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夜鳴きジョー  作者: hsgwwr
12/23

《縛》-目醒め

山でのねちっこい修行を終えた俺は、その足で教会へ向かった。

今日は日曜日、大体の教会ならやっているだろう。


マップで近所の教会へ向かい、ミサを受けるのだ。


入り口に浮かぶ十字架の影を踏まないように、避けて入る。

牧師はもう祈りを始めていた。


やべ、少し遅れたか。

木造の椅子に慌てて腰掛ける。

匂いが意外なほどに落ち着く。


───ひたすら祈る。


(しゅ)に、基督に。

そして───ロクに、初恋のあの子に。

加護が与えられるように。


仏教が静、キリスト教の更に静、声の祈り。

沈黙と、告白。


どちらにも跨っているのだ、俺に聖なる力は宿らないだろう。


だが、祈らずにはいられなかった。


神父が十字を切る。

参加者も同時に十字を切る。


───薬指が疼く。

だが、これまでの皮膚を裂くような痛みはなかった。


俺の中で、きっと『縛』の形が再構築され始めてきたのだろう。

銀を拒むかのような感覚はなく、ポケットの木製のリングも沈黙していた。


そうして、神父は聖書の一節を朗読する。


祭壇の前で蝋燭がゆらめき、柔らかな煙が天井へ昇っていく。


神父は眼鏡を外し、ゆっくりと聖書を開いた。

教会の空気がすっと冷える。


「──ローマの信徒への手紙、第七章より」


木製の長椅子がわずかに軋む。

ジョーの指先が、銀の戒輪を無意識に撫でる。


神父の声は静かで、降る雪のようだった。


「私は、自分の望む善を行わず、望まない悪を行ってしまう。」


「それを行っているのは、もはや私ではなく、私の内に宿る罪である。」


一文一文が、胸の傷口に落ちてくる。

ジョーはゆっくり目を伏せた。


滝行で聞こえた僧の罵声、ロクの笑い声、そして──あの日の、あの子の涙。


戒輪が、骨の奥で“ギリ”と軋む。


神父は本を閉じ、静かに祈りの言葉へ移った。

だがジョーには、さっきの二行がいつまでも耳に残った。


(……俺じゃない、俺の内側の“何か”か)


胸の奥で、銀の縛がゆっくりと熱を帯びていく。


「宗派は違って見えます。ですが祈りは、どの国へ行っても同じ形を取る。人が“自分より大きなものへ手を伸ばす”という、その行為自体が力になるのです」


淡々と、静かに、しかし発せられる力強い言葉を心で受け止めていく。


───お坊さんなのに、こんなに沁み入って聴いちゃっていいもんかね。


リングは、どちらもそれらに呼応しない。

落ち着いているのだろう、俺のことを、わかってくれているのだろう。


俺は───中間にいるんだ。

お坊さんとして、救いを求める信者として。

ずっとずっと、ここに立っていたのだ。

この立ち位置がわかれば、また祓える。


目は覚めた。

これが辿り着くべき境地だったんじゃないだろうか。


左耳のピアスが、揺れる。

また、根ざすように、少し痛みを伴いながら。


ピアスの根本から血が垂れる感覚がわかる。


───ここまでだな、これ以上は逆効果だ。


立ち上がり、邪魔にならないようにそっと教会を去る。


自室に戻り、清酒と赤ワインを飲む。

数日ぶりに電子タバコを吸う。


飲み、煙を吐き、清めた心体を軽く汚す。


俺のスタンスとしては、これで充分だろう。

満ち満ちと、体に"力"が流れゆくのを感じる。


肋はまだ痛い。鈍い痛みではなく、透き通るような痛み。

全神経が体のどこが痛んでいるのかを察知する。


右薬指のリングに触れ

『蘇』を発動させる。

軽傷と思われるところの治癒を済ます。


───陽が沈む。

八王子駅まで向かう。

この間祓い損ねた天狗を探す。


どの影に潜んでいるのか、察知ができれば楽なのだが。

誰かが痛みを伴って顕現させるのを待つ。


他の祓師が祓っているとは、あまり思えない。

どこも人手不足だ。


───またロクのところに行ってないといいな。

《NEON》の近所まで歩こうとする。


ドンキの前を通りかかったところで、悲鳴が上がる。


どう見ても、この間の嫉ノ影天狗(しっとのえいてんぐ)の類だ。


「脆弱ナ、祓師ヨ。儂はこの数日デ腹が膨レル、ほど妬ミト怒気ヲ喰らった。コノ街は儂の本来の力ヲ引き出してクレル」

片言なのは変わらないが、流暢に喋ることができる余裕さを得たのか。

「本来の力を引き出した割にはまだまだ人の言葉、話せてないっすねー、大したことないんじゃないすかー?」


少し煽ると、表情が歪み、また葉のうちわを取り出し、振るった。


これは『滅』で消すことができない。

範囲外に逃げる。

煽られた人たちが飛んでいくのが見える。


「いやーまじ、さーせん!」


右小指の『誘』を用いて、なるべく人のいない方向へと誘導する。

「我が影を見よ、我が声を追え──誘うは祈りの罠」

影が揺れ、天狗の瞳に僅な光を映す。

変わらずうちわを煽る。

足が絡め取られそうになるも、体を前傾させ、なんとか逃れる。


肋が軋む、今度は鈍い痛みだ。

早期決着をつけなければ、消耗戦になる。


ようやく人気のない裏路地へ導くことができた。


───ここからだ、俺に応えてくれ、《縛》…!


『縛!』


天狗は瞬間的に硬直したが、ガラスが割れる音と同時に動き出す。

左薬指がまた痛みだし、変色していく。


やっぱまだ───ダメか!


すると左のポケットで、ジュウジュウと木製のリングが熱を持っているのがわかった。


いや、お前は使えないんだよ、黙っててくれ───。


(使え)


俺に声をかけたと感じると、意思を持ったかのようにポケットから飛び出し、宙に浮いた。


こんなことは初めてだ。

「そこまで言うなら、使ってやるよ!ただ、再契約だ、俺のスタンスを邪魔しないように、キチンと俺に従え!」


返答はなかったが、差し出した左手の薬指に自ら嵌ってきた。


木と銀の戒輪が呼応し、ジョーの腕に二重の“戒”の線が刻まれる。


すると、指の痛みは和らぎ、赤黒かった指の色は、肌の色を取り戻した。


胸内の空気が反転するような感覚。

祓と祈り、仏と神、静と声。

相反するものが噛み合い、回り始める。


天狗はこの狭い路地でうちわを縦に振ろうとしていた。

喰らえばまた病院のお世話になるだろう。


脈々と、薬指が鳴動するのがわかる。

「いいんだな、使うぞ、裏切んなよ」


『縛!』


瞬間、天狗の血走った目が白目を剥き、ビキっと硬直した。


効いたか?

───効いてる!


『破』!


天狗は翼の効力を失い、地に突っ伏す。

微動だに、しない。

まるで石のようになっている。

声も発さない。


《縛》が応えた。


そうして脳裏にあの子の声が蘇る。

『高尾山のたこ杉、あれは御神木だもんね、木にも神様は宿るんだよ』


神道か…そうだったななるほど、それはそれは…。


銀のリングと木のリングが薬指に嵌ったことで、左手が完全に握られることができなかったが、淡い炎のように左手が青白く光っている。


「まじ…やってくれたな、ホント、喰らってもらいますよー、限りなく痛い形で。やりたくないことやらされたんだから、これくらいはね」


ネックレスに触れ、唱える。


une main nue Alors est venue Qui a pris la mienne

Qui donc a rendu Leurs couleurs perdues Aux jours aux semaines

Sa réalité A l'immensité Des choses humaines(裸の手が その時現れ 僕の手を取った

その手が戻した 失われていた色彩を 流れゆく時に

その真実を 人間の織りなす物事の無限さの中に)


右手の拳を思い切り天狗の背中に打つ。


天狗は体をのたうちまわらせ、ギィと音を立てて霧散した。


ツーと右の鼻の穴から鼻血が垂れたのを感じた。


「反動さえなければなー、完璧なのに…」


ガフっと喀血する。

ハンカチで拭い、歩みを進める。


「飲むかあ」


───夜の街に、復活した祓師が歩みを進める。

戒律を破り、どこにも籍を置けないような、派手な坊主はロクのいる店へと向かう。

今宵も、八王子の夜は騒がしい。

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