左耳の秘具
厨二は卒業したはずなのになあ…
さっきまで騒がしく飲んでいた厄介そうな姉ちゃんたちのうちの一人が──
突然、駆け出してきて殴ってきた。
ちょうどよく酔っていたタイミングだ。
厄介そうな姉ちゃんたちのうちの一人が、突っ伏して寝ているのを見て、迷惑な客だな、と一瞥した瞬間だった。
彼女はギョロリと目をこちらに向け、駆け出してきたと思えば右腕を振り抜いた。
歯の何本かが折れた。
激痛が走る。
一緒に飲んでいた同僚が、立ち上がりその女を抑えた。
目は充血し、耳が長く伸び始め、スレンダーな体は、徐々に豊満な体へと変化し、服が破けた。
「なんだコイツ…」
殴られた頬を押さえながら、眼前で起きる意味不明に困惑する。
「ん、ん〜!久しぶりの現世である、心地が良い…この酩酊した感覚、たまらん…」
女は同僚を薙ぎ払い、元いた卓に戻って行った。
同席だった女たちは青ざめ、後ずさりしていた。
お猪口に残った日本酒を平らげ、徳利を持ち上げ、大声をだした。
「酒が入っていないではないか!注げ!」
店員は白目を剥き、言われるがままに日本酒───《高尾の天狗》を───ボトルで提供した。
それを一気にラッパ飲みし、ボトルを放り投げる。
客たちからは悲鳴が上がる。
すると、シャツの背中が破け、羽根のようなものが生え始め、次第に翼へと変わっていった。
「よ、妖怪…?」
恐怖で上擦った声を絞り出すと、またコチラをギョロリと睨み、訂正した。
「妾がそのような程度の低いものに見えるか、俗人よ、改めてやろう。こちらへ来い」
そう言われると、ブレーカーが落ちたかのように視界が真っ暗になり、体が前に進むのを感じた。
なんだ?何が起こっている?全くわからない。怖い、怖い、怖い。
ドアが開く音と同時に───チリン、と鈴の音が鳴った。
入店の音かと思ったが、ここは自動ドアだ、鈴は鳴らないだろう。
「あれっ、なんかヤバそうな雰囲気…もしかしてお邪魔でした?」
若い男の声がする、見えないが、鈴の音の主はこの男のもののようだ。
「んー、あっ女天狗か、珍しい…やたらエロいカッコしてんな!」
また変なのが来た、なんだコイツも、女天狗?何を言ってるんだ。
「鼻も伸びないし、美麗さが増す、それが女天狗なんすよねー」
解説がましい、なんでそんなこと知ってるんだ?
チリ、と音がした。
『影よ退け、穢れは還れ──護りの環よ、廻れ』
『護』
視界に光が戻った、声の方を振り返ってみると、グレーのパーカーに、深く濃く青いツーブロック、捲った腕に見えるのはジャラジャラとした下品なアクセサリーまみれの腕、薄く青い光の膜が右手に宿っている、絡んではいけないタイプのヤバい兄ちゃんだ。
「歯が落ちてる──お兄さんの?」
こちらへ寄り、口を無理やり開け、確認してきた。
「ああ、はいはい、ここね、ハイ!お兄さんこの歯持ったままじっとしてて」
言われるがままに歯を持つと、男は右薬指のリングに手を当て、呟いた。
『痛みよ眠れ、血潮よ巡れ──蘇りは祈りの中に』
『蘇』
次の瞬間、歯が接着剤でつけられたかのように元に戻った。
驚いているのも束の間、女天狗が鬼気迫る表情でこちらへ歩み寄ってきた。
「ちょっと詠唱が厨二病すぎますよねー、ご勘弁!」
右小指のリングに触れ、『誘』と発し、男は店を出た。
「お姉さんたちー!このお姉さんのアウター持って外で待ってて!」
ヤバそうな姉ちゃんたちも流石に焦り、アウターと荷物を持ち、天狗の方へ向かおうとした。
すると白目を剥いた店員がそれを遮った。
男はそれを確認し、頭を抱えた。
「あー、店員さんも精神汚染されてんのね…『護』───もう大丈夫!」
店員はガクッと倒れ込み、また小さく悲鳴が上がった。
女天狗はそれでも声を上げた。
「雄よ、立て」
店員は操り人形のように背中から立ち上がった。
男は余裕のある様子で、明るく叫んだ。
「さてさて、ご覧いただきましょう、ジョーで、天狗祓いの夜!」
「騒がしいぞ童!今すぐに黙らせ───」
左耳の文字型のチャーム・ピアスに触れ、言った。
『緘』───「女天狗は精神を操る声を出す、精神系にはこれですよねー」
女天狗は何かを言っているかのように口をパクパクさせているが、音が聞こえない。
「ピアスの術式は全部“戒輪”の枝葉なんだよなー…ほんと面倒な体だ」
そして手を叩き
「誰もコイツの声を"聞く"必要がない、そんじゃ、おんもへ出ましょうねー!」
自動ドアをバックステップで抜けて、女天狗がそれを追った。
───こうなれば、正直あとは俺の独壇場だ。
簡単に《誘》に乗るということは、そこまで格の高い天狗ではない、簡単に祓える。
「エロいカッコ…マジで目の保養になるわあ」
女天狗はパクパクと口を動かすばかりで、何を言っているかわからない。
だが、こちらを獣のような真っ赤な目で睨みつけてくる。
左親指に触れ、『破』を発する。
翼に頼って歩いていた女天狗は仰向けに倒れそうになり、踏ん張ってこちらへむかってきた。
「お姉さんは殴れねえなあ、嫌だな」
すると、羽根を一本引き抜き、槍のような形へ変形させた。
「おっ、それならやりようがあるな」
左のバングルに触れ、結界を刃状にする。
槍の先端と結界の刃とでぶつかりあい、火花が散る。
これじゃ本体に近づけないな、と判断して結界を解く。
槍を突いてくるたびにいなし、掴んで相手の腹の方へグッと複数回押し返す。
腹を抑え、痛がっているのを確認し、左耳のインダストリアルピアスに触れ、発する。
『痛覚交換』
───相手の痛みをこちらの燃料へ変換し、戒輪の術が増す。
槍を蹴飛ばし、女天狗が体勢を崩したところで、『縛』、カチンコチンになったところで近寄り、『輝』を宿し、伸びた右腕に左手を添え、腰に手を当て、社交ダンスのようなポーズにした。
「ちょっと趣味悪かったかな…キモいな、うん、キモい。これっきりにしよう」
左耳と左手の術式が共鳴し、影と魂の結びつきを断ち切る。
『Valse du lustre-シャンデリア・ワルツ』
女の香水を纏って、天狗は影となり霧散した。甘い甘い"残り香"がした。
「自分でやったのに、悪趣味すぎたな、悪いところだ、反省反省。さてさて、さっきのお姉さんたちは?」
何が起きたのかわからない表情でこちらを唖然と見ていた。
天狗の影から落ちてきたお姉さんを抱えた。
服は破け、はだけていたのでアウターを肩からかけ、右腕のブレスレットを回し、記憶操作。
店内に戻ると同時にもう一度。
全員の記憶を消したところで、再入店。
「一人なんすけど、入れますか?」
「すみません、今お席の方空いていなくて…」
「あらら」




