運動会を終えて
運動会は犠牲になったのだ。
「押忍!倉橋さん、お疲れ様です!」
「おう、優斗。お疲れさん。」
平日の稽古を終えて、帰り支度中の倉橋さんに話しかける。
「改めて、先日はありがとうございました。お陰様で最近は姉も学校に行くのが楽しそうです。」
色々と頭を悩ませる事のあった運動会も、数日前に終わっていた。
姉さんは、倉橋さんの幼馴染である旭さんと二人三脚に出場し、ペアの予定であった高坂とは、今はほとんど接していないそうだ。
逆に旭さんとは仲の良い友達となり、学校でもよく遊んでいるという。
運動会の時に俺も顔を合わせたが、旭さんは明るく社交的なキャラで、その旭さんが味方となった事で虐めも収束したらしい。
「別に気にしなくて良いぞ。俺は何もしてないからな。」
「いえいえ、倉橋さんが協力してくれたから色々とわかったんです。もちろん、旭さんにも本当に感謝しています。」
「堅苦しいっての。まぁ、旭にはそう伝えとくよ。」
気恥ずかしそうに頭をガシガシと掻く。
この仕草がこんなにも似合う小学生がいるだろうか。
道場からの帰り道、家近くのスーパーの前を通った時に、ちょうどそのスーパーから出てきた母さんに会った。
「あれ、ゆーくん?」
「母さん、今日は早かったんだね。」
手に持つ買い物袋を見て言う。
まもなく空が暗くなるかという時間帯。
いつもならもう少し帰りは遅いはずだ。
「ええ、そうなのよ。ちょっと大きな仕事を数日前にやっと終えられたから、暫くはこれくらいに帰れると思うわ。」
「そうなんだ。お仕事お疲れ様。」
「ありがと、ゆーくん。ゆーくんにそう言ってもらえると、疲れなんて吹き飛んじゃうわ。」
母さんが嬉しそうにニコニコと笑う。
「一緒に帰ろ。荷物持つよ。」
「あら、いいわよそんなこと。ゆーくん疲れてるでしょ?」
「母さんだって疲れてるでしょ。俺は大丈夫だから、持たせてよ。」
「う、うーん…でも……」
「良いから良いから。……さぁ、行こう。」
逡巡する母さんから荷物を奪い取る。
「あっ…もう……ふふっ、ありがとね、ゆーくん。」
呆れたように笑った後、また嬉しそうに頬を緩めた。
「最近、学校はどう?楽しい?」
「うん、楽しいよ。」
「綺音ちゃんとは仲良くしてるの?」
「毎日のように遊んでるよ。綺音ちゃんは運動神経が良いから、ボール遊びとか男の子より上手なんだ。」
「へぇ、そうなの。楽しそうで良かったわぁ。」
おっとりと笑う母さんの笑顔が、夕日に映えてドキッとするくらい美しく見えた。
「母さんは?仕事楽しい?」
「楽しいわよ。ゆーくんやはるちゃんがお家の事を手伝ってくれてるお陰で、お母さんはお仕事頑張れてるの。」
「凛もね。」
「あっ…ふふ、そうね。りんちゃんも頑張ってくれてるわね。」
「家族だからね。」
母さんだけが頑張らなくて良い、という気持ちを込めた言葉に、母さんは柔らかく微笑んだ。
「そうね……ゆーくん達がお母さんの子どもでいてくれて、お母さんは幸せ者だわ。」
「俺達だってそうだよ。母さんが母さんでいてくれて幸せ者だし、母さんがいてくれるから家にいても楽しいんだ。」
「あ、あら、そうかしら………ふふふっ、そこまで言われちゃうと、何だか恥ずかしいわね。」
顔を赤くしてはにかむ姿は少し姉さんと似ていて、やはり親子なんだなと感じた。
ちなみに凛は素直にデレデレと照れる為、あまり恥ずかしそうにはにかんだりはしない。
「………ねぇ、ゆーくん?」
「ん、なに?」
「はるちゃんの事、ありがとね。」
「………何の事かな?」
「ふふっ…さぁ、何の事でしょー?」
母さんは、悪戯っぽく笑った。
夜、自室の扉をノックする音がした。
そして溌剌とした声が聞こえる。
「りんです!おにーちゃんいますか?」
「はいはい、いますよ。どうぞー。」
クスクスと笑いながら返事をすると、凛が扉を開けてペコリと一礼した。
「しつれいします!」
「良いご挨拶だね。凄いね、凛。」
「えへへー、ほめられちゃった!」
笑う凛に歩み寄り、頭を撫でる。
つい最近、学校で職員室への入り方を教わったらしく、それからは俺の部屋に入る時に真似をするのが凛の中で流行っているのだ。
我が妹ながら可愛すぎる。
「何か用かい凛?」
「あのね、しゅくだいおしえてほしいの!」
どうやら凛は宿題をやっていたようだ。
わからないところなどがあると、こうして聞きに来るのだ。
「うん、良いよ。それじゃ行こうか。」
「うん!」
腕に抱きついてきた凛と一緒に、俺は凛の部屋へ向かった。
「おわったー!!」
「お疲れ様、凛。よく頑張ったね。」
宿題を終えてバンザイした凛の頭を撫でる。
シャンプーの良い香りがした。
「それにしても、凛もだいぶ算数ができるようになったね。」
入学当初、俺達家族は凛に対して学力的な不安を抱いていた。
初歩の数字を数える段階で凛は躓きまくっていたからだ。
その後の足し算もかなり苦戦していた。
だが、俺が毎晩のようにつきっきりで教えている内に、今では1人でも宿題ができるようになった。
こうしてたまに聞きに来る事はあれど、2ヶ月前からすれば凄まじい進歩であった。
「りんね、おにいちゃんがいっぱいおしえてくれるから、じゅぎょうもがんばってるよ。」
にっこり笑ってそんな事を言ってくれる凛に涙腺が緩むが、なんとか堪える。
うちの妹が天使過ぎる件について、で前世の大学時代に制作した卒論くらいは書けそうだ。
「おにいちゃん、これからもいっしょにいてくれる?」
上目遣いにこちらを見る凛を撫でまくる。
わひゃー!とか言いながら楽しげに笑う凛は、やっぱり可愛かった。
「当たり前だろ。凛がお兄ちゃんの事を嫌いにならなければ、いつまでだって一緒にいてやるさ。」
「えへへ…なら、ずーっといっしょだね!だって、おにいちゃんだいすきだもんっ!!」
そう言って抱きついてくる凛を、ぎゅーっと抱き返した。
「俺も、凛の事が大好きだよ。」




