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思い出ペンシル

作者: ナツメ

原点にして原点。

誰もいない校舎。閑静とした廊下を一人私は歩く。

 誰もいない。それは当たり前だ。なにせまだ学校は春休み中なのだから。

 窓越しから校庭の隅に咲く桜に視線を這わす。春の息吹に任せて桜の花びらが舞う。とても幻想的だ。これを私一人だけ見ていると思うと、優越感に浸ると同時に胸を締め付けられるような寂しい気持ちになったりする。

 桜吹雪にさよならを告げ、校舎から出る。校門をくぐり、もう一度学校を振り返る。もう二度と来ることはないのだろう。最後に目に焼き付けておきたい。

 そろそろ時間だ。

 だが、ふとその学校帰りに目についた文房具店。別にノートが切れたわけでも、消しゴムがなくなったわけでもない。ただ、なんとなく、「こんなところに文房具店なんてあったんだ」と軽い気持ちだった。しかし、私は蜜の匂いに誘われる蜂のようにその文房具店に入って行った。

 一階建ての小さな文房具店。店の前には、いつ仕入れているのかと疑問に思うほど、古ぼけた自販機が一つ。店内は入口からはよく見えないが、品ぞろえはよくないようだ。

 このご時世、デパートやスーパーで文房具を買う時代だ。いまさら文房具店で買う人なんて絶滅危惧種みたいなものだろう。それでも、私はこの文房具店に足を踏み入れた。

「……こんにちは~」

 一応、確認として挨拶する。返事はなかった。それでも、店内は電気が点いていたし、経営はしているのだろう。棚が三列、ノートと鉛筆と消しゴム、そしてシャープペンシルが並んでいた。少ない。あきらかに品物が少ない。それでも私が気になったのは、レジらしき場所はあるが、肝心のレジ機がないことだ。その代わりに、教科書やテレビでしか見たことがない、そろばんなるものが一つ、置いてあった。まさか、あれがレジ機の代わりなのか。

「……いらっしゃーい」

「うわっ」

 急に背後から声をかけられ、私はつい悲鳴を上げてしまった。何をしているのだろう、私は。しかし驚かそうとした人物を睨みつけようと、後ろを振り返った。

「いらっしゃい、お嬢さん」

「あ、はい……。どうも……」

 肩に入っていた力が抜けていく。背後に立っていたのは、赤いチェックのエプロンをつけた優しそうな笑顔を向けたお婆さんだった。肩すかしを喰らって、私はつい丁寧に答える。

 すっかり白髪になったお婆さんは、そのまま私の横を通りぬけてレジらしき、そろばんの置いてある机に向かった。パイプいすを引いて、腰を下ろした。

「それで、何か探し物かい? 小さなお嬢さん?」

「あ、いえ。ただこんなところに文房具店なんてあったんだな~と思って、軽い気持ちで入ってしまいました。すみません……」

「いいんだよ。今日はお客さんが少なくてね。さっきまで奥で休んでいたところだよ」

「あ、そうですか……」

 だからか。店内に人がいなかったのは。

 私は気を取り直して店内を物色する。ノートは小学生用の漢字練習帳から、算数のマスノート、中学生や高校生も使える無地の大学ノートなど、ありきたりなものはあった。鉛筆はHBなどの一般用、それとバリエーションはないが、色鉛筆も一応置いてあった。

 真新しいものはなく、私は最後の棚を覗く。ここは比較的新しいようで、ボールペンやシャープペンシル、万年筆などが売られていた。下の方にメモ帳があって、試し書きできるようになっている。何枚か使われているようで、メモ帳は少なっていた。それなりに客は来ているのだろうか?

「すうすう……」

「?」

 さっきまで聞こえなかった音が聞こえて、私は棚から少し顔を出して、お婆さんの方を向いた。パイプいすに腰掛けて、首をゆっくりと上下しながら微かな寝息を立てていた。

「眠ってる……」

 よっぽど疲れていたのだろうか。それとも今はお昼寝の時間なのか。どっちにしろ、このままお婆さんを放置して帰るわけには行かない。泥棒でも入ったら危ないし、起こすのは気が躊躇う。

 私は少しここで時間つぶししようと、先ほどのシャープペンシルのある棚に戻った。

「へぇ………。今、こんなの売ってるんだ………」

 グリップの角度を変化できるものを試し書きしながら、ぼそっと最近の文房具事情を呟く。私が持っていたのは子供っぽいピンクのシャーペンだから、こういう多機能とか最新の機能のペンが羨ましい。

 一つ一つ、ペンを物色していると、奥のほうにも隠れた品物があるのに気付いた。筆立ての中には、ふつうは同じ商品をまとめて入れているものだ。しかし、その筆立ての中に入っているペンたちは、色や形、長さと一つとして同じものはないようだった。しかも少し汚れているものもある。

「売れ残りをまとめているのかな?」

 私はそんなことを思いながら、一つ、ペンを取ってみる。キャラクターもののペンで、可愛らしいタッチの動物が側面に描かれている。

 私は試し書きしようと、カチッと芯を出す。と、そこで裏側に何か文字が書かれているのに気付いた。

「3年1組………よしかわはるこ?」

 女の子の名前だった。まだ幼稚で拙さが残る文字でしっかりと書かれていた。

「なんで名前なんか………。これ、忘れ物?」

 店内で忘れたペンをここにまとめて保管しているのかな?

 私はそのペンの持ち主に悪いが、メモ帳に試し書きをする。

 ……しっくりこない。

 芯はぼろぼろで、綺麗な字が全く書けない。それ以前になんというか、手に感触が馴染まないのだ。

 私はこのペンを元に戻し、違うペンを手に取った。今度はシルバーの少し重量感あるボールペン。もしかしてと思い、また裏側を見た。

「これもだ……」

 さっきの女の子のペンと同じように、このボールペンにも名前が書かれていた。今度はすべて漢字で、丁寧に書かれていた。持ち主の几帳面さが窺える。

 私は再びメモ帳に試し書きする。

「?」

 書けなかった。インクが切れているのか、ペン先からは何も出ていなかった。これも不良品か。

 私はペンを元に戻して、嘆息する。何をしているのだろうか、私は。人の持ち物を勝手に試し書きしたりして。

 しかしどれもうまく書けないものばかりだ。これは一体どういうことだろう?

 私はもう、お婆さんを起こして帰ろうと思い、その場を離れようとした。が、ちらりと視界に入ってきたものに行動を止めてしまった。

 先ほどの持ち主の名前が書かれた筆入れに入っていたピンク色のペン。なぜか見覚えがあるような気がして、そのペンに手が伸びる。

「これって………」

 ピンク色のシンプルなシャーペン。子供っぽいデザインのペンに、私はふと思い、裏側を覗きこんだ。そこには見慣れた名前が書かれていた。

「……立花このか」

 私の名前だった。間違いない。つまり、これは私のペン……?

 よく見れば、私の持っていた唯一のペンに似ていた。いや、これだ。間違いない……が、私は自分の名前をこのペンに書いただろうか? 記憶にない。

 それにしても、なぜこれがここに? てっきり失くしたとばかり思っていたのに。

 私はこのペンをメモ帳に試し書きした。手にしっくりと馴染む。それでいて、ぴったりと私の指に吸い付く。芯を出して私は文字を書いた。何を書くかは、自然と頭に浮かんだ。

『おかあさん………』

 私は自分の頬が濡れているのに気付いた。手で拭ってみても溢れるように次々と流れてくる涙。

 私のペン……。

 最期まで掴めなかった、私の……ペン。



 きっかけはなんだったのだろう? もう憶えていない。いつからかクラスで孤立して、私は独りになっていた。そこでは定番のいじめがあった。靴を隠されたり、上履きに画びょうなんてオーソドックスのいじめ。教科書には落書きはされなかった。毎日持ち帰っていたし、筆箱にだって細工はされなかった。

 けど、私の……お母さんから入学祝いに買ってもらったピンク色のペンだけはいつも持ち歩いていた。これだけは、いたずらされたくなかったし、なにより唯一の遺品だからだ。これを手放すと、お母さんの思い出まで手放すような気がして……。

 でも、それも取られた。

 体育の日。跳び箱であるにも関わらず、私はお母さんからもらったペンをポケットに隠していた。そして、私が跳び箱で跳んだときに、ペンが落ちてしまったようで、彼女らに渡ってしまった。

 毎日のように返してと頼んだ。登校から下校まで。それはお母さんの命日の日まで続いた。

 私はその日、帰り道まで付いて行き、返してと頼み込んだ。さすがに鬱陶しく思ったのか、彼女らはそのペンをついに放した。

 滅多に通らない、通学路の車道。そこにぽいっと、ペットの犬と遊んでいるように、放り投げた。

 私は何も言わず、とぼとぼと歩いて、ペンを拾い上げようとした。

 

 しかし、右から耳を裂くようなブレーキ音で、ペンを拾い損ねてしまった。


「私……。やっとお母さんのところに……行けるね」

 ずっと捜していた。毎日のように学校と自宅を行ったり来たりして、それは永遠に続くとさえ思っていた。しかし、なんの偶然か、こんな文房具店にあるなんて。

 私はお婆さんがまだ眠っているのを見て、ペンを胸に抱いてレジに近づく。ゆっくりと首を上下するお婆さんに、私はお辞儀する。

「これ、もらいますね。いくらですか?」

 聞こえていないだろう。しかし、言わなくてはならない。前は私の持ち物だったが、今はここの商品だ。

 お婆さんはこっくりとしたままだ。返事はない。が、良い夢を見ているのか、お婆さんの表情は笑顔だった。

 私は少し罪悪感にさいなまれたが、ピンクのペンを胸に抱いたまま店を出る。出口に向かおうとしたとき、背後から、何か聞こえた。

 寝言? 振り返ってみたが、姿勢は変わらず、首を上下している。今耳に届いたのは気のせいだろう。

 私はもう一度お辞儀をしてから、ドアに手を伸ばした。からんとドアの上についていた鈴が鳴って、私は文房具店を出た。

 ピンクのペンを大切に抱いて。





 お婆さんはそろばんの横にあるノートを開いた。ノートには売れた商品を記したものが書き連ねてあった。茶色く変色したノートの末尾に、お婆さんは今日の日付、売れた商品名、個数を書く。

『筆箱、1つ。大学ノート3冊』

『思い出ペンシル、1本』



                完


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