第三王子セドリック
クリストファー様と同じように、漫画には名前しか出てこないのが、第三王子ことセドリック殿下だ。
漫画ではヒロインと悪役令嬢と王子たちのゴタゴタから完全に蚊帳の外にいて、たまーに話題にのぼるだけのモブ的な存在の王子で、クリストファー様に3人の王子がいると説明されるまで、完全にその存在を忘れていた。
前世の記憶を取り戻した当初は、お姉様の破滅に関わる王子たちに関してはなんとかしなきゃ……とも思ったが、そもそもが王族。雲の上の存在だ。
頑張ったところで、会える機会すらほぼ無いのだ。私ごときが何か働きかけられる訳はない。
なので、そちらは完全に放置し、とにかく家庭を円満!お姉様の心を健やかに!を目標にやって来たので、私は王室メンバーへの関心が限りなく低かった。
社交の場にも、私はほとんど出てなかったしね。
だから、言われるまで顔が分からなかったのを、責めないで欲しい……。
「あ!あの!離して下さい!」
「ダメー。王子様の命令だよ?……逆らったらダメじゃない?」
そんな話をしながら、セドリック殿下は私の手を引いて、どんどん王宮の奥へ奥へと向かって行く。
……これって、非常にまずいのでは?!
「でも、最愛のイケメンな旦那様がよく知らない人に付いて行くなって言うんで、ダメなんです!」
「いやいや、この国の王子様である僕をよく知らない人扱いってのは、酷くない?……名前も身元も職業も知れ渡ってるはずなんだけどなぁ……。」
た、確かに……!
でも、騙されませんよ!!!
「私が言いたいのは、そーゆー事じゃなくて!殿下の人となりを知らないって事です。」
「うん。だから、これから深く知り合ってこーね!……さ、着いた!これからココが君の職場ですっ!」
セドリック殿下はそう言うと、とてつもなく重厚な作りのドアをバンッと開けた。
そこに広がっていたのは……。
「え。……和室?!」
そこは、西洋風のお城にあるお部屋にはまるでそぐわない、高級旅館にあるような、少しモダンな和洋室だった。
「……ここは僕の私室兼執務室なんだよ。ほらほら、ポリーちゃんも寛いで〜。」
セドリック殿下はそう言うと靴を脱いで小上がりになっている畳に座る。
「えーっと……。」
私も靴を脱いで畳に座る。
……てか畳……懐かしい!!!
「あのさ、ポリーちゃん。キミってもしかして前世の記憶ってのがない?……しかも日本人の。」
「へっ?!……な、何で?!」
「いや、この部屋に入るなり『和室?!』って叫んだじゃん……。てかさ、声かけるちょっと前に鼻うたが聞こえたんだよ。『上を向いて歩こう』って曲だよね、あれ。」
げっ!!!私、鼻うた歌ってなの?!
思い出しただけかと思ってたのに!……なんだかショックだ!!!
いやいや……そういう事じゃないよ。
……『上を向いて歩こう』のメロディを知ってて、こんな部屋に住んでるって事は……つまりセドリック殿下は……。
「……殿下も転生者……。」
「転生者……?あ、そう言う言い方もあるか……。そう、大当たりだよ!僕もその転生者ってヤツなんだ。……ねぇ、ポリーちゃん……キミはどのくらい前世の記憶がある?」
「どれくらい?……え、えっと……?」
「そうだなぁ。前世の名前とか何歳だったかとか、どんな仕事や生活をしてて、どうして死んだかとかだよ。……ポリーちゃんは、『上を向いて歩こう』とか歌ってたし、確かあれって古い歌だよね?……結構な年配だったの?」
……。
「いえ、それが……。実は自分の事に関しては、よく思い出せなくて……。なんとなく、大人だったとは思うんですけど……。」
……そう。
この世界が漫画の世界に酷似している事は思い出したし、漫画のストーリーもある程度は思い出した。
さっきの『上を向いて歩こう』とか、様々な前世の記憶が何かの拍子に甦ってくる事はある。困った時は曖昧に笑って、嫌な事も笑ってスルーする日本人っぽさも滲み出てる。
だけど。
自分自身の事となると、全体的にモヤががっていて、思い出そうとすればするほど、本当に前世なのか、それとも妄想なのか、訳がわからなくなってきてしまうのだ。
だから私は、それを殿下に話した。
「……やっぱり。ポリーちゃんもそうなんだ……。」
「え。じゃあ、殿下も?」
「うん。……だから、僕は……前世というか、この別の世界の記憶ってのそのものが、僕の妄想なのかとも思っていて……。だけどすごくリアルだし……。こうして畳とか作らせてみるとね、すごく細かい部分まで知ってるって分かるんだ。井草ってのを使ってて、編んであるとか、大きさはこんな感じで、縁はこうなってて……とか。そういう知識がいっぱいあって、それが妙に怖くて……。でも、誰にも言えなくて、ずっとモヤモヤして生きてきた。そしたらさっきポリーちゃんが歌っていて……。」
も、もしかして……。
殿下は、この世界が前世にあった漫画を元にした世界だとは知らない???ラノベにありがちな、異世界転生を……知らない???
だとしたら……。
うーん……。不安になるかも……。
私の場合は、漫画の事を思い出すよりも前から、何となくだけどこれは『異世界転生』って奴なんじゃないかなって思っていた。前世で、そういう話が好きで読んでいたって記憶があったから、自分の前世とか知識を酷い妄想癖だとは思わなかったけど……。
もし、それを知らなかったら?
前世は酷い妄想によるSFな世界って事になるかも知れない。この世界じゃありえない未来の機械もいっぱいあるし……。
それは……不安かも。
「殿下。あの……確かに曖昧ですけど、これは前世の記憶で良いんだと思いますよ。妄想ではなくて……。多分ですけど……。」
「本当?!……なら、お願いがあるんだ。まあ、ポリーちゃんに頼みたい仕事だとも言えるんだけど……。あのさ、僕と前世の話をして、答え合わせをして欲しいんだ。」
「……え?」
「何度も言うけど、さっきポリーちゃんが歌ってるのを聞いて、僕は20年来の悩みがスーッと晴れたんだよ。ああ、妄想ではなくて、あれは本当にあれは存在する世界だったのかもってね!……だからさ、ポリーちゃんと話して、あの世界の共通認識を増やしたいんだ。そしたら僕の頭がおかしくないって……安心、できる……だろ?」
そう言って伺うように私を見つめるセドリック殿下はあまりにも心細げで……。
私は思わずコクリと頷いてしまった。
◇
「はぁ?!……第三王子付きのメイドに合格した?!な、な、何でそんな事になるんだよ。お前、洗濯チームの面接に行ったんだよな?!」
屋敷に戻り、クリストファー様に今日の事を報告すると、クリストファー様はムッとした顔でそう言った。
「そ、そーなんですけど……。面接に落ちちゃって困ってたら、声をかけてくださって。」
「おまっ……!お前、またヘラヘラしたのか?!」
……した。したけど、そういうんじゃないんだよ、殿下の場合は……。殿下もヘラヘラしてたしね。
つまり……してないって言ってもいいよね?
「して……ないです。」
「いや、した。絶対にしたよな?……だって、今、目ぇ逸らしたろ?……やましい事があるからだ。」
「やましくないです!クリストファー様の目くらい……逸らさないで見ていられます!」
……ついてるんですけどね、嘘。
だけど転生うんぬんを、クリストファー様には説明できないし、ヘラヘラしてスカウトされたんじゃないのは本当だし!!!
だからこそクリストファー様の目をジーーーッと見つめた。
「……な、なんか顔、近くないか……?……ポリー……。」
「そのくらい、潔白だと言う事です!」
「分かった、分かったから……!……でも、本当にやるのかよ、王子のメイド……?そもそも、お前に勤まるのか?」
クリストファー様は私から目を逸らすと(一瞬、勝った!と思ったのは内緒だ。)顔を曇らせて、そう言った。
「仕事はそんなに難しくなさそうです。殿下の調べ物のお手伝いがメインですから。だから出来るって思うんです。……クリストファー様、お願いします!働きに行かせて下さい!きっとコレはチャンスなんですよ!」
そう言って、クリストファー様にペコッと頭を下げた。
メイド……って事にしてあるけど、実際の仕事内容は、セドリック殿下と前世について、おしゃべりをするだけだ。それに、上手くすれば、お兄さんである第一王子についても、何か聞き出せるかも知れない……。
しかも殿下は私と同じ転生者だ。力になって差し上げたいという気持ちもある。
だから、お願いします!!!
「ダメだ。」
「な、何で???」
「なんか……頼み方に誠意を感じない。……この前みたいな感じでお願いしてみろ。」
……へ?
「この前、けしからん!って怒ったじゃないですか?!」
「!!!……けしからんけど、誠意は感じたんだよ!!!」
……なんじゃそりゃ……?
ま……いいけど。やるけどさ……。
諦めてクリストファー様の足元に座ろうとすると、クリストファー様は慌てジャケットを脱いで、自分の足元に広げた。
「え?」
「汚れるから……。」
「いやいや、そしたらジャケットが汚れるじゃないですか?」
「……じゃあ、妥協案として……お、俺の……膝の上に座れ。」
--は?
「え、ええっ……?」
「膝に座っておねだりしろよ!!!……ガキの頃、親にやったみたいにやるんだよ!!!」
な……なにその、羞恥プレイ。
ポリアンナってば立派な18歳ですよ???
そりゃ、子供の頃はお父様に「お人形さん買って〜?」って甘えておねだりしましたけど……。
「やるんですか……。」
「やるんだ。満足したら許可できる気がする……。」
……。
クリストファー様の目がなんかマジだ。
やるしかないかも知れない。
私は子供の頃を思い出して必死で童心にかえった。
「えっと……。……クリストファーさまぁ、働きに行きたいんですよぉ。お願〜い……ねぇ???」
クリストファー様の膝に座り、両手をその体に回して、頬を胸に擦り付ける。……こんな、感じ……だったろうか……。
--な、なんかこれ、お父様にやった時とは違って、妙にドキドキするんだけど……?!
ふと見上げると、チベットスナギツネみたいな顔になって、凪いでいるクリストファー様と目が合った。
?!?!
自分でやれって言っといて、な、なんで……そんな顔してるの???は、恥ずかしくて死にそうなんだけど…?!
慌てて降りようとすると、ガシッと肩を掴まれた。
えっ???
「……その。満足した。……まぁ、調べるって言ったものの、俺は忙しさにかまけて、何も出来てないし……。分かったよ。とりあえず働きに行ってみたらいい。」
「あ、ありがとうございます!」
「……ただし!!!絶対に浮気するなよ?!俺たちの結婚がいくら真っ白だからって、ダメだからな?!いや、だからこそ絶対にダメなんだからな? !」
「うわっ。クリストファー様っ、ツバがかかりますっ!……そんな真近で怒鳴らないで下さいよ!……私、浮気なんかしません。そもそも、相手は王子様ですよ?!私なんて相手にされませんから……。」
「いやいや、ポリーはオヤジ殺しの媚び媚び娘だし。」
もう!言い方っ!!!
「殿下は若いんですよ!クリストファー様と同い年です。オヤジじゃないから、クリストファー様みたいに媚びたって無効ですよ。」
私がそう言うと、クリストファー様は笑顔のまま「ああ、そうだな。」と言って、何故か掴んだままだった肩をギリギリっと握ってきた。
「痛いですけど?!」
「痛くしてるからな?!」
クリストファー様は……時々よく分からない。