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夜鳴きジョー  作者: hsgwwr
23/23

祓師ジョー

「祓った…祓ったんだよね?」

ジョーは耳を傾けたが、鼓膜が破れて聞こえていない様子だった。

スマホを取り出し──もう圏外ではなくなっていた──。

メッセージを打ち込む。

「祓ったんだよね?」

それを覗き込み、ああ、と小さく呟いた。


そうして、あまりにも残酷な言葉がジョーから紡がれた。


「俺の中に───薬王が取り憑いた。声は聞こえねえけど、胸の中にいて、心を燃やしている感覚がする。祓ったけど、取り憑いた、このまま俺を、高尾山の薬王院のしめ縄に封印する。俺ごと祓う。そうすれば、もう天狗がこの街に現れることはない…。ちょっと一回帰って着替えるからさ、《NEON》で飲ませてよ」


もう、どうすることもできないのだろう。

ならば、やりたいことを、やらせてあげたい。


「うん…うん…」

「ロクちゃん、最後のお願いだ。……祓ってくれ。俺を、“しめ縄”に変えてくれ。薬王も、俺も、そこに縫いとめてくれ。誰も、もう、苦しまないように」


涙が頬を伝う。

まだ21時、夜はこれからだ。


───1時間半後、ジョーはやってきた。

スウェットに、ダボダボのパーカー。

シャワーを浴びてきたのだろう、シャンプーの香りがする。


───八王子の街はまだ焦げた匂いを抱えたまま、それでもネオンだけは、何事もなかったように瞬いていた。


ガールズバー、《NEON》の扉を押す。

カラン、と鈴が鳴る。

もう誰もいないかと思ったが、カウンターの奥にロクがいた。

額に絆創膏、指先には小さな火傷。

それでもいつもの無愛想な顔で、グラスを磨いている。


「……おかえり」

ロクが呟いた。


「ただいま。──いや、今日くらいは“行ってきます”かもな」

「それ、笑えないんですけど?」

無糖ハイで、とオーダーした。

手の震えが残るが、それでもその手で酒を飲む。


「飲んで平気なの?」

「破戒上等!ってさっき高らかに見栄切ってたんだけど、覚えてない?」

「──覚えてない」

顔を俯け、小刻みに震えていた。

泣いているのだろう。


ロクが黙って無糖ハイを差し出す。

「なーに飲むんですかー」

「コカボム」

「マジ?今日は喰らっちゃう気がするんですけど」

「とことん付き合ってもらうよ」

目元を拭い、「ジュンさーん、コカボム2つとウーロンハイ!」

「えっ?俺も飲むの?満身創痍の体にコカボム?」


───酒で誤魔化さなきゃ、辛すぎる。


───これで終わりだから飲むか。

今回のでたんまり報酬も入るだろうし、まあいいか。


「これ、遺書。しめ縄になったよって簡単に伝えてあるから、あと銀行預金の口座、面倒なな手続き系は終わらせておいたから、あとは───あしなが育英会に渡しておいてほしい」


───薄い封筒が、とても重たかった。

ジョーは眠たげな目を擦り、最期だからシャンパンも入れるか、と呟いた。

「入れなくていいよ。潰れないままで朝まで飲もう」

もう涙腺は決壊寸前だった。

これ以上虚勢を働かせないでほしい。

「ああ、あと今日、アフターつけておいてね。この後、朝9時のリフト乗って薬王院まで行くから」

「お別れまで、あと数時間しかないの?」

「名残惜しいねえー」

と、ジョーは視線を落とした。


コカボムが提供された。

乾杯し、一気に飲み干したあと、わざとらしく、明るく───振る舞ってみせた。

さっきまで喧騒の中にいたのに、気づけばもう八王子の夜は静寂に包まれている。


「隣、座っていい?」

「お店的にOKなら、座ってよ」

「グレーゾーンだけどね」

「ならお断り」

「最期なんでしょ」


と隣に移動する。

ジョーの顔は疲弊しきっているかと思ったが、案外憑き物が取れたかのような顔をしていた───憑かれているのだが。

───グラスを持つ手は、震えていた。


「多分、俺の護りたいって欲につけこんで来たんだろうね、ロクと同じ形で」

ジョーは俯きながら言葉を紡ぐ。

「薬王は癒しと赦しのシンボルだったんだと思う、だからこそ、薬王院なんてのがあるわけで、俺を救う、なんて言ってたのかもしれない。ある種、ヒーローだったのかもね」

───もう、それ以上はやめてほしい。

心の声が本音となって漏れた。


ジョーは穏やかに笑い、コカボムを二つ注文した。

二人は、ケタケタと笑いながら、酒を飲み干し続け、夜が明けた。


ジョーが店の外で待ち、私は着替えていた。

朝5時、八王子はまだ眠っている。


エレベーターを使い、降りたところで、ジョーは天狗を祓っていた。


「おー、お疲れ」

飄々としていた。


膝をついただけで6mはありそうな天狗が、泡を吹き天を仰いでいた。


『座って空を見上げてごらん』


天狗はギュッと縮小したかと思えば、パン!と音を立てて消えていった。


「もう力のコントロールも効かないや、確実に人外の力になってる」

肩を落としていた。

「京王線まで歩こっか」

始発に乗り、乗り換え、高尾山口まで向かう。


私は彼の左手を握り、酔った頭で聞いた。

「どう、すれば祓えるの?」

「えー、ずっと見てたじゃない」

「でもどれも天狗がヤバいくらい痛々しい表情してたじゃん、ジョーにそんなの使いたくないよ」

「うーん、そっか、じゃあ、何のアーティストが好き?」

なんで?

「BUMP OF CHICKEN…」

「BUMPね、ハイハイ…ベストアルバム…ハイハイ…これなんか良いんじゃない?涙のふるさと、優しい曲だよね、この曲をイメージしながら『ラ・パトリ・デ・ラルム

』って呟いて、左の人差し指に嵌めたリングで、俺のおでこに当てる。それだけ」

「ラ・パトラ…なに?」

「フランス語だよ、ボンジョルノ」

「イタリア語じゃんそれ」

「あれっそうか」

「メモするから言って」

「ラ・パトリ・デ・ラルム-涙のふるさと」

「曲名が優しいから、多分優しく祓ってくれるよ。でも、人差し指の『輝』はちょっも拗ねちゃいやすいからね、もしかしたらちょっと痛いかも」


ジョーはこう言った。

「リングにはS'asseoir et regarder le ciel-座って空を見上げてごらん、って彫られてる。ネックレスには、L'âme aussi, si elle veut se reconnaître, devra regarder une âme. 魂もまた自分を識りたいのであれば

魂と向き合わなければならないであろう、って彫られてる。お守りになると思うから、よかったら持ってて。いらなかったら捨てて良いから」

とニッと笑った。


リングをグイッと剥がす。

ジョーの指が変色した。

しかし、すぐに人肌色に戻った。


「薬王さんの再生術だね、やっぱ、強い」

鼻血を垂らしながら、ジョーは続ける。

「俺の中で共存、とも思ったんだけど、多分力がデカすぎて、きっと俺が器として保たない。やっぱ祓うしかないんだと思う」


そうこうするうちに高尾山口に着く。

入り口まで歩く。

麓にある喫煙所で、二人は穢れを吸い込む。

他愛もない話で場を繋ぎ、時折静かになったり、少し泣きべそかいたり。


そうしているうちに、リフトが動き出した。


高尾山の朝靄は白く、薄い布のように山肌を撫でていた。

鳥がさえずり始め、まだ冷たい空気が肺の奥まで入り込み、

吐くたびに細い白い息が揺れる。


──山が、ゆっくり呼吸している。


ジョーはその中心に立っていた。

肩の力は抜け、昨夜までとは別人のように静かだった。


「……軽いな。肩が。たったこれだけで変わるんだな」


弱体化した薬王を宿しているはずなのに、

その重荷はもうほとんど消えかけていた。

あの夜、黒くうねっていた気配は、まるで冷たい水に溶ける墨のように、薄く、淡く、消えていく。


私の方を振り向き、白装束姿になったジョーはふっと笑った。


「じゃあ……祓おっか。霊気満山たるこの山で、ラ・パトリ・デ・ラルム──涙のふるさと、だよね?」


「……うん」


手を握る。

その手は少し冷たく、でも指先はしっかり握り返してくる。


──これが最期の温度なんだ。


山門の前、誰もいない静かな空間。

しめ縄は朝の光を受けて淡く金色に滲んでいる。


私は深呼吸し、手元のメモを見ながら、震える声を押し出す。


『……ラ・パトリ・デ・ラルム-涙のふるさと』


ジョーの左人差し指にはめていたリングに触れ、彼のおでこへそっと当てる。


瞬間──

五戒輪と八環が淡く光り、

彼の左半身と右半身がゆっくりと黄金と青白に染まっていく。


「十二の戒、か……。やさしいな、あいつら。痛み、ほとんどねぇや」


光がしずかにジョーの身体の縁を撫で、

その輪郭を溶かしていく。

まるで、春の陽だまりが冬の影を消すみたいに。


「……ロク」


「なに……?」


「涙のふるさと、さ。一緒に歌おうよ。最後まで、さ、カラオケ代払うし」


私達は小さく囁くように歌い始めた。

声は震えていた。

歌にならない場所もあった。


『見つめなきゃね

どんな淋しい空でも

彼も見てきた 空だと知れば

一人じゃないはずさ』


『会いに来たよ 会いに来たよ

消えちゃう前に来たんだよ

君の涙のふるさとから

遠ざかる世界まで

君に知って欲しくて 来たんだよ』


だけどジョーは、ゆっくりと、優しく合わせてくれる。

その声は、確かに“生きている人の声”だった。


光がさらに強くなる。

しめ縄が呼吸をするように波打ち、ジョーの胸、肩、指先へ吸い寄せられていく。


「ミナ……」


風がふわりと吹いた。

その風の音の中で、ジョーの声が、確かに聞こえた。


「──幸せになってね」


その瞬間、ジョーの身体が光の粒になった。

薬王の気配も、そのまま一緒に、しめ縄へ、静かに、静かに吸い込まれていく。

しめ縄が、ギシ…と歴史と霊気を担ったかのように重たい音を出した。


抵抗もない。

苦しみもない。

ただ、帰るべき場所へ帰るように。


最後に残ったのは──

彼が外して私に預けた、ひとつのリングとネックレスだけだった。


光が途絶えた後、膝が砕けた。

自分の体重が支えきれなくなった。

私はその場に膝をつき、地面に手をつき、

声にならない声で泣き崩れた。


ずっと抑えていた想いが、

全部、溢れてしまった。


恋慕だったのかもしれない。

気づきたくなかった気持ちが、

胸の中で破裂していた。


しめ縄は静かだった。

きっともう天狗は現れない。

ジョーと薬王が、そこに縫いとめられたから。


私は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、

渡されたリングを指にはめた。

ネックレスを首に回した。


何の呪いも、契約も、誓いも宿っていない。

ただの、ジョーが触れていた温度だけ。


それでも──

私はそのリングを、ネックレスを、肌身離さず持って生きていくのだと思った。


朝靄が晴れていく。

高尾山の空が、ゆっくりと青くなる。


私は泣き続けながら、その青の下で、

ようやく一歩、前に進んだ。


『笑わないでね 俺もずっと待ってるよ 忘れないでね 帰る場所があることを』


──ジョーを胸に抱えたまま、

これからを生きるために。

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