異世界トリップで損したこと~Part2~
需要ないかも知れませんが、こっそり投稿。
読んで笑ってくれたらそれで本望。悔いなし。
私、柳佐和子32歳、元デパート販売員。独身が、幾度となく思い出しては悔やみ続けていることがある。
そう、年の瀬迫る寒波に身を縮めながら、朝早くからパチンコ屋の新台入れ替えに並んでいた時のことである。
──あの日、あの時、私は異世界トリップをした。
もっと詳しく言えば、9時の開店と同時(ウチの近辺のパチンコ屋には入店順の抽選制度はない)に開くメインドア付近にいた、揃いのベンチコートを着込んだ店員たちの気持ちの良い挨拶と笑顔に圧されつつ、若干目を伏せながら入店した時のことだ。
……しかし、入店するあの瞬間だけは、いつも酷く居たたまれない気持ちになるのは何故だろうか。
問いかけておいて何だが、他人に指摘されるまでもなくわかっている。女の身でギャンブルをしていることへの疚しさであろう。
接客業をしている私にとって、常連と呼べるだけ通い続けている為に顔馴染みになってしまった彼等が浮かべる生温い視線が、どうにも苦手なのだ。
ああ、こいつまた来てるぜ。
朝っぱらから並ぶって、どんだけジャンキーなんだよ。
こいつパチ専だから、今日は新台のエ◯ァ目当てだな。
心の中でそう言っているに違いないのだ。……恐らくは、きっと。
これをとんだ被害妄想だと斬り捨てることなかれ。これも接客業あるあるのひとつなのだから。
貴方は識っているだろうか。大抵の客は、従業員のことを対等な立場の人間とは認識していないことを。だからこそ、自分が相手にどう思われているのか想像することもなく、尊大な態度を取るのだ。
そうゆう時の従業員たちの胸の内は、嫌な客に対して罵詈雑言を吐きまくっている。けれど顔には微笑みを崩さずにキープし続けている。
いずれにしろ、気持ち良く買い物をして頂き、金を落としていけば、こちらの勝ちだと嗤うだけなのだ。
それが身に沁みているからこそ、仕事を離れて別の接客業者と相対すると、その人の裏の声に過敏になる。
これもひとつの人間不信と呼べるだろう。だからこそ、休日くらいはそんな煩わしさから解放されて、好きなことに没頭していたいのだ。
たまに打っている際、「出てますね! 」や「今日の調子どうですか? 」などと、あちらから声を掛けてくることがある。正直ウザイくらいだが、曖昧に笑ってやるくらいのサービスはしてやっている。
逆にワゴンサービスが回ってきた際には、漸く名前(恐らくは偽名)を教えてくれた(……いや、訊けたが正しい)ユーカちゃんを笑顔で出迎え、媚びるようにしてコーヒーを頼む──そうした所が、小心者ができる唯一の足搔きなのだろう。
……改めて言おうか。正真正銘、私の性別は女であることを。
つまり何が言いたいのかと言うと、異世界トリップをしたにも関わらず、そういった人間関係の煩わしさからは逃れられない現実に嫌気がさしているのだ。
ニコニコと笑みを絶やさない眼前の男。細身で細目、典型的な容貌をした商家の男。かなりのやり手であると、アルフレッド坊ちゃんの紹介を受けるまでもなく、その身だしなみや立ち居振る舞いからにも有能さが滲み出ていた。
いつも彼等の準備の様子が見ていて楽しいからと、お貴族様らしい好奇心と僅かな毒をちらりと覗かせたアルフレッド坊ちゃん。いくら外商対応といえど、準備段階から顧客にドッシリ構えられていると何かと動き辛いのに、こいつやっぱり性格悪いわぁと、内心毒づきながら、ゆったりと紅茶を嗜みつつ共に見守っていた。
個人的に、百貨店に従事していた身である為、彼等の仕事振りが気になってもいたのだ。
そんな中、追従してきた少数のスタッフを采配し、30分ほどでカビュド・クルーン侯爵家の一室を高級ブティックに仕立て上げ、仮店舗とは思えないほどに支配人然とした、けれど無駄に主張しない控えめさがあるその立ち姿は、同業ながら天晴れであると賞賛したいほど。
しかし。……しかし、だ。
この女、散々物色しているが、貴金属ひとつにドレス一着も強請ろうとしねぇな。それどころか、どの商品にも結構痛い所を突いてきて駄目出ししやがる。
見る目はあるってことか。
だが、教養があるかと思えば、無知蒙昧な所が多々ある。それに、貴族様にしては、俺ら商人への受け答えは馬鹿丁寧ときた。やけにこちら側の事情を汲んだ物言いだ。
……一体この女は何者だ?
アルフレッド様の愛人じゃないのか?
カビュド・クルーン侯爵家からの大口の外商が久しぶりに入ったかと思ったら、珍しく女向けの商品をご要望だ。事前にこの屋敷の使用人たちに探りを入れたが、出身地やら身分やら何かはわからないままで、風貌と幾ばかりかの好みしか聞き取れなかったからな。
流石は侯爵家。情報統制が取れていやがる。
そんな裏の声が聞こえてくるのだが、気のせいにしておきたい。切実に。自他共に有能であるのならば、是非とも裏の声も制御して欲しいところだ。
アルフレッド坊ちゃんのように、お貴族様であればチラチラ見てくる下々のことなどどこ吹く風としていられるだろうが、私は違う。違うのだ。男とは同業かつ、元の世界でも空気を読むことに長けた日本人としてのポテンシャルも兼ね備えている為に、商人の男が何を思っているのか透けて見えてしまうのだ。
何せこの数カ月間、異世界トリップを果たしてからずっと、カビュド・クルーン家にお世話になっている。身の回りの世話をしてくれるメイドさんたちに、ある程度の嗜好品類の好みを把握されているのは確実だろう。
現に、日々の快適さを更新しまくっているのだ。
こちらが店舗に出向いて買い物をするのではなく、逆に出向いてもらうのだから、より厳選した商品を持ち込んでくるのは必至。貴族様でも上位者である侯爵家に出入りする商家なら、顧客の要望がどこにあるのか探りを入れるのも当然だろう。
突如侯爵家に居座りだした女がどんな人物なのか、気になってしまう気持ちは痛いほど理解できる。
ちょいちょいこちらのことを探る問い掛けや眼差しを寄越してくるのはわかる。だけどそれは、商人として悪手でしかないのだ。
現に──。
「イルバージよ、親しいお前と云えど、私の愛しい人に向けた不躾な視線と質問は不愉快だ」
にっこりと微笑んではいるが明らかに激おこプンプン丸なアルフレッド坊ちゃんの発言に、部屋の空気が凍りつく。
うん、そりゃそうなるわな。
思わず天井を仰ぎ見た私の心境と言えば、アルフレッド坊ちゃんの勘気に顔色を蒼くした商人の男──イルバージ・バードランドに対しての呆れと、いかにもな有能さが嫌味だなと感じつつも、頼もしく思っていただけに失望感も半端なかった。
市井に降りて独り立ちしようと目論んでいる身としては、決して断たれたくない伝手である。
どうする? どうするよ? これ、
ああ、今更悔やんでも悔やみきれぬこの局面を、どう乗り越えるかで私の立場が変わってしまうのだ。
私の胸中は、商人の男──イルバージ・バードランドへ向けた罵詈雑言の嵐が渦巻いている。
異世界トリップ、ほんとヤダ。