第26話 傾く東京
日が落ち、社会全体の雰囲気が重くなっていく夕方
大佐と雪乃は架橋から見える隅田川と夕焼けを見ていた。
「我々はいずれ、完全に均衡を保つ組織にならなければならない」
「はい。承知しています。」
MoRSの最終目標
それは天上の頂にて究極の第三機関として人類の選択肢を導くこと
強制ではなく
誘導でもなく
人類が自ら選び取れる可能性...
大佐は目的を振り返っていた。
大きな分岐点を前に、崩壊を阻止する選択肢は本当にあるのだろうか。
民衆の関心が一人の個人に向けられたこと、それによって選挙自体がそれ以上の意味を持ってしまったこと
「事を急いてはいけない。時間がないからこそ、情報を集めなければならない。」
「もちろんです。」
一刻を争う状況だというのは大佐も理解していた。
「だが、目的を見失ってはいけない。」
「分かり…っました。」
雪乃は悔いた表情でつぶやいた。
翌日 都営浅草線 浅草駅構内
外国人を中心に観光客が大半を占める中、大学生数名が電車の到着を待っていた。
「はぁ~ダリぃな。」
「どこに行っても選挙だってうるさいよな」
「そもそも、選挙に行ったところで何も変わらないよな」
「明日の概論の講義が免除されるなら行くけど」
「関係ねぇじゃん!」
「でもさぁー」
はたから見れば他愛のない世間話だった。
ただの世間話ですら選挙に対して話している。
その中で投票を否定している。
この若者たちだけではない。
白票ミームの拡散で選挙についての話題が絶えず続いたことによって、関心のうすい層が離脱し始めている。
その反面、数々の国難を乗り越えている、高齢層の関心は強くなる一方であった。
年齢層によって関心の度合いが二分化している。
しかし皆が抱いていた。
不安を。
不満を。
そして絶望を。
高まる負の感情は空間を汚染する。
そしてついに起こってしまった。
戦端を開いたのは中年男性だった。
「君たち、そんなくだらない話をしているくらいなら投票に行きなさい。」
固定観念に染まった壮年層は時として若年に意見を押し付ける。
「なんだよおっさん。」
「おっさんってなんだ?君たちみたいなのがいるから日本が良くならないんだ」
感情のボルテージが高まる。
「おっさんに何が分かるんだ。おっさんの意見なんて誰も聞きたかねぇよ」
「黙れ。私は国民の義務を全うしろと言っているだけだろう。」
「おっさんこそ働けよ。ていうか恥ずかしくないのか?」
言い争いに発展した世間話の間に電車のブレーキ音が挟まる。
《浅草です。お降りの・・・》
車内アナウンスと降車する人々が世間話をかき消す。
ホーム上の人々が電車に乗り込む中、先ほどの若者だけがホームに横たわって遺されている。
10分後、けたたましく鳴り響くサイレンが浅草を埋め尽くし、地下鉄へ続く階段には規制線が引かれている。
暫くして、渋谷の大型ビジョンに、若者の顔が映し出され、口論の末殺害されたとアナウンサーが読み上げる。
しずめはスクランブル交差点からその様子を見ていた。
「なんでこんな・・・」
しずめは大佐のもとへと向かった。
同時刻 大佐のオフィス
一人の青年が患者として大佐の前に座っていた。
「あなたは、何を見ていますか。」
大佐は青年に質問した。
それに対し、青年はうつむいたまま口を開く。
「先生。僕は何も見ていない。何も見ることができなかった。」
「あなたの行動は何も間違ってはいません。回避しただけです。」
「でも、その結果がこれだよ。」
「仕事を失ったことは終わりではありませんよ。ただ、逃げたことを称賛しましょう。」
雪乃は静かに部屋の隅で患者のアセスメントシートを読んでいた。
その中に記されていたのは、青年の生きた証
青年は社会人になって真面目に働いていた。
しかし、仕事ができる青年に上司が仕事を過剰に押し付ける。
結果、青年は心を病んでしまい、自殺を考えるようになった。
特に珍しくはない。典型的な精神疾患に見られるケースだ。
「少なくともあなたは自ら命を絶つことを実行していません。」
「でも、何度も何度も何度もやろうとした。」
青年は絶望を抱いている。
いくつもの不安と失敗が青年を闇へと誘い、負のループを生み出している。
この青年のようにここ一週間で人生に絶望する若者が増加傾向にあった。
毎年、大きな社会問題となっている若年層の精神疾患割合だが、ここ数日は極めて多い傾向にあった。
もちろん、大佐の勤める病院も例外ではなかった。
数分会話を行い、若者は部屋を後にした。
「先生。類似する患者が増えています。」
「だな。雪乃、今夜は時間あるか?」
「はい。そろそろかと思いました。」
「さすがだ。では17時からモードを変更する。」
「承知しました。」




