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はじめに

 江戸時代に大流行した反動からか、実証主義的史料批判の手法に曝された甲陽軍鑑の評価は近代以降さんざんだった。

「年次比定に誤りが多く、史料的価値が認められない小説である」

 このような烙印を押されたのである。

 

 しかし近年、主に国語学の見知から甲陽軍鑑の再評価が進んだ結果、年次にこそ誤りが認められるものの、戦国時代に使われていた言語が多用されており、他の史料とクロスチェック可能な記述も多くあって、

「当時を生きた人間が、自らの体験と記憶に基づいて記した良質の歴史史料」

 という好意的評価が定着しつつある。


 この、曰く因縁つきの甲陽軍鑑には、天下取りにかける武田信玄の次のような言葉が記されている。


「遠州、三河、美濃、尾張へ発向して、存命の間に天下を取つて都に旗をたて、仏法、王法、神道、諸侍の作法を定め、まつりごとをただしく執行とりおこなはんとの、信玄の望み是なり」


 武田信玄によって、元亀三年(一五七二)十月から翌四年四月にかけて行われた所謂いわゆる「西上作戦」の目的については、近年に至ってもなお


一、上洛を目的とする「上洛説」

二、三遠平定を目的とする「局地戦説」

三、上洛に向けた足固めのため、三遠平定を目的とする「折衷説」

四、信長、家康に対する『三ヶ年之鬱憤』を晴らすことを目的とする「憤激説」


 が併存して、一致を見ない状況である。


 西上作戦の実現可能性については、ことに戦術面、兵站面においては、一書を以てしてもなお語り尽くすことが出来ない深遠にして極めて専門的なテーマであるが、本稿では主に

「武田家の国内事情」

 という面から、武田信玄はどこに目標を置いて西上作戦を挙行したかに迫ることを目的とする。


 なにぶん雑感なので、史料的裏付けに乏しい話も出てくるだろうが、読者諸氏にあっては何とぞ生温かく見守っていただきたいと思う次第である。

 

 なお本稿においては一連の西上作戦については、結論がいずれに帰着しようとも便宜的にこの呼称を使用することとする。

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