とある夏の日 幼馴染編 後編
夏祭りの公園からやや離れた小高い丘の住宅街。
その一角に、ポツンと佇む小さな祠がある。
広場というほど広くもない小さな空き地にはベンチが1つだけあり、見晴らしが良いのに人はほとんど来ない。
住宅街の少し入り込んだところにあるからだろうと思う。
公園からここまで、普通に歩けば1時間はかかりそうなものだが、俺達はこの数年で様々な抜け道や近道を研究し尽くしており、15分ほどで辿り着く事ができていた。
俺達は毎年、ここで花火を楽しんでいる。
「……何とか間に合ったわね。」
「だね。かき氷も買えたし、良かった良かった。」
浴衣の胸元をパタパタしている綺音を横に見る。
ほらほら、あまりパタパタすると帯が解けるぞ。
もっとやれ。
「ほら綺音、座ろう。」
「そうね……ふぅ。」
ベンチに座って一息ついた綺音。
時間に間に合うよう少し走ったからか、首筋に汗が浮いて子どもらしからぬ色気が醸し出されている。
手で仰ぎながら夜空を見上げる横顔が、少し大人っぽく見えた。
「……ん?どうしたの?」
「…いや、何でもないよ。さぁ、溶けきる前に食べないと。」
買って15分も経っていれば少なからず溶けているが、まだ氷の食感は十分に楽しめるはずだ。
走る為に預かっていたかき氷を渡す。
俺がハワイアンブルー、綺音はイチゴである。
「ありがと……おいしっ」
受け取った綺音は一口含み、笑みを浮かべた。
俺もプラスチックストローで掬い取ったかき氷を食べる。
「おぉ、これこれ。やっぱ夏はかき氷だよね。」
「もう夏も終わりだけれどね。」
綺音が行く夏を惜しむような寂しげな表情を浮かべる。
その気持ちは良くわかる。
俺達にとっては、小学生最後の夏休みだったのだ。
「…優斗、今年の夏は楽しかった?」
「うん、楽しかったよ。家族や友達とも遊んだし、家族旅行にも行けたしね。」
「お土産ありがとね。お父さんもお母さんも喜んでたわ。」
「そりゃ良かった。」
「あと……てまりも、ありがとう。凄く嬉しかったわ。」
頬を染めて気恥ずかしそうに俯く。
そんな可憐な姿に、俺まで恥ずかしくなった。
「喜んでもらえたなら良かったよ。……綺音は、夏休みどうだった?」
「アタシも楽しかったわよ。友達と沢山遊んだし、うちも旅行に行ったもの。」
そういえば朱鷺田家はうちより先に旅行していたな。
確か愛媛に行ったんだったか。
スポーツ用の今治タオルを貰ったな。
空手の大会など、大事な時に使おうと思っている。
「そ、それに……」
「それに?」
「……ゆ、優斗と夏祭りにも…来れたし。」
……モジモジしながら言われるとキツいんだけど。
主に理性が。
「ま、毎年来てるじゃん。」
「そうだけど……」
綺音が拗ねたように口を尖らせる。
いや、今のは俺が悪かった。
そういう事じゃないよな。
「あー……俺も、綺音と花火が見られて嬉しいよ。また来年も来よう。」
「……うん。」
仕方ないなぁ…って感じで微笑んで頷いた。
機嫌が治ったようで良かった。
2人して笑い合う。
恥ずかしいようなもどかしいような、不思議な時間だった。
その時、一筋の光が空に打ち上がる。
「「あっ」」
2人の声が揃う。
次の瞬間、炸裂音と共に空に大輪の花が咲いた。
そして次々と花火が打ち上がっていく。
俺達は、星空を彩る花火を見つめながら、どちらからともなく手を繋いだ。
「……ねぇ、優斗。」
「……ん、何?」
花火も終盤に差し掛かり、派手な光と音が空を包んでいる。
そんな中でも、綺音の透き通った声はよく聞こえた。
「来年から、中学生だね。」
「そうだね。」
何でいまそんな話をするのだろう、とは思わなかった。
ただただ素直に受け取った。
「アタシ達、これからも一緒にいられるかな。」
「当たり前だよ。」
俺が即答したのが意外だったのか、綺音がこちらを向く気配がした。
俺も花火から目を離し、綺音を見た。
「…何で、そう言い切れるの?」
「だって同じ中学じゃん。」
「それはそうだけど……中学で互いに違う部活に入ったりとかしたら、それまで仲良かった人とも話さないようになるって、友達のお姉ちゃんが言ってたわ。」
「それは普通の友達の場合でしょ。俺達は大丈夫だよ。」
「何で?」
「家族ぐるみの付き合いもあるし、姉さんや凛も綺音と仲が良いし、それに……」
「……それに?」
「………俺が、綺音から離れるわけないじゃん。」
視線を花火に戻しながら、俺はそう言った。
隣で綺音も同じように空を見上げる。
「そっか。」
握った手にギュッと力が込められた。
綺音がどんな感情で俺の言葉を受け止めたのかはわからない。
しかし、チラッと横目に盗み見た彼女の横顔は……笑っていた、と思う。
「今日は楽しかったわ。ありがとう優斗。」
「俺こそ楽しかったよ。ありがとな。ご両親にもよろしく。」
花火を見終えた俺は、綺音を家に送り届けていた。
灯りの消えた家の前で向かい合う。
今日は綺音の両親は出掛けていると聞いていた。
どうやらまだ帰っていないらしい。
「次に会うのは新学期かしらね。」
「だね。」
夏休みもあと数日、片手で数えるほどしかない。
互いに予定が入っていたりする為、顔を合わせるのはこれが最後だった。
「えっと…新学期前に、風邪ひくなよ。」
「うん……優斗も、気をつけてね。」
「あぁ……」
また1週間も経たない内に学校で会うというのに、何故こんなにも別れが惜しいのだろう。
しかしずっとここで話しているわけにもいかない。
「………それじゃ、また。」
「うん……それじゃ、ね。」
互いに寂しそうな顔に無理矢理笑みを浮かべ、手を振る。
何でこんなに足が重いんだと思いながら歩き始めると、すぐに後ろから声がかかった。
「優斗っ!」
思わず立ち止まって振り返った瞬間、綺音が正面から飛び込んできた。
驚きつつも受け止める。
「あ、綺音?急にどうしーーー」
何かあったのだろうかと綺音の顔を覗こうとしたその時、綺音が急に顔を上げて寄せた。
唇に柔らかく甘美な感触。
ほのかに香水の香り。
あぁ、香水もしてたんだと思った瞬間、イチゴシロップの味がした。
数秒の後、綺音の顔が離れる。
もう少し、長い睫毛を間近に見ていたかった。
「そ、その、えっと……」
体を離した綺音が顔を真っ赤に染めながらキョロキョロしている。
「綺音……」
「べ、別に変な意味とかないから!ただちょっと……とにかく、また今度ね!バイバイ!!」
早口に捲し立てた後、綺音は返事も聞かずにバタバタと家に入っていった。
俺は暫し呆然として唇に触れる。
「………帰ろ。」
今になってやっと、鼓動が煩いくらいに胸を打ち始めた。




