第81話 友姫・其の三
「うーわ、マジかよ……まさか、ここまでとはな……」
さすがに友姫の体に乗り移った窮奇もここまでの威力があるとは思わなかったらしい。唖然としている。
「しゃあねえ。記憶ぶんどるついでにストッパーでもかけとくかな……」
“ズブ……”
な!?窮奇の奴、いきなり自分の頭……いや友姫の頭にか……指を突っ込みやがった。何してんだ!?まさか、経絡秘孔?
いや、待て……今、ストッパーって言ったよな?それに友姫が俺たちに百殺眼を使った時、誰も灰になんてならなかった……つまり、ここで窮奇が友姫の力を記憶ごと抜き取ったか、あるいは封印したのか。そして、そのおかげで俺たちは命拾いしたわけなんだな……若干一名を除いて……
「これで……よし…………」
そして、指を抜いた途端に友姫の体は崩れ落ちるようにその場に倒れこんだ。どうやら、窮奇の奴が体から抜け出したらしい。その証拠に今度は窮奇の体が起き上がった。そして巨大な猫は我が子を愛でるように、その顔を優しくなめた。
「ん……」
「気がついたか?」
「あれ……?」
気がついた友姫は何かを探すように辺りをきょろきょろと見回した。
「どうした、ガキんちょ?」
「ここどこ……?あたし……誰?」
「おいおい、しっかりしてくれよ……」
そして窮奇は平然とウソをついた。
「俺たちはコンビの殺し屋で、そこで死んでる二人が今回のターゲットだ」
「この二人が……?」
友姫は自分の両親を指差し、窮奇は黙って頷いた。
「あたしが……殺しちゃったの……?」
「…………いや、お前はまだ半人前だから殺せなくて返り討ちにされそうになった。だから、俺が殺した」
涙で滲んだ目で友姫が窮奇の頭をなでた。
「ありがとう……助けてくれたんだね……」
「く…………礼を言う前に早く一人前になってくれ。一人でも生きていけるぐらい強い妖怪に……」
「うん!あたし、頑張るよ!!」
「ああ、是非ともそうしてくれ……後ろなんて見るな。例え一寸先が暗闇のどん底だろうと絶対に振り返るな。前だけ向いて生きてきゃいい……」
「うん……でも……」
「でも、なんだ……?」
「ネコさんは、なんてお名前なの?」
「ね……猫だと!?」
窮奇が素っ頓狂な声を上げ俺は思わず吹き出しそうになったのを抑えた。
「いいか、クソガキ!!俺様のこの姿は猫じゃねえ!!虎だ!!」
でも主食はキャットフードだろ?
「そして、俺様はかつて古代中国の西の都を荒らしまわった、羽の生えた虎……四凶の一角、窮奇様だ!!」
「じゃあ、キュウちゃんて呼んでいい?」
「いいわけねえだろ、このドアホ!!」
「なんで怒るの?」
「うるさい!!泣くな!!俺はお前の先祖なんだよ!!すんごい偉いの!!馴れ馴れしく変なあだ名つけんな!!」
「分かっ……分かりましたよ、ご先祖様……」
「そうだ、それでいい……」
「でも、あたしの名前は……?」
「お前の名前は…………」
窮奇は少し言いよどんだ後になぜかうつむいてしまった。急に元気のなくなったご先祖様が心配なんだろうな……友姫は今にも泣きだしそうな顔をした。
「どうしたの……?」
「いや、すまねえ……そういや、お前の名前をまだ付けてなかったなって思ってさ……」
は?こいつなんでそんなウソを……
「そうなの!?ひどいよ!!」
「そうだな……ひどいな……」
「じゃあ、自分で考える!!」
「おう、いいぜ。自分のことは自分でしろ。それが一人前への第一歩だ」
「うんとね……じゃあ、都羽姫!!」
「つば……き?」
「うん!!ご先祖さまは“都”に住んでて、あんよに“羽”があって……」
「全部俺にちなんでんのかよ……一人立ちはまだまだ先の話だな、こりゃ……」
「それで……あたしは、お“姫”さまになるの!!」
「お姫様ときたか……ちなみに何で姫になりたいの?」
「お姫様は何やっても許されるから♪」
「……!!」
「どうしたの?」
「チ……何でもねえよ……」
まさか、自分の言った事を覚えているなんて思わなかったんだろうな……窮奇は辛そうな顔を、無邪気に微笑む友姫から背け闇に向かって歩き出した。
しだいにその闇はどんどん広がりをみせ、この過去の悲劇の全てを記録した映像がやっと終わったんだと思い、俺はなぜかほっとしていた……
「…………」
気がつけば窮奇が目の前にいた。だが、その表情からは何も感じられなかった。悲しみも苦しみも罪悪感も何も……あまりに大きな傷がこいつの全てを奪い去ったようなそんな顔だった。
「この後も似たような事がたくさんあった……」
耳を塞ぎたい衝動に駆られた……
「友姫の周りに近寄る奴らは大抵そうだった……」
だが、耳を塞ごうとするこの手を何かが止めてくれた。これは大事な話なんだ。聞かなきゃ……いけないんだ。
「僕らは仲間だ、友達だ、綺麗事並べるが結局はあいつの力を利用することしか考えてなかった。だから、片っ端からぶっ殺してやった。あいつらの欲した友姫の力でな。ふ……俺は本当に……ろくでもねえ先祖だな」
窮奇の姿が滲んで見えた。それはこのビデオレターのようなものが終わりそうだからじゃない。俺の涙腺が弱すぎたせいだ……
「これを見たあんた……あるいはあんたらに言っておきたいんだが……」
泣いてる場合じゃない。この人の姿をしっかりと見なきゃ……
「力が危険なんじゃない。本当に危険なのはそれを持つ者の心、あるいは持たない者の心だ。現に俺をかくまうほどお人好しだった鎌鼬の里の連中は、何の力も持ってなかったが、あんな恐ろしい事をした。だが、あいつらのいい分も正しいんだ。ただ……やり方がさ……分かんだろ?」
「はい……」
それが映像だと分かっていても自然と返事をしてしまう自分がいた。
「この世に悪い奴なんて本当はいねえんだ。同じように正義の味方なんてものもな。ただ、考えかたの違いで衝突が起こって、争いが生まれ、勝者と敗者に分かれる。ただ、それだけだ……そして、敗者が悪とされる。早い話、強くなきゃみんな悪者にされちまうんだよ。だから、俺はあえて弱い奴らの味方したくなっちゃうんだよ。はっきり言って、そんなのはただのアホだ。あいつにはそんな真似させないでくれ」
「…………そんな事は」
なんていえばいいか……言葉が見つからない……
「俺が……いや、俺が百鬼衆なんてくだらねえ集団に身をよせ、あいつの体で悪行三昧していたのはあいつに憎しみを覚えさせるためだ。憎しみは時としてとてつもない力となる。生きる糧には十分なほどに。だが、ずっとそのままってのも可哀想だし、俺が死んだのを期に、そろそろこの辺であいつを解放してやりたい。つまり、封印していたあいつの記憶を返してやりたいってことだ。そのためにはあるキーワードを言えばいい。それは……」
俺はそれがなんなのかもう分かっていた。いや、それどころか、そのキーワードを言う必要すらない事にも気づいてしまった。だから、余計に悲しくなった。
単純な話だ。なぜ、窮奇は友姫に「お前の名前をまだつけてない」とウソをついたのか……なぜ、俺が友姫に名前を考えてやった時、あんな驚いた顔をしたのか……なぜ、ずっと自分を縛っていたはずの窮奇がいなくなった時あんなに悲しそうな顔をしたのか……そして、このキーワード……
「友姫……あいつの本当の名前だ。それを口にすればあいつは全ての記憶を思い出す。そして、思い出せばいくらバカなあいつでも分かるだろう。自分が間違ってる事にな」
バカはてめえだ、クソったれ……この日本に「トモキ」なんて名前の人間が何人いるか考えなかったのかよ……それを聞かないで今まで過ごせたらそれこそ奇跡だぜ……そうさ、あいつは、友姫は全部知ってたんだよ……少なくとも俺たちと会う前から……
だからこそ、あいつはお前の気持ちを全部知っていたから、お前の背中だけを見て悪になろうと、一人前になろうと、間違ってるなんてとっくに分かってるのに、一生懸命頑張って、けれど優しすぎて、残虐な事はできず、ずっと……ずっと苦しんでたんじゃないか!!なんで親ってのは子供の気持ちに気づこうともしないんだ!!
「すまねえ……」
「……!!」
一瞬、心を読まれたのかと思ったけど、そんなはずはない。これはビデオレターのようなものなんだから。
「こんな事あんたに言うのも変な話だが……いや、これはもう本当に……うん、そうだな……あんたに言うしかないんだよな……」
なぜか窮奇は照れくさそうにもじもじとしながらこちらを見ている。何を言う気だ?
「あいつはバカで、すぐ泣くし、ワガママで、すぐ怒るし、弱くて臆病者でそれで……あんまり出来のいいやつじゃねえけど……」
「…………?」
「娘をよろしくお願いします」
「……!!」
窮奇……俺が知ってるあんたはもっと邪悪で、そんな風に敬語で話しながら頭を下げるような奴じゃないのに……お前、そんなのにも友姫のことを……そうだよな、鎌鼬の里のみんなよりも、この世界よりも、お前にとっては友姫は大切な存在だもんな……
「分かりました。友姫ちゃんは大切に育てます……」
「ふ……どうもありがとうよ、占術使いのクソガキ君」
「え……あれ?」
「それじゃ俺はこの辺でおいとまさせてもらうぜ」
あれ?今、一瞬、窮奇が俺に返事をしたような……あれ?
「待て、窮奇!!これはビデオレターみたいなもんなんじゃないのか!?」
「俺がいつそんな事言ったよ!?俺様クラスの妖怪になるとな……魂の一部をあの世からこの世に投げ込むぐらい造作もねえのよ!!」
「マジかよ……」
「ああ、大マジだ。ついでに言うと心を読む事も出来る」
「は……?」
「悪かったな……子の心、親知らずでさ……」
「あ……」
俺はとっさに謝ろうとしたけど、気がつけば白昼夢から覚めたように俺は元いた森の中にいた。目の前には微笑みを投げかける友姫も……
「バカでしょ……?ご先祖様って……あたしが何にも気づいてないと思ってんだもん。全部知ってるつーの♪」
笑いながら、おどけた言い方だったが、左右非対称の目には大粒の涙が零れ落ちそうなぐらい…………あった。
「そうだな……バカな人だ。でも…………いい人だったな」
「…………うん」
友姫の目から一筋の別れが零れ落ちていった……