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やってしまった。勢いに任せたに近い。何故こんな事をしたのだろうと、自分の正気を疑った。こんな事が出来る人間だっただろうか。こんなにも簡単に他人を拒絶するような人間だっただろうか。
いや違う。ここがネットだからだ。ここに来た時点で、深い人間関係など求めていない。単なる暇つぶしだ。だからこそだ。こんな所、終わってしまえばそれまでの場所だ。そんな所に来てまで、不快な気分になるなんて馬鹿げている。これでいい。私は間違ってなんかいない。
布団から身体を起こし、スマホを確認した。Neneと喜助さんからDMが届いていた。私はまず喜助さんのDMを開いた。
『大丈夫か? ヒナキと何があった?』
これだけで状況がいかにまずくなっているかを悟った。よりにもよって、私は見えている地雷をわざわざ自分で踏んだのだ。
『落ち着いたら話します』
そう送ってから、次にNeneのDMを開く。
『ヒナキがすんごいKEYちゃんの事ディスってるよ。まあほっときゃいいとは思うけど、しばらく目立った事はしない方がよさそうね』
悟らせるまでもない、ストレートなNeneらしい内容だった。
『分かった。ありがとう』
すぐにNeneから返信が来た。
『ねえ、ちょっと喋ろうよ。どっかで会えない?』
正直、あまり喋る気分でも外に出る気分でもなかった。
『うん、いいよ』
でも気持ちと逆の言葉を打っていた。この暗雲とした気持ちをスッキリさせれるかもしれないと、僅かながらの期待があったせいだ。
*
「まさかあんなすぐに私の言った事実行しちゃうなんてね」
「……彼女、どんな感じ?」
「見る? まあ、だいたい想像出来るレベルだとは思うけど」
少し迷ったが、私は頷いた。
Neneは自分のスマホを私の方に向けた。見せられたのは雛姫のTwitterのページだった。
『初めての事じゃないし、今までもそういう事はありました。でも、それでもやっぱり悲しいです。誰かに拒絶される事。私がきっとダメだったんだろう。でも、何が悪かったんだろう』
『考えても分からない。けど、そうなってしまった事は仕方がない。前を向いて、また頑張ろうと思います』
うすら寒さを覚えた。えらく殊勝な呟きだ。それに対して熱心なフォロワー達がいつものように群がっている。
『大丈夫?』
『何があったの?』
『分からないけど、ヒナちゃんがまた前向けるように応援するね』
「すごいよね。心配なんてほんとはしてないくせに。自分の事見て欲しいだけなの見え見え」
全くの同意見だった。彼女は演じているだけだ。皆の雛姫を。そして、自分の承認欲求を満たす為だけに、こんなふうに声を掛けてもらえる自分がいるんだと誇示しているだけだ。
「もう一個の方、見る?」
当然これが本音のわけがない。私はまた頷いた。スマホの画面が、もう一つのアカウントを映し出した。
想像通り。彼女は本当に分かりやすい。私は、本当にこいつが嫌いだ。
『ブロックとか何様だよ。理由も何も説明せずにいきなり。更年期障害かよ』
『底辺女がつけあがりやがって。クソみたいなギターにちょっとすり寄ってやったら調子乗って私に合わせるように伴奏あげて人気稼ぎ。さぞリアルでは誰からも必要とされてねえんだろうな』
『マジむかつく。絶対許さない。こんなアンフェアあり得ない』
「ご感想は?」
「クソだね」
「やだ、KEYちゃんもそんな言葉使うんだ! 最高!」
Neneは満面の笑顔で大袈裟なほどに笑った。つられて私も思わず笑った。笑っていたはずなのに、急に頬が歪み始めた。涙が流れだすのに、そう時間はかからなかった。
「何泣いてんのよ。こんなの笑っとけばいいの」
ぐしぐしとNeneは私の頭を乱暴に撫でまわした。これは何の涙なんだろう。分からないが、涙は止まらなかった。
現実で誰かをはっきりと拒絶した事はあっただろうか。
私は今までずっと、どんなふうに人と接してきただろう。
私は、こんな人間だっただろうか。
こんなふうに、人前で涙を流すような人間だっただろうか。
無味乾燥とした生活。
それが、ネットという世界を通じて変わった。変わるつもりなんてなかった。変わってたまるかとさえ思っていた。あくまでKEYは、ネットの人格だ。私であって、私じゃない。
そのはずだったのに。今泣いている私も、本当の私ではないと言い切れるか。
私はもっと素直になるべきなのだろうか。
もう、どっちがどっちなのか、自分自身が分からなくなっていた。