【工学系女子シリーズ②】婚約破棄を繰り返す造船志望令嬢ですが、ギルドの先輩がやたらと優しいです ~デルフィニウムの花言葉は大きな夢~
「……マレナ嬢。婚約は、白紙に」
応接室の空気が、潮風よりも冷たく感じられた。テーブルの上の紅茶は湯気を立てたまま、誰にも口をつけられていない。
マレナ・ヴェントラは、反射的に背筋を伸ばす。
港湾都市ヴァレストでも名の知れた海運商家ヴェントラ家の娘。
濃い藍色の髪をひとつに束ね、背が高めで、海風で日に焼けた頬をした令嬢。
令嬢用のドレスを着てはいるが、指先には薄くインクの色が残っている。
「……理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
正面に座る青年貴族は、困ったように目を泳がせた。
「君は、とても優秀で……その……いい人だと思う」
(来た)
この前置きは、もう慣れた。
「ですが」
青年は小さく咳払いをする。
「君、船の話をすると……ちょっと、圧が強い」
「……圧?」
「目が輝くというか……すごくガツガツ来るだろう?」
マレナは思わず首をかしげた。
「でも、船旅がお好きって言うから、船、お好きなのかと……」
「嫌いじゃないけど、『どんな船が好きですか?〇〇とか、△△とか~』って、詰められるのは辛すぎる」
「いえ、私が言ったのは、キャラックとか、大きなガレオン、逆にキャラベル?ちょっと古風なカタロニア?……全く、一般的なものばかりで。もう少し聞くなら――」
「ほら!また、そういうところ!……あ、いや、失礼」
青年は小さくコホン、と咳ばらいをしてから、続ける。
「それに、結婚後も、港に通うつもりだと」
「はい。船を作る仕事がしたいので」
「……うちの母が言うには」
嫌な予感。
「海の仕事をする女性は、ちょっと荒っぽいイメージが、と……」
マレナは一瞬考えた。
そして、正直に言った。
「まあ、海の仕事だし、針仕事よりは物が大きいですね」
「ほら!」
青年は頭を抱えた。
「あ、いや、君が悪いわけじゃない。むしろ優秀で……ただ……僕は、君の夢の邪魔になると思うんですよ」
マレナは、すっと息を整えた。
「確かに、そうですね」
「……え?」
「お互いのことを考えて、婚約は白紙、ということですね」
青年は目を丸くする。
マレナは立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「短い間でしたが、ありがとうございました。どうか、お幸せに」
にこやかに、応接室を出て、扉をバタンと閉めた。
(……またか)
今月、三回目。同じような光景を、マレナはすでに何度も経験している。
「男だらけの現場に出るのか」
「船の話しかしないのか」
「結婚しても、家庭に入る気はないのか」
そのたびにマレナは、正直に答えてきた。
現場に出る。船の話はする。家庭に入るより、船を作りたい。
結果は、いつも同じだ。
――婚約は白紙に。
最初の頃は、少しだけ自分を変えようとしたこともある。
だが三分と持たなかった。
「好きになったわけじゃないけど……。にこにこ聞いてくれていたから、彼もちょっとは船好きなのかと思ったのに」
……本当は少しだけ、胸の奥が痛い。婚約破棄が続くのは、さすがに堪える。名家の娘としての価値が下がるとか、そういう話ではなくて——
(……私、そんなに変かな)
そんな疑問が、レンガみたいに積み重なっていくから。
「よし、終わり!」
マレナはぎゅっと拳を握る。
泣く暇があるなら、船の図面を引きたい。
行き先は一つ。
港へ続く道を歩くだけで、胸の奥が少し軽くなる。
潮の匂い、船大工の槌の音、乾いた木材の香り。造船ギルドの建物は、いつだってマレナの居場所だった。
そこでは誰も、マレナに、「令嬢らしくしろ」とは言わない。
代わりに言われるのは、
「線が甘い」
「もっと練習しろ」
「技を盗め」
そんなことだけ。男も女もない。
造船ギルドの扉を押し開けると、木屑と油の混じる匂いが迎えてくれる。
「おう、マレナ。今日は早いな」
受付の職人が顔を上げた。
「あれ?服……。汚れないようにしろよ」
マレナはドレスの上にエプロンを付けながら、こらえきれず言った。
「また婚約破棄されました!」
「今回は何が原因だ」
マレナは深呼吸し、勢いよく吐き出した。
「船の話が多いって」
「またか。船の話はここだけにしろって言ってるのに」
「そうなんですけどね……」
奥の作業台に向かうと、落ち着いた佇まいの、ひとりの青年が図面の束を広げていた。
セルジオ・コンティ。
マレナより少し年上の、二十代前半。黒に近い濃茶の髪を後ろで束ね、切れ長の目をした青年。指先はインクで汚れているのに、身のこなしは妙に洗練されている。
図面を引かせると異様に速く、しかも正確。すでに中型帆船の設計をいくつも任され、いずれギルドのトップになると噂される若手筆頭だ。
「おかえり、マレナ」
セルジオは顔も上げず、ペン先を動かしながら言った。声が静かで、波の音みたいに落ち着く。
「ただいま!また婚約破棄です!」
マレナは椅子にどさっと座り、机に突っ伏した。
「私、変なんですかね……」
セルジオは顔も上げず言う。
「まあ、一般の令嬢としては、変だな」
「断言!」
「だが」
ペンが止まる。
セルジオはようやく顔を上げ、マレナの額を指で軽くつついた。
「造船職人見習いとしては変じゃないし、むしろ将来有望」
「……それ、重要」
マレナが顔を上げる。
セルジオは、お世辞は言わない。マレナは、それを知っている。
だからこそ、それだけで、不思議と少し、元気が戻る。
「……私、いずれは、大きい船、作りたいんです」
セルジオはまた、ペンを走らせながら言う。
「知ってる」
「できると思ってます?」
「信じて続ければ、できる」
短い言葉なのに、やけに重い。
少し泣きそうになるのを誤魔化すように、マレナは鞄から巻き紙を出し、机に広げた。今描いているのは小型船の設計図。大型帆船の夢にはまだまだ遠いが、小さくても、基本は同じ。キール、フレーム、プランキング、マスト、帆装。力の流れ。水の抵抗。荷重。
「これ、また直したので、見てください。前より速くして、でも積載は落としたくなくて」
「欲張りだな」
セルジオは図面を受け取り、黙って線を追った。指先が止まるたびに、マレナの息も止まる。——この沈黙が怖くて、でも好きだ。
「ここ」
セルジオが指先で示す。
「肋骨の間隔。均一にしすぎると、波で“鳴く”」
「鳴く?」
「船体がしなる時、音が出る。疲労の前兆だ。ここを少し詰めて、代わりに——」
彼はさらさらと線を引く。たった数本で、図面が“船の骨格”に見えてくる。
マレナは思わず前のめりになる。
「なるほど……! 剛性を上げるけど、それと、重量は——?」
「軽くできる。材の取り回しを変える」
「ああっ、そうか! 木目の方向!」
熱が上がり、マレナの声が大きくなる。周りの職人が笑っているのが聞こえるが、気にしない。
「セルジオ、天才!」
「君もこの歳でこれだけ描けたら天才。ただ、興奮すると声がでかいな」
「船の話してると、声、大きくなりますよね」
「ならない」
セルジオが、珍しくはっきり否定したので、マレナは吹き出した。
周囲もくすくす笑う。
——この人の前だと、変な肩の力が抜ける。
ひとしきり手直しをもらうと、マレナはふと現実に戻った。
「そうだ。工学学院、受かりました」
「知ってる」
「なんで!」
「親方が、自慢気に言って回ってた」
マレナは頬を掻く。
王都の「王立アルセリオ工学学院(女子部)」。合格すれば一生ものの肩書きになる。マレナは嬉しい。嬉しいのに、同時に胸のどこかで怯えている。ここを離れたら、夢が遠ざかるんじゃないか、と。
「入るなら、しばらくここも離れないといけないですよね……」
「それでいい」
「……いいんですか?」
「ここで図面を引くのも大事だが、それ以前に学ぶべきことは山ほどある。材料、計算、流体、設計法。基礎から最新の知識まで学べる良い機会だよ。王都で吸収してこい」
マレナは一瞬目を輝かせるが、また、少し黙る。
「それに、両親が……若いうちに婚約しないとって」
セルジオは図面を畳み、マレナの頭をぽん、と軽く叩いた。
「大丈夫だ。3年経って卒業しても若いよ」
たったそれだけで、すごく安心する。
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それから数日後。
天気が良く、波は穏やかだが、港は朝から大勢の人が集まって、騒がしかった。
桟橋の先に、黒く塗られた船腹が陽を受けて艶を放っている。中型帆船。という名の船。
「セルジオ設計の新造船が進水するぞ!」
ギルドの仲間、みんなで見に行っていた。
マレナは背伸びして船首のラインを見つめた。波を切る角度、喫水、帆柱の配置。目が勝手に追いかける。
隣に立つセルジオが、腕を組んだまま言った。
「見すぎ。穴が開く」
「だって、すごいですもん」
「まだ中型だ」
支えが外され、船体がゆっくり滑り出した。ぎ、と木が鳴り、どん、と水柱が上がる。港中が歓声に包まれた。
「沈みが浅い!」
「安定してる!」
マレナは息を呑む。船体が海に収まる瞬間の美しさは、何度見ても胸が熱くなる。
「すごい。私もいつか……こんなの作りたい」
「作れるよ」
「作ります!」
「うん」
進水式の帰り道。
セルジオと並んで歩きながら、マレナがふと見ると、道端に、背の高い青い花が揺れていた。
「デルフィニウム!私、この花、好きなんです。
上に向かって、まっすぐ伸びてて。花言葉、“大きな夢”なんですよ」
「君らしいな」
「そうでしょう?小さなことにくよくよしてるのは、私らしくない。
先輩の船に、元気もらいました!今の気持ちのままギルドに戻って、この前の設計図、もう一回考えます!王都行く前に、完成させます!」
マレナは空高く、右手の拳を振り上げた。
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その日の夜。
マレナはギルドの隅の長椅子で寝落ちした。
図面を抱えたまま、いつの間にか意識が落ちていたらしい。夢の中でも船の骨組みが現れた気がした時。
ふわり、と毛布が掛けられた。
薄く目を開けると、セルジオが立っていた。ランプの灯りで影が落ちる横顔は、昼よりずっと大人びて見える。
「……セルジオ?」
「寝るなら家で寝ろ」
「ここ……落ち着くんです……。
子ども扱いしないでください……」
「してない」
マレナは再び目を閉じたまま、動かない。
セルジオは、毛布を整え、低い声で言う。
「……君は、僕にとってのデルフィニウムだからね」
「……確かに、大きいです……」
「まだ、寝てなかったか。
グラン・ソーニョ――意味は、大きな夢」
「あ、同じ……」
「そう。正直に言うと、設計、途中で何度も投げたくなった」
「えっ」
「でも君が楽しそうに図面引いているのを見る度、元気をもらった」
「……私、船が好きなだけです」
セルジオの手が、そっと、マレナの前髪に触れる。
「大丈夫。君の邪魔は、させない」
軽く、額に口づける。
ほんの一瞬。
触れるように。
「……っ!?」
マレナは飛び起きそうになったが、眠さで重い身体に毛布が絡んで動けない。
セルジオは何事もなかったように背を向けた。
「安心して、夢を見てろ」
それだけ言って、作業台の方へ戻っていく。
マレナは額を押さえた。
(いまの、なに……?)
心臓がうるさい。が、やがて、眠りに落ちていた。
そして数日後、ギルドで――
「……完成だな」
セルジオと二人で親方のところへ行き、マレナの小型船の設計図を見せる。
ゲンツ親方が無言で図面を見る。
「悪くねぇ」
振り返り、
「おい、ザム!」
作業をしていたベテラン職人のザムが来て、のぞき込む。
「この設計図の船、おまえのチームで作るぞ」
「面白そうだな。早速予定組むか」
マレナは深く頭を下げた。
「お願いします!」
そして、セルジオと二人、笑顔で顔を見合わせた。
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ここ数日は一人で食事を急いで取る日々が続いていたのだが、そうしてまた家で家族と食卓を囲むようになり、気付くと、両親は縁談を持ってこなくなっていた。
それだけではない。
母は、やけに機嫌がいい。
「学院の制服、頼んでおいたわよ」
父は、やけに歯切れが悪い。
「……勉強は、大事だからな」
以前なら、
「勉強しすぎて、また縁遠くならないかしら?」
「釣書、見たか?誰が良かった?」
などと言っていたはずだ。
夕食の席で、マレナは聞いてみた。
「……お見合い、しなくていいんですか?」
母は一瞬だけ言葉に詰まり、
「今は、いいの。ほら、学院の準備、忙しいし」
妙に優しい笑顔で言った。
父は咳払いをして窓の外を見る。怪しい。
(……絶対、何かある)
そう思ったが、
(まあ、いいか)
と、すぐにまた船のことを考え始めた。
王都へ行く前日。マレナは、ギルドのみんなに挨拶をしに顔を出した。
ギルドの作業台横の出窓に、青いデルフィニウムの鉢植えが置かれていた。
「誰が置いたんですか?」
「セルジオ」
「……一回言っただけなのに」
胸が熱い。
マレナはデルフィニウムの房から一つ、小さな花を取り、手帳に挟んで鞄に入れる。
大きな夢を叶える、その気持ちを忘れないように……。
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マレナが王都へ向けて家を出た朝。
ギルドでは、いつもと変わらず、朝から作業が続いていた。
外では、職人たちが木を削る音が響いている。
セルジオは設計図を書く手を止め、
ふと、窓辺に置かれた花瓶へと視線を向けた。
青いデルフィニウム。
「デルフィニウムの花言葉は……大きな夢。
それと……もう一つ」
小さく息を吸う。
「――あなたは、幸運を振りまく」
セルジオは自分の机の引き出しを開けた。
中にあるのは、ヴェントラ家への正式な婚約の申し入れ書。
そっと指先で紙の端に触れる。
「……僕にとってのデルフィニウム」
静かに、しかしはっきりと。
「僕はこの幸運を、手放さない」
セルジオは引き出しを閉め、再びペンを取った。
彼女が帰ってくる日までに。
胸を張れる、
より大きな船を作るために。
読んでくださりありがとうございます!
よろしければブクマ・評価いただけますと嬉しいです。
マレナ続編も少し間があきますが、準備中です。




