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足場がぬかるむ中、シエラ達は村の唯一の通り道である橋を目指した。叩きつける雨は痛く、飛沫と暗闇によって視界は悪い。扉を閉めてきたが、いつ出てくるかわからない。急がなければという気持ちと先程の悍しい化物を見た記憶が頭から離れないで、皆何がなんだかと混乱していた。
「皆、急げ! ここを出るぞ!」
「シエラ大丈夫か!?」
「問題ない! それよりラムダは無事か!」
「俺も大丈夫だ! 短剣を取られたままだがな!」
「取り返すのは無理だ! 今は逃げるぞ!」
それぞれが怒号の様に声を張り上げ、瓦礫を避け、目に入る雨を拭い、橋へと急いだ。しかし、橋に辿り着くと川は増水し、足場である橋の木の板に水が浸かりかけていた。
「ダメだ! このまま渡ったら橋が壊れて皆流される!」
「けど、ここしか道は無いぞ!」
「雨が止むのを待つなんて無理だからな!」
「じゃあどうするんだよ!」
「……橋を渡るのは最後の手段にしよう」
それぞれが怒鳴る中、静かに、覚悟を決めたシエラが口を開いた。
「アイツを倒そう」
その言葉にジョシュアは目を剥いた。
「本気か?」
「勝算はあるのかよ!?」
シエラの考えに他のメンバーは難色を示した。当然である。相手の力量がわからず、視界不良の泥濘みの中立ち回らなければならない。おまけにそれぞれの武器は既に消耗し、まともに戦える状態ではないのだ。
「廃屋でも当時使ってた器具はあったんだ。探せばまだ武器になるような物があるかもしれない」
「でも、もし探してる途中であの化物に見付かったら!」
「私は、シエラの意見に賛成です」
「ロット…」
凛とした佇まいで、ロットは村の方を見ていた。
「このまま放置すれば、もしかしたら町に来て人を襲うかもしれない。居場所のわかる今がヤツを殺すチャンスだ」
ロットの言う通り、例え橋を切り落としても放置すれば川を渡り町にやってくるだろう。そうなれば戦う術のない人が真っ先に襲われてしまう。領主の息子としてロットは全力を尽くすつもりでいた。ロットの言葉を受け、今まで渋っていたジョシュアは覚悟を決めた。
「ロットの言う通りだな。俺達がここでやらないと、町の皆が犠牲になってしまう」
その一言が決め手になった。町の皆が犠牲になる。その言葉を聞いた時、それぞれの脳裏には大切な人達の笑顔があった。家族、兄妹、友人、想い人。彼等を守る為。皆、覚悟を決めた様子で頷き合った。
「クソッ、仕方ないな、やるか」
「おうおう、いっちょやるか!」
「どうする?」
「二人一組で行動しますか?」
「いや、ここで戦力分散は避けたい」
「とりあえず見つからないようにしながら、探索してみるか」
「そうですね」
ラムダの案を採用して、一行は纏まって行動する事にした。ここでバラバラに散って化物と遭遇してしまうと対応出来ないと踏んだからだ。一先ず、化物を閉じ込めた家の周辺を避け、他の建物から探索する事にした。木々の隙間を縫う様に、辺りを警戒しながら建物を目指す。屋根が崩れ掛けている小屋を見つけた一行はすぐに駆け寄った。鍵は掛かっておらず、幸い押しただけで扉は開いた。軋む音と共に扉はゆっくりと開いていく。徐々に見えてくる先は暗闇であった。
ニコラスとロットが辺りを見張る中、シエラとモルガカは扉の手前から低い位置で内部を覗く。残るラムダとジョシュアは壁を背に顔だけを少し出して様子を伺った。激しい雨音のせいでそれ以外の音がわからない。ジョシュアは側にいたシエラに目配せすると、シエラは心得た様子で足元にあった小石を迷いなく建物内に投げ込んだ。カッという音がした後、コン、コンコン…と、途切れる。数秒待って、何も変化が無い事を確認するとラムダとジョシュアは建物内に突入した。
ラムダは懐から親指程の青い小石を取り出すと頭上に掲げる。すると小石は仄かに光りだし、淡い輝きを放った。やがてその光は建物の内部を照らした。中はどうやら倉庫のようで、梯子や木槌、斧などが乱雑に置いてあった。埃が積もり、床は真っ白になっている。天井は蜘蛛の巣が張り、壁の一部には何かの生き物の白い卵が五、六個集まって産み付けられている。あまり長時間居たくないが、自分達以外が入った形跡はない。安全を確認したジョシュアは外にいた四人を呼んだ。
「相変わらずマリンさんの作る物は凄いですね。魔力を持たない者でも石を光らせる事が出来る」
「マルフィク家のお嬢様だからな、出来ない事は何も無い」
「無駄口叩いてないで、武器を探すぞ」
「だな」
武器になりそうな物を探すが、刃が欠けていたり、持ち手が腐っていたりで使えそうな物は見当たらない。それでも何かないか探していると、文字が書かれた木の板が出てきた。不思議に思ったニコラスはそれを拾い上げた。
『妻と息子が連れ去られた』
殴り書きされたそれは血文字のようで、字の周りは指紋らしき模様があちこち付いている。
「なんだよ、これ…」
眉間に皺を寄せ、板を放り投げた。
「さっきの日記といい、この村に何があったっていうんだ」
モルガカは思わず後退り、クシャッという乾いた音が足下から聞こえて驚き跳ねた。
「おわぁああ!?」
「どうした!」
「足になんか…ってなんだ紙か」
音の正体に気付いて胸を撫で下ろす。驚かすなよと文句を言いながらジョシュアは紙を拾った。
『すまないすまないすまないすまないすまないすまないすまないすまないすまない』
「うわっ」
その紙には細かい字で一面に書かれて、端にはまたもや血が付着していた。
「何なんだよ本当に…」
うんざりした様子で紙を握り潰して投げ捨てる。シエラは横目で見つつ、作業台の下にあった古びた縄を引っ張り出した。
「…所々解れてるけど…まだ使えますね。とりあえずこの縄は持っていきましょうか」
「そうですね…あ、これも使えそうじゃないですか?」
ロットは壁に立て掛けられていた棒を手にした。
「それは…槍か。肝心の刃がボロボロだが」
「ええ。ですが代わりの物を探して付け替えれば使えるはずです」
「お、コレもいいんじゃないか!?」
ガサガサと何かを掘り起こしたニコラスは同じく長い棒を取り出し掲げた。それはロットの手にした槍とは異なり、片方の先端には大きな四角の枠に長めの細かい網が付けられていた。それを見てシエラはふむと顎に指を当てた。
「これは…魚を捕まえる為の物ですね」
「魚? この近くに海なんてあったか?」
「いえ。川魚です。近くの川は流れが緩やかでしたし、おそらくそこで釣りをしていたのでしょう」
「この網で頭を押さえ付ければ多少は動きを封じられるんじゃないか?」
「そうだな。無いよりいいだろう。それも持っていこう」
「他には…武器になりそうな物は無いな」
「それならここを出るか。ずっと同じ場所に居るのは得策じゃない」
「よし、行くぞ」
外に化物が居ないか確かめてから六人は素早く外に出た。ラムダの持っていた光る小石は懐にしまったので、明かりは無い。再び暗闇が広がり雨に晒され、視界が悪くなる。次の建物を目指して一行は走った。泥濘に足を取られつつ、辿り着いたのは半壊した家だった。
「チッ、中に入るのは無理だな」
「他の建物を探すか」
踵を返そうとした時である。カッと雷が落ち、辺りは真白に染め上がる。その時、薄目の視界の中に雷光とは違う輝きを見たモルガカが声をあげた。
「アッ! 待て、包丁がある!」
「なんだと」
慌てて駆け寄り、瓦礫の隙間から刃の欠けた包丁を引っ張り出した。
「欠けてるけど、錆びてない。まだ使えるぜ」
「よし! それを槍の柄に取り付けよう」
「その前に何処か安全な場所を…」
ロットが辺りを見渡した時である。ずるり、ずるり…。引き摺る音がロット達の視線の向こうから聞こえてきた。
ずるり…ず…ずず…。
「ヒッ」
誰かの息を呑む気配がした。一瞬にして緊張が走る。音は確実に近付いてきていた。このままでは見付かるだろう。互いに目配せするとシエラは化物とは反対の方向を指差した。迷っている暇は無い。シエラの合図で一斉に駆け出した。すると後方から引き摺る音が速度を上げて付いてくる。シエラを先頭に崩れた塀を越え、外れ掛けた扉を掴んで道を塞ぐ。何とか化物の追跡を振り払って、最初の建物へと辿り着いた。
「早く!」
幸いにも扉は壊れていなかった。全員が中に入るとシエラは急いで扉を閉め、ニコラスとジョシュアが机を抱えて扉の前に置いた。残るメンバーも窓の前に椅子を積み上げ、すぐに入れないようにする。これで暫くは時間が稼げるはずだ。乱れた息を整えつつ、休んでる暇は無いとそれぞれ物色を始めた。
「俺の短剣…流石に落ちてないか」
「うーん、使えそうな物…」
「あ、そうだ。ジョシュアの縄を俺の包丁で切るからちょっとくれ」
「わかった」
「何も無いですね」
「仕方ない…こうなったら片手鍋で殴るしかないか」
「……」
ここに目ぼしいものは無いと判断したシエラは静かに二階へと上がった。二階は二部屋あり、可愛らしい装飾のされた扉を一瞥する。この部屋は日記の少女の部屋だろう。少女が武器を持っているとは思えない。そう判断するとシエラは反対側の扉を開けて、ザッと室内を見渡した。
簡素なベッドが二つ、端と端に置かれている。片側のベッドのある壁には取手が付いていて、どうやら小さな収納空間となっていた。シエラは埃被ったベッドに膝をつき、扉を開けた。小箱が幾つかある中、奥に細長い棒のような物が見えた。迷わずそれを手に取る。
それは短刀であった。この国では珍しい反った刀身であり、また、細かい彫りの鞘は普通の村人が手にするような代物ではない。
「……」
古い血筋や一部の民族の中には大人の証として親から子へ特定の物が受け継がれる習わしがあるという。それは高価な装飾品であったり、一族に伝わる武器であったりするのだ。恐らくこの短刀はそういった代物なのだろう。鞘から取り出すと、刀身は刃毀れ一つなく綺麗な紋を描いていた。
……まだ使えるな。
シエラはその短刀を手に、部屋を後にした。
「よしよし、いいぞ」
「これでいけるんじゃないか」
「段取りは先程のでいいですね」
「そうだな」
一階では既に槍が作成され、モルガカがシュッシュと空を突いている。探すのを終えたらしい他の面々は何やら話し込んでいた。
「どうしたんですか」
「お、シエラ。あの化物倒す方法を話し合ってたんだよ」
「そっちは何か見つけたのか?」
「ええ。短刀を見つけたんです。刃毀れも錆も無いので…化物を殺すのならば私が適任ですね」
短刀を握り締め、シエラはにっこりと微笑んだ。
「なら、シエラに大役を任せます」
シエラを見てロットはそう言うと、最終確認ですと続けた。
「まず武器の持っていない私が囮役として化物を誘導します。次にジョシュア達の待機する地点に行ったら、モルガカの槍で怯ませ、ニコラスの網を頭部に被せ引き倒す。そのままラムダの片手鍋で頭部を殴り、ジョシュアの縄で手足、或いは首を縛ってください。そして身動きが取れなくなったところを……シエラ、頼みますね」
「ええ。私の命を引き換えにしても、絶対に終わらすので安心してください」
「シエラがとどめ刺すまで俺が片手鍋でずっと殴ってるから。危険だと判断したら退がっててくれ」
「しかし、上手くいくかね」
「一発で決めないと後がキツいぞ」
「ここで言い合うより、先に待機地点に行って様子を見ましょう。駄目なら次の作戦を考えるまでです」
「場所はさっきの倉庫でいいか?」
「そうですね。あそこは近くに木があったから、いざという時に木々を利用して逃げることが出来る。そこにしましょう」
そうして、作戦へと移行する為に、彼等は動き出した。机を退かし、ぞろぞろと出て行く背を眺めつつ、シエラは床に少女の日記が落ちている事に気付いた。
「……」
向こうには小さくなりつつある皆の姿がある。シエラは置いて行かれないように急いだ。
化物が居ないことを確認しつつ、倉庫を目指す。途中、ドロドロの地面には細長い何かが這ったような後があった。その這った方向に気を付けつつ、シエラ達は急いで向かう。倉庫に辿り着くと、ロットはふむと考え込んだ。
「モルガカ達には建物内部、扉近くに待機してもらっていいですか。私が扉の横を通るので追ってきた化物をこの出入口から突いてください」
「わかった」
今回は入念に準備する余裕は無いので、それぞれの判断が鍵となってくる。己の経験を頼りに行動するしかなかった。それぞれ配置に着くのを確認するとロットは化物を連れて来る為に探しに出た。ロットの背を見送りつつ、シエラはふと息を吐いた。
「失敗は許されない…か」
「不安か?」
シエラの呟きが聞こえて、ジョシュアは尋ねた。
「そうですね…不安です」
自信なさげに応えると、彼は呆れたような表情をしてみせた。
「…こんな時ぐらい、お貴族様みたいに丁寧に話すのやめろ。と、いうか、お前本当はそんな柄じゃないだろ」
シエラは視線だけをジョシュアにやり、器用に片眉を上げた。
「おや、これでもお貴族様なのですが」
「お貴族様は凶暴なビックベアーの尻を笑顔で蹴ったりしねぇんだよ」
「それこの間の討伐依頼の事を言ってるんですか?」
「そうだよ。ビックベアー討伐は何度もしてるが、笑いながら尻蹴り上げて追いかけ回してる奴初めて見たわ」
「うわー何それ見てみたかった」
それまで黙って聞いていたニコラスがニヤニヤしながらシエラを見る。言葉にはしてないがラムダもモルガカも面白そうに口元に笑みを浮かべて見ている。シエラは集まる視線を感じて居心地が悪そうに明後日の方を見た。
「…あれには理由があって、致し方なかったんですよ」
「ほーう? その致し方ない理由を是非聞かせて欲しいなぁ」
場の空気が和らいできた直後である。逸早く気配を察知したのはラムダだった。
「来た…!」
その一言ですぐさま戦闘態勢に入る。聞こえてくる音は人が走ってくる音と何かを引き摺る音。間違いなくロットと化物である。壁に張り付くように身を寄せたモルガカはタイミングを伺った。間違ってロットを刺す訳にはいかない。彼が通り過ぎて、化物が見えた瞬間が勝負だ。逸る心臓を宥め、グッと唾を飲み込んだ。
タッタッタッタッタッ。
ず…ずず…ずず…ず…。
音が徐々に近付いてくる。
来るぞ…まだ…まだ……来た!
ロットの影が扉の横を過ぎて行く。モルガカとロットの視線が一瞬だが交わった。
「……?」
その時モルガカはふと違和感を感じたが、近付いてくる化物に気を取り直して槍を構えた。すぐに扉の横から化物が出てくる。モルガカは迷わず力一杯突き出した。
「ギャアアアアッ!!」
槍は化物の脇腹に見事刺さった。よろめいた化物は勢い良くモルガカの方に顔を向けると歯を剥き出しにして襲い掛かろうとする。そうはさせないとモルガカは柄を押し込んで抵抗した。
「そのままでいろよ!」
ニコラスは網を振り被り化物の頭に突っ込む。体勢を低くし化物の横を通り外に出ると、握っていた網の柄をグッと下に引き寄せた。
「よし、今だ!」
ラムダとジョシュアが同時に飛び出す。ラムダが片手鍋を振り下ろそうとした瞬間。
「グァッ!!」
「!?」
突然ジョシュアが声を上げた。ラムダが慌てて振り返ると、なんとロットがジョシュアの背中に短剣を突き立てているではないか。
「ロット!? 何をしているんだ!」
「な、なんだ!?」
突然の事態に他の面々も困惑し、思わず柄を握っていた力が緩んでしまう。化物はただ息を殺すようにロットを凝視していた。一方、離れた場所で一部始終を見ていたシエラは急いで駆け付ける。ロットはシエラを一瞥すると、短剣を抜き、殺気立った眼でラムダを見た。互いの視線がぶつかる。そこでラムダはロットの握っている短剣が己の物であると気付いた。化物から逃げる時に回収し損ねた短剣である。ロットは口元を歪めつつ、ジョシュアの肩を殴るように押し退けた。
「ラムダから先に始末出来たら良かったのですが…邪魔が入りましたね。残念です」
「ぐぅ…!」
ジョシュアはよろけるように前に倒れ、片足で体重を支えると、そのまま上半身を捻ってロットに向けて蹴り技を繰り出した。
「!!」
当たる。ロットは考えるより先に身体を仰け反らせた。ジョシュアの靴底がロットの顔を掠めていく。
チッ。
舌打ちと荒い息遣いがやけに耳に残る。シエラはとにかく止めさせようとロットの肩を掴んだ。
「ロット! 何やってるんですか!」
しかしロットは応えることなく、握っていた短剣をシエラに振り翳して距離を取った。
「来い、化物!」
ロットが叫ぶと、それまで静観していた化物は手足に力を込め、ニコラスとモルガカの拘束を振り切りロットの元へと素早く向かう。まるでロットを守るように立つ化物に、最早モルガカ達は考える事が出来なかった。言葉の出ない面々の中、ジョシュアだけがロットを睨み付けた。
「テメェ、どういうつもりだ」
「見てわかりませんか? コレがどこまで使えるか貴方達で試すのですよ。しかし、戦力を分散させようと思っていましたが……案外上手くいかないものですね」
嘆息し、ロットはシエラ達を指差して化物に指示を出した。
「彼等を襲いなさい」
瞬間、化物は近くにいたシエラに向かって飛びかかってきた。怒った猫が爪で引っ掻いてくるように、化物の爪がシエラの首に掛かる。
「させるか!」
すかさずラムダの持つ片手鍋とモルガカの持つ槍が化物を迎え撃つ。
「グギャ!」
「逃げるぞ!」
化物が怯んだ隙に五人は駆け出した。雨は一層強くなり、彼等の姿を烟らせる。
「………」
その場にはロットと化物だけが残された。