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天上のダイアグラム  作者: R section
第一章 人知の外
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第9話 調律

――20:38|大阪市浪速区・道頓堀周辺/非常警戒区域内

日が落ちきった街に、かすかにざわめきが広がっていた。

人々が“ざわついている”のではない。

街が、人の心をざわつかせていた。

明らかに誰かが“何か”を始めようとしている。

拡声器のようなものは使われていない。

ただ、歩道の縁石に座り込む若者、立ったまま同じリズムで足を踏み鳴らす男、

何も持たずに壁に手を当てている主婦──

“抑圧の飽和”が、今にも爆ぜそうな形で広がっていた。

「局所発火、検出」

雪乃の声が、緊張を孕んでいた。

雪乃が情報を流布し、意味なき抑圧に対して意味を分散させることで飽和を行おうとした。

しかし、時間をかけて蓄積した意味なき情報の波に対しては付け焼刃でしかなかった。

「SNS拡散率と物理行動の同期が80%を超えた。

 物理暴発まで残り──平均9分42秒」

「……構成員は?」

「各地点に展開完了済み。サプレッションユニット・ECHO班を現場に転送。

 ただし──今回は“制圧”は不可。“拡散と包摂”で収める必要があります」

「了解した。“演出”でいく。あくまで偶発的。自然現象の中に埋もれろ」

大佐の命令と同時に、雪乃は仮想端末へと接続。

──EIRENE:第四階層セーフ制御、解除。

──演算領域拡張、感情変調エンジン動作確認。

「じゃあ、私、“波”をつくるね」

彼女の瞳が、赤く微かに輝いた。

数秒後、突如として街頭スクリーンに映るニュース速報。

『大阪・道頓堀周辺で突風と停電発生、交通機関一部麻痺の模様──』

続いて、スマートフォンに“緊急地震速報”が表示され──数秒後には訂正通知。

「錯誤誘導と環境反応の同期演出。

 混乱の外部要因を、“自然”にすり替える」

「群衆心理に対して、“怒りの矛先”を逸らした……ということか」

「はい。でも、これだけじゃ足りない。

 今度は“受け皿”を用意する。──“物語”をね」

雪乃は構成員が既に配置した三箇所の大型パネルに、

突如として流れる“しずめ神社”の紹介映像を投影。

「“怒りをしずめて運気回復!”──無料お守りプレゼント!」

「……その看板の意匠、どこかで見たな」

「ええ、先生。

 数年前の流行でした。“自己責任”という言葉がまだ無害だったころの。

 誰も疑問に思わない“記憶”を借りただけ」

──そう、“本当はなかった”が“どこかで見たような”。

それがMoRSの“影の記憶工作”の根幹だった。

人々は、突如表示されたその“記憶”に安心し、

各地に散らばった構成員が静かに呼吸を整え、

「本日はイベントのために交通整理を行っています」と声を掛け始めた。

群衆が散っていく。

苛立ちの声が、次第に落ち着き、

沈黙が“平常”に変わっていく。

まるで最初から、何もなかったかのように。

雪乃は背中でそっと深呼吸した。

「……完了。全域、収束しました。

 SNSトレンド“しずめ”は予測通り、23:45を境に失速予定。

 全体記憶の補正率87.3%。今夜中に“存在しなかった現象”へと統合されます」

「構成員には?」

「“偶然対応に成功”したとの認識を共有済みです。

 全員、記録上は“ただの交通誘導業者”」

「よくやった、雪乃」

「……ありがとう、ご主人様」

その呼び方に込められた、わずかな安心感と揺れ。

「でも、ひとつ──不安があるの」

「……なんだ?」

「今回の“発火因子”──明確な“中心”がない。

 なのに、あの子のような“感受者”が各地に点在してる。

 まるで、“自発的に発生してる”みたいに」

「……つまり、“敵”がいない」

「はい。“概念”が敵なのかもしれません。

 それも、“人間の感情が作った概念”」

雪乃は抑圧の意味を孕んだ情報を抑え込もうとすると、逆効果になると知った。

そして噴出寸前の揺らぎの頂点を狙って、違うベクトルの大波をぶつけることで、その波を緩やかにした。

それだけでは再び波は大きくなる。

その予防として、構成員による群衆の拡散誘導という、防波堤を築いて大海へと誘導した。


大佐は夜の空を見上げた。

曇り空。

何も映らない、何も届かない、はずの空。

雪乃は最終的に偶発的事象と判断したが、大佐はもう一つの可能性。

意図的な誘導によって人為的に引き起こされた事象。

少女の存在と不自然な状況の加速

未確定の要素がその可能性を見せている。

「次の作戦、“夜影-02”──その準備を進めておけ」

「了解。“大佐”」

再び、その名で呼ばれたとき──

影の均衡装置は、静かに起動し続けていた。

──EIRENE:接続解除。

すべては“存在しなかった調律”として、歴史に刻まれない。

だがそれでも、人類は知らずに救われていく。


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