第2話 小粋な口調のコボルトさん
前回までのあらすじ!
急転直下でコメディ方向に舵取りだ!
深い森の奥地に存在する、小さな草原に侵された廃村。
そこに建つ一軒の家屋の前で、白地に茶をかぶったかのような柴犬さんは、つぶらな瞳をわたしに向けたまま。
カワイイ……。欲しい……。飼いたい……。
じゃなくてッ!!
「……助けて!」
「なんだって?」
意外と。意外と渋い声。冷静に聞くと、おじさんっぽい。
その愛らしい姿に似合わない声に、わたしはさらに現実を取り戻す。
危ない。あまりの可愛らしさに、追われる身でありながら我を忘れてしまっていた。
一刻も早く、あの勇者とかいう刃物を振り回す危ない男の人から隠れないといけないのに。
「助けて! 追われてるの!」
「……」
可愛らしいコボルトさんは眉間に皺を寄せて耳を微かに動かし、鼻先を空に向けた。
けれど次の瞬間には、わたしに視線を戻してこう言った。
「やなこった。他を当たりな」
「ど、どうして――」
「追っ手は人間族だろ。臭いや足音でわかる。引き換え、俺は見ての通りただのコボルトに過ぎねえ。それも小型犬豆柴種のな。人間族を相手にすんのは分が悪い。それにな、女に関わりゃろくなことにならねえ」
彼の言葉の後半は格好よかったけど、わたしが気になったのは前半だった。
「コボルト……? あなたほんとにコボルトさんなの?」
いるんだ、実際に。この世界には。
てっきり中世ヨーロッパみたいな世界かなって思っていたのに、コボルトなんて魔族が存在しているなんて。
まるで本物のファンタジー世界だよ。他にも魔物や魔族がいるのかな。
こんなときだけれど、なんかゲーム世界に迷い込んだみたいでちょっとワクワクするなあ。
柴犬さんがキョトンとした顔で、わたしを見上げた。
「あぁ? おまえ、頭大丈夫か? 俺がコボルト以外の何に見えるんだ?」
「犬……?」
「そりゃあ一緒だろ。進化した犬がコボルトって言われてんだからよ。ま、純粋な犬なんざもう、とうの昔にいなくなっちまったがね」
そうなんだ……。
「とにかく俺はコボルトだ」
だから犬なのにちゃんとお洋服着てるんだ。
犬用の服っていうよりは、人間の子供服みたいだけれど。
それに彼は姿勢正しく二足で歩いてるし、よく見れば彼の掌は肉球の痕跡こそあるものの、どちらかといえば犬の前足よりは人間の手に近いように見える。
あの手ならば、服のボタンを締めることだってできるだろう。
「しかしそんなことも知らねえとなると、もしかして、おまえ――」
つぶらな瞳がわたしの足先から頭のてっぺんまでを行き来する。
「ずいぶんと変わった格好だな」
「あ、これ、うちの学校の制服なの。うちの学校って言っても、すっごい遠いところで、とても帰れる場所じゃないんだけど。これはね、セーラー服っていうんだよ」
わたしが両手を広げて全身を見せると、コボルトさんは微かに眉間に皺を寄せ、意外なことを小さくつぶやいた。
「おまえ、異世界から召喚されてきたろ」
「あ、え、どうしてそれを? どうしてわかったの? ここではよくあることなの?」
コボルトさんがわずかに目を伏せた。
彼は犬顔だから表情の変化はよくわからないけれど、どこか不思議と、わたしには不機嫌そうに見えた。
「それは……。いや、だとすりゃあ、あまり猶予はねえな」
コボルトさんの三角形の耳がピコピコと動く。
何かの音を聞いているみたい。たぶん、きっと、追っ手の足音。勇者の足音。ゲームじゃないのに、わたしを魔王呼ばわりして剣で斬り殺そうとする、あの人の。
コボルトさんが家屋のドアを開けて、わたしを振り返った。
「気が変わった。入れ。匿ってやる」
「いいの?」
「急げ。もう来る」
わたしは小さなコボルトさんに続いて、家屋の中へと駆け込む。
コボルトさんは家に入るなり扉を蹴って閉ざし、居間にあった大きめのテーブルの脚を全身で押し始めた。
「ぐ……ぬぬ……」
少しずつ、じりじりとテーブルが滑り始める。
重そう。だってこのテーブルは人間用の大きさだもの。豆柴コボルトの体躯じゃ、ずらすだけで精一杯。
わたしは彼の後ろから両手を伸ばして、一緒になってテーブルを押した。それまで粘っていたテーブルが、一気にずりずりっと部屋の隅へと追いやられる。
その勢いで、燭台が絨毯の上へと転がり落ちた。
「これでいい?」
「ああ」
コボルトさんがちょっとだけうつむいて、足下に転がっていた燭台を、けしっと足で蹴飛ばす。
なんだか不服そう。拗ねちゃったのかしら。わたしの方が力持ちだったから。てか、その拗ね方がまたカワイイ。
口に出したら怒りそうだから、言わないけれど。
「床下に食料用の収納貯蔵庫がある。そこへ入ってろ」
「うん、ありがと! コボルトさん!」
コボルトさんが絨毯を豪快に勢いよく捲りあげ、貯蔵庫への扉を持ち上げた。
わたしはぽっかりと口を開けた闇へと続く階段に、下半身を入れる。
「いいか、何があっても声を立てるな。備え付けのランプもつけるな。鼻が利くやつには油を燃やす臭いでばれちまう。暗闇なんざ怖がる年齢でもないだろう」
コボルトさんがパチンとウィンクをした。
気障。カワイらしすぎて、まるで様になっていないのがまた愛おしい。
「うん。大丈夫よ」
「それと、燻製肉やチーズなんかも吊してあるが、つまみ食いは厳禁だ。力持ちのおまえさんは、さぞかし食いしん坊だろうからな」
「うう、我慢します~」
「……今のは冗談のつもりだったんだが」
何よ、こいつ! カワイイわね!
けれど食べ物の話をされた瞬間、わたしのお腹はグゥ~と秘めたる思いを主張した。
わたしは赤面する。
聞こえた? 聞こえちゃったよね? 犬耳だもんね! 笑ってごまかそう! にへら~!
「……ま、ちょっとくらいならつまんでもいいぜ。だが、腹の肉がつまめねえ程度には抑えとけよ」
「わ、わかってるよぉ。そんなうまいこと言わなくたっていいじゃん」
ゲハハと笑って、コボルトさんはわたしの頭を上から押し、収納貯蔵庫の扉を閉じ――ようとしたとき、けたたましい音が響いて家屋の扉が蹴破られた。
「きゃ――っ」
「いけね。余計なこと言ってたら、間に合わなかったか」
つぶらな瞳を見開いて、コボルトさんがぼやいた。
ちょっとぉぉぉ!?
ちょっぴりドジだよコボルトさん!