中学2年生 春
「お兄ちゃん早く行くよー!」
「ちょって待って……よし、オッケー。」
洗面所の鏡の前でネクタイを締めていた俺は、玄関から聞こえる凛の声に慌ててブレザーを羽織ってスクールバッグを手に取った。
そして玄関へ行くと、そこにはカッターシャツの上にカーディガンを着た凛がスクールバッグを両手で持って頬を膨らませていた。
「もう、遅いよお兄ちゃん!綺音ちゃん待たせて怒られても知らないからね。」
「ごめんごめん、急にトイレ行きたくなって。」
ちょっとした萌え袖があざとい凛に苦笑しつつそう言った。
いつもは俺が待つ側なのだが、たまにこういう時があると凛は怒ったフリをするのだ。
しかし実は口角が微妙に上がっており、この状況を楽しんでいるのが丸分かりであった。
「よし、行こうか。」
「レッツゴー!」
俺が焦茶の革靴を履いて立ち上がると、凛がピョンッと外へ出た。
それに続いて俺も出て扉を閉め、鍵をかけた。
母さんはもう出勤しているし、姉さんも朝課外の為にいつも俺達より早く出ている。
「今日も良い天気だね!」
「そうだな……まさに春って感じだ。」
中学2年生の春。
俺は毎朝、凛と綺音と3人で登校していた。
登校中。
「優斗、昨日告白されたんでしょ。」
「…何で知ってんの?」
「えー!何それ聞いてないよ!」
綺音の発言に目を丸くしていると、隣の凛が驚いて声を上げた。
「そりゃ…わざわざ言うような事でもないだろ。」
「何だってぇ!?凛は悲しいよ…そんなお兄ちゃんに育てた覚えはないんだからね!」
「俺も凛に育てられた覚えはないなぁ。」
逆に育てた覚えならいくらでもあるけど。
「とにかく!凛に言わないとはどーゆうりょーけんなの!?」
いや、そんな事言われても。
「凛だって告白されても俺に言わないじゃないか。先週、同じクラスの男子から告白されたって聞いたぞ。」
「うっ…そ、それをどこから……」
「ふふふ…俺の情報網を舐めるなよ……」
まぁ、たまたま友達が校舎裏で告白されている場面を窓から見てただけだけどな。
「り、凛は…だって……恥ずかしいし…」
顔を赤らめる凛。
うん、相変わらず可愛い。
ていうかまだ入学して1ヶ月程度しか経っていないのに告白されるとか……我が妹ながら恐ろしい。
とか思ったがよく考えたら姉さんも綺音も入学してすぐに何度か告白されてたし、聞くところによると美緒も既に告白されているらしい。
今更だけど俺の周りモテすぎじゃない?
流石ヒロインだわ。
「…まぁ、優斗にも秘密にしたい事くらいあるでしょ。凛はあまり我儘言っちゃ駄目よ。」
「うぅ…綺音ちゃんのせいさい的な余裕が……」
せいさい?………あぁ、正妻か。
どこでそんな言葉覚えたんだろうか。
凛はアホの子なのに色んな所から雑多な情報を集めてくるからな…困ったもんだ。
「告白されただけで、別に付き合ったんでもないみたいだしね。」
「あんまり知らない人だったしね。」
「良く知ってる人でも優斗は付き合わないじゃない。」
小学校低学年からの知り合いなどから告白される事もあるから、その事を言ってるんだろうな。
でもまぁ、正直俺は守るべきヒロイン以外にそれほど構う余裕はないんだよな。
あと身近なところに魅力的な女性が多すぎるんだよ。
「……それより、凛は学校はどんな感じだ?授業についていけてるか?」
「あ、話そらした。」
「そらしたわね。」
そらしましたが何か。
もう告白云々については良いだろう。
「まぁまぁ…それで、学校はどうだ?」
凛と綺音はジト目で俺を見ていたが、やがて呆れたように溜息を零して口を開いた。
どうやら話題の転換についてお許しをいただいたようだ。
「授業は今のところなんとか……部活の前とかに美緒ちゃんに教えてもらったりしてるけど。」
「美緒は頭も良いみたいだな。凛も負けてられないぞ。」
「わかってるもん!」
腕を組んでそっぽを向く凛を見て苦笑する。
俺は以前は"美緒ちゃん"と呼んでいたが、中学生となったからか、本人から呼び捨てにしてほしいと言われ、"美緒"と呼ぶようになったのだ。
「部活はどう?部員とは仲良くやれてる?」
今度は綺音が凛に聞いた。
凛はにぱっと笑って頷く。
「うん!小学校の時に同じクラブでやってた子もいるし、先輩達も優しいよ!」
凛は中学校に入学後、美緒と共に女子バスケ部に入部していた。
俺のクラスにも女バスの部員がおり、よく凛の話を聞いている。
彼女曰く、明るくて頑張り屋で可愛い後輩、だそうだ。
「……まぁ、少なくとも2年生は凛に優しくするでしょうね。優斗の妹だし。」
綺音がボソッと呟いた。
そういう事もあるのかな……いや、でも凛は元々歳上に可愛がられるタイプだからな。
遅かれ早かれこうなっていただろう。
「美緒も問題なさそうか?」
「美緒ちゃんはもう1年生のリーダーみたいになってるよ。先輩達が部活の事で1年生に連絡する時なんかも、まずは美緒ちゃんに連絡がいくし。」
「へぇ…流石だな。」
「アタシの友達の女バスの子も言ってたわよ。1年生で既に次期部長候補の子がいるって。」
美緒は凄いな。
能天気な凛とはえらい違いだ。
「流石にまだ気が早いだろ……部長候補といえば、綺音もそうじゃないか。」
綺音の場合は候補どころかほぼ内定してるけどな。
「綺音ちゃん、部長になるの!?」
凛がキラキラした目で綺音を見ている。
綺音は珍しく苦笑していた。
「まだわかんないわよ。夏までは先輩達もいるし、あまり早く考えるような事でもないでしょ。」
先輩の手前、今から部長だのなんだのを口に出すのは憚られるか。
周りに気を遣うのが得意な綺音らしいな。
「優斗は結局部活には入らなかったわね。」
「やっぱり2年生からってのは気が引けてな……バイトでもしようかと思ったんだけど……」
「中学生でバイトなんてできないでしょう?」
綺音が首を傾げた。
「基本的にはできないけどね。新聞配達とかなら、保護者の同意をもらって申請すればできるんだよ。」
正直、前世で大人だった時の金銭感覚を持っていると、お小遣いでやりくりするしかない現状は辛かったりする。
服とかもなるべく自分で買いたいしね。
「でも、時間的に夕刊の配達くらいしかできないし、雇ってもらえるところもなかなか無いしね。それは諦めたよ。」
「お金なんてまだ稼ぐ必要ないでしょうに。」
「うーん…そうなんだけどねぇ……」
でもやっぱり働きたいし……完全に前世のクセが残ってるな。
もう転生して14年も経つのに。
「お兄ちゃんはしゃちくさんなの?」
「社畜って…まだ働いてないんだけど。」
中学生で働きたいとか稼ぎたいとか考えてるあたり、社畜の素養は間違いなくあるだろうが。
「……まぁ、金に関してはちょっと考えてる事もあるんだ。」
考えてるというか、母さんに相談中って感じだが。
「へぇ、何しようとしてるの?」
「んー…とりあえずまだ秘密。」
「お兄ちゃん!凛も聞いてないよ!」
「そりゃ、姉さんにも言ってないしね。その内言うよ。」
決まったらね。




