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『ねえ、一度会ってみない?』
ネットでだけしか交流のなかった者達が実際に会う事。これをリア凸と言うそうだ。
Neneからの誘い。彼女は私と同じ年齢らしく、私の隣の県に住んでいるそうだ。
彼女は楽器は一切出来ないが、個性的な歌声で人気があった。抜群の歌唱力、というものを持っているわけではないが、その人にしか出せない声というものがある。彼女にはそれがあった。私の投稿したアコギの伴奏に初めて歌を重ねてくれた時、びりっと背筋に電流が走った事をいまでも覚えている。
ハスキーで、儚いのにどこか強さもある。そんな彼女の声が好きだった。
その頃、ボイスチャットも使うようになり、特に親しくなった人達とは顔は分からずとも声で交流するようにもなっていた。少し前の私には考えられない世界だった。
抵抗がなかったかと言えば噓になる。
Neneはjoymuを始めた初期からの繋がりのある仲だ。プライベートな事を全て明らかにしているわけではないが、それでもサウンド以外のくだけた会話をする程度には信頼もしていた。無暗にリアルとの境界線をこじ開けてこようとする空気の読めない人間ではなかった。しかし、いくら素性を隠しても顔を合わせるという事は今までの距離感とは確実に違ってくる。そこで何かが崩れたり、壊れたりしてしまう可能性は少なくない。私はそれなりに悩んだ。
でも。平日は仕事。休日は一人。周りがみな結婚していってから、リアルの友人達と会う機会はめっきりと減ってしまった。一人で過ごす時間を苦痛には思わないが、味気がないのも事実だった。
たまには、踏み込んでみてもいいんじゃないか?
そうだ。所詮ネット。ダメだったらリセットしてしまえばいい。
そう踏ん切りをつけて、私は彼女と会う事にした。
*
「KEYさん、ですか?」
待ち合わせ場所の駅。声を掛けられ向いた先にNeneがいた。
正直驚いた。誰がどう見ても美人の部類だ。ほんのりと茶色いロングヘアーとコートを羽織ったスタイルの整ったフォーマルな佇まいは、同性でも見惚れるほどだった。
「KEYさんめっちゃかわいいですね!」
私が口にしようと思うより先に、ハスキーな彼女の声が私を褒めた。
「いや、そんな事ないですよほんと。っていうかNeneさんの方こそ引くほど美人ですし」
「やだ、どんな引き方よそれ」
彼女の言葉に嫌味は感じられなかった。今まで容姿を褒めてもらえた事などあまりなかった私にとっては疑わしい言葉ではあったが、嫌な気持ちにはならなかった。
それから私達は適当な喫茶店に入り、お茶をしながらいろいろな話をした。
Joymuの事、音楽の事、ネットの事。共通の世界の中で共有している環境の中だけでの話。
「正直、会ってくれないと思ってたからほんと嬉しいよ」
出会った瞬間こそ丁寧語だったが、Neneの口調は早々に砕けたものに変わった。
改めて彼女の声が好きだと思った。大人の女性の余裕を感じさせる、しっとりした、でも芯のある声。歌声とはまた違った魅力。
「でも気をつけてね」
「え、何が?」
「こうやって会うの、初めてでしょ? ネットの繋がりだけの人と」
「あ、うん」
「いろんな人がいるからさ。KEYちゃんって彼氏はいるの?」
「ううん、いない」
「あんまり興味なさそうな感じだもんね。って今日初めて会って失礼か」
「そんな事ないよ。その通りだし」
「そっか。でも尚更だわ。こんなに可愛くて独り身の女の子、男だったらほっとかないよ」
「そんな事ないでしょ」
「いやいや、KEYちゃん自分が思っているより人気だからね」
「そんな事ないない」
と言いながらも、やはりネットだなと思う瞬間が何度かあった。
サウンドへのコメントで、馴れ馴れしく声可愛いねと急に言ってくる男性ユーザーがいたり、Twitterで繋がった別の男性ユーザーからDMでお会いできませんか?なんて唐突に言われたりなんて事もあった。
もちろんそんな誘いには応じなかったが、音楽を純粋に楽しんでいると見せかけて、誰かれ構わず出会いを求めるような人間はやはりいるのだなと思った。ちなみにNeneはやはりというか彼氏はいるそうだ。ネットではなくリアルで出会い、二年程の付き合いになるという。
「そう言えば、あの子今日も呟いてたね」
Neneがそう口にした。私達の中であの子と言えば一人しかいない。
「うん。相変わらずだね」
「周りも相変わらずだけどね」
Neneは露骨に嫌そうな顔をして見せた。
『死にたい』
ほぼ毎日のようにあの子はそう呟く。
朝なのか、昼なのか、夜なのか。決まった時間はないが、普通の呟きをしていたと思ったら、急に人格が変わったかのように死にたいと呟くのだ。
“死にたがりかまってちゃん“
Neneは彼女をそう呼んだ。
ユーザー名は雛姫。
私と彼女が繋がったのは、私の伴奏を使って歌ってくれた事がきっかけだった。
Neneとは対照的なアイドルのような可愛い声。だが可愛いだけではなく歌唱力は抜群だった。フォロワー数は700人を越えている、所謂大手だった。
最初はたまたま使ってくれただけの一回限りのものかと思ったが、その後も彼女は何度も私の伴奏を使ってくれた。どうやら好きなアーティストが同じだったようで、何度目かのコラボで『趣味が近くて合いそうだなと思ったので勝手ながらフォローさせて下さい!』とご丁寧にコメントをくれた。断る理由もなくそこからTwitterも繋がった。
その時点では何も問題はなかった。彼女のTwitterの内容は基本的に自分の好きなアーティストの情報や自分が投稿したサウンドの宣伝程度だった。
だがしばらくして、Twitterに別のフォローリクエストが届いた。
ヒナキ。
おそらく彼女だとすぐに分かった。前に繋がったアカウント名はjoymuと同じ雛姫だった。その名前をカタカナ表記にしただけのもの。だがこちらは鍵のかかった制限アカウントだった。プロフィールを開いても呟きの内容は見る事が出来ない。私はあまり深く考えず彼女をフォローした。そして、ヒナキの呟きを見て私は失敗したと思った。
ヒナキ名義の呟きにはプライベートな事も含めた日常の事が主に書かれていた。眠たいだの、お腹が空いただの本当になんて事のない呟きが多い中、所々不安定な呟きも挟まれていた。
私なんて無価値だ。生きていても仕方がない。そんな類のツイート。そして必ずと言っていいほど一日一度のペースで、
『死にたい』
こう呟くのだ。
「まあ、ネットにはよくいるタイプだけどね」
今日も呟かれた死にたいを見ながら、Neneは呆れたように呟いた。