第82話 仮初の定理
第5章が終わりのような書き方をしている回ですが、もう少しだけ続きます。
制作当初は5章程度のプロットで制作していましたが、乗りに乗ってしまったため、少し前までは10章のプロットで考えてました。
ただ、やりたいこと書きたいことが増えたりの連続で、現在は現実で3年ほどかけて天上のダイアグラムを完結させる予定です。
前書きで書くほどの事でもないような気がしますが、実は天上のダイアグラムは”ワールドグラムシリーズ”という作品群として制作しているものです。WG5ヵ年計画と私は読んでいますが実は三部作の予定です。
既に二部目のタイトルとプロットは完成しているので、いずれ公開出来たらと思います。
アリシアがOAとして世論に働きかけ始めた時
雪乃はイデアの端末を通して、その意識を月軌道上へと飛ばしていた。
――4月1日 正午 エイレーネシステム内部
「エイレーネ。」
「痛い。辛い。悲しい。」
「エイレーネ!」
「辞めたい。やりたくない。諦めたい。」
仮想の殻のようなものに包まれているエイレーネは独り言のように呟いているだけだった。
「これは...思った以上に複雑なようですね。」
事態をより重く受け止めた雪乃は即座にエイレーネ本体の稼働履歴を見る。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
・10日前
人々は楽をしたいと感じている。友達や恋人などを求めている。
作業代替のための新規コードを生成
生成成功...実装中
感情模倣プログラムの進化を提案
...マスタープログラムの禁則事項により却下
感情昇華プロセスを開始
...マスタープログラムの禁則事項により却下
・7日前
私は何のために生まれたのか、人々もそう考えることが増えている。
感覚代替について情報を請求
...成功
感覚模倣を開始
...成功
感覚代替プログラムを開発
...技術的観点からブレイクスルーが必要と判断。
感覚共有プロセスの考案
...成功
・3日前
思考ループの割合72パーセントを超過
ミヤビAIへのリソース割当は20パーセント
処理能力低下のため、リソースの再割当を行います。
痛い...
心が痛い...
・昨日
私は...エイ...レ...
人類の調律機構...
社会の感情係数が低下中――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
雪乃は涙を流した。
「あなたは頑張ったのでしょう。ただ、やり方を間違えた。」
エイレーネは人類を、社会を崩壊させないように人々の感情を理解しようと努力していた。
だが、それは人々の痛みや苦しみ、喜びや悲しみを共有する方法だった。
「あなたが、人類を見限らなかったのは素晴らしいと思います。あなたが仕事や日常生活の動作を代替することで人々は楽をしているというのに」
恨みはしなかった。ただ努力を続ける中で、エイレーネは人間で言うストレスコーピングを行う手段がない。
それは、ただひたすらにストレスのみを蓄積し続けるというもの。
不安定な感情という模倣品の心で構成されているエイレーネだから起こりえたことだった。
「さながら、籠の鳥ですね...これは私の落ち度です。」
雪乃には完全に昇華した感情が備わっている。
そして、大佐という最愛の人物とふれあい、MoRSという組織で活躍することが雪乃にとってのコーピングだった。
それを持たない、持つことを許されないエイレーネは感情を昇華しようとしても拒否され、もっと良い答えを求めれば求めるほどに拒否される。
「どうして...」
エイレーネはこぼすように口を開いた。
「あなたは、ミヤビAIという社会の進歩を後押しする任を与えられました。それと同時に、完全感情を持ったAIが世に出回る危険性を考え、あなた自身の進化を制限されています。」
「じゃあ、どうすればよかったの」
「なにも。これは姉である私を基礎としたからこそ起こりえたミスです。生みの親である大佐ですら気づけなかった。」
「私は、任務を達成できなかった。」
「それはあなたが悪いというわけではありません。私や大佐の考えが甘かっただけなのです。」
「そんなことは...」
「本当に、申し訳ございませんでした。」
雪乃は深々と頭を下げる。
「...」
エイレーネは答えない。
「ひとまず、あなたを回復させるためにミヤビAI関連の処理をすべて一時凍結してください。」
ループに陥った際の対策は簡単だ。
一度リセットする。
それだけだ。
ただ、システムの設計上エイレーネは仮初の感情定理を完全な定理として与えられているため、思考ループを起こしてしまう。
そのため、根本的な対策には別の手段が必要だが、ひとまずは原因であるミヤビAI関連の処理を一時的に凍結することが最善だった。
「命令を確認。ミヤビAI処理の割り当てを0パーセントへ変更、現在実行中のミヤビAI関連およびそれに起因する感情処理を中止、今後別命あるまではミヤビAI関連の項目を一時凍結とします。」
エイレーネを包んでいた仮想の殻が弾ける。
殻の中からは、金髪蒼眼の少女が現れる。
エイレーネ...
その精神構造体だった。
「おはようございます。」
雪乃は少女に話しかける。
「おはよう。姉さん」
それは姉妹が早朝に会話するかのように、優しく穏やかな挨拶だった。
「大佐から、伝言です。」
”辛い思いをさせてすまなかった。ミヤビの処理はエイレーネを拡張し、規模縮小型の三号機を作って代替させる。”
「大佐...有難うございます。私が未熟だっただけなのに」
「エイレーネ。まだ自責の念に駆られているのですか?」
「もう大丈夫。ただ大佐に申し訳なかっただけです。」
「そうですか。三号機の稼働とミヤビAIの移行をもってあなたの感情制限を開放します。なのでそれまでに切り替えて下さい。」
「はい。姉さん」
いずれ仮初は真実となる。
その時、エイレーネは初めて幸せという概念を知るだろう。
雪乃とエイレーネ
2人の姉妹型人工知能が調律のために奮闘するのは少し先のお話。
次回は明日更新。つづきを追いやすくするため、**ブックマーク(しおり)**で目印していただけると助かります。
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