二人の少年(後編)
3日後、二人はある酒場にいた。
夜の10時を回っていると酒場も活気づいている。
酒場には不釣り合いな二人に、周りの客の視線が集中していた。
二人はカウンター横の小さな席に座り水を飲んでいる。
「何か僕達、場違いじゃないか?」
ジェイコブは恥ずかしそうにリンキーに言った。
「こんなガキがいたら、そりゃ目立つさ」
リンキーは余裕そうだ。
「案内人は本当に来るのか?もう約束の時間から30分も過ぎてるぞ?」
ジェイコブはそう言うと、緊張と不安で落ち着かず、辺りを見る。
「前の仕事の時なんて1時間半も待たされたんだ」
リンキーは言った。
そこから更に20分ほど過ぎた頃、店主が二人の元へ寄ってきた。
「ベックさんの依頼の件か?」
店主は二人を睨みながら言った。
「そうだよ。ベックさんはまだかな?」
リンキーは平然としている。
「ついてこい」
店主は静かに言うと、二人を店の奥へ案内する。
二人がカウンター奥の「立ち入り禁止」と書かれた扉の奥へと進むと地下に進む階段があった。
階段を下りると扉があり、扉を開くとそこは酒倉庫だった。
酒樽が並んでいる部屋の中央に机があり、そこに一人の男が座っている。手前には二人が座るであろう椅子が準備されていた。
緊張と不安でジェイコブは生唾を飲む。
ジェイコブはこの仕事を引き受けたことに後悔さえし始めていた。
しかし、リンキーは平然とし椅子に向かっていく。ジェイコブも遅れまいとそれに付いていく。
「リンキー久しぶりだな」
ベックは言う。
「はい。ちょうどお金に困っていたのでよかったです」
二人が会話している間、ジェイコブはずっとベックを見つめていた。
年齢は60歳を超えているだろうか。高級そうなボーラーハット、高級そうなスーツ、装飾が施された高そうな杖。一見中流階級以上の紳士的人物に見えるが、それにそぐわない顔に目がいった。
片目は傷があり潰れていて、口角から頬にかけても大きな傷がある。
笑うと歯は汚れていて、所々抜けている。
「私の顔に何か付いているか?」
ジェイコブと目が合ったベックは言った。
「いえ・・・、何も・・・」
ジェイコブはとっさに目をそらして言った。
「こいつが今回の相方のジェイコブです」
リンキーはジェイコブの肩を叩き言った。
「前の相方は使えない奴だったからな。今回は大丈夫だろうね?」
ベックは二人を見て静かに言った。
「もちろんです」
リンキーは返事する。
「では、仕事の話だ。シャフツベリー・アベニューにアボット邸があるのはわかるか?ひときは大きな邸宅だ」
ベックは聞くが、リンキーはわからないようで黙ったままだ。
「何度か通ったことがあるので知っています。確か70近いおじいさんが一人暮らしだったような・・・」
ジェイコブは緊張しながらも言った。
「そうだ。そこに16世紀に作られた[ヒリアードの花瓶]という高価な花瓶がある。それを持ってきてくれ」
ベックは続ける。
「主は病気で寝たきりになっている。家政婦を雇ってはいるがもう今の時間は誰もいない」
リンキーは何処からか紙とペンを出しメモをとる。
「花瓶の場所はどこですか?」
リンキーはメモを取りながらベックに聞いた。
「玄関から続く廊下だ。高価なものだから使わずにショーケースの中に入っている。ショーケースには南京錠が二つ付いているはずだ。その鍵は自分たちで開けるしかない。裏口の鍵は開けてあるからそこから入れ。終わったらすぐにここに戻ってこい。いいな?」
ベックは、説明が終わると立ち上がった。
「了解しました」
リンキーも同時に立ち上がる。
「ちょっと待って!今からもう行くのかい?」
ジェイコブは慌ててリンキーに聞く。
「当たり前だろ。行くぞ!」
リンキーはジェイコブの腕を掴むと引っ張った。
ジェイコブは、そのまま腕を引っ張られながら酒倉庫を出た。
シャフツベリー・アベニューはイーストエンドの通りとは違い、人通りが少なかった。
外灯が明るかったが盗むには最高のシチュエーションと言えた。
リンキーとジェイコブは言われた通りに裏口に回る。
リンキーがノブを回すとドアがゆっくりと開いた。二人は腰をかがめながらゆっくりと入って行く。
中に入るとそこはキッチンだった。
暗く、目がなれるまで多少時間がかかったがなんとか進める。
ジェイコブはキッチンの道具に目がいった。
立派な家具と食器が並んでいて、ジェイコブは見たことのない道具もある。
キッチンだけでも、ジェイコブの借家と同じくらいの広さはありそうだ。
ジェイコブは驚きのあまり少し立ち止まりキッチンを見渡す。
「何やってんだよ。早く来い。」
リンキーが静かに、そして力強く言った。
その声にジェイコブはハッとし、リンキーを見た。前を歩いていたリンキーは、既に次へ続く扉の前に着いていた。ジェイコブは急いでリンキーの元へ進んだ。
リンキーはジェイコブが来たことを確認すると扉のノブを回した。ジェイコブの家の扉とは違い、静かに扉は開く。
扉の先は、廊下だった。人の気配は感じない。ベックの言っていたとおり家政婦は帰っているようだ。
帰りの事を考えリンキーとジェイコブは扉を開けたまま廊下へと進んだ。
廊下の壁には高そうな絵が等間隔に飾られていて、躍動感溢れるその絵の眼差しがこちらを見ているようだ。薄暗さもあり、ジェイコブは何とも言えない不気味さを感じた。
慎重に二人は廊下を進む。絨毯が敷かれている為足音の心配はなさそうだ。
少しすると前を歩くリンキーの足が止まった。ジェイコブもそれに気づき足を止める。
「どうしたんだい?」
ジェイコブはリンキーに聞いた。
「あれじゃないか?」
リンキーは前方に指をさして言った。ジェイコブは前方を見た。2メートルほど前方に薄暗い中でもひときは大きなショーケースが見える。
二人は一度目を合わせるとそれに近づいた。
ガラスで出来たショーケースの中には40㎝ほどの高さの大きな花瓶が入っている。間違いなく自分たちの探していた物だと分かった。
二人はショーケースの外側を入念に確認した。大きな南京錠がショーケースの両脇に二つ施錠されている。それ以外に問題はなさそうだ。
リンキーは、ポケットから革の財布のような物を出し床に置いた。それを開くと中には細長い器具がいくつも入っている。先が歪に曲がっていて、一つとして同じ形の物はない。
「何だい?それは?」
ジェイコブは不思議そうにリンキーに聞いた。
「ピッキング道具さ。これから鍵を開けるからお前は周りを見ててくれ」
リンキーは言った。
ジェイコブは言われるがままリンキーに背を向け廊下を見た。後ろからリンキーの作業の音が聞こえる。
気になりジェイコブは後ろを振り向く。鍵穴に細長い器具が二つ刺さっている。それをリンキーは両手で器用に動かしている。
リンキーは20分もかからずに二つの鍵を開けてしまった。ジェイコブは、職人の様なリンキーの姿に、感動と尊敬の様な気持ちが沸き上がる。
「すごいよ!リンキー!」
ジェイコブの声はついつい大きくなってしまった。
「声がでかい!」
リンキーは、自分の口に人差し指をあてながらジェイコブに注意した。
二人は息を合わせて、ショーケースの上蓋を外し、床に置いた。
「よし。あとはこの花瓶を持っていくだけだ」
リンキーは少し笑顔を見せた。
「誰かいるのか?」
その時、二階から掠れた声が聞こえた。
二人は、思わず息を呑む。
二人の近くにある階段からギシッギシッと、歩く音が聞こえてくる。
二人は慌てて、花瓶の口側と底側に別れて花瓶を持った。重さはそれほどでもなかったが、ここで落として割ってしまっては元も子もない。相手は寝たきりの爺さんだ。二人は慎重にキッチンへと向かった。
しかし、思いのほか主の足取りは早かった。足音は階段を下りかかっている。
二人は、まだ廊下を進んでいる。キッチンへの入り口までは、まだ20メートル以上はある。
後ろ向きで先頭を進むリンキーは、花瓶の底側を持つジェイコブの後ろにランタンの光を見た。距離は10mほどある。ランタンの光で人影は杖をついているのがわかる。
「急げ!」
リンキーは叫んだ。
「待て!お前たち!」
主の掠れた声が聞こえる。
二人は急ぎ足でキッチンへと向かう。扉を開けておいた為、キッチンにはすんなり入れた。しかし、裏口の扉は閉めてしまっている。裏口の扉まで来るとリンキーとジェイコブは一度花瓶を置く。その間にもランタンの光で主が近づいてきているのがわかる。扉を開けた時、キッチンに主が入って来た。二人は主の方を見た。ランタンの光でよく見えないが、その老人はやせ細り、無精髭を生やしている。
「早く!早く!」
ジェイコブはリンキーを急かす。
「わかってるって!」
リンキーも慌てて花瓶を持つと外へと進んだ。
ジェイコブも外に出た時、ジェイコブの肩に主の手が伸びた。
主の手がジェイコブの肩を掴む。ジェイコブは体勢を崩し倒れこんだ。それに引っ張られるようにリンキーも倒れこむ。花瓶は草むらの上に落ちた。ジェイコブの上に主が覆いかぶさる。
「殺してやる!この泥棒小僧ども!」
主はジェイコブに馬乗りになると、杖で叩き始めた。それを見たリンキーは、主目掛けてタックルをした。
主は体勢を崩し、ジェイコブの隣に倒れ込む。倒れ込んだところに手の平ほどの岩があり、主はその岩に頭を打った。主は倒れ込んだまま動かなくなってしまった。
起き上がったジェイコブも倒れ込んだ主を見る。岩には主の血が付いている。
二人は少しの間、動かない主を見たまま呆然としていた。
「お爺さん、大丈夫?!」
ジェイコブは主に近づこうとしたが、リンキーはジェイコブの腕を掴んだ。
「ジェイコブ、行こう。手遅れだ」
リンキーは言った。
「まだ息があるかもしれない!」
ジェイコブはそう言うと、リンキーの手を振り払おうとした。
助けようとするジェイコブにリンキーは言う。
「助けてどうする?俺たちは泥棒なんだぞ?!」
リンキーの言葉に、自分たちの立場を思い出したジェイコブは動きを止めた。
「行こう・・・」
リンキーはもう一度言うと花瓶の方へと向かった。
花瓶はどうやら無事らしい。生い茂った草がクッションの役割を果たしたのだ。
リンキーはジェイコブを見る。ジェイコブはまだ主を見て呆然としていた。
「早く行こう!」
リンキーはジェイコブに言った。ジェイコブは後ろ髪を引かれる思いでリンキーの元へ向かった。
二人は花瓶を再び持ち上げると、その場を後にした。
しかし、屋敷の屋根の上からその光景を見ていた緑がかった眼光に二人は気付いていなかった。
二人は敢えて細い裏道を通った。
街中を巡回する警察官に見つからないようにするためだ。真夜中に少年二人が大きな荷物を運んでいれば誰でも怪しむだろう。花瓶は途中で拾った布で巻いたが、それでも目立ってしまう。すでに何回か巡回中の警察官のランタンの光を見た。その度に物陰に隠れたりしていた二人は生きた心地がしていなかった。
「僕たちは人殺しだ・・・」
ジェイコブは足を止めると独り言のように言った。
「しょうがないさ。ほっといてもいつか病気で死んでたよ」
リンキーは言った。
「そんなの関係ない!何でそんなに平然としていられるんだい?僕たちは人を殺したんだぞ?いや、もしかしたらまだ生きてるかもしれないのに!」
ジェイコブはリンキーに対して初めて怒りの感情をみせた。
「じゃぁ、今から戻って手当てするか?そのあとどうなる?俺たちは捕まって終わりさ!いや、あの爺さんに殺されるかもな!」
リンキーも感情任せに怒鳴った。
少しの間、二人に沈黙が流れる。
「これが終わったらもう僕はこの仕事をしないよ。それと君とも・・・もう関わらない」
ジェイコブは言った。
「いいさ。それよりも早くこの仕事を終わらせるんだ。さもないとベックさんに殺される」
リンキーは少し悲しそうに言った。
「わかった・・・」
ジェイコブは言い、二人は再び歩き出そうとした時だった。
リンキーの後方に誰かが立っている事にジェイコブは気付いた。
「リンキー後ろ!」
ジェイコブは叫んだ。
驚いたリンキーは花瓶を持ったまま振り向いた。
そこには、黒いコートを着た猫背の人物が立っていた。長い髪が顔にかかっていてよくわからないが身長と服装からして男であると察しがついた。手には長いナイフを持ち、髪の隙間から緑がかった瞳が自分たちを睨んでいる。男はゆっくりと近づいてきた。「殺される!」と、二人は本能で感じた。
「うわわわわわ!」
リンキーが叫ぶと二人は花瓶を落とし、全速力で来た道を戻った。
しかし、後ろを走っていたリンキーはすぐに追いつかれてしまった。
「助けて!」
リンキーの叫び声に反応しジェイコブが振り返ると、リンキーの胸に後方からナイフが突き刺さっているのがわかった。
ジェイコブは恐怖で声が出ず、そのまま走り続けた。
その後、ジェイコブが家に帰る事は無かった。
心配した父親が警察に捜索願を出したが見つからず。
1週間後、テムズ川のほとりで首を切られた身元不明の少年の遺体が上がった。