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夜鳴きジョー  作者: hsgwwr
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夜酔い天狗

昼の八王子は、嘘みたいに穏やかだ。

高尾山のふもとを吹き抜ける風が、幾つもの町の喧騒を洗い流していく。

生新しい民家の谷間にある古い寺跡──今はもう檀家もいない、苔むした境内。

そこが、川幡穣(かわばたじょう)の昼の居場所だった。


竹ぼうきを手に、スピーカーで音楽を聴きながら落ち葉を掃く。

灰色のスウェットに、左耳にズラッと並んだ8つのピアス。

どう見ても、寺の管理人というよりは近所の厄介な兄ちゃんだ。

けれど子供たちは「ジョーさん、ジョーさん」と後ろをついてくる。

彼が掃いた落ち葉の山で、誰かが転び、笑いが起きる。

その笑いの奥で、ジョーはほんの少しだけ顔を緩めた。


風に乗って、鈴の音が微かに鳴る。

ジョーの左腕で、銀のバングルが光を返した。

彼は空を仰ぐ。

昼間の青に隠れて、細い線のような白が、山のほうへ伸びている。


「……また、ほつれてんな」


呟く声は、誰にも届かない。

子供たちはもう、虫取り網を持って駆けていった。

ジョーは竹ぼうきを立てかけ、懐から一本の煙草を取り出す。

電子タバコのデバイスに刺す直前で、それを見つめ、ふっと笑った。


「昼に吸うのは、坊さん失格だな。……ま、今さらか」


煙の代わりに、ため息が一筋、空へ昇った。

それは高尾の風にさらわれ、

夜の八王子へと、ゆっくりと降りていった。



─── いつもは間違えない(間違えてはいけない)ミスが連発しててやばい。

異動したいが、支店長との確執もある。

追い込まれている。


上長に責められて、恥ずかしげもなく泣いてしまった。

27歳、新卒から今日までなんとか堪えてきたが、いよいよ体が限界のサインを出した。


無理を通して来た、SOSは同僚たちにも出して来たが、手を貸してくれている感覚はなかった。

俺の感覚がおかしいのだろうか、それとも本当に手を貸してくれていなかったのか。


そのSOSは大学の同級生たちには届いた。

親身になって話を聞いてくれたが、今この飲みの場で、心地よくはなれていない。

お酒は苦手だけど、付き合ってくれるのなら、話したい。

だけど言葉がうまく出てこない。


「普段はしないはずのミスを連発するのは高確率で中等度以上のうつ病を発症していると思うよ」


そう言われても、どこか自分のことだと思えなかった。

他人事そのままだった。


「じゃあどうすればいいの…?産業医も、そんな話はしなかった」

こぼれ出た。

「でも先輩が詰めてくる」

溜まっていた不満と不安が濁流の如く流れ出て来た。

友人たちが何か言っているのがわかるが、耳に、脳に、入ってこない。

たまらず、普段は飲まないでいられるお酒を、頼んだ。


ただのレモンサワーだ、レモンの中に苦味があって、炭酸があって、正直ギリギリ飲めるから飲む。

飲まなくていいなら、飲まない。


午前中に飲んだ頭痛薬、そのことを忘れていた。

ぐらりと視界が歪んだ。

薬を飲んでいるのに酒を飲んではいけないだろう。

わかり切った周知事項だ。


ぐらりとする頭の中から、どんどんと言葉が湧いて出てくる。


「最後までやりたいんだよ、なんか、譲れないプライドがある」

「俺が辛いって言ってるのに助けてくれない周りが悪いんだよ」

「なんでこんな思いしなきゃいけないんだろう」

「俺が異動したらきっとみんな喜ぶよ」


何を言っているんだろう、俺は。

体が熱い。頭がぐらぐらして気持ち悪い。

唇から酒の匂いがする。


───突然、プツンと店内の照明が消えた。

いや、俺の目が閉じたのか?

再び店内の照明がついた時には、みんなが俺を見ていた。


なんだ?吐いたか?

わからず、視線を下に落とした。

カーディガンとシャツが床に落ちていた。

自分のものだった。

上半身が裸で、赤みを帯びていた。

視線に15cmはある赤い棒状の物が見えた。


これはなんだ?

触ってみると、自分の体の一部であることがわかる。

「鼻だ」

そう呟くと鼻の先端がキノコのような形になった。


「良いのう、そうそう。この高揚する感じ!やっぱ酒の席では愚痴と暴言だなあ」

自分の声ではない音が、自分から発された。

その瞬間、俺の意識は朦朧と、自分自身を背中から見ているような感覚に陥った。


「うむ、そうだよなあ。辛いことがあれば、酒に逃げる。そうして、雄であれば雌を求める」


そうして、背中には深い緑色の禍々しい羽根が生え始めた。

そこから先は───覚えていない。


───突然親友が天狗になった。

呻き声を上げ、みるみる伸びていく鼻。

おもむろにシャツを脱ぎ始め、椅子の上に立った。

何かよくわからないことを呟いたと思ったら、背中から羽根が生えた。


「どうした、まだ飲もうじゃないか。親友(とも)よ、この躰は渇いている。この躰に耳を傾け、笑え、泣け、酔え。人間はそれでちょうどいい」


唖然とした。

声は親友そのままだが、言動と見た目があまりにも禍々しく、異様そのものだった。


「この席に何故女がいない、雄は渇けば雌を求める。親友(とも)よ、この躰は渇いているぞ」

そんなことを言われたって仕方がない、俺たちにそんなツテはない。


「そこの雌よ、我々と卓を囲もうではないか、来い」

隣の席の女は自身で椅子を持ち、我々のテーブルについた。


女の目はぐるりと俺たちを見渡したあと、テーブルの下からスマホを渡してきた。

「落ち着いて、大丈夫」

とだけ書かれていた。


俺たちは青ざめていたが、この女は冷静だった。


「雌よ、何故酒を持たない、注がない」

「お金が発生しないからね。仕事でしか注がないよ」


女は毅然とした態度で天狗に反論した。

お金が発生しない…?水商売の女か?


───チリン、と鈴の音が鳴った。

会計の合図かと思ったが、音の発生源はどうやらレジではないところからだった。


「すみませーん、その子、僕の同伴中なんで僕の席に戻してもらっていいですかー?お金が発生しているんですー」


明らかにトイレから戻って来た、スカジャンを着た男はハンカチをポケットに閉まって、袖を捲った。


両手両腕にはキラキラとしたリングが、時計が、バングルが、ブレスレットが無数にあった。

首からはネックレスと別に十字架がぶら下がっていた。


「夜酔い天狗よよいてんぐ)さんですよねー、気持ちはわかりますけど、他のお客さんに迷惑かけちゃダメっすよ」


よよいてんぐ?何を言っているんだろう、この装飾品まみれの男は、どう見ても近所のチンピラ兄ちゃん、しかもタチの悪いタイプの、だ。


「お兄さんたちもホントすみません、ご友人もすぐ元に戻すんで」


俺たちは唾を飲んだ。


「祓師か、面倒だ」

天狗はすぐに翼を広げ、椅子からジャンプし、宙で膝を曲げ、飛びあがった。


その男は左の薬指のリングを触り、発した。

『縛』

リングが光り、チリと音がした。

宙で天狗が固まり、苦い表情をした。

「拘束の…神通力か?だが!」

すぐに動きを取り戻し、文字通り跳ね、店のガラスを破り、外へ飛び出した。


───ジョーもそれに応じて外へ駆け出した。

私は、椅子を戻し、隣の席の人たちに声をかけた。

「大丈夫です、ジョーがお友だちをすぐに戻してくれるので。しばらく待っていてください」


私も会計を済まし…もちろんあとでジョーに請求するが…店を飛び出した。

ジョーがどうやら天狗の結界を左の親指で破った様子で、翼が飾りになったところで殴り合いになったのだろう。


ジョーが右の中指のリングを触り、効果が発動した。

天狗の邪気から自分を守るため───自分のパンチが天狗に効果的になるように。


流れるように右手を振り抜いたあと、左腕のバングルを触る。

バングルから刃状の結界が発生し、体を回転させながら翼に切りかかった。

天狗は苦悶の表情を浮かべ、羽根をもぎ取り、剣のような形へ変状させ、応戦した。


ジョーが回るように攻撃を繰り返すと、街頭の灯りに照らされた翼の根元は人間の背中が、キチンと肌色に戻っていた。


ジョーは人体に当たらないように、天狗のパーツだけを狙う。

パンチやキックは仕方ない。


もう一つの翼に切りかかったと同時に、左手の結界を解除。

左手の薬指に手を当て、呟き、左手を振りかざした。

すると、今度は効果的な攻撃だったようで、天狗は固まった。


そうしてジョーは天狗に歩み寄り、左人差し指で天狗の額を小突き、呟いた。

『S'asseoir et regarder le ciel、座って空を見上げてごらん』


天狗は膝をつき、天を仰ぎ、霧になって消えていった。


天狗が剥がれて、男の人は倒れ込んだ。

地面に着く直前でジョーが受け止めた。

男の人の顔は文字通り憑き物が取れたような表情をしていた。



───気づけば、天井を見ていた。

親友がこちらを覗き込んで、不安そうな顔をしていた。

俺に何かあったのだろうか、酒を飲んで倒れたのか…?

訳がわからなかった。

「安心した…窓ガラス代は隣の席の兄ちゃんが払ってくれるってよ、自分で立てるか?俺がわかるか?」

「ああ…わかる、わかるよ」

そうして立ち上がると体が驚くほど軽かった。


窓ガラスは砕け散り、警察がやってきていた。

俺は事情聴取を軽く受けたが、防犯カメラの様子で、異常が起きていたことが認められてすぐに保釈された。

警察も動揺していた。

俺も当然動揺した。


なんだこれは、天狗じゃないか。

本当に存在しているのか、酒を飲んだ頭ではわからなかった。


親友たちは俺が出てくるのを待って、安心そうにしていた。

「あの人、ジョーって言うんだって八王子の南口の店なら大体ジョーって言えばボトル飲んでいいってよ、しかもガラス代も払ってくれる…なんなんだろうなあの人」


わからないけれど、ジョーの響きがやけによかった。

ずっと、優しい言葉をかけてくれていたような、そんな記憶がある。


不思議なことが起こるもんだ、こんな夜もあるのか。



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