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恋の行方  作者: 花々也
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春を待ちわびる頃

  綱渡りのような日々をを経て、今日は身を切るような寒空の中を麻生理恵は息を弾ませながら恋人のアパートへと急いでいた。

 今日は約束したクリスマスイブの夜。

 この日を乙女のように待ち焦がれていた。


 吐く息は白く、晒されている頬や耳は赤い。

 手にまだ温かいチキンとクリスマスらしいデザインの箱に入った小さなケーキと、それからパスタとスープの食材とサラダの入った袋を抱えて足早に歩を進めていた。

 しっかりと防寒対策を取ってはいても隙間から冷気が入り込んで来る。

 だが寒さなど気にならない程に今夜のクリスマス家デートが楽しみで仕方がない。考えただけで外気とは逆に身と心は上気した。

 一般的な女性にしては安上がりで欲がない女だと見られそうだが、人目を集める恋人と外出など、とてもではないが落ち着かない。それに男の懐事情も知っている、見た目程豊かではなかった。友人の女の子達に予定を言えば、ディナーに連れて行って貰ったり高いアクセサリーでも強請れと囃し立てるに違いない。でも麻生理恵にとって、恋人と一緒に過ごすという事が最も重要だった。

 クリスマスは一大イベント、他からの誘いも当然たくさんあった筈。それらを断って男が恋人である自分を優先してくれたという事実が、愛情が一方的なものではなくて愛し愛されてる関係なのだと再確認する事が出来て、自信に転換された。

 大学生になってからまた浮気をされたり再度連絡が取れなくなったりして一時は迷いも生じたけれど、そんな事はどうでもいいとすら思っている。吹っ切れたというよりも、気にならないが正しいのかもしれない。

 

 会いたくて会いたくて、夜が待ち遠しくて仕方がなかった。


 漸く恋人のアパートが見える位置まで辿り着いた。男の部屋は二階奥の角部屋。

 明かりがついている。

 ほっと胸を撫で下ろした。


「あ……、良かった……」


 信じていなかった訳ではないが、待っていてくれるのを確認するとやはり安堵する。表情にもそれが現れ、寒さに強張った頬や唇が持ち上がり笑みを形作った。

 女は逸る心を抑え、住人に迷惑が掛からないように静かに階段を上って行く。鉄板の階段と表面がコンクリートの造りになっている通路は足音が響きやすい。

 木目調になった安っぽいドアの前に辿り着き、一呼吸置く。

 チャイムのボタンを押すと、部屋の中から微かに“ブー”と古ぼけた音が聞こえる。ちょっとクリスマスには似つかわしくない音だと苦笑いが浮かんだ。

 でも、胸はドキドキと高鳴っていく。

 一秒、二秒、三秒とドアが開くのを待つ。


「?」


 何の応答もない。

 もう一度押してみる。

 すると今度は中から荒々しい足音が近付いてきた。

 心に安心が生まれ、小さく息を吐き出す。

 なんだ、やっぱり居るじゃない。もう、また下の人から苦情が来るよ。

 住み始めたばかりの頃、男は家主から注意されたと愚痴をこぼしていた。

 一応注意を促さないと。そう心に留めて佇まいを正す。

 言っても不機嫌な顔をするのだろうけどと笑みを浮かべて、女はドアの開閉の邪魔にならない位置に僅かに身をずらした。


「はい」


 ドアが開くのと同時に、男の不機嫌な声が降ってきた。

 覗いた男の顔は声と同様に不機嫌そのままで、つい吹き出しそうになる。


「遅くなってゴメン。あちらこちらに立ち寄ってたら思ったより時間が掛かっちゃって」


 にっこりと笑って声を掛けるも男の表情は動かない。


「どうしたの?」


 女の姿を確認すると男は無言でドアを大きく開いた。

 楽しみにしていた筈だけど、急に面倒になってしまったんだろうか?


「何? 何かあった、の……」


 そう考えて掛けた女の言葉は途中で途切れた。

 男の上半身は裸だった。下はジーンズを穿いていたけれど、急いで出たというのが分かる。前立てのファスナーすら上げられていない。

 でも何故、裸?

 首を傾げると、男の背中越しに奥のベッドが目に入る。そこにシーツを胸元にまで引き上げて縮こまる女の子が居た。

 麻生理恵はあの子の顔をよく知っていた。

 女の友人である。


 女の笑顔が凍りつく。


「……どう……いう事……?」


 休みに入る前に恋人の行方を尋ねた時には、「交流がない」と言っていた。

 あれは嘘だった? いつから? 騙してた? 頭の中で渦を作るように次から次へと疑問が湧く。

 女は呆然と立ち尽くし、言葉が出てこない。すると、急に友人が涙を零し始めた。


「ごめんなさいっ、……私……私……っ、諦めきれなくて……」


 わっと泣き喚き出すと、女の目の前にいた男は面倒臭いと言わんばかりに舌打ちをした。


「あー、すぐ帰す」


 男は玄関ドアの枠に背を預けてぶっきら棒に男が零す。心底、面倒臭いという顔だ。

 どっちが? そんな問いが女の心に浮かぶ。

 奥にいる友人は尚も声を震わせて言い募っている。


「そんなっ、シャワーくらい浴びたいわ、それに外すごく寒いのよ? 今夜は冷えるって言ってたの、なのに放り出すの? 風邪引いても構わないと言うの? ねぇお願いぃ」


「知るかよ」


 縋ってくる女の子を、男は至極面倒臭そうに頭をガリガリと掻いて突っ撥ねる。

 男越しに女を見る友人の眼差しは悲痛で、これではどちらが浮気相手なのか分からないと女は心の中で呟いた。

 まさに女の子の独り舞台。


「ごめんなさい、ごめんなさい、私ずっと好きだったの、抱いてくれたから少しは私の事、……好きなんだと思ってたのにぃ……」


「ちっ、うぜぇ。抱いてくれなきゃ帰らないって玄関先で喚いたからだろーが」


 冷ややかな声だ。一方的に言い寄る女の子の集団を男は平等に扱う。自ら声は掛けない、電話にも出ない、メールも読まない、ただ極稀に誘いに乗る事はある。男のケータイに出た女の子もそうだったんだろう。群がる女の子達はこれを狙っているのだ。あわよくば、恋人の座を手に入れようと野望を燃やして。

 それを面倒と切って捨てた。手を出しておきながら。

 何度目だろうかと、目の前で繰り広げられる遣り取りを聞きながら女は考えた。

 相手の迷惑になる行為と分かっていながらそこに付け込む、これはあんまりだ。

 先程までほっこりと温かかった心には冷え冷えとした風が吹いている。



 馬鹿みたい。

 女は心の中で自嘲する。



 未成年なのにシャンパン用意しとくって電話で言うから楽しみにしてたのに。美味しいって評判のパティスリーのケーキを予約して、大好きなパスタの為に美味しいっていうチーズも用意して、チキンだって温かいうちに届けたくてこの寒空の中を急いで来たのに。


 馬鹿みたい。一人で浮かれて。


 約束する前からどういう風に切り出せばいいだろうかと考えたり、いろいろ計画立てて楽しみにしていた、今夜の事はただの独り善がりだったんだ。

 恋人が聖夜の予定をを開けてくれていた、たったこれだけで幸せになれたのよ。


 馬鹿みたい。プレゼントまで用意して。


 ぎしぎしと女の心が軋む。



「私、お邪魔みたい。これ二人で食べて?」


 言い争いに発展しかけていた間に無理矢理割って入った。

 そして、持っていたチキンとケーキ、それからパスタやスープ、サラダの食材の入った袋を男に押し付ける。勢いで落とさないようにと受け止めたのを確認して一歩下がる。男の表情は動かない。


「さようなら」


 震えそうになる声を必死に抑えて男を見つめ、言い切る。本当にこれでさようならだ。そして、今出来る精一杯の笑顔を浮かべようとして、歪んだ。

 込み上げてくるのもを感じ、直ぐに背を向けて狭い通路を歩きだす。

 引き止められる声は掛からない。

 早く早く遠くへと心が逸る。


 暫くして、背後でドアが閉まった。


 寂しい。溢れそうになる感情を無理やり押し込める。まだだ。

 住人に迷惑がかからないよう、殊更慎重に震えそうになる足で階段を下りる。

 早く早く、決壊する前にと。麻生理恵は懸命に足を動かして恋人だった男のアパートから遠ざかった。


 修羅場で女二人に責められたらあの男はうんざりとするだろう。もしかするとその場から逃げだして行方を晦ましかねない。それ程我が儘で面倒臭がりな男なのだ。

 浮気の事はとうとう有耶無耶になってしまった。一度くらい責め立てて謝罪させても罰は当たらなかったのに。

 以前に“可愛げがない”と男に言われた言葉が胸を突く。

 でもいい、最後までその認識のままで。

 どうしたら相川敦志に愛される存在になれるのだろうと唇を噛み締めた。



「お幸せに」


 メリークリスマスとは言えず仕舞いだったと 麻生理恵の頬を一粒の涙が伝う。





 翌朝、麻生理恵は目が覚めると、力の入らない身体を起こしてベッドの上にぼんやりと座り込んだ。

 昨夜は帰宅するやいなや涙腺が決壊し、そのまま泣き明かした。

 化粧も落とさずにいつの間にか眠ってしまって、気付いたら朝。

 お陰で目が腫れぼったく、頭も重い。

 ベッドの上から動けないのはその所為だ。

 ふら付きながらもどうにか立ち上がると、重い体を引き摺って洗面台に向かう。正面に取り付けられた鏡を覗くと、そこには酷い顔をした自分の顔があった。


「これじゃ……千年の恋も醒めるわ」


 喉もカラカラで違和感がある。

 眼裏からじんわりと込み上げてくるものを感じ、蓋をするようにぎゅっと瞼を閉じた。

 今日は外に出掛けられそうにない。

 元より、恋人とずっと過ごすつもりだったから出掛けなければならない用事などないが。


「元、恋人になったんだっけ……」


 自嘲するように唇を歪めて瞼を開いた。

 でも、それで良かった。

 クレンジングを手に取り丁寧に化粧を落とすと、優しく洗顔をする。

 涙でごわごわになった肌を労わるように。



 洗顔を済ませると幾らかはすっきりとした。

 鏡に映る女の顔は暗い影を落としてはいるが、起き抜けの時の悲愴さはない。

 これから時間をかけて男への思いを昇華していけばいい、この休みは良いインターバルになると呟いて前を向く。

 心を落ち着けると、バッグの中に入れたままになっていたケータイを取り出した。

 昨夜、電車に乗った時に電源を落としそのままだ。

 男の声を聴いたら口を開かずにはいられなくなるから。一旦口を開いてしまったら、どんな言葉が飛び出すか分からない。


「最後くらいもっと言ってやれば良かった、……本当に、私って可愛げがない」


 女は自嘲の笑みを口元に浮かべる。

 そんなの言い訳だ。本当は見る勇気がなかっただけ。

 期待をして、何の着信もなかったらそれはそれで悲しいから。でも、このままという訳にはいかなかった。


 電源ボタンを押してじっと待つ。


 まず、着信を確認して誰からも掛かってきてない事が分かると僅かに肩を落とした。

 次にメールを確認する。

 そこに思いかけず男の名前を見つけて、女の心が揺れた。


 ひとつ息を呑み、震える指でボタンを押す。


 題名に『ありがとう』とある。

 本文を開くと、『うまかった』と、これだけ。


 あまりにも素っ気ない内容だ、女の顔に笑みが浮かぶ。

 でも、男にしたらこれが精一杯の謝罪なのだろう。

 不器用な男を思って泣き笑いになった。


 『ありがとう』なんて嬉しい文字を打たないで。『うまかった』なんて返ってきたの、初めてよ。

 もっと早くに欲しかった。

 いつだって俺だけ見てろなんて我が儘言って、だったら一言『愛してる』と口説いてくれたら良かったのに、そしたら……。

 伏せた女の眦からほろりと落ちる。

 あれだけ泣いたのにまだ涙が出ることに驚く。

 女は指で拭って上へ顔を向けると、しきりに瞬きを繰り返して遣り過ごした。


 結局、不安は的中してしまった。同棲してなくて良かったのかもしれないと自嘲する。



 漸く心が落ち着いた。と、その時、チャイムが鳴る。男のアパートと違って軽やかな音だ。

 驚いて持っていたケータイを落としそうになった。


「…………」


 こんな日にと、女は煩わしそうに眉を寄せる。

 帰ってと願いながらじっと待っていると、暫くしてもう一度鳴った。

 一体誰だろう、帰ってくれないだろうかと身動ぎもせずドアを睨み付けた。

 目は腫れてるし、すっぴんだし、とても対応できる状態ではない。

 じっと息を潜めている間に、三度目のチャイムが鳴った。

 しつこい。

 何も頼んでないから宅配ではない筈だ。実家からも送ったような連絡はないから、それでもない。

 友人は訪ねる前に必ず連絡をくれるので、それもない。

 その前に彼氏とのデートで私の事など思い出しもしないだろう。

 その内の一人は昨夜男のアパートに居た。

 益々出る気が失せてこっそり溜め息を吐くと、今度は手元のケータイが鳴りだした。


「ひぅっ……」


 突然鳴りだしたケータイは音を立てて床に転がる。

 文字通り、女は驚いて飛び上がった。

 早鐘を打つ心臓を抑えて、転がり落ちたケータイを拾う。

 無事だった。

 傷一つ付いていないフォルムを見つめて吐き出した息が途中で止まる。

 表示されていたのは男の名前だ。

 身体に緊張が走る。続いていたコール音が途切れた。

 安心したのも束の間、再びコール音が鳴りだした。

 居るのは分かってるんだぞと、告げるように。

 溜め息を吐き出しそうになって、今度はチャイムまで鳴りだす。

 やがてチャイムが止むと、ドアを叩き付ける音が響く。

 女が身を竦めると、そのドアの向こうから、まだ若いけれど聞き覚えのある男性の低い声が聞こえてくる。


「理恵」


 止まっていた涙が一つ頬を伝う。


「敦、志……、何なのよ……」


 もう終わったのに。

 女の顔が悲しい色に染まる。





 カチリと音を立てて開いた隙間から恋人がそっと顔を出した。


「何?」


 普段の明るい物言いと比べて素っ気なさすぎる対応にも驚いたが、俯き加減の顔を一目見て、相川敦志は目を張った。

 明らかに泣いた後だ。

 男は初めて見た恋人の姿に動揺する。

 泣かした。泣かしてしまった。情けなく下がった口角が益々下がっていく。

 同時に、“次は別れる”の言葉が脳裏に蘇る。

 以前許された事であまり気にしなくなったが、あれは冗談でもなんでもなかった。それに昨夜の「さようなら」も。あれは本気だったのかと、ぐっと奥歯を噛み締めた。


「クリスマスケーキ、一緒に食べよ」


 普段より少し明るい声で言葉を紡ぐ。掲げたのは昨夜恋人に渡されたケーキ。

 メール同様、これが男に出来る精一杯の謝罪だった。

 しかし、潤みそうになる眼にしっかり力を入れて恋人は突き放した。


「私達もう終わったでしょう?」


 この寒い冬空同様の冷たい言葉に、男の握りこまれた拳に一層力が籠る。


「俺は、理恵と別れる積りはない」


 謝罪よりも先に口から飛び出したのは決意に満ちた言葉だった。

 ドアノブを握る女の手にも力が籠る。

 歓迎されてない事を表すドアの僅かな隙間は恋人の複雑な気持ちも同時に表していた。


「あの子は本気みたいじゃない」


 指し示された昨夜の事に、眉がピクリと動く。

 平素を心掛けた表情は、他の女の話を持ち出された途端に仏頂面へとなった。


「……知らねーよ」


 恋人にはつい甘えがちになる癖が抜けなくて面白くないと言わんばかりの声が出てしまう。

 その口調は拗ねた子供そのもので、周りには愛想のなさが可愛らしく映る。

 気付けば見入っていた麻生理恵も自嘲した。本当に毒されてる、と。


「イブを一緒に過ごしたんでしょう?」


「……知らね」


 相川敦志はぶっきら棒に言って外方を向いた。恋人には言えない文句を心の中で吐き捨てる、冗談じゃねぇよ、と。


 しかし、男の可笑しな様子を女は首を傾げて見ていた。一晩過ごした女の子に対する反応にしては変だと。昨夜は喧嘩腰ではあったが、基本的に平坦な対応をするだけに一夜明けた今も引き摺って感情を露わにするのは珍しい。

 への字になった口といい、不機嫌な顔といい、何かあったのだろうかと女は考え込む。

 もしかして友人だと知らなかった……のではと、一つの理由に思い当たったが、終わった事だと切ない気持ちを振り切った。


「おいしかった、ってメール送ってくれたじゃない」


 あれは嘘だったのかと見上げれば、男はその口から「あぁ、」と吐き出す。


「嘘じゃない。今朝は何も食ってないから腹減った。だからパスタ作って」


 女の目の前に突き出されたのは、用意しておきながら昨夜男に丸ごと押し付けたショピングバッグだ。見覚えのないボトルが覗いているが、それよりも男の言葉に目を見開いた。


「食べなかったの!?」


 驚いた拍子にドアが全開になる。

 部屋の中も丸見えになるが、女はそんな事には構ってられないとばかりに男を問い質す。


「チキンは食った」


「それだけ!? 作って貰って食べれば良かったのに、全然足りなかったでしょう?」


 別れたはずなのに、性分故か男の腹を心配をしている。女はそれに気付いてない。

 これが友人だった頃から変わらないノリだ。恋人ではないと言うのならもう放って置けばいいのに、つい口を衝いて出る。男もこれを悪く思う筈がなく、たった今まで底辺を這っていた機嫌を僅かに上昇させた。

 しかし、「パスタとサラダとスープ、それにケーキもあるからたくさんは買ってなかったのに」と続いた女の言葉で眉を顰める。


「どーしてあの女に食わせなきゃならねぇんだよ、一人で食ったよ」


「はい!? 一人で!? あの子はどうしたのよ、」


 調達してくると宣言してたから男のアパートにある冷蔵庫には他に食材はなかった筈だと昨夜の女に対する恋人の気遣いを聞いて、男はハッと笑い飛ばす。


「知らねーよ、食ってさっさと寝たし。朝には居なかった。てか、さっきから何であの女ばっか気にするんだよ! 元凶はあの女じゃねぇか! 友人だろ!? ああ、元だっけ? 理恵が来たと思ってドア開けたらあの女が立ってたんだ。あの女さえ来なかったら理恵と過ごせたのに!」


 友人だと知らなかったと相川敦志は語気を荒げてぶちまけた。

 ここが外だとか声が響くだとか頭の中にはない、乱れた息遣いが寒空に溶けると静かになった。

 浮気した事を棚に上げて口を尖らせる男を麻生理恵は唖然と見上げる。


「……開き……直り?」


「悪いかよ。……だって、……理恵は俺に何も言ってくれないじゃないか。大学に入学したら一緒に暮らそうって言ったのに、嫌だって言うし。好きとも愛してるとも、言葉にすらしてくれない」


「……そう?」


 恋人がしまったと僅かに怯んだ隙を見逃さず、男は必死に訴えた。


「一度もない! 俺の所有権を主張したのはたった一度だけ、一緒に住まない本音も聞いてない! ……俺だって……不安なんだよ、」


 男の強い眼差しが潤む。

 大学で見せる、文句も好意もクールに流す普段の姿はどこにも無い。迷子になったような顔だった。

 親しい相手にだけ見せる、まるでガキ大将のように踏ん反り返る姿からも、大学で女の子達にキャーキャーと言われてる姿からも程遠い。

 面倒臭がりな男が朝から態々足を運んだのだ、もうそれだけでどれ程思われてるか理解できるというものだ。

 これが分かっただけでも良かった。もう満足だと、女は口元を綻ばせる。

 女は先程までの態度を改め、落ち着きのある眼差しで相川敦志を見上げた。


「お互い言葉が足らなかったのね。好きよ? 敦志。……でもね、言わせなかったのは敦志なの」


「俺?」


「信用できないのよ」


 浮気は一度だけではない、昨夜もそうだったと女が呟く。ショックだった。怒りもあった。

 浮気した事を先に責めるべきなのか、それとも約束の日にアパートへ浮気相手を入れた事を責めたらいいのか。もしくは、浮気相手が友人だったことや友人だと知らなかった無関心ぶりを責めたらいいのか。いろいろありすぎて話し合う術も放棄し、別れを決意した。

 何よりも、恋人を寝取った友人を前にして取り乱したくなかった。詰まらない女のプライド。

 だから黙って身を引いた。夜の一人歩きは寒さが身に染みて情けなく、それがより一層悲しくさせて心を落ち込ませたのに、分かってないのだろうかと女は首を傾げる。



「他の誰かと共有する積りは無いと言ったわ、でも敦志は最低限の約束一つ守ってくれなかった」


「でもそれはっ、」


 寂しかったからと声を大にして訴えようとして塞がれた。


「私の所為? 違うでしょう? 周りに張り付いてる女の子達だって、敦志が面倒臭がらずに態度をはっきりさせれば諦めて去って行くわ。私には余所見をするなと言うけど、敦志はいつも余所見してる。だからつい口煩くなるの。鬱陶しい? でもこれが私なのよ」


 一年やそこらの浅い付き合いではない。分かってくれてると思ってたのにと、悔しい思いが込み上げて来る。女が怒ってるんだと強い眼差しで見返せば、男は両腕を力なく下げて俯いてしまった。


「……ごめん……」


 謝罪の声にも力がない。


「高校の頃は楽しかったわよね、いつも追いかけてたわ。直ぐに行方不明になるんだもの、あちらこちら捜し歩いて漸く見つけたと思ったら遅いなんて勝手な事言って……」


 そこで言葉が途切れる。もう終わってしまった事まで思い出していた。あの時、いつものように探していたら他の女の子とヤってる所に遭遇してしまったのだ。


「……ふふっ……言わなかったじゃない、言わせなかったのよ。私をだけを見ていてくれなかった、だから一緒に住めないの。遅かれ早かれきっと駄目になってたわ」


 男は何も言わない。ケータイに登録されているアドレスが勝手に弄られて着信拒否されてた一件での遣り取りは、女に大きなダメージを与えていた。そこに昨夜の浮気だ。

 両者の心に避けたい未来が伸し掛かる。

 相川敦志の肩が情けなく下がった。

 避けても結局は駄目になる運命だったのかもしれない、そう女は受け入れた。


 全開になっているドアに手を掛ける。

 このドアを閉じてしまえば終わり。高校一年からの付き合いに終止符を打つ事になる。

 三年半かと、感慨深く心の中で呟く。

 未だに顔を上げようとしない男に無言で別れを告げて、理恵は腕を引く。




「待って」


 ずっと黙り込んでいた敦志の声だった。閉じかけていたドアは途中で止まり、見れば彼の手が掛かっている。


「……イブとクリスマス……空いてるって言ったけど、嘘なんだよ。……一緒に過ごしたいからバイト、無理やり休みを捻じ込んで誘ってくれるのをずっと楽しみに待ってた。休みに入る直前まで行方不明になってたのは、プレゼント買いたかったからバイト増やしたんだ。今まで、大事にしてやれなかったから、いつも怒った顔や感情を押し殺した顔ばっかり俺がさせてるから、喜んだ顔見たくてっ……」


 声に涙が滲む。


「……理恵じゃないと嫌なんだ。……寂しいよ、」


 馬鹿……。

 どうしてそれをもっと早く言わないのか。機会はいくらだって有った筈なのに。

 心の中で男を罵る女の目が座った。

 こうならなければ一生言わなかったのかもしれない、この男は。

 立ち尽くす男の肩は僅かに震えていた。

 あーあ、そんな事聞いたら「さよなら」なんて突き放してドアを閉めれないじゃないの。

 女が溜め息を吐けば、目の前の男は肩を震わせて恐る恐る顔を上げる。




「泣き虫」


 目が赤い事を指摘してやれば、敦志は照れ臭そうに目元を手で隠す。


「見んな……理恵だって兎みたいになってる」


 返ってきた言葉は弱々しい。


「そんな顔で外は歩けないわね、お金持ちのマダムにお持ち帰りされてしまうわよ」


「理恵が拾って」


 欲が無いと女は思った。

 望めばもっといい女だって手に入る男なのに。

 ケータイを勝手に弄られていた事が分かった時は男が手を掴んで引き止めたけれど、今度は女から手を取った。


「四度目は承知しないから」


 他にもたくさん浮気した相手がいる筈と女は分かっている。もう、許さないとか別れるとか、そんな事を考えても無駄だろう。

 またこうしてよりが戻るに違いない。だったら男が震え上がるようなペナルティーを考えようと女は心を新たにする。


 女の心の内を知らぬ男が離すまいと手をしっかりと握り返した。

 女の顔には苦笑いが浮かぶ。


「理恵、……愛してる」


 男は信じて貰おうと、必死に思いを伝える。


「私も愛してるわ、敦志」


 新年度が始まる頃には一緒に生活しているのかも知れないと、まだ見ぬ春に思いを馳せた。


 そんな季節。





 了

ここまで読んで頂いて有難うございました。


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