【029】
「……馬鹿、……阿呆、……ドジ、……間抜け、……お短小茄子、……土手かぼちゃ、……唐変木、……へちゃむくれ、……馬鹿、……阿呆、……ドジ、……間抜け、……お短小茄子、……土手かぼちゃ、……唐変木、……へちゃむくれ――」
後半ほとんど、同じことしか言って無いじゃん。僕のノートを丸々一冊も使っておいて、同じフレーズを最後のページまで、びっちりと書き連ねていたのかよ。じゃあ、ノート一冊も要らないじゃん。何、無駄にしてくれてんだよ。
けれど、天羽の言う通りならこれでドッペルゲンガーを倒せたはず、だった。そう、ドッペルゲンガーだったのなら。僕の目に飛び込んで来たその光景は、罵倒語に苦しむ如月のドッペルゲンガーなどでは無く――まさか、如月の言ってた鬼って。
その時、僕の携帯電話が突然鳴り響いた。
その着信は――天羽からだった。
「もしもし、御門君ッ!?」
天羽らしくも無く、電話の向こう側で慌てふためいている様だった。
「どうし――」
僕が言い終わるよりも早く。
僕の声を遮る様に。
「御門君、今直ぐ逃げてッ!」
天羽はそう言った。
「ちょ、ちょっと待て。どうしたんだ、天羽?」
「正体が分かったのッ!」
「僕も丁度、今分かったところだ」
見間違えるはずなど無かった。
カランカランと下駄の様な音を奏で、月夜で煌びやな髪を靡かせ、その手にはバチバチとスタンガンを唸らせる――地球からおよそ三八万四四○○キロメートル離れた月からやって来た宇宙人――ゆんだ。
「違う。ドッペルゲンガーの正体じゃなくて、その御門君と一緒に居る人のことッ!」
「一緒に居る人のこと?」
僕は、天羽のその言葉に如月の方を見遣る。
「良く聞いて。初めから、その人には影なんて無かったの。影を探して欲しいって言うのは、御門君へ近づく為の口実でしかなかったの。その人は――いいえ、それは平たく言えば、神よ」
「神?」
神。
人知を超えた存在。
ないし、概念。
神が嘘を付いてまで、僕に近づく理由なんて在るのだろうか。ゆんのように地球外から来たわけでも無く、天羽の様に特別秀でた才能があるわけでも無く、夏目のように霊が見えるわけでも無い。
それなら、何の為に。
気付けば、ここへ来たのが自分のドッペルゲンガーではないと分かってか、罵倒するのを止めていた。そのまま続ける必要も無い上に、続けていればただ失礼なだけなのだから、当然と言えば当然のことだ。
「久しぶりじゃのう、化け蛇。かれこれ、何日ぶりじゃったかのう、それとも何週間ぶりじゃったかのう、もしや何カ月ぶりじゃったかのう、まさか何年ぶりと言うことはあるまいな?」
「……そうして、あなたがここへ」
どうやら、二人は面識がある様だった。
それも、ずっと前から。
「バタフライ効果を知っておるかや? 無視出来るような極めて些細なことが、やがては無視することの出来ない大きなことになる現象のことじゃ。どこぞの誰かさんの些細な行動が、わっちがこうして化け蛇の呪縛から出て来れる程の大きな現象となったわけじゃ。まあ、大凡の検討は付くがのう」
ゆんは、そう言い首を傾げ、如月から視線を逸らし、その視線を僕の方へと向けた。何も分かっていない僕は、何も言わずに自分のことを指さし、ゆんへ確認を取ると、黙ったままコクコクと頷いていた。
「悪い、天羽。一旦、電話切るよ。明日、また説明する」
「うん、分かった。ちゃんと説明してね……明日が来ればね」
「え……?」
明日が来れば。
何やら意味深長な言葉だけを残し、天羽との電話は切れた。掛け直して、その言葉の意味を聞くのは、あまりに見苦しいので止めておく。このことの顛末が分かれば、自ずとその答えは出て来るだろう。
そう思ったからだ。
「大体、コータがこんな化け蛇なんぞに唆されるから、こんな面倒なことになったのじゃぞ。分かっておるのかや」
「ちょっと待てって。何を言っているんだ?」
僕にはゆんに攻め立てられる理由が皆目見当がつかなかった。
「蛇は、永遠の象徴にもなっておるのじゃ。コータがその化け蛇に睨まれた御蔭で、今日と言う日をずっと飽きるほどに繰り返しておったのじゃよ。初めのうちこそ、指折って日にちを数えておったが、三日目からそれも馬鹿馬鹿しくなったわい」
「三日って、指三本しか折ってないじゃんッ!」
ただ、ゆんの話に対する驚きが無いと言ったら嘘になるが、不思議とそこまで驚いてはいなかった。それは、僕の記憶の随所に、経験したような、していないような、知っているような知らないような――と言った、曖昧でいて模糊な既視感が残っていたからだ。




