3時の餃子
───今日も、天狗が出た。
騒ぎを聞いて駆けつける。
影を操る天狗か───。
影の中を泳ぎ、素早い。
『縛』を唱える、天狗が固まる、左人差し指で祓い、右腕のブレスレットを回し、周囲の記憶から天狗を消す。
最近は、天狗との軽口合戦もめっきり減り、退屈さを覚えるほどだった。
一晩に何体も出ることもあったが、どれも周囲をほとんど傷つけず、流れ作業になっている。
異様だ。薬王院のしめ縄を変えたわけではないのに、なぜか天狗が弱くなっていく。
代わりに、半分天狗が増えた。
それもよほど抵抗されない限りは瞬殺だった上に、以降天狗化することもなかった。
砕面天、裂声天以降はほとんどが雑魚そのものだった。
ロクの周りにも天狗が出ることもなくなった。
安堵したが、どこか不安があった。
祓った分だけ、各所で俺のボトルがなくなっていった。
喜ばしいことだったし、助けた数がカウントできているような気がして心地が良かった───お金がなくなる以外は。
その上で、自分の体をしっかり休めることができた。
闇雲に戦うことがなくなったから骨折の類も全部治ったし、術の反動で自分が血を吐くまでに力を引き出されるような戦闘もなくなった(多少は出るのだが)
今日も、3時まで天狗が出なかったので、ロクの店へ寄ろうとした。
キャッチのボーイの集団を無視して抜けた瞬間だった。
ボーイが「ギィィィ」と声を上げて、天狗が顕現し、ボーイに憑いた。
「あーあ、今日はノー残だと思ったのにな!」
即座に『縛』を唱える。
瞬きをする間に天狗は固まった。
「今日も骨のない───」
『縛』が解かれた。
木製とシルバーをつけた左薬指に鈍い痛みが走る。
「おっ、前言撤回!」
ボーイたちが逃げて行くのを見て、右腕のブレスレットを回し、もう記憶をいじった。
あとは天狗に集中すればいい。
人払いを済ませ、楽にケリをつける。
破けたスーツの背から翼が生え、飛ぶ。
「おー、高い高い!天狗さんこっちら、手の鳴る方へ!」
「バカニシオッテ…」
その間に『誘』、もう手のひらの上だ。
バカなのはどっちだ、バーカ。
伸びた爪で引っ掻こうと、こちらへ下降しながら振りかぶる。
背中で気配を察知し、振り返り、『破』を唱え、顔からコンクリートに向かって墜落していった。
自慢の鼻からも血が出て、天狗のプライドはズタボロだろう。
起きあがろうとするところでもう一度、『縛』。
今度は動かなかった。
「骨のある奴だと思ったのになー!酒のつまみにもならないかも!」
『輝』を発動させ、呟く。
『S'asseoir et regarder le ciel、座って空を見上げてごらん』
『輝』を発動させ、天狗が霧散する。
……その瞬間、一瞬だけ、“何か別の影”が天狗の中で蠢いた気がした。
「……?」
風が止み、夜が黙った。
それきり、何も起こらなかった。
ボーイが突っ伏した。
顔には擦り傷、背中には翼の生えた痕があったので、右薬指の『蘇』を発動させ、回復させる。
金の粒子が舞い、じんわりと再生していくのを確認する。
───よし、じゃあ行くか。
と立ち上がり、振り返るとロクがいた。
ポカンと口を開け、灰色のコートを着て立っていた。
焦げた匂いが漂っていた。
それが天狗の消えた匂いか、自分の骨からか、もう区別がつかない。
ただ、煙の中でロクが引いた顔をしていた。
「……強くなったね」
「うん、たぶん、壊れたんだと思う」
うっすら、実感していた。
目を背けたかったんだと思う。
あまりに破戒僧すぎた。
前回の必殺技二連発、あれが引き金になったのだろう。
体のどこかが契約で持っていかれたかのような感覚がずっとあった。
人としてのストッパーが外れて、神仏習合したうえで、なんらかのルールから外れてしまった。
───もう、人の姿をした鬼なんじゃないか、と思うぐらい、強かった。
遠くからこちらまで走ってくるのを見て、焦りや危機感、恐怖感をジョーからは一切感じることができなかった。
命を懸けて仕事をしているのはわかるが、危機感が欠落しているほど強くなってしまったのではないだろうか。
「うん、たぶん、壊れたんだと思う」
ジョーは笑っていたが、そこに私は恐怖を覚えた。
客の少ない夜だったから、早々に店を閉めて、出てきた。
そうして偶然見たジョーが命を懸けた戦いは、命を軽んじるような、そんな戦いだった。
攻撃させるように煽り、何か物足りなさを感じているかのような"風"を感じた。
ジョーはゆっくりと立ち上がり、左手を燻らせていた。
「あ、もしかしてお店閉まっちゃった?うわー!やっちったな!」
もうそんな軽口を聞いてはいられない。
いつもより、真剣なトーンで話さなきゃ…。
「じゃあ、飲もう。今日は"キャスト"と"客"じゃなくて一対一、一人の人間として」
そう言うとジョーは先ほどよりたじろいでいた───そこじゃない、たじろぐのは。
「おいおい、それは流石にまずいって!お店にバレたら怒られるし、俺出禁になっちゃうでしょ!」
「いいから、私出すしフォローするから、来て」
24時間やっている餃子居酒屋へ連れていく。
ビール2杯と餃子5個、チーズ餃子5個と梅水晶をオーダーし、コートを脱ぎ、デバイスにスティックを入れる。
珍しくジョーはコートを着て、中がシャツ姿だった。
そんな動きにくい格好で───スカジャンもそうだけど、命を懸けるなんて信じられない、再度そう思い、ジョーのコートを預かってタバコを吸うように促した。
終電を逃した酔い人たちが集うこの場所は、真夜中のオアシスだ。
痴話、愚痴、暴言、全てが飛び交うこの居酒屋に私がいれば、もしかしたら天狗が現れるかもしれない。
そんな不安もあったが、とにかく今はジョーのことだ。
自分の危うさを認識させなければならない。
「まず、アンタは"力"がある。それも凄いモノ。前見た時はもっと"慎重"に、どう祓うかを考えながら祓っていたと思うの」
「今だってそうじゃん?人気のないところに誘い込んで、大きな被害が出ないようになるべく迅速に祓ってる」
そう来ると思った。
「その、大きな被害の中に"アンタ"がいないことが問題なの」
「ロクちゃん、釈迦に説…」
「ハイ、生2ネ」
ビールが話を遮ってくれた。
ナイス店員、と心で呟いて、ジョーが話を続けないようにこちらも説く。
「釈迦に説法、あーはいはい、お得意の論破ね?安直すぎてあくび出るわよ」
「えぇ?もっと捻ったほうがおもしろかった?」
「もちろん。今は私が司会。おもしろくない話にはあくびで返すよ」
「時間も時間だしねえ、っていうか、マジで同伴でもアフターでもないのに飲んじゃっていいの?」
まだそんなところにいるのか、少し憤りを感じた。
「ハイ、乾杯!泡、なくなるよ!」
「おっ、うぇい、乾杯」
ジョッキをぶつけ合う。
いつもは私がグラスを下げるが、敢えて上げてぶつけた。
そして続けた。
「そんで、会わなくなるよ。今後。今日みたいな危ない戦い方したら」
「マジで?そんなヤバかった?さっきのやつ?」
感覚が麻痺しているのだろう、この間の必殺技二連発、アレを味わってしまえば、確かに物足りなさを感じるのかもしれない。
「ハイ、梅水晶」
店員が去ると私は躊躇わずに箸でボリボリと食べ始める。
ジョーは「え、間接キスになっちゃうじゃん、取り箸取り箸!」
とのたまった。
「今オーダーしたのは全部私の!アンタは自分で頼んで!」
「マジ!?すいませーん!」
店員を呼び、餃子をオーダーした。
ラム餃子だ、通だな。
───違う違う。
───なんでこんなに怒られてるんだろう。
壊れるかもって説明はしてきたつもりだった。
来る時が来た、言葉そのままだと思う。
このまま安易に祓い続けられるのであれば、それが楽で一番だろう。
命を懸けて、している───つもりだった。
そんなに危うく見えたのかな、次は気をつけないと。
「ハイ、餃子、チーズネ」
ロクの前に並べられる。
焼き目が照り照りで、この時間にこんなもの食べちゃダメだろ、とヨダレを垂らしながら脳が危険信号を出す。
だが、ロクは餃子に飛びつかない。
「あったかいうちに食べなよ、冷めちゃうとニンニクの匂いだけ先行しちゃうよ?」
「食べない、熱いのわかってるから」
もったいないなあ…と、思うとロクは口を開く。
「この餃子、すごく美味しいの知ってるし、本当なら今すぐにでも食べたい。でも───でも、熱いのがわかってて、口の中が爛れるのをわかった上で、わざわざかぶりつくようなことは、しない。危ないし、『痛い』から」
そして言葉を探しながら紡いでいく。
「今のジョーはこの餃子。おいしい、けど、熱い。だからまだ口に入れない。だって火傷するのわかってるんだから。ジョーは命を懸けて戦うんだよ。強い、けど、危ない。命を懸けるって、火傷を恐れながらじゃないと、成立しなくない?」
嗚呼、壊れた部分を接着剤でなんとか修復しようとしているのか───。
結構追い詰められてる姿だったんだな俺って…。
「今の余裕綽々のジョーは心強い。絶対に護ってくれるっていう安心感がある。今ここに、天狗が出たとして、各テーブルのお皿から醤油が溢れないくらい最小規模で天狗を倒せるんだと思う。これまでならきっと溢してたと思う」
だからこそ───。
「だからこそ、ジョーという醤油を溢さずに。ジョーという餃子を火傷しないように慎重に食べて、ああ、おいしかったな。で、退店して欲しいの」
釈迦の説法よりも、聖書のどんな美しい文言よりも、諭されたような感覚に浸かっていった。
「火傷するのを恐れずに食べるのは構わないけど、火傷したあとの事を考えたら…わかるでしょ?」
ロクの説法が終わったと同時に、俺の前に餃子とラム餃子が提供された。
「……それでも、誰かのために食べようとするなら、
ちゃんと『水』くらいは一緒に頼みなよ。
それが、祈りとか信仰って言葉の正体じゃないの?」
鉄板の上で、じゅうじゅうと音を立てて、餃子は鎮座していた。
確かにこれは火傷する。
熱い肉汁が口の中に入るのを想像する。
それも醍醐味の一つだと思っていた。
だけどそんな食べ方も───生き方も考えたことがなかった。
自分の力に溺れていたのかもしれない。
齢23にして、大きく慢心していたのかもしれない。
いや、今気づくことが大事だったのだと、思う。
ロクはもう口に餃子を運び、はふはふと頬張る。
「まだちょっと熱かったわ、ミスった」
始発までの時間を潰すように、どうでもいい話を続けた。
誰かが酔っ払って転び、店の外で笑い声があがる。
そんな夜のノイズが、心地よく響いていた。
「ラム一つちょうだいよ」
「口臭ヤバくなるよ」
「この仕事しててブレスケア持ってないと思う?」
「たしかに」
「イスラム教では寄付する側が天国に行けるんでしょ?」
「だから、俺はお坊さんなの!」
───店を出ると、始発前の空気が冷たくて、鼻の奥に、まだ焦げた匂いが残っていた。
それが餃子の匂いなのか、自分の骨の匂いなのか、もうわからない。




