第23話 揺れる民意
──雨が上がると、空気は妙に澄んでいた。
けれど、その透明さは決して“晴れやか”ではなかった。
それは、何かが終わった直後の、しんとした余韻。
誰かの判断が、誰かの無関心を断ち切った、その結果。
「“あの投稿”、すごい影響です。再拡散数は過去最多。
“自分の意思で白票を選ぶのは違うかもしれない”という声が急増しています」
雪乃は、端末越しではなく、隣に座って穏やかに報告した。
二人が居たのは、都内にあるMoRSの臨時拠点──古いビジネスホテルの一室。
しずめは、奥のベッドに横になりながら、タブレットをいじっている。
「……あの子の言葉が、これほど届くとはな」
「無垢とは、“文脈”に染まらない力。
フレームを打ち破るには、最も有効な概念です」
大佐は、眼鏡型HUDに浮かぶ解析図を眺める。
“意志の放棄”が静かに減退し、“選択すること”への微弱な肯定が再浮上していた。
だが、それは単なる反動ではない。
「問題は……このまま“投票行動”そのものが忌避され始めていることだ」
都議選候補者討論会(収録)
《白票は“ノー”の意思だ。民意は白票で現れる》
《政治不信は、政治そのものを壊すのではなく、正すことから始めるべきだ》
《しかし、実際には──“投票したい相手がいない”のが実情では?》
《ならば、その“いない”を見える形にするのが白票だろう》
議論は回り、言葉は熱を持ち始めた。
賛成、反対、それ以外の立場。
SNSでも、街頭でも、意見は錯綜し、交差していた。
それは民意の“揺らぎ”ではあるが──
同時に、分断の“前兆”でもあった。
MoRS・分析会議(MoRS仮想拠点「サンクタム」)
眼鏡型HUDを通じて投影される仮想会議室。
参加者は大佐、雪乃、そして“オープンエージェント”の一人、
社会派動画配信者と呼ばれる女性。
「……要するに、“どちらを選んでも間違い”という空気が流れてるんですね?」
彼女の声は柔らかだが、言葉は鋭かった。
「ええ。どちらかを否定することで、もう一方も否定する“ミラー構造”が出来上がっている。
今や“選ばないこと”すら、反抗の手段に昇華している」
「なるほど。じゃあ私は、“投票そのもの”が希望になり得ると伝えてみます」
「リスクは高い。炎上の可能性もある」
「それでも、沈黙はもっと危ない。……私は、伝えますよ。
“選ぶ”って、ちゃんと、生きてるってことなんだって」
仮想空間内で、大佐は静かに頷いた。
「──頼む。君の声が、人々を“揺らぎ”から、“選択”へと導く鍵となる」
叶希望、しずめに加え、新たな波を作るべく、声の力を利用する。
しかし、白票という無言の意思だけでなく、投票しないという意思なき声
どちらに偏っても、政治の価値が揺らぎかねない。
加えて、後者は後に否定の声を上げることで、直接的な暴動の誘発を招く危険もあった。
その夜・都内某所
ビルの屋上に立つ雪乃が、雨に濡れた髪を結い直しながらつぶやく。
「“信じるものがないなら、自分の信じるものをつくればいい”……か」
「……誰の言葉だ?」
「アリシアさん。先ほどの配信で、言っていました」
大佐は少し目を細める。
「言葉は、構造に宿る。
ならば我々の仕事は、その“構造”を、壊さずに再構築することだ」
「はい──では、調律を継続します」
「エイレーネ、次の選択を」
「──EIRENE:接続確認。調律、次段階へ移行します」




