とある夏の日 家族旅行編 1日目 告白
「……何してる…の?」
胸元を押さえて赤面する母さんと同じく顔を赤く染めて口をパクパクしている俺を見て、眠たげな姉さんが首を傾げた。
俺達は慌てて離れる。
「い、いや何でもないよ!」
「そ、そう、何でもないのよぉ。」
「……?」
「あ、そうだ。もうお皿下げてもらおうか。俺、フロントに電話してくるよ。」
「ありがとぉゆーくん。」
俺と母さんは2人してアタフタしながらもなんとか話をそらしていく。
その様子を不思議そうに眺めていた姉さんだが、やがて忘れたように欠伸をした。
女中さんにお皿を下げてもらった後、3人で温かいお茶を飲んだ。
「姉さん、凛はもう寝た?」
「…ん、ぐっすり。」
「そっか、ありがとね。」
「…ん。」
姉さんはゆっくり頷いた。
その時、頬の赤みも取れてきた母さんが口を手で覆い、可愛らしく欠伸をした。
「ふわぁ……私もそろそろ寝ようかしら。」
「そうだね。俺ももう少ししたら寝るよ。」
「…ん。」
「はぁい。電気消してちょうだいね。おやすみなさぁい。」
「おやすみ母さん。」
「…おやすみ。」
寝所に入る母さんの背を見送った後、眼前で眠たげな半目をしている姉さんを見る。
「……姉さんは寝ないの?」
「ん……ユウ。」
「なに?」
「……散歩、しない?」
「ぇ………良いよ。」
暫し目を丸くした後、俺は頷いた。
夜になっても鳴きしきる虫の音の中、旅館の中庭を姉さんと2人で歩く。
昼間は太陽が焼きついて暑かったが、夜は冷ややかな空気が漂っていて、少し歩くくらいなら汗もかかないだろう。
隣では姉さんが歩きながら、肌を優しく撫でる夜風を感じて目を細めている。
その横顔がいつも以上に大人びていて、思わずドキッとした。
「姉さん…」
「ん?」
「あっ……ごめん、何でもない。」
「…そう。」
何だろうこの雰囲気。
まるでちょっと気になる女の子と2人の帰り道みたいな。
気不味くはないんだけど、ちょっとウズウズするというか。
姉さんと2人で夜道を歩くというのも久々な気がする。
朝昼に歩くのとは随分と違うな。
「急に散歩なんて、どうかしたの?」
「…ん……ユウと…話したかった、から。」
「そ、そっか。」
「…嫌、だった…?」
「まさか!そんなわけないよ!」
「ん……なら、良かった。」
安堵したような姉さんの柔らかい微笑みに気恥ずかしくなり、誤魔化すように今日の話をする。
「今日楽しかったね。」
「…ん。お茶、美味しかった。」
「だね。本格的な抹茶なんて飲む機会なかなかないもんね。」
「…ん。」
「凛もソフトクリーム喜んでたし。」
「…金ピカだった。」
金箔を纏ったソフトクリーム。
見た目のインパクトはなかなかのものだった。
「美術館も面白かったなぁ。行って良かったよ。」
「…なら、良かった。」
「俺は屋上にあった像が好きだったなぁ。」
「…ずっと見てた、ね。」
「気に入ったものってついつい見入っちゃうよね。」
「…ん。」
「姉さんもあの黒い穴をずっと見てたもんね。」
「…ん、面白かった。」
「だね。明日もいっぱい楽しもうね。」
「…ん……ねぇ、ユウ?」
「なに、姉さん?」
「………いつも、ありがとね。」
「えっ……」
急にどうしたんだろう?
「私が…料理とか、あんまりできなくなった、から……ユウが、いっぱい頑張ってる。」
「それは……でも仕方ない事じゃないか。姉さんはピアノを頑張ってて、俺もそれを応援したいんだから。」
「…ん、ありがと。……それに、凛の面倒も…見てくれてる。」
「それこそ俺がしたくてしてる事だよ。まぁ、凛も段々と手がかからなくなってきて、気楽な反面、寂しい気もするけどね。」
「……私は、いつも、助けられてばっかり。」
姉さんの瞳がどこか寂しげに揺れる。
「…そんな事ないよ。」
こんな時、月並みな言葉しか送ってあげられない自分に腹が立つ。
もっとマシな事は言えないのか、と。
「……ユウ。私、何したら、良い?」
「えっ……と?」
「何をしたら、ユウは喜んでくれる?」
「べ、別に何もしなくたって……」
「嫌。」
一言。
淡々と吐かれた言葉。
しかしそこには、確固たる意志が込められていた。
「それは…嫌、なの。」
真剣な表情。
俺は素直に答えた。
「俺は、姉さんが一緒にいてくれれば、それだけで嬉しいよ。」
臭い言葉だと自分でも思う。
でも、それは偽らざる本音であった。
「……嬉しい。けど…何か、してあげたい、の。」
「んぅ……そうは言っても…」
「……ユウは…好きな人……いる?」
「………え?」
唐突な言葉に思わず呆ける。
「好きな…人……いる、の?」
「そ、それは………」
脳裏に数人の女性が思い浮かぶ。
好きかどうかと問われたら好きと答えるが、それは果たして俺が彼女達を愛していると言えるものなのだろうか。
いま目の前にいる姉さん。
彼女は確かにそこに存在していて、手を伸ばせば触れる事もできる。
しかし俺の頭の中にいる"守崎悠"は、目の前の彼女でもあり、画面の中にいた架空の存在でもあるのだ。
それは姉さんに限らず、咲苗や凛、綺音や美緒も同様だった。
俺は間違いなく彼女達が好きだ。
しかしそれは、かつて画面越しに接した彼女達なのか、それともこの世界で実際に触れ合った彼女達なのか。
俺は、頭が真っ白になった。
「もし、ユウに好きな人が、いないなら……」
姉さんはいまにも泣きそうな瞳で俺を見る。
「私を、好きにして……良い、よ?」
世界が、止まったような気がした。
「な、なに言ってるんだよ、姉さん。冗談きついって。」
笑おうとした。
だが、笑えなかった。
「……冗談、じゃない。だってーーー」
夏の夜、煌々とした月が照らす庭で。
「ーーー私、ユウが……好き、だから。」
姉さんは、静かに笑った。




