覚悟
『D’une ardeur brûlante, l’innocence──灼熱にて純情──心焔』
唱え終えた瞬間、空気が裏返った。
周囲の音が全部、焼けたフィルムみたいに歪む。
世界が焦げる匂い。
指先から、炎のような光が弾けた。
それは火ではなく、“信”の光──信じることを糧にした、人間だけが持つ熱、そして痛み。
薬王の面が、微かに震えた。
炎がその輪郭を舐め、黒い羽根がいくつも燃え落ちる。
だが、すぐに再生する。
焦げた羽音が、八王子の空を埋め尽くしていく。
「──ほう。やはり、十三の禍はまだ貴様の中にあるらしい」
薬王の声は、笑っていた。
地鳴りのように低く、しかしどこか嬉しそうに。
まるで、俺の祈りすら玩具にしているように。
「この雌は"癒し"を求めた。私はその祈りそのものだ。さあ、汝の火を鎮めよう」
どういうことだ?言っている意味がわからない。
「この雌はお前を、"救いたい"と思ったのだ。傲慢にも、祓師であるお前を。私はそれを汲み取り、憑いてやった。この街で一番大きな大きな欲として読み取ったのだ。近くで血を流し、痛みを感じながら戦うお前に、痛みから程遠い、「死」という救済を与えてやろう」
羽根を毟り、刀へと変えた。
「悠久の時を経て生きてきたお前のことだ、きっと覚えていないだろうが」
二人のことを想う。
瞼を閉じ、溜めて言う。
「四木海周と横山ナオを喰ったお前を、俺は赦さない」
強く強く、言葉を噛み締めながら言う。
「さらにロクに…藤城ミナにまで手を出した。俺は絶対に赦さない、悠久の時を経てお前を祓う祓師は、俺、川幡穣だ」
「昨晩喰ったモノを覚えている、というのは佳いモノを食べたからこそ覚えているのだ。お前も、明日には忘れているぞ。川幡穣」
左のバングルに触れ、長めの刀状の結界を張る。
正面衝突だ、2〜3mあるコイツに真っ直ぐぶつかって行っても吹き飛ばされるだけだろう。
いなしながらちょっとずつ斬り込んで行けば…『奮』と『護』はあと4分もしないうちに時間切れ(タイムアップ)だろう。
発動している内に必ず仕留める。
『心焔』は効いていない。
アレが俺の最大出力だった。
なら、消耗戦だ。
どちらが多くの血を流し、倒れるかまでが勝負だ。
殴るのも、蹴るのも、コイツには躊躇しない。
どんな形であっても、祓う。
───駆け出す、風が俺の背中を押す。
───待つ、どうせコイツの刃は私にまで届かない。刀を一振りする、それで終いだ。
右手の人差し指を噛んだ、何だこの童は。
「闇に在るもの、光に曝せ──識よ、我が瞳となれ」
何かを詠唱した。だが───。
刀は空を裂いた。
伸びた切先は周囲の人間に当たり、腕や脚が落ちた。
刀をズラしながら、いなされている。
───躱された。
懐まで入ってきた、鼻血を出しながら。
───抜けた、入れた。
悲鳴が、絶叫が聞こえる。
右手で左耳のピアスを触り、『輪叫』を発動させる。
周囲を傷つけた。申し訳ない、ごめんなさい。
だけどそれも力に変換させてもらう──!
左手のバングルに更に力を乗せる。
この一振りでデカいダメージを与えてみせる。
薬王の足元が後退り、ダブルステップかのように踊る。
『Valse du lustre-シャンデリア・ワルツ』
薬王の左脇腹から右肩まで深い深い斬撃が───入った!
血が噴き出る。顔とスカジャンにかかる。
───まだだ、もう一回!
『とまどうほどに照らし…』
「無意味だ」
再度衝撃波が走る。
体をギュッと押し付けられるかのような圧力。
バングルの結界を解き、左手の『破』に触れる。
パリンと割れるような音がして、衝撃が消える。
「愚かな…十三も宿しておいて、その程度。放っておいても死ぬではないか」
肩で呼吸をする、術が解けるまであと2分といったところか。
衝撃波で肌が裂けた、鼻血も出て、喀血もした。
会敵して10分も経たない内に全身が血みどろだ。
「放っておいても死ぬ、か……上等だな」
右手で口元を拭う。
血と唾が混ざって鉄の味がする。
その味が、なぜか懐かしい。
“生きてる”って、こういうことなんだよな。
バングルに改めて蓄積した力を発し、結界を刀状にする。
さっきの攻撃は入っていたし、多少はダメージになっているはずだ。
「まだ、命の獲り合いができると思っているのか?川幡穣、お前は。もう据え膳だ、お前は。私の前に屈服するしかないのだ、お前は」
グイ、と視界が上がる。
顎を持ち上げられた。
ゾッとする。
左手で、触ってきた方の手を斬る。
ポト、と落ちるが徐々に手が再生していく。
「今のでわかっただろう、"力"の差を。今一度死んだぞ」
「じゃあ何で殺さなかったんだよ」
天狗は背中の方を指で差し、答えた。
「あの雌が寝たままでは、お前への救済を見せることができないではないか」
ミナが人に運ばれながら遠ざけられて行く。
よかった…。
まだ20時にもなっていないのに、もう駅前には人が誰もいない。
『誘』を発する必要はあるだろう、ラスト1分でもっと被害が最小限になるところまで、引き連れたい。
あの駐車場がいいだろう、とイメージする。
「よーい…ドン!」
『誘』を発動させ、逃げるかのように背を向けて走り出す。
あと1分で『奮』と『護』が切れる、バフがかかった状態で連れ出したい。
力が増している状態で走れば普段よりも速く走ることができるし、背中から斬られても、ダメージは軽減される。
「誘いに乗ってやろう。いいだろう」
そうして一度振り返り、近くにいた男性の肩を掴み、揺さぶった。
『お前はそこの雌を担ぎ、私の後を追ってこい』
男性は白目を剥き、ミナを肩に担ぐ手前まで行動を移したが、何人かが制止した。
薬王はその制止した人たちの肩を掴み、揺さぶり、白目を剥きミナを持ち上げた、結局ミナは担がれ───十字架に張り付けられたキリストを運ぶかのように───ちょうど聖者の行進を聴いたばかりだったな…。
その様子を見ながら走った。
クソ、俺の四肢を切り落としてでもミナが目覚めるのを待つつもりだ。
やはり消耗戦だ、腹を据えなければ。
───「なあ、ロク。俺さ……たぶん、“痛み”が怖くて祓師やってたんだ」
呻きながら笑う。
光が、全身の血管をなぞるように走っていく。
右腕から煙が立ち上がり、スカジャンの袖が焦げる。
「けど今は違う。痛みって、誰かを護るために使えるんだな」
柵を飛び越え、駐車場に着く。
追って薬王も来る。
「あーっしゃ!ここなら気にせず戦えるってもんよ!」
「ただ逃げただけで、寿命が伸びたな、童よ、今生への悔いはないか、ひとつだけ叶えてやろう」
「はーっ、じゃあ聞いてもらおうかな!」
手を叩き腕を大きく広げて笑いながら大声で言った。
大言壮語も吐いてやろう。
「さあさあお立ち会い!」
術が解け、体が重たくなったところで見栄を切る。
息が切れる。
足が震える。
それでも笑ってやった。
「仏も神も、見てるだけで何も助けちゃくれねぇ!」
笑いながら、踊る。
「でもな、俺はもう知ってんだよ。祈りってのは“頼む”もんじゃなく、“燃やす”もんだって」
スカジャンの袖をまくり、戒輪を弾く。
銀の音が、夜空に散った。
「南無だのアーメンだの関係ねぇ。アルコールもカフェインもニコチンも、俺の中じゃ全部“信仰”だ」
「だからよ──神さん仏さん、今日ぐらいは目ぇつぶっててくれ。破戒上等、救済上等。俺は今夜、祈りで殴る」
───チリン。と、鈴の音が鳴る。
舌を出して、にやりと笑う。
「……地獄の門前で正座してでも、俺が勝つ」
アッハッハと薬王は笑う。
「祈りで殴る、だと?」
「坊さんにできるのはそんなもんだろ?」
「先程は刀を振りかざしたではないか」
「そこはもう、ご愛嬌って、ことで!」
ピアスを指で弾き『纏』が発動し、影が蠢く。
左薬指に触れ、『縛』を唱える。
影が伸び、薬王の影を掴む。
パキパキッと動きを止めた。
薬王の表情が歪む。
左手の親指に触れ、『破』を発動。
地に墜ちる天狗を睨み、吐き捨てるように言った。
「これが俺の“祈り”だ」
効果は『纏』で倍増されている、持続時間はきっと7分。
その間に、祓う。




