日々の精進が成長の鍵
「押忍!よろしくな。」
「押忍!よろしくお願いします、吉田さん!」
目の前には、俺より体の大きい少年。
彼は小学4年生だったはずだ。
俺と彼は、互いに道着の上に組手用の防具をつけていた。
「それでは各自向かい合って…構え!始め!」
『押忍!』
師範の号令に一斉に返事をする。
その直後、道場のあちらこちらで喊声が上がった。
俺も相手の子と鋭く睨み合う。
組手の鍛錬は基本的に同学年や身長が同じくらいの子と行うのだが、俺の場合は同い年の子でまともに戦える相手がいない為、師範から特例として上級生と組手をする事が認められていた。
「おりゃ!」
「ふっ!はっ!」
上段突きを捌きつつ、鋭い前蹴りで牽制をする。
相手も同じように蹴りを出そうとするが、細かい体捌きで重心を崩させ、タイミングをなくして蹴りを事前に止める。
「おら!くそ!ちょこまか!避けんな!」
「無茶、言わないで、下さい、よ!」
激しい上段の連攻を次々と捌き、隙を見てこちらも細かく突きを放つが、間合いの違いから有効打を当てる事はできない。
ならばとあえて重心を崩して隙を見せると、それまで防がれ続けてフラストレーションが溜まっていた相手は、ここぞとばかりに前進しようとした。
「っしゃ!……なっ!」
だが、それは俺が仕掛けた罠であった。
崩れた重心を利用して、ピンポイントに進み出てくれた彼の前脚にローキックを打ち込む。
上手く筋を捉えたローキックで彼の動きが止まり、俺はその瞬間彼の懐に潜り込んだ。
「せい!やっ!!」
腰を落として胴に中段突きを入れ、更に突いた手を引きながら、上段に回し蹴りを放つ。
窮屈な体勢だが、体操で身につけた柔軟性を持ってすればなんのことはない。
彼の死角から放たれた回し蹴りは、防具越しにもそれなりの衝撃を与えた。
「うっ…くぅ……」
耐えきれず膝から落ちる。
観戦していた師範がとんできた。
「おい、大丈夫か?」
「うぅ……押忍、大丈夫です…」
突然の衝撃で思わず転んだだけのはずだ。
流石に今の俺の体重で、防具越しに失神させる事は難しいからな。
「防具外すぞ……よし、こっちを見てみろ……うん、問題なさそうだな。」
素早くチェックした師範が頷いた。
「なかなか良い組手だった。吉田の連攻はなかなか良かったぞ。だが、あれに引っ掛かってしまうのは相手を侮っている証拠だ。仮に相手が同年であれば、もう少し冷静に戦えたと思うがな。」
「……押忍、すみません。」
図星をつかれたのだろう、落ち込んだ様子。
「うむ、だが攻撃自体は悪くなかった。あとは駆け引きを覚えれば、もっと強くなれるだろう。」
「押忍!」
「守崎、お前は見事な捌きだった。だが体の大きい相手に対して、ああいった手法を使わず入り込むには更に素早い体捌きが必要だ。それはまだ体の小さい守崎だからこそ身につけられるものでもある。また、最後の回し蹴りに繋げる為とはいえ、その前の中段突きがやや手打ちになっていたぞ。」
鋭い意見だ。
やはりよく見ているな。
「打ち込むならもっとしっかり体重を乗せるべきだし、繋ぎ技ならばもう少しクイックに使えるはずだ。中途半端は技を殺す。よく考えて使う事だ。」
「押忍!」
正確な指導だ。
ありがたく受け取ろう。
「……とはいえ、2年生のお前が4年生の吉田に勝ったのは見事という他ない。よく頑張った。」
真剣な顔で頷く俺に、師範はそう言って笑った。
師範は渋いオーラを放つダンディな男性だ。
………ちくしょうズルいぜ。
カッコいいじゃねぇか。
『それでは皆さん、また来週。さようなら。』
『さようなら!』
金髪英国人の先生に、皆が挨拶を返す。
もちろん英語で、だ。
この教室内では、基本的に英語でしか話さない事になっている。
上級コースともなれば、それくらいは可能なのであった。
『ゆうとくん、帰ろ。』
帰る準備をしていると、綺音が近寄ってそう言った。
まだ教室内にいる為、英語である。
『あぁ、わかった。行こうか。』
2人揃って出口に向かう。
『優斗くん、綺音ちゃん、また来週会いましょう。』
『また来週お願いします。』
『ありがとうございました!』
微笑む先生にペコリと礼をして、教室を後にした。
『今日も楽しかったね!』
「もう日本語で良いんじゃないか?」
「あ、そっか…えへへ……」
さっきまでの流れで英語で話していた綺音が恥ずかしそうにはにかむ。
夕暮れの空に、赤い髪が映えていた。
「それにしてもゆうとくんはすごいね。」
「ん、何が?」
「もう英語ペラペラだし。先生ともふつうに話せるじゃん。」
「…それは綺音も一緒だろ?」
「アタシは…たまになんて言ったらいいかわかんない時あるもん。」
「いや、それは俺にもあるけど。」
「そうかな…でも、あたしよりずっとすごいよね。」
弱々しく微笑む綺音の横顔は、どこか大人びていて、でも寂しそうだった。
「……俺は、綺音ちゃんの方が凄いと思うけどな。」
それは、嘘偽りのない俺の本心だった。
俺の能力なんてのは、ただ主人公補正による持ち前のハイスペックさに、前世の記憶というブーストをかけてできたものだ。
それは、俺のものであって俺のものではない。
心から誇れる力ではなかった。
「え、どこが?」
俺にそんな事を言われるとは思っていなかったのだろう、綺音は心底驚いた顔をしていた。
「綺音ちゃんはクラスでも大人気じゃん。皆、綺音ちゃんの事を頼りにしてる。」
「……それこそ、ゆうとくんの方が…」
「俺のは違うよ。何て言うか……何て言ったら良いかわかんないけど、たぶんクラスに何か悩みを抱えている人がいたとして、その人が相談するのは、俺じゃなくて綺音ちゃんだと思う。」
「そんな事ないと思うけど…」
「あるよ。俺にはわかるんだ。だから……綺音ちゃんは、凄いと思う。」
その言葉を聞き、綺音ちゃんは茜色に輝く夕日を見上げた。
俺の気持ちは伝わっただろうか。
綺音ちゃんを、心底凄いと思っている事を、わかってくれただろうか。
「そっか……」
ポツリと呟く綺音。
「…ゆうとくん……ありがとね!」
こちらを向いた彼女の顔は、夕日に負けないくらい晴れやかだった。




