第5話
毒物事件の調査は、アレクシスとレティシアの二人で進められていた。
文官の症状から、レティシアは“吸入型の毒”だと判断した。
アレクシスはその分析を信じ、宮廷内の空気の流れや配置を調べさせた。
そして──
「……犯人は、あの伯爵令嬢だ」
アレクシスが静かに告げた。
レティシアは無表情のまま瞬きをした。
(……婚約破棄の場で私を刺しかけた、あの人?)
「彼女は文官の机に“香り袋”を置いていた。
中身は毒草の粉末だ」
アレクシスは書類を閉じ、レティシアを見つめる。
「君を陥れるために、文官を利用したのだろう」
レティシアは無表情のまま答えた。
「……私を?」
「君が“悪役令嬢”だからだ」
レティシアは一瞬だけ視線を落とした。
(……やっぱり、そう見られてるんだ)
しかし表情は動かない。
アレクシスはレティシアの沈黙を見て、静かに言った。
「だが、私は違う」
レティシアは顔を上げた。
アレクシスの灰色の瞳が、まっすぐにレティシアを見ていた。
「君は優しい。
……誰よりも、他人の痛みに敏感だ」
レティシアの心臓が跳ねた。
(……そんなふうに言われたの、初めて)
しかし表情は動かない。
アレクシスはゆっくりと距離を詰めた。
「その無表情の奥にある揺れを、私は知っている」
レティシアは一瞬だけ目を逸らした。
アレクシスはその反応を見逃さない。
「また揺れた」
「揺れていません」
「揺れた」
レティシアは無表情のまま、ほんの少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
伯爵令嬢はすぐに拘束された。
証拠は揃っている。
しかし、彼女は叫んだ。
「レティシア様は完璧すぎるのよ!
あの無表情が……私を追い詰めるのよ!」
レティシアは無表情のまま言う。
「……私は、あなたを追い詰めたつもりはありません」
アレクシスが静かに補足する。
「彼女は誰よりも優しい。
君が勝手に敵にしただけだ」
伯爵令嬢は言葉を失った。
レティシアも、無表情のまま固まった。
(……誰よりも優しい?)
アレクシスはレティシアの方を向き、静かに言った。
「君は、誰よりも優しい女性だ」
レティシアの心臓が跳ねた。
(……そんな……)
しかし表情は動かない。
アレクシスはその無表情の奥にある揺れを見て、わずかに微笑んだ。
「その顔、やはり可愛い」
(……また可愛いって言われた……!)
事件が解決したあと、アレクシスはレティシアを中庭へ連れ出した。
夕暮れの光が差し込み、風が静かに吹いている。
「……レティシア嬢」
アレクシスはレティシアの前に立ち、真剣な表情で言った。
「君は、ずっと自分に厳しすぎた」
レティシアは無表情のまま答える。
「……そうでしょうか」
「そうだ。
他人の怪我にはすぐ気づくのに、自分の痛みには鈍い」
レティシアは一瞬だけ目を見開いた。
アレクシスは続ける。
「君は、誰よりも優しい。
……だから、私は君を守りたい」
レティシアの心臓が跳ねた。
(……守りたい? 私を?)
アレクシスはゆっくりと手を伸ばし、レティシアの頬に触れた。
その動作は驚くほど優しく、しかし確かな意志があった。
「無表情の仮面を外すのは、君が望むときでいい。
……だが、私はその下の君が好きだ」
レティシアの呼吸が止まった。
(……好き……?)
無表情のまま、しかし目がわずかに揺れた。
アレクシスはその揺れを見て、静かに微笑んだ。
「やっと、揺れたな」
レティシアは言葉を失った。
アレクシスはそっとレティシアを抱き寄せた。
大人の男の腕は温かく、強く、しかし優しい。
「……離れないでほしい」
レティシアは無表情のまま、ほんの少しだけアレクシスの服を掴んだ。
(……離れたくない)
アレクシスはその小さな仕草に気づき、レティシアの額にそっと口づけた。
「可愛い」
レティシアの仮面が、初めて完全に揺らいだ。
ほんのわずかに、唇が緩む。
アレクシスは息を呑んだ。
「……笑ったな」
レティシアは無表情のまま、しかし確かに微笑んでいた。
「……アレクシス様のおかげです」
アレクシスはレティシアを抱きしめたまま、静かに言った。
「これからも、君の時間を惜しまず使う。
……君が望む限り」
レティシアは無表情のまま、しかし心の中でそっと頷いた。
(……この人の隣にいたい)
夕暮れの中、二人は静かに寄り添った。




