久瀬と橘4「自発的にできないこと、貴女に求めること」
退屈していた。
朝起きて、学校に行き、友達と喋り、帰ってお風呂に入り、寝る。毎日それの繰り返し。充実は……、していると思う、多分。頭は悪いけど、学校はそこそこ面白い。十五年生きてきて、今までの人生どうだったかというと、普通。楽しいこともあったし、そこそこの辛いこともあったが、一言で言うなら、平凡だ。それ以上でも以下でもない。私の人生にドラマチックな出来事は起きない。生き別れの兄妹はいないし、伝説の勇者の子孫でもないし、空から女の子が降ってきたりもしない。
毎日が苦しいとか、生き辛いとか、そういうことではない。ただ、どろどろと、頭の中からぬるま湯に少しずつ溶けていくような感覚。何かが起きないかと、期待していた。私の平凡な人生を変える、少しのスパイス。そんなものを待ち望んでいた。
「久瀬っちに必要なもの、それはずばり、恋だね!」
「こ、い~?」
一緒に登校中、素っ頓狂なことを言うのは、巨乳ポニテの遠坂。私の友達だ。高校からの友人で、部活は水泳部。変わったところがない人間なんていない、なんて言うけど、遠坂は突拍子もないことをたまに言う。
「だって、退屈してるんでしょ。だったら、恋だよ。手軽に気軽に、毎日バラ色になるよー」
「いや、しかし、そんなこと言われても」
遠坂の顔を見てみると、さあどうだ! といった自信満々の顔だが、ふと思った疑問をぶつける。
「恋って、自発的にできるものなの?」
一呼吸おいて、遠坂が答える。
「できないよね、普通」
遠坂が肩を落とすようにして笑う。
「気になる人とか、いないの?」
「うーん、気になる人ねー」
クラスの男子、ない。学校の教師、もっとない。芸能人、顔はいいが心動かない。気になる人かー。恋愛ということに限らず、ただ単純に気になる、気にかかる、つい見てしまう人……。
「っあ、あの人」
「! だれだれー?」
「橘さん」
英語の時間、先生がお手製のプリントを配った後、早速授業を進めていく。
「じゃあ、橘さん。今配ったプリントの、左上の英訳をお願い」
橘さんは、頭がいい。テストの点数は知らないけど、授業で当てられた時いつもすらっと答える。だから先生も難しそうな問題はいつも橘さんを当てたりする。
「あい、おーるうぇいず、」
ただスピーキングは苦手っぽい。橘さんもそれを自覚しているのか、英語を話す時は少し顔が赤くなる。可愛いと思う。
*
橘さんは、昼休みはいつも一人でご飯を食べている。大体、パンを一つか二つかじって終わり。その後はずっと本を読んで過ごしている。なんか典型的な文学少女っぽい。ただのイメージだけど。
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橘さんは学校が終わるとすぐに荷物をまとめて家に帰る。部活や同好会には所属してなさそう。詳しくは知らないけど、体弱いって聞いてるから自転車通学ではないと思う。
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以前まで、私と橘さんの間に接点は無かった。私が彼女のことを気になっているだけで、同じ教室にいるだけの、ただのクラスメイト。私は橘さんのことを頭がいいとか、美人とか、そういう表面上のことしか知らない。妹がいるらしいことは知ってるけど。橘さんもそうだろう。私のことを、流石に名前くらいは知っていると思うけど、それ以上のことは知らないと思う。つい最近まで、私と橘さんとの関係はたまーに話したりするくらいのその他大勢だった。
放課後、部活動に入っていない私は、ホームルームが終わった後そのまま帰ろうとしたら、雨が降っていた。下駄箱で靴を履き、鞄の中に用意しておいた折り畳み傘を出す。前、いきなり雨に降られたときに学んで、入れてあったのだ。あってよかったと安堵し、いざ傘を開こうとすると、軒先に人影を見つけた。見慣れた濃紺のブレザーに、絵の具で塗ったような黒髪、端正に整ったその顔立ちを見てみると、
「橘さん」
「ああ、久瀬さん」
橘さんは、手持ち無沙汰のように、ぼおっと立っていた。いつものようにすぐに帰らないことから考えると、多分。
「もしかして、傘無い?」
そう言うと、橘さんはちょっと恥ずかしそうな表情になって、
「また忘れちゃった」
「まあ、朝は晴れてたもんね」
「久瀬さんは傘、持ってるんだね」
「ああ、うん、ちょうど入れてあったの」
手に持った白色の折り畳み傘をさあどうだと見せつける。私も成長しているのだ。橘さんの視線が私の傘に向けられる。
「相合傘、いいかも……」
傘を見ながら、ぼそっと橘さんが呟いた。なにやらちょっと不穏な空気が漂い始め、嫌な予感がする。
「じゃあ私先に帰るね、またあ……」
「傘に入れてってくれないかなっ」
食い気味に、橘さんがお願いしてくる。小柄なのに、大層な威圧感がある。
「いや、まあ別にいいけど……」
いいのだが、少し恥ずかしい。女同士だから、変な噂はされないのだけれど、それとはまたちょっと違う抵抗がある。
「よしっ! 久瀬さんと相合傘、よしっ」
「……テンションたけー」
若干引きつつ傘を広げて、ガッツポーズしてる橘さんの横に立つ。背の高さから、私が傘を持つべきだろう。
「う、うぇへへ、ありがとうね、駅まででいいので」
「電車通学でよかった。私もそうだし、ちょうどいい」
「じゃあ、行こっか」
どちらからともなく、雨の中へ歩き出す。
いつもと少し違う、日常の変化に期待をして。
「ねえ、最近、久瀬さんとよく話すよね」
しばらく歩いたところで、橘さんが口を開く。
「うーん、まあそうなる、かな」
事実、橘さんとの接点が増えている。体育の見学や、雨宿りや。それらを経て、ちょっとずつ、ほんの少しずつ、橘さんのことを考えることが増えた。
「私たちってもう友達だよねっ」
嬉しそうに、少し恥ずかしそうに、橘さんが言う。若干、顔が紅潮しているように見える。
「いや、それは違うと思う」
「なんでっ!?」
それをばっさりと切り捨てた。なんでって言われても。
「うー、まだ距離を縮めるのは早かったかなー。好感度、足りなかったかなー」
しくしくする橘さんを置いておいて、考える。橘さんと私の関係はなんだろう。
友達は、なんだか違う。クラスメイト、では収まらないほど意識している。
退屈していた。繰り返しの毎日に、うんざりしていた。何か人生を変えるものはないかと求めていた。
私が橘さんに求めているもの。橘さんにしてほしいこと。
この日常に、刺激を与えてほしい。少なくとも、橘さんには私の日常を変える何かを感じていた。
私が、橘さんに感じていること、それは。
……好意だろうか。
「そんな訳ないか」
くすっと、自分でも笑ってしまう。そんなありきたりな感情ではない。それを私は認めない。ただ、橘さんとは……、
「とりあえず、これからちょくちょくお世話になるかも」
「? いや、今お世話になってるのはこっちだけど?」
よく分かってなさそうな声を橘さんが出す。
「まあ、じっくり考えていけばいいよね」
橘さんと一緒に、これからも。
退屈な毎日が、変わる予感がしていた。




