悲しみに暮れて 前編
「にぃに…パパまだおしごとなの?」
父さんの急逝から数日。
葬式等も全て終えて、見せかけの日常が戻ってきた。
幼稚園から帰って凛の世話をするのも俺の仕事だ。
母さんは俺と凛が帰ってすぐに、凛を俺に任せて仕事に行った。
この数日間、夕方になると凛はいつも同じ事を聞いてきていた。
「そうだよ。出張って言ってね、遠いところでお仕事を頑張ってるんだ。」
凛の頭を撫でながらそう答える。
葬儀の日、"死"というものをまだ理解できない凛は、知らない大人達が大勢集まって、重苦しい雰囲気の中で沈黙しているという状況に、落ち着かない様子であった。
しかし、母さんが嘆き悲しみ、普段大人しい姉さんが大粒の涙を流しながら俺に抱きついているのを目にし、本能的な悲しみからか、ワンワン泣いて叫んでいた。
「しゅっちょー……いつかえってくるの?」
「……ちょっと遅くなるかもね。」
「はやくパパにあいたいな。」
凛が俯いてポツリと漏らす。
「……そうだね。」
気を抜くと俺まで泣いてしまいそうなのを堪えながら、優しく頭を撫でた。
「父さんが帰ってくるまで、僕が代わりに凛と遊ぶよ。それでも良いかな?」
「うん、いいよ!りん、にぃにもすきだから!」
「…ありがとう凛。僕も、凛の事が大好きだよ。」
潤む声音を隠すように、俺は凛の頭をかき抱いた。
「ただいま…」
「おかえり姉さん。」
空が暗くなった頃、ランドセルを背負った姉さんが帰ってきた。
元々表情豊かではない姉さんだが、父さんが亡くなってからというもの、一層無表情でいるように見える。
「ユウ……」
姉さんは2年生の終わり頃から俺を"ユウ"と呼ぶようになった。
同じく凛の事も"リン"と呼んでいる。
「お疲れ様。今日の練習はどうだった?」
「いつも通り。」
俺が空手やら英語やらを始めたタイミングで、姉さんも何かを習いたくなったらしく、母さんの知り合いがやっているピアノ教室に通い出した。
姉さんも来年には小学校4年生になる。
あの可愛らしかった幼女が、今では小学生にして綺麗さを備える美少女となっていた。
「そっか……夜ご飯、母さんが作ってくれてるけど食べる?先にお風呂入ってくる?」
「ん……ユウとリンは?」
「まだ食べてないよ。」
「なら、食べる。」
「わかった。凛は疲れたみたいでちょっと寝ちゃってるんだ。起こしてくるから、姉さんは夕食を温めておいてくれる?」
「ん。」
小さく頷く姉さんを背に、俺は部屋でリビングのソファですやすやと寝ている凛を起こしに行った。
「ご馳走様でした。」
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさま。」
姉さんがレンジで温めてくれた料理を、3人で食べた後。
「ふわぁ…んにゅ……」
「凛、まだ寝ちゃ駄目だよ。お風呂入らないと。」
眠そうに欠伸をする凛の頭を撫でた。
「…お皿洗っとくから、入ってきて。」
「良いの、姉さん?」
「母さんにも頼まれてるから。」
「そっか……わかった。凛、一緒にお風呂に入ろっか。」
「いっしょ…はいる!」
パッと目を開き立ち上がる。
またウトウトする前に早く行こう。
「それじゃ凛を入れてくるよ。」
「ん。」
1時間後。
「ふぅ……あ、姉さん。お皿ありがとね。」
風呂から上がって今にも寝落ちしそうな凛を2階の部屋へ連れて行き、寝かしつけてからリビングへ向かうと、食器を洗い終えた姉さんがボーッとテレビを眺めていた。
「……ん、別に良い。」
素っ気ない返事だが、これが姉さんの平常運転。
前まではもう少し話してくれていたのだが…まぁ、これが姉さんにとっては楽なのだろう。
「姉さんも入ったら?」
「ん……」
頷きつつも、チラッと俺を見る。
何かを言おうと口を開いたような気もするが、それもすぐに閉じられた。
しかし、この数年間ずっと一緒にいた俺には、彼女が何か言いたい事があるのだろうとわかった。
「どうしたの?何かあった?」
「ん……何でもない。」
「嘘だよ。」
ズバッと否定する。
「……何で?」
「姉さんの事なら、僕は何でもわかるのさ。」
ドヤ顔でふんぞり返ると、姉さんは目を丸くしてこちらを見ていた。
やがて、気が抜けたように頬を緩める。
「なに、それ……」
「本当だよ。だから姉さんの隠し事だって見抜いちゃうんだ。姉さん、何でも聞くよ。言ってごらん。」
「………でも」
「大丈夫だから。それとも、僕の事が信用できない?」
「それは、ずるい……」
姉さんは音もなく笑い、俯いた。
そして、ポツリと呟く。
「ユウ………お風呂、入らない…?」
"もう入ったから"なんて野暮な事は言わない。
俺は使い慣れたにっこりスマイルで頷いた。