壱
中学生、思春期。
多くの男の子は最も忘れたい、青臭くて恥ずかしい時期だろう。
多感でデリケートな時期だ、全身が鋭いナイフ…ブルーハーツの歌かのように、全員が尖り、または影に潜む。
中学の頃、俺は暴力の味を覚えた。
人を殴るたび、胸の奥の“穴”が少しだけ埋まる気がした。もちろん気のせいだった。寮母に頬を叩かれ、更生院に入れられたとき、自分の愚かさよりも"父"も"母"もいない。“誰も救ってくれない”現実のほうが辛かった。
だがそこで、初めて知った。
俺は、思っていた以上に“素直な人間”だったということを。
そしてそれが、祓師の適性を示していた。
更生させようとする大人たちに囲まれて、そこで絆された。
自分の歪みを自覚した。
周囲の「尖った」連中に院内では目をつけられ、イジメの対象になった。
ここで、暴力ではなく、言葉で人を導きたい。
言葉で人を救いたい、と生意気にも思ってしまった。
言葉の力が暴力を凌駕すると信じ、高校では仏教を選び、大学では宗教学に進んだ。
しかし、信じられるものはなかった。
教授は言った。
「信じることが救いだ」
その目には何の光もなかった。
講義ではただ構造と論理が並び、神はどこにもいないまま、ただ紙の上の記号として消費されていた。
──信じられないのなら、いっそ全部捨ててしまおう。
そう思っていた矢先の、ご老人(師)との出会いだった。
それを境に、俺は寺に通い、祓師としての修行を始めた。
戒律は厳しく、老人は優しくも容赦がなかった。
「戒律を守れ。だが、戒律に溺れるな」
「お前は祈りを知らぬ。それがゆえに強くなれる」
何もかもが新鮮だった。
悟りというものが自分の中で芽生え始めた、それが大学3年生の秋。
21歳の秋だった。
大学との両立は苦労した、修行は日に日に苛烈さを増していった。
周囲が就活を始める中、俺は一人、師の元で修行を続けていた。
そこで、五つの木製の戒輪を渡された。
戒律が俺に"力"を与えてくれるものだった。
『破』『輝』『空』『縛』『滅』
いずれも、妖の類から俺を守るための"力"だった。
そう、天狗を祓うための力。
"武器"ではなく、"境界"。
高尾山、薬王院にあるしめ縄のほつれから天狗が街へ飛び立つ。
それを祓う。
俺のアルバイト、就職先は、『祓師』。
大学を出る直前に、師に促され、高尾の麓に…あの山門に、新しく部屋を設けてもらい、夜の八王子を師とほぼ毎晩歩くようになっていた。
そうして、大天狗・薬王と出会い───師は命を落とした。
命を賭して、俺を逃した。
───「ジョー……戒律は、お前を守るためにある。だが……壊してでも守りたい者が現れたら──迷うな、それも、力になる」
その言葉が、呪いになった。
俺は戒律を破り始めた。
意図した部分も、意図せず破戒したこともあった。
救えなかった痛みを埋めるために。
破戒するたび、力は鋭くなり、身体は壊れていく。
元々アクセサリー好きな俺は、木製のリングに物足りなさを感じていた。
それでいて、俺が戒律を破るたびに、木の脆弱さを感じていた。
キリスト教も学んでいた俺は、西洋でシルバーが意味する神聖さも理解していた。
木製のリングから、シルバーのリングに変える。
これも、ある種の破戒だった。
───外すな。
───それは"境界"だ。
師の声ではなく、戒輪そのものの声が、骨の奥に響いた。
幻聴ではない。
戒輪は生きていた。
震える息を吐き、輪を指で掴んだ。
次の瞬間だった。
皮膚が焼ける。
骨がきしむ。
指の内部で、何かが暴れている。
戒輪が指に食い込み、肉を削りながら抵抗した。
抜けまいとする意思を持っているかのようだった。
俺の指の中で戒輪が生き物のように暴れた。
「…邪魔すんなよ。おまえじゃ、誰も護れねぇんだよ」
指を強引に捻った。
爪が根元から浮き、血が滴り落ちた。
金属が肉を裂きながら、ずるり、と半分ほど抜けた。
その瞬間、戒輪が叫んだ。
──戻れ。戒を破るな。おまえは僧ではなくなる。
「それでいいんだよ…」
俺の肩が痙攣する。
吐き気と眩暈が同時に襲う。
胃液が込み上げ、地面に吐いた。
だが、手は止まらなかった。
戒律は破れた。
護るために。
壊れるために。
背中の骨が鳴り、皮膚の下で何かが蠢き始めた。
そうして、集めたアクセサリーの一つ一つに祈りと、忠誠を捧げることを誓い、裂けた指にシルバーのリングをつけた。
これで護る。
そう思った矢先だった。
片想いしていた女の子が、天狗が体に憑依し、俺の慣れないシルバーのリングは天狗を上手に祓えず、喰われた。
俺の、目の前で。
───俺が彼女を初めて見たのは、大学の講義棟の階段だった。
長い黒髪が揺れ、ノートを抱え、誰より静かに教室を出ていく姿。
ただそれだけなのに、胸を鷲掴みにされた。
話しかけた時、彼女は少し笑ってこう言った。
「今回のレポート、難しくないですか?神さまって…いるんですかね」
「さあ。俺にもわからない。ただ…視えたら楽かもしれないよねー」
俺は冗談めかして、
「君、ちょっと、いや綺麗すぎて、神より信じそうだわ」
と茶化した。
彼女は少し引きながら笑っただけだった。
触れたら、壊す。
だから、エロい冗談で俺から遠ざけるように、促した。
それでも、親睦は深まっていくばかりだった。
「俺の方が体デカいし、筋肉もある。俺の方が胸デカいんじゃない?」
と、飲みの席で冗談めかすと彼女はケタケタと笑って「サイテー!」と罵った。
本当は、護りたかった。
触れたい以上に、触れられない存在に思えた。
彼女が何に妬いたのか、怒ったのか、わからない。
誰にも見ることができない、孤独が、あったのかもしれない。
心の綻びをどこかで生じさせ、街中で天狗を発現させた。
それも、師の命を奪った、大天狗・薬王だった。
───また護ることができなかった。
どんどんと、自分の気持ちが堕ちていくことがわかった。
後にロクと出会い、彼女の面影を感じた。
黒髪。
弱さと強さが入り混じる目。
弱さを隠そうとする強さが似ていた。
無邪気さの奥にある寂しさ。
ロクに対してエロい冗談を言うのは、
同じ痛みを感じないようにするため。
愛してしまえば、また失う。
護ろうとすれば、また壊れる。
だから軽口でごまかす。
近づきすぎないために。
それでも身体は勝手に庇ってしまう。




