中学1年生 秋
二日おきの予定でしたが、リアルが思いのほか忙しくなった為、三日おきの更新とさせていただきます。
申し訳ございません。
「ちょっとコンビニ行ってくるけど、何かいるか?」
「メロンソーダお願ーい。」
少し早めの夕食を終え、リビングのソファに寝転んでテレビを眺める凛が片手を上げて答えた。
今日は母さんも姉さんも外で食事を済ませてくるとの事だった為、夕食は俺と凛の二人だけだった。
「んじゃ、行ってくるよ。」
「行ってらー。気をつけてねー。」
母さんがいない時はいつもの5割増くらいでだらける凛に苦笑しつつ、俺は家を出た。
家の中だからってダラダラしすぎていると、母さんはプンプン怒るからな。
「あぁ…夜はだいぶ涼しくなってきたな。もう夏も終わりか。」
夏休みは既に明け、暦の上ではとっくに秋となっているこの時期。
昼間はまだ汗ばんだりするが、夜になると結構快適な気温だったりする。
「明日は朝から道場行って……午後は何しようかな。」
明日は土曜日、学校は休みだ。
凛も特に予定なしと言っていたし、久々に二人で遊ぶのも良いかもしれない。
「あ、姉さんと母さんも明日は家にいるんだっけか。道場の帰りにDVDでも借りてきたら誰か観るかな。」
コンビニのレジ袋片手に独り言を呟きながら歩いていると、後方に人の気配を感じてチラッと振り返る。
すると、やや離れたところに俯いてトボトボ歩く綺音の姿が見えた。
薄暗い空に赤い髪が映え、まるで沈みゆく夕日のようだと感じた。
俯いたまま歩く綺音を暫し待ち、俺に気付かず素通りしそうな彼女に声をかけた。
「おーい、綺音。」
「っ!?」
びくっと肩を震わせてこちらを向く。
驚いた猫みたいに目が丸くなっていた。
「ゆ、優斗…?」
「おう、優斗だよ。部活の帰りか?」
「えぇ、そうよ。」
「お疲れ様……なんかあったか?」
「え?」
「落ち込んだ顔してるぞ。」
「べ、別にそんな顔してないわよ。」
「してる。俺にわからないわけないだろ?」
何年一緒にいると思ってる。
「っ………」
綺音が暫し目を剥き、そして悲しげに俯いた。
「教えてくれないか?俺にできる事があれば何でもするし、もしそうでなくても……話を聞くくらいできるぞ。」
「優斗……」
顔を上げた綺音の潤む瞳が俺を見つめる。
そして、彼女は弱々しく頷いた。
「お茶が良いよな。あったかいのと冷たいの、どっちが良い?」
「あったかいの。」
「了解。」
ベンチに座った綺音の答えを聞き、すぐ近くにある自動販売機に向かう。
綺音が好きなあったかい緑茶と同じくあったかいコーヒー缶を買い、ベンチに戻った。
「ほい、どうぞ。」
「ありがと…あ、お金…」
「良いって。それより…乾杯。」
バッグから財布を出そうとする綺音を制し、横に座った。
そしてコーヒー缶を開けて小さく掲げる。
「あ、ありがとう……乾杯。」
綺音は小さいペットボトルの蓋を開け、小さく掲げてコーヒー缶にコツンとぶつけた。
懐かしいな、この感じ。
早く成人して生ビールを飲みたいもんだ。
今はコーヒーで我慢しよう。
「ふぅ……そんで、何があったんだ?部活か?」
「……うん。」
苦味が心地良いコーヒーを一口飲み、隣に座る綺音に問いかけると、彼女も両手で持ったお茶を少しだけ口に含み、小さく頷いた。
「タイムが落ちたりでもしたのか?」
「ううん。むしろ伸びてる。」
小学生の時から調子が悪かったりすると落ち込んでいたからそれかと思ったが、どうやら違うらしい。
調子が良いのに何でこんなに落ち込んでいるんだろう。
「……明日、レギュラー決めのテストをするの。」
首を捻る俺に、綺音がポツリと呟いた。
「レギュラー決め?」
「そう。夏休みで3年の先輩達が引退したから、次の大会に向けてリレーのレギュラーを決めるのよ。」
「それが明日の泳ぎで選ばれるのか。」
「そういう事。」
「……入れそうにないのか?」
でも、タイムは伸びてるって言ってたよな。
と疑問に思って問うと、綺音は首を横に振った。
「今のタイムなら、レギュラー入りは間違いないと思う。」
「なら、何に落ち込んでいるんだよ?」
そう言うと、綺音は暫く黙りこくった。
俺が急かさず静かに待っていると、俯いた綺音の瞳から溢れた雫が、膝上で硬く握りしめた手の甲に落ちた。
「っ……今日…練習が終わって……着替えてすぐに帰ろうとしたんだけど…っ……忘れ物、して…取りに戻ったら……ぅ…2年生の、先輩達が、いて……」
嗚咽を漏らしながら途切れ途切れに話す。
俺は久し振りに見る綺音の泣き顔に、目を見開いた。
「先輩、達が……アタシの…こと…っ……話し、てて……」
悲痛な声に胸が締め付けられるような気がした。
「アタシが……ぅっ…生意気…だって………1年生の、くせにって……」
「そうか……」
大体、なんとなく事情は把握した。
その先輩達とやらは、1年生でレギュラー入り確実の綺音に嫉妬しているのだろう。
うちの中学の水泳部は強豪とは言えない。
その人達は、実力で綺音に劣っている自覚があるのだろうな。
「うちの水泳部って、実力主義的な考え方はないのか?優秀な後輩が先輩を抜くなんて、そんな珍しいもんでもないと思うけど。」
問いかけると、目を擦って涙を拭った綺音が口を開いた。
「んっ……毎年、上の学年の人から選んでる、らしいけど……今年から顧問の先生がかわって…テストをして決めるって……」
「そうだったのか。」
綺音みたいな人間からすると早くから大会に出られるチャンスだが、それ以外からすると後輩にプライドを傷付けられる可能性の出てくるやり方なんだろうな。
まぁ、強豪でもない中学校の部活など、年功序列が当たり前なのかもしれないが。
「それで、先輩達の言葉にショックを受けたんだな。」
「っ……ぅ…うん……だって、アタシ、生意気とか…そんな……ぅぅ……」
これまで綺音はスイミングスクールで泳ぎ続けていた。
本格的に試合に出るようなスクールに通う者は実力主義が当たり前に根付いている。
だからこそ、実力でレギュラーを勝ち取ろうとしているのにこんな風に言われたのがショックだったのだろう。
「アタシ…どうしたら……良いのかな……」
綺音が涙声で呟いた。
「どうしたらって?」
「レギュラー…ならない方が……良いのかな。」
その言葉を否定するのは簡単だった。
そんなの勿体ないとか、逆に相手のプライドを傷つけるとか、そんな言葉でやる気を出させる事はできたのかもしれない。
しかし、俺は自分の気持ちをそんな言葉で誤魔化したくなかった。
「……良いんじゃないか。」
「え……」
綺音が目を丸くする。
「それも解決方法の1つだろ。レギュラーには来年だってなれるんだ。今年1年を捨てれば、先輩達と喧嘩しなくて済むなら、それもアリなんじゃないか?」
「……そう、だよね……」
綺音はどこか落胆したような表情をした。
もしかしたら、俺が彼女の言葉を否定してくれるのを待っていたのかもしれない。
「でも、俺は嫌だ。」
「……え?」
「俺は、綺音が全力で泳ぐ姿を見たい。」
先輩との仲が悪くなるとか、部の空気とか、そんなのは俺にとってはどうでも良い。
ただ俺は、昔からずっと見ていた、これまでひたむきに頑張ってきた綺音がこんなところで諦めるのを見たくないだけなんだ。
「綺音ならきっと大会でも良い成績を残せる。そんな綺音を差し置いて、歳が上ってだけで実力は大した事ない奴らを使うなんて馬鹿げてる。」
「優斗…?」
「綺音は絶対レギュラーになるべきだ。俺の綺音がレギュラー落ちなんてありえない。」
「お、俺のって……」
「綺音、陰でコソコソ後輩を悪く言う奴らなんか気にする必要はない。お前はただ、全力で泳ぐ事だけ考えていれば良いんだ。これまでみたいに。」
「で、でも…アタシの我儘で、部の雰囲気とか悪くしたら……」
「そんなの気にしなくて良い……と言いたいところだけど、綺音は気にするよな。」
「……うん。」
綺音は優しいから。
「…でもきっと、大丈夫だ。」
「え……何で、そう言えるの?」
「最初は選ばれなかった人から嫌な目で見られるかもしれない。でも、大会で良い結果を残せば、後から認められる可能性だって十分にある。ましてや一緒にリレーを組んで協力した人達は、絶対に綺音の味方をしてくれるさ。」
理想論なのかもしれない。
楽観的に考えすぎているのかもしれない。
しかし俺には、絶対に大丈夫だという確信があった。
綺音の周りにはいつだって味方が沢山いた。
今だって、部活の同期達は綺音を支えてくれているようだ。
先輩達も、一緒に頑張ればきっとわかってくれる。
綺音はそういう力を持っているんだ。
誰よりも近くで見てきた俺が、それを保証する。
「大丈夫だ、綺音。信じられないかもしれないけど、これまで通り頑張れば、綺音ならきっと……」
「信じる、よ。」
自分でも上手く話せないけど、ただ大丈夫だという事をわかってほしくて喋っていると、それを遮るように綺音が頷いた。
「何で大丈夫なのか、アタシにはわからないけど……優斗の事は、何よりも信じられるから。だから………優斗の信じる、アタシを信じる。」
その瞳はまだ涙に潤んでいたけれど、力強い光が宿ったように見えた。




