修行
高尾の空気は澄んでいて、少し冷たい。
退院したばかりの胸に刺さるような冷気だ。
霊気満山、ね。
(まあ、ここしかないよなあ、嫌なんだけどなー)
絶対に絡んでくる僧がいる。
だからこそ、敢えて選んだ。
信徒峰中修行会、25000円。
滝行、登山、そして俺にだけ特別なプラン───坐禅。
20の時に同じ滝に打たれた時は、まさかまた戻ってくるとは思ってもいなかった。
それくらい、アンバランスで戒律を破りまくってきたのだろう。
金を払い、名前を書き、説明を受ける。
「ご参加ありがとうございます。保険には入っていますが、気軽なプランとなっておりますので、あまり身構えずに取り組んでください」
こちらをチラリと見て、お前は別だぞ、と言われたような気がした。
40人くらいはいただろうか。
ミドル層とライト層が入り混じっている。
(まあ俺だけへヴィー級なんですけどね)
ワイワイと山を登り、白装束に着替え、滝行の順番を待つ───はずだった。
俺が真っ先に呼ばれた。
「彼はこんな風体をしていますが、実はお坊さんなのです。皆さんが数分滝に打たれている間、彼は39人分の滝行が終わるまで耐え続けますので、あまり比較せず、彼の信心深さを感じてください」
オイオイ、聞いてねえよ。
「あはは、さすがに意地悪がすぎませんか?」
と笑ってみせるも観衆は拍手、逃げ道はない。
この僧も嫌な顔をしてニヤけている。
「祓師だろ、これくらいなんてことないよな」
上等だよ、見てろよ。
ザブザブと水の中に歩みを進め、滝の前に立ち、深呼吸。
跳ねる水滴がもう痛い。
「行くか…」
滝の中に身を委ねた。
上から落ちてくる怒涛の水流で胸が痛む。
肋骨は折れたまま、銀の縛が熱を放ち、皮膚の下でじりじりと疼く。
冷たさと熱さが入り混じり気持ち悪い。
頭を殴られ続けるような滝だった。
それでも──やるしかない。
ロクを守るため。
そして、ずっと胸の奥に沈んでいる“片想いしたあの子”を、これ以上裏切らないために。
「仏も神もキリストも噛じって、もっともらしく修行に来る阿呆に、40分耐えられるかな?」
と遠くで小さく聞こえた。
口が減らねえな。
念仏を唱えながら滝が与える全身へのダメージを流していく。
怖いもの見たさで入ってくる参加者たちは、30秒保てば良い方だった。
ピアスが剥がれ落ちないか、それだけが心配だった。
───20分は経過しただろう、参加者たちが俺を讃え、何分まで挑戦できるのかを期待していた。
肺に走る激痛が、世界を白く塗りつぶす。
流石に足がガクついてきた。
息が吸えない、銀の"縛"が氷のように冷たくなり、骨を締め付ける。
(俺は……どこの神様にも、どこの宗派にも、拾われてねぇんだよ)
そう思った瞬間、滝の冷たさが急に“無縁”みたいで、胸がひやりとした。
あと20分は耐えよう、そう思いながら念仏を唱え続けた。
そうして計40分を超過したところで、俺に限界が来た。
拍手で迎えられた、達成感があったが、これで身が清められているか心配で仕方なかった。
頭の中はロクを護ることで一杯だった。
ロクの名前を心に浮かべた瞬間、銀の縛の疼き方が変わった。
まるで誰かが、俺の骨を内側から押してくるみたいに。
そうして、山を登り、法楽。
精神統一だ、滝に打たれて山を歩いて疲労困憊の体には染み入った。
───そういえば俺お坊さんじゃん…耐えられるんだよな、こういうの。
法楽が終わると僧が話しかけてきた。
俺が最も苦手なタイプの。
「それは……戒輪か?銀など、仏の戒とは最も縁遠い素材だ。穢れそのものじゃないか」
「……素材は関係ないですよ。想いと、誓いの方が大事なんで」
「戯言だ。お前のような雑多な思想の寄せ集めが、戒に耐えられるものか」
言われなくても、痛みが証明してる。
指の奥──骨に達する痛みがある。
だけど、その痛みが逆に安心でもあった。
(あの子のために破戒した時と、同じ痛みだ)
ロクの笑い声が頭に響く。
そして、天狗に消された“あの子”の、最後の横顔が浮かぶ。
胸の奥が、ぎゅう、と締め付けられた。
「あーあ、せっかく法楽したのに、また現代に戻ってきちゃった感じ」
「アクセサリージャラジャラのお前が、現代から離れられるわけごないだろう」
それもそうか、一理あるな。
───20時就寝、当然眠れるわけもなく。
こっそり『縛』の確認をする。
未だ『縛』は俺を拒んでいた。
まだダメか…そう思い、布団に戻ろうとするとまたあの僧が来た。
「おい、今から護摩業するぞ、お前も来い」
「…宗派違くないっすか?」
「誰が言ってるんだ、良いから来い」
高尾山側も、俺の弱体化を認識しているようで、強行策に出たのだろう。
願いを書いた木を火に焚べ、真言で唱え続ける。
これも一種の破戒か。
ジリジリと顔が熱くなり、焼けるような痛みを伴った。
それが一時間は続いた。
焦げ臭い自分を認識しつつ、疲れた体を毛布に預けた。
「他の参加者と同様に扱ってくれよ…」
と呟き、泥のように眠った。
───翌日は、坐禅だった。
禅堂の柱の木目が、やけに近い。
背筋を張るたびに、折れた肋骨が炎のように痛む。
僧はまた、俺だけを狙って言う。
「経も読めぬくせに、何が祓師だ」
(読めるよ。般若心経どころかアラビア語の祈りも、旧約も暗唱できるわ、てか滝行の時に読んでただろ)
しかし言い返さない。
それをすれば、修行が“俺のため”になる。
そうなった瞬間、縛は絶対に応えない。
これは、ロクのため。
あの子のため。
そして──俺自身が二度と逃げないため。
雑念が浮かぶたび、縛が骨の中から“チッ”と舌打ちのように疼く。
(わかってるよ……まだ迷ってる)
ロクの笑顔。
あの子の泣き顔。
そのどちらにも繋がる“縁”を、失いたくない。
手を組み、目を閉じ、静かに祈る。
仏へ。
神へ。
キリストへ。
そして──失ったあの子へ。
「……見ててくれ」
心の底から出た言葉だった。
その瞬間、銀の縛が骨に“カチリ”と嵌った音がした。
僧が驚いたように振り向く。
「……今、何か音が……?」
「なんなんすかね」
俺は薄く笑った。
修行はまだ終わらない。
でも一つ、確かなことがある。
銀の縛は、俺の迷いの場所をやっと“掴んだ”──そんな感覚だった。




