第2話
レティシアは、今日も宮廷の廊下を静かに歩いていた。
完璧な姿勢、無表情、無駄のない足取り。
周囲の侍女たちは、まるで幽霊でも見たかのように道を開ける。
(……そんなに怖い? いや、怖いか。悪役令嬢だし)
今日は、婚約破棄後の“処遇”として、
宰相府での面談に向かう途中だった。
王太子妃教育の見直しと、今後の立場の再確認──
名目はそうだが、実際には宰相補佐アレクシスが担当するらしい。
(……なぜ宰相補佐が? もっと別の人でいいのでは?)
そう思いながら歩いていると、背後から落ち着いた声がした。
「レティシア嬢」
振り返ると、宰相補佐アレクシスが書類の束を片手に立っていた。
今日も忙しそうだ。
いや、忙しいどころではない。
宮廷で“最も捕まらない男”と呼ばれるほどの激務のはずだ。
なのに──
「少し時間をもらえるか?」
(……え? 今?)
レティシアは無表情のまま答える。
「宰相補佐は、お忙しいのでは?」
「忙しいが、君のためなら時間を作る」
(いやいやいやいや!?)
内心は大混乱だが、外側は氷の仮面。
アレクシスは歩き出し、当然のようにレティシアの隣に並んだ。
距離が近い。
近すぎる。
(……この人、距離感の概念がないの?)
「面談の前に、少し話しておきたいことがある」
「……必要でしょうか?」
「必要だ。君の“変化”について、確認したい」
レティシアの心臓が跳ねた。
(変化って……前世の記憶を思い出したこと? いや、そんなはずは……)
しかし表情は動かない。
アレクシスは横目でレティシアを見る。
その視線が、妙に優しい。
「先日の侍女の件、見事だった」
「当然のことをしただけです」
「その“当然”ができる者は少ない」
アレクシスは静かに言う。
「……褒められると、また表情が揺れるな」
レティシアは一瞬だけ目を逸らした。
(見られてる……! この人、観察力が鋭すぎる……!)
しかし表情は動かない。
アレクシスは微笑んだ。
「その無表情の奥にある揺れが、可愛い」
レティシアの足が止まった。
(……か、可愛い!? 私が!?)
無表情のまま固まるレティシアを見て、アレクシスはさらに距離を詰める。
「否定しないのか?」
「……否定する理由がありません」
「そうか。なら、これからも言う」
(やめて……! 心臓がもたない……!)
しかし表情は一切動かない。
アレクシスはレティシアを連れて、宮廷の中庭へ向かった。
本来なら、彼はこの時間、会議に出ているはずだ。
「……会議は?」
「後回しにした」
「よろしいのですか?」
「問題ない。私がいなければ進まない会議ではない」
(いや、絶対あなたがいないと進まないタイプの会議でしょ……!)
レティシアは無表情のまま言う。
「……宰相補佐は、私に時間を使いすぎでは?」
アレクシスは歩みを止め、レティシアの方を向いた。
「君が気になる」
レティシアの心臓が跳ねた。
「昔の君とは違う。
無表情の奥に、優しさと……脆さがある」
(脆さ……?)
「それを見ていると、放っておけなくなる」
レティシアは無表情のまま、ほんの少しだけ視線を落とした。
(……そんなふうに言われたの、初めて)
アレクシスは続ける。
「君は他人には優しいのに、自分には厳しすぎる。
……だから、私が時間を使う」
レティシアは言葉を失った。
(……そんな理由で?)
しかし表情は動かない。
アレクシスはその沈黙を肯定と受け取り、静かに微笑んだ。
「その顔、やはり可愛い」
レティシアは無表情のまま固まった。
(……また可愛いって言われた……!)




