視している。

 同時に、林から何重にも重なった獣の声が聞こえる。何かを訴えかけるようにも聞こえるし、私を獲物に見立てて追い立てているようにも思えた。

 ――バウッバウッバウッ

 背中に重みが増えるような錯覚まで覚えて、怖気から車に戻ろうと決めた。

 声と視線に後ろ髪を引かれながらも、車の方に戻る。

 

 すると、思いもよらない光景を見た。

 靄の壁の前で菖蒲が地面に座り込み、後頭部を触っている。

 頭から血を流しているし、彼の自慢のサングラスにヒビが入っているのか、しきりにサングラスを気にしていた。

 

「あ~ぁ、高いのに……」

「何があったの?」


 車の方を見ると、後部座席のドアが開いているし、後ろのドアも開いていた。

 もう一人の姿が見えない。嫌な予感がある。

 菖蒲の事をほっぽって車に意識が取られていると、菖蒲が文句を口にする。


「怪我人を無視するの? 薄情だねえ。

 まあ、いいや。彼、いきなり殴り付けてきて、中に入って行っちゃった」

「あの足で歩けたの?」

「不思議な事にどっから持ってきたのか、アンティークな杖を突いてたよ。ターゲットが変化したのかもね。ああ、そういえば殴られる前に、こんなの拾ったよ」


 菖蒲は骨サイコロを見せてきた。

 すぐに気付く。この骨サイコロにも獣の毛が付いており、それが車の方と靄の壁に伸びている。しかも、靄の方に伸びている毛は、これまで見てきた物よりも毛の量が多い。

 何を意味するのか。誘いか、脅威か。

 拾った物の意味を知りたい菖蒲が問いかけてくる。


「どうよ? 君が視て、どう視えてる?」

「見た目は骨、あの男はコレがサイコロだって言ってた。それと、動物の毛がたくさん付いてる。車と壁の方に、壁向きの方が多い」


 視たままの事を伝えると、菖蒲が頷く。


「流石だよ、マサミちゃん。君のお陰で、君の使い方がわかった」

「嫌味? それとも、本心?」

「どっちも。一旦、情報整理のついでに、ウチの組織が掴んでた情報を教えてあげよう」


 菖蒲が胡坐をかく。

 そして、本題に入る前に周囲を怪訝な表情で見回した。私に付いてきた獣の声を気にしているのだろう。

 

「……さっきから『おわれよか、おわれよか』とか、太鼓やシャンシャンって、うるさいよね」

「私には動物の鳴き声にしか聞こえない」

「全部が狸の化かしなの? 調和もありゃしないやかましさなのはそのせいか。何の為の演出なんだろうな」



 坂道には、バックミュージックのように音楽と言葉が響いていた。

 

 ドンドコドン ドンドコドン

 シャンシャンシャーン シャンシャンシャーン

 おわれよか おわれよか なれ われ おわれよか

 とっくり ころころ ころりんこ

 竹 に 斧 振り カーン カーン 

 万歳 万歳 突撃だ

 ドンドコドン ドンドコドン

 シャンシャンシャーン シャンシャンシャーン

 おわれよか おわれよか なれ われ おわれよか

 コロコロダンッ コロコロダンッ

 さあさあ 丁か 半か さあさあ

 打てよ 打てよ 大博打 

 負けたら 首 吊れ 首 吊れ あほんだら

 骨 くれ 骨 くれ 賽 賽 賽


 この道に居る者には、こんな歌と音が聴こえている。しかし、正美には、ただの獣の声にしか聴こえていない。



 宅配スタッフは蚊帳の迷宮の中に居た。囚われているとも言えた。

 迷宮の中は、天幕のせいで常に薄暗いし、道も一人分ぐらいの幅しかない。

 蚊帳の壁を捲って、迷路に惑わされずに真っ直ぐ進んでいた筈だった。

 三枚目の蚊帳を捲った所で、前後左右の感覚が狂い始めて、遂にはどこから来たかわからなくなった。

 戻る道をなくしても、行く先は明瞭だ。

 アンティークな杖。柄の先端が動物の骨で狸の頭を模し、自分の手になじむ。

 この杖を突いていると、不思議とこの迷宮のどこを目指せばいいかわかった。

 道から逸れると、杖を持つ手がぐっと勝手に進路修正をするのだ。


「俺の勝負はまだ終わってない。人生を変えてやるんだ」


 狸頭の杖がある限り、この迷宮から抜け出せない。

 しかし、迷宮の中が外よりマシだ。

 抜け出しても、外に明るい人生はない。

 勝負の先にしか、新しい未来はない。


 

 男は自分の人生をこう表現する。

 『勝負のない、パッとしない中途半端な人生だ』と。

 受験戦争、学歴至上主義、就職活動、出世戦争。社会に、勝負から逃げる道はない。

 これを考える時、男は思うのだ。

 不運なのは勝ち組でも負け組でもない、勝負できなかった者たちだ。

 勝ち組には進むべき道を選ぶ機会がある。負け組にも進むしかない道で挽回の機会がある。だが、勝負できなかった者たち、成功と失敗を経験できなった者たちはどうだ。

 勝負が無ければ、人生を呪う失敗の苦痛もなく、誇れるような成功もない。

 すると、努力を知らずに育った自分を呪い、鬱屈としたまま、全部世間や受験戦争のせいだと思い込むしか慰めがなくなるのだ。

 自分は。なんとなく、周りに合わせて大学に進み。就職先もなんとなく選んだ。恋人も、なんとなく好きだと思ったかもしれないから。

 すると、どうだ。

 自分は。今の人生に腑に落ちる事がなく、自分のものだと思える事がない。

 ふと、人生を取り戻したくなった。

 誇りと後悔の混じる、誰でもない自分の人生を。

 勝負が必要だ。受験戦争や就職活動の比ではない、負ければそのまま終わってしまうような、人生をまるっと変える大勝負が。

 神との勝負ならうってつけだ。


 杖の導きに従い、賭場に向かう。

 道の途中に、自分のスマホが落ちていた。

 その画面に、なんとなくで付き合っていた恋人からのメッセージ通知が表示されていた。


『あんたは少しも真剣じゃなかったね。それが本当に辛かった』


 古い自分の象徴とも言えるスマホに目もくれず、男は杖の示す先に向かう。


「こんな演出いらないよ。もう、勝負から逃げない。俺はもう一度勝負する」

 

――――――――――――――――――――

《 若者が悩む将来は身近なもの 》


 スマホにメッセージが届いていた。

 車のボンネットにお尻を乗せて、足をブラブラさせながら一つひとつ丁寧に読む。


13:05

『マサミちゃん、今日の晩御飯何が良い? お母さん、スーパーに行ってるので希望があれば教えてください』

13:58

『姉ちゃん。遅くなるよね、例の仕事でしょ? お母さんの方は受験の為の補修って事で誤魔化しとく。まだ進路とか話してなかったんだね、お母さん進学するんだって驚いてたよ』

『そうだ。気を付けて。遂に、学校側で援交してんじゃないかって噂されてるみたい。どっかで黒スーツと一緒に居るの見られたのかもね。ウチのグループで情報操作しとくけど、夏休み明けは大変かも。注意してね』

14:00

『盾作正美さん 最近の勤務が無かった事や連絡が付かないなどの理由の為、当店はあなたとのパート契約を解約する事となりました。誠に残念です。先月分と当月の勤務分の給料は振り込んでおきます。

 ※返信は不要です。』


 無限ループから抜け出せなくなった時間でメッセージは切れている。

 暇だったのもあって、最後までしっかり読んでからスマホをボンネットに置いた。

 怪異まみれの日常から抜け出してまともな現実に戻ったとしても、既にそちら側に染まってしまった自分の行先は一歩先さえ見えない霧の中だ。


「はぁ……何もかんもクソばっか」


 吐き捨てるように言って、自分の両目を手で覆う。


「この眼のせい、コイツが全部悪い」


 忌まわしいこの眼は移植されたもの。

 半年前、私は眼の病気だった。難病で移植する以外に完治する方法がなかったが運良くドナーが見つかった。しかし、そのドナーが龍と契っていた。

 龍との契りは眼を引き継いだ私に受け継がれてしまった。

 怪異が見え、その正体を見抜く眼。

 怪異は見られている事を察知し、この眼を与えた存在を恐れている。

 だから、この眼がある限り私は龍の妻として怪異に狙われ続ける。菖蒲たちの組織とはこの時に知り合った。

 自分のせいで家族に危害が及ばないようにするには組織の保護が要る。組織の言いなりになってでも管理下に入るしかなかった。

 管理され利用される私は中三だってのに、まともに学校ヘ行けなくなったし、バイトもクビになった。


「組織の言う通りに動くしかない」


 わかってると言わんばかりに口にするも、それでも胸にモヤモヤする感情がある。

 スッキリしない気持ちのまま、変化しない昼過ぎの空を見上げる。

 気分転換をしたくなり、ポケットにしまっていたお気に入りのタバコを取り出し、一本抜き取って咥える。

 火を求めてライターをしまっていた反対側のポケットを探ると、


「あれ……無い……」


 もっとポケットの奥に手を突き入れる。

 すると、固い感触が指先に触れる。それを指先でつまみ、固い物を引っ張り出す。

 指に挟まれていたのは詐偽狸の骨サイコロだ。


「……コレでどうやって火着ければいいのよ」

「火、あるよ」


 そう言って、車に寄りかかっていた菖蒲がライターを投げ渡してきたので落とさないように受け取る。

 装飾も模様もないシルバーのライターで使い古されている。オイルを使うタイプ、アメリカの映画でよく見る奴だ。


「君の言う通り、組織の任務を果たすしかない。という訳で、仕事の時間だよ」

「ん。さっきの続き?」

「そ」


 さっきの独り言を聞かれていたのか。乙女の独白を盗み聞くとは不埒な男だ、死ねばいい。

 現実逃避しても仕方ないので、菖蒲と話していた詐偽狸の正体に話しを戻す。


「もう一回、最初から説明して」

「なら、認識合わせから。君が言う狸の詐偽狸は本筋じゃなく、組織が狙いを付けてたのは坂道の神サギリの方だ。俺の任務はそっちの調査が本命で君のターゲットは監視のついでだった訳。ご理解いただけた?」


 ついでと言われると腹立つが、思い返せばコイツの言動で気になる事もあった。車で菖蒲が何度も『狸を視たのか』と聞いてきたのは、本来のターゲットと想定が外れていたからか。


「私の事は二の次だった訳? 中学生一人の命と人生を軽く見すぎだろ」

「今の君は組織の所有物だからね。好きに使われるさ。ちなみにサギリの候補地、つまり道はいくつかあった。マサミちゃんの眼を使って一つずつ潰していくのが一番確実で楽だったんだよ」

「人を麻薬取締犬みたいに」

「扱いはモルモット以下だよ。組織的には、君が離縁の儀式を達成するまで使い潰す気だ。君には積極的に任務へ臨んで、十分貢献してから死んでほしいのさ」


 そう言うと、私への遠慮もなくケラケラ笑う菖蒲。何が面白いのか。

 この男は軽薄な性格だ。他人も自分も例外なく軽い命だと、そう言って憚らない。

 一々言動を気にしていたら、こっちが怒りでどうにかなってしまう。


「……はあ。ホント、クソ。それでサギリって何?」

「境目、道の神の一種。あっちとこっちの境界線を司る日本の神様だよ」


 菖蒲が下り坂と上り坂、両方を指差した。


「この道は昔、関所だった。A町とB町、その境目。こういう場所にはよく道祖神とか立ってるんだ、お地蔵様って奴」

 

 そういえば、坂道のどこかで倒れた地蔵を視た気がする。


「それで正体を知って何? 無限ループから抜け出せる訳?」

「定石って奴をわかっちゃいないな。ルールを知らなきゃ、攻略法もわからないもんだよ」

「ルールたって、無限ループは詐偽狸のせいでしょ」

「それはないね。この無限ループはサギリの仕業だ」

「どうして、そんな自信満々な訳?」

「俺らの状況がいわゆる神隠し、異界送りって奴だからさ。こういうのは神レベルじゃなきゃできない。それがルール、理って奴」

「理、ね。それじゃ、お詳しいオカルトマニアに聞くけど、今回のルールは?」

「無限ループ自体は始点と終点が繋がっただけの円環だ。今回はキッカケがルールと見たね」

「キッカケって事は始まった理由って事ね」

「賭けだ。まず間違いなく、君が勝負をしなかったから無限ループが始まった」

「理由は?」

「詐偽狸だよ。アイツが坂の神の名を騙ってるなら、そのルールを守ってる筈だ。そうしなきゃ狸自身が坂の神のルールに抵触してしまうからね」

「アイツがわざわざ賭けを仕掛けてくるから賭けがルール? ちょっと強引過ぎない?」


 菖蒲の話に納得できない理由は、坂の神サギリと詐偽狸の力関係が気になるからだ。どちらが上かなど、どうしてわかるのか。視える私にすれば、狸の方が主立っているように思う。

 わかってないと言う様に菖蒲が首を横に振る。

 

「怪異は物理法則を逸脱した現象や存在だが、奴らもシステムの中に存在している。序列というシステムさ。システムの最上位が神と呼ばれる存在でこの絶対のルールだけは不変なんだよ」

「ふ~ん……」


 菖蒲は神が最上位に居る序列をシステムと呼んだ。つまり、あらゆる存在はそういう構造の中にあり、そこから逸脱する事はないという事だ。

 なぜ、そうなのか。それは私が知っても意味が無い。

 理解できないし、納得もそこそこだが飲み込んだ。坂の神が上で狸が下、それが確実ならそれでいい。

 

「じゃあ、坂の神の方のルールを守れば抜けられるの?」

「その通り。けど、甘い」


 確かに甘ったるい匂い、紫煙を吐き出す。私好みの味で、とある知り合いから買い付けてる品だ。


「タバコじゃないよ。君の考えがお子ちゃまだって言ってんだよ」

「急にバカにすんなよオッサン」

「ルールを相手に戦う時は、守るんじゃなくて利用するのが大人の戦い方だぜ」

「はあ?」

「つまり、詐偽狸と勝負して勝てば、脱出も出来るし詐偽狸も手に入れられるって事さ」


 煙を吐き出し目で追う。空なら坂道から抜け出せるかとも思ったが、煙は見えない壁にぶつかって滞留した。自然法則も神の前には無力、これが序列のシステム。

 タバコの灰をポケット灰皿に落としてから不満を吐露する。


「……それ、私がやらなくちゃダメ?」

「君の代わりに誰が居るんだ?」

「アンタとかあの宅配員が何とかしてくれるかも」

「マサミちゃん。組織がやれと言ってる事を断れる立場じゃないよ。刑務所に行けと言われれば、否応なく行くしかない。それが君や俺が立つ、システムなんだよ」


 そう吐き捨てて菖蒲もタバコを吸い始めた。私があげた奴だ。

 彼の言うシステムという言葉に何が込められているかわからないが、私はタバコを指に挟んだまま、次の言葉が浮かばないでいた。

 何となく空をチラリと見る。昼過ぎの重苦しい積乱雲は変わらない。風に流れているようだし、その場でじっとしているようでもある。

 タバコが半分まで燃えて、灰が千切れて落ちた。


「あの宅配員、言ってる事は正しい。自分の意志で勝負しなきゃ、自分の人生とは言えない」

「アンタは自分勝手の塊じゃん」

「型に嵌ってる中でガタガタ揺れてるだけさ。それは無駄な抵抗と呼ぶんだよ」

「……私の居るシステムって?」

「人類の為に怪異や特異を利用し、時には人類を犠牲にしてでも人類を存続させる。そんな思考に慣れ切ったイカレた連中が上に居るシステムで、俺らはそのシステムの末端――捨て駒だ」

「……眼を移植してもらっただけの普通の中三なんだよ。その眼が幽霊とか妖怪とか、そういうのが狙う眼だったなんて夢にも思わなかった」

「で、それが何? 捨て駒だって言ったろ。君には、詐偽狸を捕まるって任務が出てる。やるしか道はないんだよ」

「……」

「その眼がある限り君に普通の人生なんて無い。この任務が終われば次、次が終わればまた次、それが繰り返されるだけ。一生組織の飼い犬だ」

「……いや」

「嫌なら戦えよ。やるしかないんだよ」

「賭けに勝てば、サギリは願いを叶えるの?」

「マサミちゃんにエースが教えてあげよう。ルールは利用するもんだよ」

「そっか……なら、吸い終わったら行くよ」

「コレ」


 菖蒲がライターをフロントに置く。


「灯り代わりに持っていくと良い。気合入れろ、人生を自分の手に取り戻したいならこの任務は正念場だ」


 私は答えずライターを手に取った。

 吸い終えたタバコを捨てて、一人靄の中に突入する。


____________________


《 詐偽狸刑部 》


『狩り、賭け、竹伐り、サイコロ、弓矢、夜、悲鳴、鳴声、鍋、熱気、毛皮、血、トントントーン、丁半、丁半、張った張った、命張った!

 命張った!!

 勝てば生きる、負ければ死ぬ。

 ()()()()()()()()()()

 家を返せ。森を返せ。土地を、金を、命を賭けろ畜生共。

 勝たなきゃクズだ死んでしまえ。負けたお前の尻の毛までむしってやる。

 骰子、丁半、花札、狩り、双六、歌留多。

 ここは賭場、修羅場である』


 博徒は賭場で胡坐をかいて待っていた。

 対戦相手、あの憎むべき龍の妻を、哀れな少女を待っている。

 男は宅配仕事の制服の上に、狸の毛皮をいくつも縫い合わせた羽織を着ている。数枚の狸の毛皮が巻き付いている杖を抱えて、サイコロを手の中で転がし続ける。

 サッと放ったサイコロはピンゾロ。

 モゾモゾと毛皮の一枚が蠢き、やがては千切れて、黒い靄が集まって風船みたいに膨らむ。

 膨らんだ毛皮は一匹の狸となって、ダダっと小屋の外へ駆けていく。狸の子分は蚊帳の外まで行き、少女と共に居た男を殺すだろう。

 ――あの黒眼鏡の男を八つ裂きにしてやる。首でも転がせば、未熟な女子など冷静ではいられまい。乱れた心を掻き乱し、隙を突いて騙して、乳房や尻の軟肉を喰ってやればいい。

 彼は嫌悪に顔をしかめた。

 己の内に渦巻く、己の物ではない憎しみと怒りと泥のような欲望が不快で仕方ない。

 少女を苦しめる気など無い。ましてや、人殺しなど論外だ。

 己の望みは、自分が自分の責任で選んだ人生を生きたいのだ。それが自分を誇れる生き方だと思うから。

 思考にノイズが混じり始める。

 ――その通りだ。あの少女を負かして、殺して、やっと龍の束縛から解放されて生が自由となるのだ。

 ――しからば、次は外の人間共を相手に賭けをするのだ。そして、殺し勝って土地を取り返すのだ。

 違う違う。そうじゃない。それは自分の選ぶ人生の生き方ではない。

 ――所詮、サギリは場でしかない。神なぞ、力あるだけの理に過ぎぬ。勝者はこの詐偽狸刑部よ。この賭場の支配者は我等だ。この土地は我等の物だ。

 ――負けたオマエも、我等の玩具よ。

 妄想は余分だ。必要なのは勝負だ。

 古い自分が死に、新しい自分が生まれるほどの大勝負。

 自分とあの鬱屈した少女に必要なのは勝負なんだ。

 

「待ってるぞ、()()()()()は待ってるぞ」


____________________


《 意気地なしの心に火を灯せ 》

 

 蚊帳の中は森林にだった。

 森の新しいや古いをどう見分けるか知らないが、木の形とか土の柔らかさとか、そして濃い森の匂い、感覚的にこの森が古いと感じる。

 菖蒲のライターを頼りに濃い靄の中を進む私は、少し広い空間に出た。

 ここは靄がマシだ。少し先に木造の時代劇に出てくるような小屋が建っているのが見える。さっきまで周囲にあった現代風建物とはまるで違う。


「私の眼に視えてるって事は――」


 小屋に近付いてそっと触れる。意外だが触れられた。

 湿った木の感触。凄いリアリティだ。

 

「本物だ……!? この森と小屋は本物、詐偽狸の幻覚じゃない」


 獣の鳴き声が聞こえた。ライターを向けると、一匹の狸が居た。

 こちらが気付くのを待っていたみたいに小屋の中に入っていく。

 来い、という事なんだろう。迷うも、瞬時に足を踏み出した。

 かくして、小屋に入った私を待ち構えていたのは例の宅配員。様子が変わった彼は靄を出す毛皮を纏い、狸の毛皮が巻き付いた杖を抱えていた。

 俯いていた男が私の侵入に気付いて顔を上げる。

 

「待ってた、ぞ」


 そう言うと、彼は目の前に敷かれた畳の向かい側を勧めてきた。

 勧めに従い私も座ろうとすると、案内役の狸がお尻の下に潜り込む。

 一瞬避けようとしたが宅配員の男が続きを促すので、そのまま恐るおそるお尻を降ろしていく。

 プシュー

 靄が噴き出して平べったい毛皮になった。座布団という事だろうか。


「ん……」


 居心地は悪い。チリチリする。

 ――あの杖。杖の先の毛皮から毛が四方に伸びてる。

 グリップ部分に巻き付いた毛皮から大樹の根のように四方八方に毛が伸びている。私のポケットにも伸びている。持ってきた骨サイコロに繋がっているんだ。

 私の眼にはもう一つ視えているものがある。毛皮から漏れ出ている靄だ。

 毛皮から伸びる毛の一本いっぽんから黒い靄が溢れ出し、それに敵意を感じる。

 ――間違いない。あの杖が詐偽狸の本体だ! 道と賭場がサギリ、杖が狸の詐偽狸だったんだ!

 私の視線に気付いた男が杖を傍に寄せる。


「欲しけりゃ、くれてやる」

「なら、頂戴よ」

「賭けに勝て。ここは賭場だぞ」

「――殺シテヤルゾ、龍ノ小娘!!」


 唐突に獣の声が混じる音が男の口から発せられる。私の眼には、靄が彼の口を動かしているように見えた。

 驚いていると、男が手で口元を隠した。何度か咳払いし、痰を飲み下すような動きをしてから謝罪してきた。


「邪魔が気になるだろうが賭けに集中しろ。スリリングな命懸けの真剣勝負だ」

「……わかった。何やるの?」

「丁半だ。一人ずつサイコロを振り、出目の奇数偶数を当てるだけ。点数はなし。どちらかの勝ち負けが出るまで続け、引き分けは無し。二人が振り終えたのを1本として、5回続ける。5本勝負だ」


 即興ルールを説明し終えた男が手を開くと、サイコロが握られていた。

 骨サイコロではない。市販のよく見る白いサイコロだ。


「振り手は?」

「イカサマが気になるなら自分でもいい」

「……いいよ。アンタが振ったのを当てる」


 私の同意でゲームが始まる。

 一回戦。

 ゆっくりと手が傾けられてサイコロが落下する。くるくると回って自由落下するソレを、サッと男が椀で隠した。

 ダンッ


「丁か、半か」


 挑戦的な黒々とした眼を向けてくる。

 私は丁半を答える前に筋を通しておきたい。


「私の眼、妖怪の幻覚とか効かないの。狸を使ってイカサマしてたら視えちゃうんだけど、その時はペナルティを要求していいんだよね」

「構わない。真剣勝負だ、互いに備わった全てを用いて戦おう」


 自分なりの礼儀は通した。さっきの振りを見た感じだと、私に手先のイカサマは見抜けそうもない。

 椀に視線を落とす。

 ――だからと言って、コイツの言動を信じない方が良い。ここは詐偽狸のテリトリー、何が起きるか何をされるかわからない。

 

「丁」と答える。

「ヨゥゴザンスネ」


 頷く。

 男の椀を持つ手に力がこもり、開帳。

 五、六の半。


「チッ」

「あまり表に出すな。勝負の時はふてぶてしいぐらいが丁度いい」

「……うるさいな。次はこっちの番」


 サイコロと椀を準備する間、男が口を開いて尋ねてくる。


「少しは勝負師らしい顔になったな」

「……ここには自分の意思で来たから」

「俺はお前に勝つ。新しい人生を生きる」

「残念だけど、アンタもう人間に戻れないよ、私には視えてるの。靄も毛も、アンタの身体の奥深くまで食い込んでる」

「知った事じゃない。どうせ、何も上手くいかない生活だった。未練は捨てた。結果が新しい生なら、それで満足だ」

「上手くいかない人生は全部いらないって事?」

「ああ、そうだ」

「……少しはわかるよ。私も急にこの眼を植え付けられてさ、中三の夏休みにこんな事させられるし、挙句学校に援助交際疑われてるし、バイトもクビ、親のお節介もウザい……何も上手くいかないよ」


 口に出すと腑に落ちてくる。自分はこういう事に、こんな不満を持っていたのか。

 そして、こうも想う。


「けど、()()()()()()()()()。そりゃ、なくなれって思うし、良くなってほしいって叫びたいけど、今ある繋がりが無くなる方が怖い。無くす怖さより、現実の辛さの方がマシだもん」

「やろうか」

「うん」


 サイコロを椀の中に入れてカラコロと転がす。タイミングを見計らって、手首を捻ってひっくり返す。

 

「あっ」

 

 不器用なせいでサイコロが椀から飛び出してしまった。

 サイコロが男の方に転がった。

 男はサイコロを摘まみ上げ、親指で弾いた。

 弾かれたサイコロは見事、寸分たがわず私の手元に返ってきた。


「サイコロを置いて、椀で隠してから椀を振れ。絶対に零れない」

「う、うるさいなっ。ちょっと手元が狂っただけ」


 不服ながら男の言う通りにやってみる。顔が熱い。

 男の指示通りにやると、あんまりサイコロが振られた気がしないけど、とりあえず音を聞く限りは動いたはずだ。

 

「丁か、半か」

「丁」

「えっと……それでいい?」

「ああ」


 四、二の丁。

 一回戦目、彼の勝ち。

 二回戦目。

 彼がサイコロを遊戯盤に置いた。二回戦目、私が先に振る。

 ――5本勝負だからまだ大丈夫。

 気を落ち着けてからサイコロに手を伸ばし、


「ッ!?」


 突然、私の手を彼が掴んだ。

 ――男の手は枯れ枝のように細く黒かった。

 肝を冷やしていると、予想外の右足首の痛みが私を襲う。

 倒れるようにうずくまり痛みに呻きを上げて振り返れば、座布団になっていた筈の狸の首が右足首に牙を立てて噛みついていた。

 薄っぺらい首だけがギョロギョロと敵意むき出して私を睨む。

 ニヤリ、と噛みつく狸が笑った気がした。

 すると、噛みつかれた部分が黒く染まり始めた。


「ぁ、あぁ……!?」


 黒くなった部分の感覚が無い。()()()()()()()()()()()

 途端、杖がガタガタ揺れて、ゲラゲラと下品な大笑いが小屋に響く。


「クヒャヒャ! 右足ヲ貰ッタ貰ッタ! 一回戦目ノ取リ立テダ!!」


 杖に繋がる毛が詐偽狸刑部の笑いに合わせて震えて、歓喜の大合唱となる。

 痛みに涙を流しながら詐偽狸刑部を睨みつける。


「っ、勝負を邪魔する気ッ?!」

「取リ立テダ! モットモット! 高鳴ル勝負ヲシヨウ!」


 宣言の後、詐偽狸刑部が杖を振る。

 杖から伸びた毛が寄り集まり、糸を編み何かの形をとり始める。

 まず狸の形をした張り型が数匹出来上がる。

 次に詐偽狸刑部の両隣りに狸頭の人型が編まれてゆく。首だけ狸、身体は人間の奇妙な出で立ち。古めかしい着物で着飾り、一体が椀とサイコロを持った。

 両方の編みぐるみの尻尾から毛が伸び、杖に繋がっている。操り人形の操り糸のようだ。

 出来上がった編みぐるみ全てに靄が入り込み、肉の代わりを得て動き出す。

 右側の椀とサイコロを持った編みぐるみが喋り出す。


「ツボ振リヲ務メヤス」

「中盆ヲ務メヤス」と左側が言う。


 ツボ振りは慣れた動きでサイコロと椀を用意し、勝負の場を整える。

 ――気持ち悪い。

 どれだけ上手に動こうと、人間や動物らしくとも。全てが見せかけの生きた動きで、それがおぞましい。

 狸共が牙を剥き出し、囲むようににじり寄った。

 こいつらは取り立て役だ。負ければ、右足の奴のように噛みつき取り立てる。

 宅配の男が言っていたが、詐偽狸は勝負に負けた相手の四肢の骨を奪ったらしい。その時はマジックのように抜き取ったらしいが、この空間では噛みつき黒く冒す事で機能を奪うらしい。

 

「自然之掟ハ生カ死カ。此レハ生存ヲ賭ケタ真剣勝負ダァ」

「なら、お前も賭けるんだな!?」


 正直、痛みと恐怖に叫び出したい気持ちだ。だが、殺し合いの勝負になれば、正体が視えるだけの私は無力だ。絶対に弱さを気取られないよう、気丈に努めるしかない。

 気丈さを崩すな、あくまでふてぶてしくだ。

 詐偽狸刑部が杖を伸ばし、這いつくばる私の顎を上げる。


「命ハ最後。残リ4回デ、龍之妻ガ勝テバ生キ残ル。負ケレバ、我等ハ真二封印カラ解放サレ、鬼畜共カラ奪イ返ス復讐ガ始マル」

「お前の事情なんか知るか、クソ狸。右足のツケは払ってもらうからなっ」

「ヒヒ! 次次ィィ!!」


 奇怪な笑い声で、二回戦目の勝負が再開される。

 ツボ振りが椀とサイコロを構える。

 中盆が、


「ハイ、ツボ」

「ハイ、ツボ被リマス」とサイコロを入れた椀が遊戯盤に伏せられた。

 

 素早く三回、椀が振られた。中でカラコロとサイコロが転がる音がする。

 改めて中盆が勝負のルールを説明する。


「コマ無シ、出目ノ丁半ヲ当テル勝負デゴザンス。丁半ヲ当テタ総数デ勝敗ヲ決メマス。必然、寺ハ無シ。賭ケ金ハ龍之妻ノ命ト親分之命、御両人共命ヲ賭ケル、ヨウゴザンスネヨウゴザンスネ!?」

「鉄火場鉄火場、勝ッテルカナ? 勝ッテルカナ?」


 詐偽狸刑部が私を挑発する。

 何て理不尽な勝負だ。詐偽狸刑部に命なんてものはない。そもそも、正体は杖で坂道の神サギリの陰に隠れているコイツを殺しても解決しない。

 つまり、私だけが命という重いリスクを負う。

 しかも、この勝負の場をセッティングしたのは詐偽狸刑部だ。横の進行役もツボ振り役も、コイツによって操られる仕込みじゃないか。

 その上でコイツはあえて、怖気づかせる為だけに、私に勝負に乗るか聞いている。


「……舐めやがってっ。ああ、乗ってやる!」


 今、心に火が灯った。

 私の心に灯った火は離縁の為でも任務への使命感でもない。

 ――このクソ畜生、絶対負かしてやる!!

 自分でも意外なほど、負けず嫌いな理由だった。

 龍之妻と詐偽狸刑部の丁半賭博、最終局面が始まる。


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《 燃えろ 》


 詐偽狸刑部が表に出てきた事で賭場の状況も変化した。

 詐偽狸刑部の挑発や取り立てで小屋から意識を削がれた正美は気付かなかったが、密室にされてしまったのだ。

 杖から伸びる獣の毛が小屋全体に張り巡らされて出入口を塞ぎ、毛から染み出す靄が遊戯場周囲に蔓延し視界を奪った。今や正美の眼では、遊戯盤以外の小屋の景色は毛と靄でまるで視えない状態だろう。

 龍之妻である正美の眼の特性を詐偽狸刑部は理解していた。

 彼女の足を最初に狙う事で逃げ足を奪い、毛と靄で二重に結界を張り、更には正美を煽って精神的にも追い込んだ。

 少女の様子に詐偽狸刑部は内心でほくそ笑む。

 今の小娘は勝負に熱中し死線を越えてしまったのだ、と。

 この小屋に誘い込んだ時点で己の掌の上に居るも同然。

 詐偽狸刑部は勝利の天秤が自分の側に傾いている事を確信し、小娘をいかにして惨たらしく追い詰め、絶望させてから全てを奪うかを考え、にやけ面を押し殺すのに必死だった。



 二回戦目。

 右足を狸に噛みつかれたまま座り直し、子分たちを見やる。

 既にサイコロを振り終えたツボ振りは椀を押さえた姿勢のまま中盆の指示を待っている。中盆も詐偽狸刑部が指示を出さない限り動かない。


「……クヒ。デハ、我等ノ手番」


 詐偽狸刑部の宣言を皮切りにして子分たちが動く。

 ツボ振りが椀から手を離して両手を見えるように上げる。中盆が詐偽狸刑部に、


「デハ、丁カ半カ」

「クッヒヒ、丁」

「ヨウゴザンスネ」


 詐偽狸刑部の頷き。ツボ振りが椀の底を握り、開帳。

 四、三の半。外れだ。

 

「クッヒヒ! 危ウイナア危ウイナア?」

「さっさとやって」

「デハ、次ノ手番ハ龍之妻」


 煽って来るクソ狸は無視して中盆にそう言うと、中盆がツボ振りに目線を送る。

 ――けっ、一々リアルな動きをさせやがる。

 ツボ振りがサイコロごと椀を遊戯盤にひっくり返し、2,3回振る。


「サア、丁カ半カ」

「丁よ」

「ヨウゴザンスネ。……デハ!」


 四、四の丁。ゾロ目で当たりだ。

 私の初勝ち星。


「よしっ」

「ヨカッタナア~」と精神を逆撫でるような声で言う詐偽狸刑部。

「調子こいてろ、こっから巻き返してやる」

「二回戦、勝者ハ龍之妻。現時点デノ勝チ星ハ、両者1・1デ同点。

 続イテ三回戦目!」

「待った!」


 そのまま次の勝負に移ろうとした中盆を制する。

 私は詐偽狸刑部を睨みつけた。


「勝ったのは私だ。今度はお前が支払え」

「……イイダロウ」


 そう言うと、詐偽狸刑部は杖の中程を逆手で持つ。

 ――石突を胸に当てて、何をする気だ?

 すると、躊躇なく杖で己の胸を貫いた。

 口から血を吹き出し、胸からも真っ赤な血が飛び散る。


「は……?」


 ゴポゴポと血を吹き出しながら、されど詐偽狸刑部は平然と喋る。


「コレデ、コノ男ハ死ンダ。オマエ二支払ッタゾ」


 さも当然と言わんばかりに、私のせいだと責め立てるように。

 詐偽狸刑部が胸に突き刺さった杖を引き抜く。先っぽは血に塗れ、それを絵具にして遊戯盤に狸の画を描く。

 私は必死に冷静さを取り戻そうと考える。

 既に宅配員は詐偽狸に囚われていたらしい。恐らく老人だった詐偽狸との勝負に負けたせいだ。彼の生死に関わらず、身体は奴の物になっていたのだ。

 そう頭では理解しても、今見た人が死ぬ光景と奴の言葉が頭から離れない。

 血。真っ赤さっきまで喋ってた私のせい、血血、真っ赤でネバッとして血。

 ふと気付く。

 ――初め彼の意識を自由にしていたのは、この瞬間私を揺さぶる為……。


「お前っ……!」

「ギャハギャハ!! オマエノ責ダナァ?!」


 ぐちゃぐちゃと傷口を弄くり回し、その度に大量の血を吐き出す口で私を責めて大笑いする。

 コレも私を動揺させ追い詰める為の作戦だ。罪悪感に付け込もうとしてる。

 ――クソクソクソ……!

 ――助けれるなんて思ってない! だから、最初に言った!

 ――それでも、《《堪えるッ》》。

 一瞬で心も頭も落ち着かない、心臓の音がうるさい。

 宅配員の頭が狸の毛皮で隠れた。


「サ、次ヲ初メヨウ」


 ツボ振りが動く。


「三回戦目、手番ハ詐偽狸刑部。サア、丁カ半カ」

「半」

「二、六の丁」

「ウムゥ、死ヌト調子ガ悪イナァ?」

「はぁ……はぁ……」

「ン? 如何シタ? 次ハオマエノ番ダ」

「デハ」

「! ま、待って――」


 私の返事を待たずにツボ振りがサイコロを隠した。


「サア、丁カ半カ」

「はぁ……はぁ……」


 頭がまともに動かない。息が苦しい。

 さらに追い打ちが掛かる。


「ゴホォ……ぁ、あ? なんで、胸に穴……」


 詐偽狸刑部に乗っ取られていた筈の宅配員の意識が、声が。

 彼は自分の身に起きた事態を理解できない様子で、何度も胸を見下ろしては血を触る。そして、疑問と恨みがこもった眼で私を見た。


「俺……穴……お前が?」

「っ。うるさいぞ、詐偽狸!」

「思い出した……お前……俺を……殺したんだな……」

「おい、詐偽狸! 聞いてるんだろ、おい!」


 胸の穴は向こうが見えて血が流れ続けている。幻覚じゃない。本物の血が流れ出している。彼はもう助からないし、普通ではこんな風に喋れる状態じゃない。だから、コレは詐偽狸刑部の悪趣味なダメ押しの演出だ。

 罪悪感。それを刺激する作戦だ。

 

「龍之妻、オ早ク」さらに中盆が急かしてくる。

「ま、待って!? 今答えるから――」

「……助けて……死にたくない……」


 亡霊の声がうるさい。とことん邪魔してくる腹積もりだ。

 ――精神的に追い詰められてる……!

 嫌でも息苦しくなるし、中盆の催促も亡霊の虚言も耳にこびり付く。

 どっちだ。奇数か、偶数か。どっち。

 ――……血。彼の血が遊戯盤にまで赤を広げ。意外と、さらっとしているようでねばっとしている。他人の大量出血なんて初めて見た。


「ぅ……!?」


 込み上げる何かを無理やり飲み下さなければならない。


「オ早クオ早ク」

「死……死ぬのは……嫌だ……」


 催促が頻繁になる。周囲の狸共も距離を詰めてきた。

 負けて右足の自由を奪われた。時間切れの罰で何をされるかわかったものじゃない。クソッ。


「半! 半っ!」


 やけくそ気味に叫ぶ。

 ツボ振りに開帳されたサイコロの出目は、

 ――五、一の丁。外れてしまった。

 運の勝負ではあるが、私は今の瞬間、心で負けていた。

 悔しい。詐偽狸刑部の術中にまんまとはまってしまったのだ。

 

「クッ……ソ……」


 感情のこもった言葉を噛み締めて、己の不甲斐なさに怒るあまり拳を固くする。

 それを笑う下卑た声。


「クヒヒ、外レタナア?」


 詐偽狸刑部を無視すると、奴はそれでもにやけ面を止めなかった。

 そして、突然、耳を疑う提案をしてきた。


「5本モ要ラナイ。次ヲ決着トシヨウ」

「は?」

「長引カセル必要ナドナイ。長引クホド勝負ハ退屈ニナル。面白クシヨウ」

「……私に有利だって解ってる?」

「クヒヒ、憔悴シタ小娘一人、オマエハ罪之意識ガ拭エナイ! オマエガ負ケテ、我等ハ龍カラ解放サレル。ソシテ、人間トイウ鬼畜ヘノ復讐ガ始マルノダ」


 奴の言う通りだ。戦況は同点とは言っても場が詐偽狸刑部に支配され、戦況的にも精神的にも、私の方が不利。罪悪感が心を支配しかけていた。

 宅配員の死から負けの流れが出来つつあった。

 私にも勝負の勘が備わってきたのか、流れの良し悪しが解る。

 悪い流れ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()

 私は座り直す時、少しだけ詐偽狸刑部に近付いた。

 ――負けそうな時ほどふてぶてしく、だ。

 負けん気を込めて宣言してやる。


「お前みたいな害獣が人間様に敵うかよ。盛大に負かしてやる」

「クヒヒ、奪イ尽クシテヤル」


 勝負師が互いに笑みを作り、相手を挑発する。

 どちらにも勝つ為の企てがあり、相手を騙してやろうという意志があった。

 勝つのは少女か狸の怨霊か。

 勝負が次で決まる。


 

 最終戦。

 気を引き締める為、胸に手を当てる。制服の胸ポケットに固い感触。

 ――ここまで来れた、ここが正念場だ。

 ――時間は稼いで状況も作った。後は《《私の運が相手を上回っているか》》だ。

 勝ちに行く覚悟を決めて深呼吸していると、詐偽狸刑部が中盆に提案を始めた。


「次ガ締メノ一戦ダ。互イ二勝チガ一ツ、ナラバ勝負ガ着クマデ続ケヨウ」

「サドンデスって事ね」


 中盆が私の意見を伺ってきたので、私は頷く。

 もう引き延ばす必要はない。後は勝つだけだ。


「デハ、最終戦トナリマス。勝負ガ着クマデ、骰子ハ振ラレマス」


 中盆の説明が終わり、ツボ振りが構える。

 いざサイコロが振られる。その瞬間、


 待った、の声が掛かる。

 

「……」


 声を上げたのは、私だ。

 詐偽狸刑部が怪訝な声を向ける。


「何ノツモリダ?」

「賭け金の上乗せを要求する」

「何?」

「私は命を賭けてるんだ。お前も賭けろ」

「……良カロウ。ナラバ――」

「待って。さっきみたいに宅配員一人程度の命を賭けられたんじゃ釣り合わない」

「ナラバ――」

「決めてるよ」

「……サッサト――」

「うるさいな、今言う所だったでしょ」

「ッ、ナラバ早ク言エ!!」

「気の早い奴だなぁ。簡単だよ、サギリにお前をくれって要求する」

「! 小娘、気付イテ――」

「あったり前でしょ。私、龍之妻よ? お前の正体を見抜く眼を持ってるのよ?」


 何度も言葉を潰されて詐偽狸刑部にも怒りが溜まっている。


「又、我等カラ土地ヲ奪ウ気カ、鬼畜メ!」

「ああ、そうだ! お前から自由も復讐も、魂も奪ってやる!」

「ググギィ、我等カラ奪ウナゾ許サンゾ小娘ェ!」


 詐偽狸刑部が杖を振り上げ、子分共が牙を剥きだして飛び掛かろうとする。


「殺したきゃ殺してみなよ。そんな事したら勝負を放棄したってサギリに想われるよ?!」

「グゥッ!?」


 狸共の動きが止まった。

 坂道の神サギリの性質なんざ知らない。詐偽狸がサギリを恐れているかどうもわからない。

 力関係を菖蒲に聞いていただけ、そこから推測したハッタリだったが上手くいったようだ。

 ――最後だ。いくらでも危ない橋を渡ってやる。

 詐偽狸刑部はわずかばかりの逡巡の後、


「……良カロウ。オマエノ誘イ二乗ッテヤロウ」


 詐偽狸刑部は杖をくるくると振り回し始めた。

 私を取り囲んでいた子分共や視界を奪っていた毛が杖に巻き取られていく。最終的には私の右足に噛みつく狸と、中盆とツボ振りだけを残して、杖に毛皮が巻き付いた。

 周囲を見回すと、まだ外に伸びている毛がある。靄の外に何か仕込んでいる。


「モウ必要ナカロウ。必要ナノハ、コレダ」


 杖の毛皮が杖全体を覆い隠したと思えば、ぬるりと冷たい刀身が露わになった。日本刀だ。私に視えているから本物だ。


「デタラメもいいとこでしょ」

「元ガ仕込ミダ。我等ガ勝テバ、首ヲ落トシテヤル」

「……私が勝ったら、それを叩き折ってやる」


 少女の心に灯した勝負師の火が鋭利になり純度を高めていく。

 負けたくないから勝ちたい、そして、ただ勝つに。

 それは覚悟と集中力という形で現れる。

 心の騒がしさは遠く消えて自分の心音さえも聞こえない。感覚は全て遊戯盤に向けられている。

 最終戦が始まった。

 改めて中盆が声を上げる。


「手番ハ詐偽狸刑部カラ。デハ」


 ツボ振りがサイコロを振った。

 カラコロ――


 詐偽狸刑部は不審に思い奥の手を使うか考えていた。

 この局面でイカサマを使うべきか、と。

 戦局で有利なのは己である。龍之妻――小娘を追い詰める事は出来ている。

 彼の者は龍の呪いで魔の本性を見抜ける。我等が得意の幻覚や化かしは効かない。周囲に別の人間が居るのであればそちらを脅かし、小娘の精神を摩耗させる事もできたであろうが。

 故に小娘相手では、演技と言葉で精神を揺さぶり疲弊させねばならなかった。

 小娘に罪悪感を植え付ける為に飛脚の男を取り込み、あえて身体と意識を残して序盤を戦わせた。

 人間をよく理解している。人間は群れの仲間以外であろうとも、多少の縁があれば警戒心が下がり、余計な感傷を抱く生き物だ。良縁悪縁問わず、縁が人間同士を縛るはずだ。

 自信はあった。そして、成功した。

 そう思っていたのだが――

 

 この局面で、小娘は精神的動揺を乗り越えた。

 

 精神的動揺は勝負に大きな影響がある。正常な判断というのはとても繊細な精神の均衡の上に成り立つからだ。判断を誤れば、それが致命傷となる事だってある。

 自然で生きる我等は咄嗟の判断を円滑にする為、普段から己の臭いがする場所を通り己だけの道を作る。生存競争には判断の簡素化が生存に必要なのだ。

 小娘にそれが出来ているとは思わない。


 ――だが、精神的動揺を乗り越えた上に賭け金の上乗せ?


 小娘の言動は明らかに我等を追い詰めようとしている。

 その不屈なる精神を知っている。

 時に己の命すら捨て札にして、獲物の喉笛に噛みつこうとする獰猛さ。

 かつて我等が得たモノと同じ《《獲物を獲る勝負師の精神性》》。

 ――信じられん。この短時間で小娘にそれが備わった?

 飛脚の男の影響か? それとも、もう一人の男か?

 原因がどうあれ、今の小娘は危険だ。何をしでかすかわからない。

 イカサマを使う。外の男を殺しに向かわせた子分も居る。まだ、有利な手札と状況を保てている内に勝利を確実にするのだ。

 小娘が盤面に意識を囚われている間にツボ振りに繋がる毛に触れる。

 毛を通じて指示がツボ振りに飛ぶ。

 ツボ振りが椀を持つ手を気付かれないよう素早く左右に振る。こうすることで、サイコロが椀の淵に当たり出目が変化する。

 取り込んだ宅配員の知識も複合し、詐偽狸刑部のイカサマの技術は達人級になっている。幻覚でない為に龍之妻の力は効かない。そして、素人目に見抜けるものではない。

 詐偽狸刑部は内心でほくそ笑みながら、対峙する少女を睨んだ。



 遊戯盤に椀が叩きつけられたのを見ていた。かつてないほど集中しているせいか、一連の動きがゆっくりに見えた。

 微かに椀が動いたような気もするが気のせいだろう。いや、どうでもいい。私の勝ち筋はそれじゃない。

 中盆の声が響く。


「最終戦、詐偽狸刑部ノ手番トナリヤス」

「……クヒヒ、サァドッチダロウナ」

「……」

「ソウダナァ……半ダ」

「ヨウゴザンスネ」

「アア」


 椀が開帳される。

 一、二の半。当たりだ。 

 詐偽狸刑部がクククと高笑いする。


「当タッタナア、次当テネバ負ケルゾ。ンン?」

「……随分と余裕かましてるね」

「クヒヒ!」

「ねえ、お願いがあるんだけど」

「ア?」


 私は胸ポケットから自前のタバコを取り出した。


「タバコ、吸っても良い?」

「……アア」怪訝な顔をしているが、詐偽狸刑部もそれ以上の追及はない。


 私はタバコを咥えて、胸ポケットから骨サイコロのくっついたアンティークなライターを取り出した。

 詐偽狸刑部が骨サイコロに気付き、指差して声を上げた。


「ナンダ、ソレハ……?」意味がわかっていないという声色だ。

「アンタが私にくれた物でしょ? ライターの火を出すとこに毛を巻いたら、ほらストラップってね」


 そう言って、私はライターの蓋を弾くように開けた。


「散々目の前で見せてくれたんだ。毛は全部繋がってるってわかったよ。けど、外からじゃ毛が中まで伸びてるのは視えてたけど、お前に繋がってるか確証がなかったんだ。さっきの杖のパフォーマンス、アレで問題ないって確信できた」


 私はフリントに親指をかけた。


「この距離、毛の仕込みも細工も出来ないこの状況が欲しかった。私とアンタ、根性比べだ!!」

「ナ!?」


 詐偽狸刑部が何かを察して狼狽えた。

 すぐに子分の狸共を作り出し、私に差し向けてくた。同時に中盆とツボ振りも襲い掛かって来た。

 全ての牙や爪が到達する前に、私はフリントホイールを回す。

 火花が散り、骨サイコロに繋がった毛に着火する。


()()()()()()()()!」


 一手遅れて、狸共が噛みついて来る。私は余った腕や足で必死にそれを防御した。

 骨サイコロに繋がった毛を遡って火が杖に向かって奔る。

 中盆やツボ振りが途中で毛を切ろうとするも、あの毛にはたっぷりライターオイルを染み込ませている。火の速度の方が速い。

 

「グゥッ!?」


 詐偽狸刑部が杖を庇い、迫る火をもう一方の手で掴んだ。杖本体に近付くほどオイルは浸透していない。速度が落ちて、掴み消すのを許してしまった。

 だが、拾った骨サイコロは一つではない。

 狸共の牙や爪で腕や脇腹の柔肌を裂かれながらも、別の骨サイコロの毛に火を付けていく。

 最初の一個と同じように毛を通じて杖に迫る火の手。

 それが一本、二本と増えたら。しかも、詐偽狸刑部が仕込んだ骨サイコロの数だけ。二本腕の人間の身体で火を消すにも限界がある。

 

「舐メルナ小娘ェ!!」


 詐偽狸刑部が叫び、中盆とツボ振りが火の通り道となっている毛を噛み切る。火が杖に到達する事はなかった。

 精神的動揺は勝負に大きな影響があり、詐偽狸刑部は正常な判断を失したのだ。

 私には視えている。

 中盆もツボ振りも、見た目は狸頭に人間の身体を持った怪物に見える。だが、正体は毛で編まれた人形である。

 そんな人形で火に触れれば当然、燃える。


「シマッタアアア!?」


 嚙み切った毛の火が、中盆とツボ振りの二体に燃え移る。悲鳴を上げる真似をして苦しむ素振りを見せる二体。

 二体は己の火を消そうと人の真似をして叩くが、それがかえって事態を悪化させる。火を叩いた手に更に燃え移った。

 私を襲っている狸共もぬいぐるみである為に火を恐れない。至近距離で私が火を近付けても、火が燃え移っても、私を襲うように操られているから襲う事を止めない。

 子分共が燃え上がり、それらに繋がっている毛からも火が遡って杖に向かう。

 子分共に繋がる毛から迫る火を前に、詐偽狸刑部が悔しげな呻きを上げる。


「ギギギッギギッ!!?」


 詐偽狸刑部は杖に繋がる毛を束にして掴み、杖の日本刀となった部分で斬る。


「キエエエエエーーーー!!」


 操り糸の無くなった子分共が魂を失くしたように事切れる。

 だが、ただのぬいぐるみとなった子分共の火が今度は小屋に燃え移る。

 私はぬいぐるみの群れから這い出した。左腕と左足は狸共にやられて肉が裂けて、動くだけで激痛が走る。

 なんとか膝立ちとなり、ズタボロになった身体で鬼の形相の詐偽狸刑部と向かい合う。


「どうよ。脅す為の仕込みを逆手に取られた気分は?」

「小娘ェ……勝ッタツモリカ? 同族ヲ殺サセタ罪、支払ッテモラウゾ」

「知るか! もう全部どうでもいい! 自分でもビックリするぐらい、今最高に楽しい! 私、命が懸ったひり付く勝負が大好きみたい!?」


 心が最高潮に高揚し、清涼な泉のように頭が冴えている。初めての体感だ。

 心地良い興奮の力が身体中にみなぎる。今なら何もかもがうまくいきそうだ。

 自分の人生が好転する気配が、音がする。それは心の中から湧き上がる。

 詐偽狸刑部が刀をチラつかせる。怒りに任せて斬りかかるつもりだ。

 それが脅しであると知っている。奴はサギリのルールに縛られているから。

 対して私は、サギリのルールを利用してやる。


「はぁ? バッカじゃない! こんなのただのアクシデント。楽しい賭けを、勝負を続けるわよ。こっちは最初から賭けで勝つつもりなんだからさッ」


 まだ動く右手で遊戯盤のサイコロを掴む。

 

「サドンデスは続いてるぞ! こっからは出目の丁半を宣言してから投げる!」


 そう宣言し、


「半!」四、五の半。

「丁ッ」五、四の半。

「半!」四、四の丁。

「ハ、半ッ」五、四の半。

「丁!」一、六。


 外れた。サイコロの一つは角で立ちクルクルと回っている。まだ動いているが、このまま出目が確定すれば、詐偽狸刑部の勝ちが決まる。


「ハ、ハハァ! 我等ノ勝チダアア!!」


 勝ちを確信した詐偽狸刑部が舞い上がる。

 私はまだサイコロの回転を視ている。心に焦りも不安もない。興奮の心地良さが身体の奥に熱を灯したままだ。

 視えたのだ。彼がイカサマをする瞬間が。

 サイコロが振られる直前、勝負に夢中だった詐偽狸刑部が気付かぬ内に彼の指が触れていた。

 指を当ててサイコロの出目を操作するのは彼が得意とするイカサマだ。

 誰もが存在を忘れて名前を知らぬ路端の石だとしても、暗い靄の中、彼も勝負しているのだった。

 私の振ったサイコロがクルクルと回って、

 ――六の出目が、一の目に変わる。

 ピンゾロの丁。

 勝負は続く。私の心に曇りはない。

 動揺するのは詐偽狸刑部の方だ。


「チ、丁丁丁……!」二、一の半。

「丁!」六、六の丁。


 勝者――盾作正美、六のゾロ目にて決着。

 私は右拳を振り上げた。


「ッ、ああああー!! ハハハハハハ!!」


 人生で初めて勝利の雄叫びを上げた。今最高に気持ちいい。


____________________


〈 サギリのルール――決着 〉


 子分の残骸の火が毛を伝わって、小屋の古木に燃え移る。

 全てが燃え尽きる為に燃え上がった。

 肩で息をする。怪我の痛みもあるけれどをそれ以上に興奮が冷めきらない。

 興奮ではなく悔しさで詐偽狸が盛大に口元をへの字に曲げていた。

 ところで、火に囲まれるとこんなに熱いか。肌が焼けるとは日に焼けるよりも痛い事なんだな。

 勝負の余韻と言うか疲労と言うか、火に囲まれる状況であるが妙に気持ちが落ち着いている。モヤモヤする胸のつかえが無くなって清々しい。

 独り言のつもりで口に出す。


「やりきった。もう何も残ってないよ。何も打てる手が無い」

「……」


 無言のまま、詐偽狸刑部が杖を抱えてドカッと座り込んだ。私も真似して座り込む。と言うより、両足の怪我で正直立つ事もできない。

 気付けば、奴の杖は刀から普通の杖に戻っていた。奴が羽織る大きな毛皮の端がチリチリと燃えている。

 比較的無事な右手でタバコを拾い上げ、手頃な炎で火を着ける。

 咥えて、勝利の一服。


「ふぅー……旨い」


 何となく、今が自分の中でしっくりくる。この眼も組織の任務も、怪異も現実も嫌な事ばかりだが、勝負に勝つ瞬間っていうのは爽快で大好きになった。

 詐偽狸の毛皮が逆立つ。

 唸り声と重なる声で私への怒りを向ける。


「許サヌ、許サヌゾ! 一度ノ敗北デ我等ノ憎シミヲ終ワラセラレルト思ウナ」

「二度だ、二度」

「小娘エ!!」


 叫びと共に詐偽狸刑部が杖を振りかぶり、私を撲殺してやろうと迫る。

 殺意を前にして私は落ち着いていた。結果がなんとなくわかるから。

 次の瞬間、突如、詐偽狸は金縛りにあう。振りかぶった体勢のままピクリともしない。

 私への憎らし気な呻きを漏らし、事態を飲み込めずに動揺している表情を見ると、さらに胸がスカッとした。

 いい気味だから、もっとコイツを悔しがらせよう。


「お前は所詮、この道に染み付いた悪意に過ぎないんだろ。あくまで主体はサギリという名の坂道の神様で、お前の詐偽狸って名は騙りなんだろ?」

「グググギギッギッ」

「今更、正体を見抜かれて悔しいの? ざまあみろ、クソ狸」


 大きく息を吸い込む。焦げ臭い、木が燃える匂いが鼻腔をくすぐる。


「道の神はただ有害なだけで善悪なんかない。悪意はお前だ」

「コノ憎シミヲ悪ダト!? 正シイ復讐ダ、鬼畜人間共ガ嗚呼!!」

「だからなんだ、みっともない。お前は勝負に《《二度も負けたんだ》》」

「二度ダァ!?」

「一つは賭けの結果、私の勝ち。そして、もう一つは私が仕掛けた勝負」

「……」

「火を付けた時、アレは私がサギリを前に宣言したもう一つの勝負だったのさ」


 正直、興奮し過ぎてルールだとか勝ちの条件とか、勝負に必要な事を何も言わなかった気がする。うまくいって良かった。

 それに、最後の正念場が残っている。本当の最後の賭けだ。


「グググ……勝負ガナンダ! 復讐シテヤル、殺シテヤル、奪イ返シテヤル!」


 ――来た。ここが最後の賭けだ。


「まさか……勝負を蔑ろにする気?」

()()()()()()()()()()()()!」


 言葉を発した直後、何かの怒りを買ったみたいに突然、詐偽狸の毛皮が一気に青い炎に燃え上がる。

 叫びを上げ悶える詐偽狸。

 狙い通り、怒り狂った狸の怨霊は道の神の怒りを買った。

 

「邪魔、邪魔ヲスルナ()()()! 嗚呼嗚呼!!?」

「……私は言ったよ、道の神に善悪なんかないって。坂道の神サギリの正体は坂道の賭場なんだもの」


 菖蒲の情報、小屋や森の景色。サギリと詐偽狸は別モノだと、賭けをやる前に確信をもった。

 そして、狸の詐偽狸もルールを利用していると予測を立てた。

 ルールとは、サギリの賭場で勝負する事、そして勝者の望みを叶えて敗者が失くす事。

 詐偽狸が宅配員の骨を抜き取ったり、私の足の自由を奪ったのはこのルールを利用した結果だろう。

 だから、逆に私も利用してやった。

 詐偽狸が用意した賭けに乗り、私からも別の勝負を仕掛けた。それに勝てば、勝った分だけ望みを叶えられる。

 非難の意味を込めて、詐偽狸の企みを指摘する。


「サギリと同じ名前を騙って、化かそうとしてたんでしょ。神様との賭けに勝てば望みが叶う? そもそも、相手が神様じゃない詐偽みたいな話だったじゃない」

「グゥ!?」


 小屋の隙間から木の枝が伸びてきた。

 枝が詐偽狸の毛皮に絡みつき、肉体に食い込む。青い炎で燃えている詐偽狸に触れている筈の木の枝が燃える事はない。

 やっぱり、ルールを侮辱した詐偽狸が殺されそうになっている。

 それは困る。私の任務は捕獲なんだから。

 まあ、いい気味だからもう少し追い込もう。


「サギリこそが賭場を仕切る主であり、お前がそれに便乗しているだけ。

 なら、私はターゲットであるお前に勝つだけいい。後は、賭場の主が裁定を下してくれる筈だから」


 巻き付く枝が詐偽狸の手足を潰す勢いで絞まり、青い炎の勢いが増す。

 そろそろ勝者の特権を発動するタイミングだな。この時の為に二度勝たなくちゃいけなかった。

 

「勝者として望む。詐偽狸を私に頂戴、そして現実に私と菖蒲を帰してもらう」

「ヤ、ヤメロォォォォサギリィィィィ――!!」


 裁定は冷徹に下される。神であるサギリはルールそのものであり、そのルールは勝負に審判を下す事。

 勝てば手に入れ、負ければ失う。

 サギリのルールはコレのみ。

 勝者は望む全てを手に入れる。


 

 気付けば私は、坂道の頂上――下り坂に向かう平坦な道の真ん中で、ボロボロの状態で座り込んでいた。


「……ああ」


 化かされたみたいな気分で周囲を見回す。傍に宅配のトラック。

 そして、


「お? おお、マサミちゃんじゃ~ん」


 ボロボロのスーツ姿の菖蒲が霊柩車の傍でタバコを吸っていた。手には大きなナイフみたいな刃物を持っている。こっちで何があったのやら。

 周囲に気を回すと、どうやら賭場から帰ってきたらしいと理解する。

 すっかり夕方であんなに大きかった雲も怪異の痕跡も消えていた。

 菖蒲が近付いてきて、


「うわ、ボロボロじゃん。派手にやられたね~」

「……もう無理」


 緊張の糸が切れた私は仰向けに倒れる。

 ドサッとコンクリに倒れ込むと後頭部とか痛かった。ちょっとジーンとしてる。

 菖蒲が顔を覗かせた。


「なんかいい顔じゃん」

「勝負が……割と悪くないって思っただけ」

「ふ~ん、それが詐偽狸?」


 菖蒲が指さす先には、いつの間にか握られていた狸の毛皮付きの杖。詐偽狸が持っていた奴だ。そして、その傍にスマホ。私の物じゃない。

 正確な所はわからないが、コレが望んだ報酬という事なんだろう。


「多分ね」

「そっか。お見事、任務完了だ」


 菖蒲がしゃがみ込んで杖とスマホを回収する。

 丁度、夕日が眩しくて菖蒲の表情が視えなかった。


「スマホはあの宅配員のだね。これも収容品になりそうだ。……彼、恋人と別れたばかりみたいだね。メッセージで一度話がしたいって来てる。残念、相手は彼が死んだ事を知る事はないね」

「教えてやれば」

「無理。それが組織のルールだから。それにしても、噛み痕に火傷痕か。まだ若いのにその傷残るよ。女の子なのに可哀そ」


 随分と楽しそうに笑うから中指を立ててやる。

 けど、それが限界だ。力なく腕が落ちる。

 菖蒲はケラケラ笑いながらスマホで連絡を取り始めた。すぐにでも、事後処理に組織の連中が集まって来るだろう。

 怪我の事は任せればいいし、傷痕も後で考えよう。

 息を深く吐き出してから何となく、宅配員の事を思い出す。

 あの宅配員の事は私にはどうしようもない。

 彼は勝負していた。結果に満足してるかは知らないが、少なくとも自分の選んだ人生の結果だと思えている筈だ。

 今の私のように。

 私は全身の疲労感や痛みを感じながら、心を満たす感情を言葉にして吐き出す。


「楽しかった」


ここまでお読みいただきありがとうございます。とっても嬉しいです!

以下、感想となりますので飛ばしていただいても結構です。


まずは興味をもっていただき、ありがとうございます!

そして、お詫びを。

元々前後編に分けるつもりでいたのですが、「何となく一本にしてしまおう」という思い付きでそこそこな長さとなってしまいました…。スマホでご覧の読者には大変だったと思います。お詫びします。

さて、「丁半賭博を書きたいな」ぐらいの思い付きで始まった作品ですが、いい刺激を受ける製作となりました。というのも、実際にサイコロを振って、ランダムに身を任せていたのでマサミちゃんが生きていてよかったと思っております。宅配員の彼は…運が悪かったですね。

そう、サイコロの結果で元主人公だった彼は負けました。ただ、それで終わらせるのもアレだったので、新しく「マサミ」という主人公を作ったんですよね。当初は登場予定ではありませんでしたし、「菖蒲」も後から生えてきました。

過去作から設定を拾ってこねくり回して二人目の主人公になってもらった彼女、お気づきかと思いますが今作品では彼女の過去や眼の設定を語っておりません! 

詐偽狸案件に関して、彼女は乱入者、部外者、イレギュラーという位置づけのつもりです。彼女自身の物語は別にある、と思っていただければ。

ともあれ、彼も彼女も一つの満足できる地点には到達できたと思います。マサミちゃんの方はまた会う機会があるかもしれません。あるといいな。

それでは、長くなりましたがもう一度感謝を。お読みいただいた読者様、場を提供してくださっている小説家になろう様、誠にありがとうございます。またのご縁がありましたら幸いです。

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