第72話 陰陽師
消えかけた意識をかき集め、死にかけた視界を広げると、おぼろげながらも赤く染まった目の前の光景が見えてきた。まるで、赤外線カメラの映像のようだ。
都羽姫の体は大木に磔にされるような形でめり込んでいる。何かを必死に叫んでいるようだが、まだ聴力の方は完全にとはいかない……なんと言っているのかいまいち分からぬ。分かるのは窮奇の仕業ということぐらい。その窮奇は……いた。
横たわる自分の体と磔にされた都羽姫の間をゆったりと、優雅に、威風堂々と歩く大型の肉食獣。その足には天空をかけるための翼がついていた。並みの人間ならこの黄と黒の縞模様を上げるところだが……今はそれすらできそうにない。
「……や……めて!!……ねが……ろさな……で!!」
ふむ、徐々にだが耳も聞こえてきた。これは都羽姫の声だな。あと少しと言ったところかな。
「ひゃひゃひゃ!!さー、楽しい殺戮ショーの始まりだ!!しっかりと見ろ!!目を背けんじゃねえぞ!!」
「いやぁ!!その人は殺さないで!!ちゃんと言う事、聞くから!!悪い事するから!!だから、お願いします!!ご先祖様!!」
「ダー♪メー♪うひゃひゃひゃ!!」
「いや!!いやああぁぁ!!」
最低な先祖だな。だが、ようやく状況がつかめてきた。
窮奇は都羽姫の心を壊し再び己の傀儡にするために、俺をこの子の目の前で殺そうと……悪趣味極まりないな。でも、それってつまり都羽姫が俺の事を……でへへ……っと喜んでる場合じゃなかった。手足の自由も利いてきたし、そろそろ行動を開始するか。
「おい、都羽姫。そんなに泣くなよ……」
「……!!」「よう、小僧。お目覚めか?」
さて、うまく行くかな?
「凛としてなきゃダメだろ?お姫様なんだったら……」
「うん……うん!!」
まずは右手の人差し指と中指を立てる。
「小僧……みあげたもんだな。いくら手加減したとはいえ、俺の能力をまともに喰らってそれだけ喋れるとは」
「ぴょう(・・・)元気だぜ……」
「ぶはは!!おい、どうした?かんでるぜ?」
次に左手を軽く握り締める。
「当分はまともに喋れそうに……ないな」
「そんな……あたしのせいで……また……」
右手で立てた指を横に引き縦に下ろす……
「しゃあないって言えばそうかもしれないな」
「随分諦めがいいんだな、小僧」
横に引き縦に下ろす……
「怪物さまが相手じゃな……」
「その通り!!人間ごときじゃ俺様には勝てねえよ!!」
横に縦に……
「人生って所詮こんなものなのかな……」
「あ……?」
横に……
「劣悪な環境からでも……」
「…………?」
縦に。
「財宝を見つけ出すような……」
「おい、小僧……」
横に!!出来た……あとはこの格子を通し、左手の中に右手を入れれば……
「てめえ、何を企んでいる?」
今頃、気づいたか、阿呆め。もう、手遅れだよ。お前のこの後の行動も予測済み。100%お前は俺の手のひらで踊り、のたうち、死ぬ。
「何する気か知らねえが、その前にぶっ殺してやらぁ!!」
「前!!」
飛びかかってきた、窮奇を紙一重で交わし、すれ違いざまに抜いた剣で奴の体を真っ二つにしてやった。刹那、腰から下は光となって消えたが、さすが四凶。上半分だけで飛んでおるわ。
「ば、バカな!?これは陰陽五行剣!!臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の九字真言を唱えなければ使えぬはず……」
「“凛”、“ぴょう”、“当”、“しゃ”、“怪”、“人”、“劣”、“財”、“前”、全て唱えたと思ったが聞こえなかったのか?」
「こ、このガキ!!何者だ!?」
「私はただの釣り好きさ……最近のお気に入り釣りスポットは三途の川だ。ほとんどピラニアしか釣れないが、たまにカジキマグロやラジカセ担いだ落ち武者なども釣れる」
「おちょくってんのか、てめえ!!」
「いや……大マジだよ」
「てめえ…………ガキじゃねえな?」
ふ…………
「あのガキが陰陽五行剣なんて恐ろしい術使えると思えねえ。それは、仙人が百年ぐらい修行してやっと使える大技だ。てめえは一体……」
「別に仙人でなくとも使えるさ。陰陽師なら誰でもな」
「陰陽師!!貴様まさか、あの妖怪殺し・安部晴明か!?」
「陰陽師っていうとすぐそいつだな。ていうか、陰陽師は妖怪なんぞ殺さんよ……」
陰陽師のそもそもの努めは天体観測、暦の作成及び管理、魔よけなどの呪い、そして吉兆を占う事。
それすなわち、天を見、風の流れ、雲の動きから季節の節目とそれに伴う天候の予測……及びコントロール。暦の作成と管理とは、時代、年、月、日、すなわち時そのものを管理する事。魔よけの呪いとは、人間の心理に直接働きかけ、己の持つ免疫力を催眠的手法で高める古代の医学。さらに、この国の吉兆を占うと言う事は、必然的に政治家連中の相談を受ける事で事実上、そこから得られた情報で誰がどのようにこの国を動かすか予測しただけだ。妖怪退治など陰陽師の本分ではない。
あれは、晴明が勝手に安請け合いし、その手法を考案し、妖怪退治のプロに助言したまでのこと。まあ、結果的にうわさに尾ひれと背びれがくっつき膨れ上がってとんでもない伝説にされてしまったがな。
「そうそう、窮奇よ。お前は勘違いをしているようだから教えてやる。妖怪を殺すのは陰陽師の仕事ではない。それはその道のプロがいる」
「その道のプロだと……?」
そう、かつて武士と呼ばれ、この国の魂を背負った者たち……その中でも、強すぎるあまり、人間と妖怪、両方から恐れられ、こう呼ばれた者……
「鬼……」
「……!!」
赤い閃光が私の頬をかすめ、窮奇の胸を貫き、そのままの勢いで体半分の怪物虎を大木の幹ごと串刺しにした。
「ぎゃああぁぁああ!!なんだこれ!!クソ!!ぬけねえ!!」
「な〜るほど。チキンガールに殺しなんて出来るはずねえと思ったら、こういうからくりだったか……」
「て、てめえは……!!」
流れるような長い髪は曇りなき漆黒。鋭い瞳もまた黒真珠の如し。ヤクザ者の服がよく似合う……女子のように美しい顔。されど、流れる魂は隅々まで侠。まさに、鬼の中の鬼……
「二代目酒呑童子・夜叉王丸!!八部衆の名の元にてめえをぶっ殺す!!」
ここまでやれば十分だろう。あとはお前たちに任せて私はあるべき場所に帰らせてもらおう……