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それは、無糖珈琲の如く

 用意された離れは一人で住むには少し広かった。それでも、月影の館にある自室に比べると狭い方であったので少しは寛げそうだと有花は安堵の息を吐いた。

 それと同時にノックの音が室内に響く。


「はい」


 先ほど別れたばかりの初深が何か伝え忘れていた事でもあり戻ってきたのかと思いながら扉へ向かう。ノブを捻り扉を開けた向こうに居たのは、見事な夕焼け色の髪をした人物だった。


「めちゃ久しぶりやなぁ。元気してるかー?」


 男は、有花の驚きの表情も無視して笑みを浮かべながら言葉を紡いでいく。派手な髪色に関西弁。加えて、誰にでも愛想良く振舞われる笑顔。これだけ印象的な相手を忘れるはずもない。


「……朱夏(しゅか)


  相手の名を呼ぶと朱夏はさらに笑みを濃くした。

 初深といい彼といい、どうして、こうも笑顔を振りまく男が多いのだろう。決して、それが本心からではない事は既に体験済みである。いや、朱夏の場合は、全ての笑みが嘘で作られている訳ではない。しかし、彼は、この先も自分に本物の笑みを浮かべることなど無いだろうと思っている。故に今浮かべている笑みにも何か含みがあるのだと理解できるのだ。

 有花は、内心で頭痛を覚えながらも自分も負けじと笑みを浮かべ返した。


「朱夏も相変らず元気そうね」

「今、風邪引くわけにはいかんし」

「あら、何かあるの?」

「夏に向けて新メニューのゼリー考えてるとこ。良かったら、有花もまた食べに来てや」

「…………」


 そう告げられて、有花は曖昧な笑みしか返すことが出来なかった。

 その困惑の意味を理解したのか朱夏は目を細めた。


「まー、ええわ。ここに居るんやったらいつでも渡せるし」

「……貴方のことがよく分からないわ」


 そう呟いて有花は視線を逸らした。先ほどの穏やかな雰囲気は、すぐに湿り気の帯びた物に変わる。

 有花にとって朱夏の行動自体が不可思議なのだ。初深と同年代である彼は、もちろん私のことを知っている。初深と初めての挨拶を交わした際に、そこに彼もいたのだ。知らないはずがない。


 ――貴女は、あの時、私が言った言葉を覚えているのでしょう?


 初深が言っていたように、あの時の言葉も出来事も忘れる事は出来ない。今、思い出しても胸が締め付けられるくらいだ。彼らの言動に胸を締め付けたわけじゃない。自分の愚かな一面を露呈させる事になったことが苦しいのだ。

 だからこそ、正しいのは初深の方なのだ。彼らの方なのだ。遅かれ早かれ怜がそうする事は分かっていた。ずっと隠すわけに行かないことも分かっていた。紹介した後に、ああなる事も彼は想定済みだったに違いない。否、ああなる事こそが怜の望みだったのだろう。

 それ故に、少しでも優しさを見せる今の朱夏の考えが分からない。


「……その台詞は、俺の方やねんけどな」


 呟かれた言葉に有花は、顔を上げて彼へ視線を向けた。その視線に気付き、朱夏は真剣な表情を浮かべた。


「なんで、無理すんねん?」

「無理なんて……」

「してる。思いっきりしてるやん。俺が二年前のことを何も知らんと思うなや?」


 朱夏に言われて、ぎくりと顔が強張りそうになるのを慌てて無表情に戻す。

 二年前。愚かな自分の好奇心が招いた惨事を朱夏は知っていたというのか。いや、朱夏の耳に入らない事の方が可笑しいのだ。あそこは朱夏の店で、そこで働いている彼が朱夏に秘密を隠して置けるはずがない。

 けれども、この二年間、朱夏からも彼からも連絡がなかったので、もしかしたらと思っていたのだが、別の結果があったことをうっかり失念していた。

 月影の人間が取り次がなかったのだ。

 深く考えれば簡単に気付ける事だったのに、あまりにも自分自身の事に必死で忘れていた。


「俺はまだ、ええ。事情を知ってるからな。だけど、あいつは、まだ気にしてんねん。二年経った今でもな」

「彼が気にする事なんて何一つないわ。そう言ってあげれば良かったじゃない」

「だから、あんたは優しすぎんねん! 何でもない様に繕うてる! この二年あんたがどないしてたかなんてアホな俺でも想像できるわ!」


 言われた言葉に自嘲の笑みが漏れる。


(優しい? 誰が優しいの?)


 勘違いも甚だしい。これは優しさではない。そんな生ぬるい感情ではない。これは、ただの自己防衛だ。思い出したくない嫌な事に蓋をしたに過ぎない。私にとって彼らに気に病まれる事など厭悪の対象でしかない。



「そのくらいにして置け」


 朱夏とは違ってバリトンの声が朱夏の後ろから掛けられた。

 聞き覚えのある声に、有花は、また厄介な人間が増えたなと内心で感想を漏らす。

 現れた男は長身で黒髪、黒ブチの眼鏡をかけた男だった。


(みどり)


 二人の声が重なる。けれども、碧と呼ばれた男は視線を有花へ向けた。眼鏡の奥の鋭い眼光が有花を突き刺す。


「初深の言っていた通り、本当に住むのだな」


 ポツリと漏らされた感想に有花は笑みを浮かべるわけでもなく、ただ無表情で頷いた。


「朱夏も初深も甘ちゃんだな。これ以上、こいつに優しくしてどうすると言うのか」


 侮蔑の言葉が掛けられる。これが常であった。

  碧は私に心を許してはいない。けれども、有花にとっては碧の態度こそが正しいと言えた。

 しかし、なぜ、ここで初深も甘いと言われるのだろう。その疑問が顔に出ていたのだろうか。碧が、はっと鼻で笑った。


「本当に嫌なら門戸に鍵でもかければいい。無理やり追い出せばいい」

「それは間違いよ。怜の命令だからこそ初深は逆らえなかっただけ」


 そう反論すると、またしても碧は蔑むように鼻で笑った。


「無自覚だからこそ恐ろしい」

「何が言いたいの」

「有花。早急に出て行け。俺が言いたいのは、それだけだ」


 自分を名前で呼ぶときは、彼が本気で言っている事なのだと理解していた。つまり、碧は本当に有花に出て行って欲しいと思っているのだろう。

 彼の本音に一瞬挫けそうになる。けれども、分かっていた事だった。覚悟の上で有花は、屋敷を出てきたのだ。誰を敵に回しても一人で戦うと決めている。


「嫌よ」


 そうはっきりと伝えると、碧の表情が険しくなった。

 今にも掴みかからんと言わんばかりの濃い雰囲気が、そこに集まってくる。


「ちょお待てや。お二人さん。俺を無視すんのは、いただけんなー」


 張り詰めた空気の中、朱夏が緊張の糸をプチリと断ち切った。

 二人を離れさせるように間に入ろうとする。それを有花は手で制した。強く碧を睨みつける。


「これだけは貴方でも譲れない。たとえ殴られようが蹴られようが、私は、ここから離れない」


 有花がそう告げると、碧はあからさまに大きな溜息を吐いた。

 くいと中指で眼鏡を押し当てる。そして、有花に背を向けると無言で去っていった。


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