第22話 囁きの拡散 定着
──それは、じんわりと、日常の隙間から染み出すように。
「白票こそが、正しい選択だと思うの」
「意思を示すことが、かえって“罪”になる時代なんじゃない?」
テレビでも、SNSでも、通学路の会話でも。
誰かが誰かに強要したわけでもない。
ただ、「そういう空気」が、確かに社会の皮膚に浸透していた。
叶希望の配信から数日。
一時は“冷風”としてミームの広がりを抑えたはずだった。
だがそれは、あくまでも“風向き”を変えただけだったのかもしれない。
ミームは──より静かに、そしてより深く、社会構造に根を張り始めていた。
真っ向から、大きな波で否定する。叶希望の声は多くの波に打ち消されつつあった。
東京・ MoRS本部 多用途セクター 「空白の部屋」
「大佐、二次拡散──再開しました。
特に教育機関および企業系内部掲示板での言及率が急上昇しています」
雪乃の声音には、明確な警戒の色が混じっていた。
彼女の眼には、HUD端末が投影するソーシャルマップが鮮明に映る。
“白票”という単語が、東京全域のネットワークをうっすらと覆っていた。
「……“善意の選択”という皮をかぶって、組織内にまで入り込んだか」
大佐は、しばし黙考した後、言った。
「“希望”の拡声器では届かない層に、既に定着している。
構造そのものが、もう“正義のフレーム”になっているな」
「MoRSの直接介入も検討すべきでしょうか?」
「否。逆効果になる可能性が高い。
“対話の拒絶”という印象を与えれば、それこそミームの補強だ」
その時、部屋の扉がノックされた。
「失礼します……ごめんなさい、あの……ちょっと、いいですか?」
入ってきたのは──しずめだった。
制服の襟を少し乱し、手にはタブレット端末を抱えている。
「この、“白票ってなんでいけないの?”って、クラスで話題になってて……。
でも、よくわかんなくて。
“選べない自由”って、悪いことなんですか?」
静まり返る部屋の中で、誰よりも“素直な疑問”が響いた。
大佐は、しずめの手からタブレットを受け取ると、しばらく眺め、こう言った。
「君は、何かを“選ばなかった”として、
それが“他人のせい”にされるのを、望むか?」
「え……?」
「白票は、“誰の責任でもない選択”になる。
だがそれは、結果を誰かのせいにする土壌をつくる。
結果を誰も引き受けなくなる。
それが最も危うい。」
しずめは、しばらく考えた後、小さく頷いた。
「でも……だったら、ちゃんと“選べるようにする”のが大事なんですよね?」
大佐は、ふと笑った。
「──そうだ。今、お前は正しく“選んだ”な」
その会話を聞いていた雪乃が、端末を操作する。
「大佐。しずめの言葉、今の発言……“民意の揺らぎ”として、匿名で投下しますか?」
「頼む。“無垢の声”は、構造の外側から届く力を持つ」
雪乃がうなずき、わずかに微笑を浮かべながらキーを叩く。
数分後、あるSNS上に以下の投稿が拡散された。
「選ばないっていう自由が、誰かの責任をあいまいにしちゃうのって怖い。
選ばなかったことで、自分の大事なことが誰かに奪われたら、それは自由って言えるのかな?」
数十、数百──やがて数千の“いいね”と拡散が起き始める。
一部のユーザーは「自分の気持ちに近い」とリプライを残した。
夜。
東京都内に静かな雨が降り始めた。
雪乃が静かに、大佐へ報告する。
「ミームの定着、局所的に崩れ始めました。
“白票は楽”という思想に、“自分で選びたい”という声が刺さっています」
「……しずめの声か。
奇しくも、MoRSにおける“最も人間に近い抑止力”だな」
「はい。このまま、構造的変化の発芽を促します」
「任せた。……エイレーネ、調律継続」
「──EIRENE:接続確認。調律継続します、ご主人様」




